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第二十九話 ミルトーネの怪物

 朝焼けに照らされた赤煉瓦の外壁は真新しく、同じく造られたばかりであろう立派な鉄の門も、黒く艶めいている。

 煉瓦の壁と黒鉄の門に囲まれた、赤茶色の屋根の瀟洒な屋敷。その屋敷に住むのは、一人の少女と、彼女に仕える侍女の二人だけ。

 屋敷の主であるルクレツィア=ガブリーニは、レッチェアーノ王国ガブリーニ公爵家の第六子――まごうことなき公爵令嬢である。

 世間一般には、公爵令嬢と言えば、国内の淑女達へ手本を示すべき存在であった。

 小さな子供が読む絵本にも、王女殿下の次に理想の姫として描かれることが多い。淑女の中の淑女、として多くの民には認識されている。

 その淑女の中の淑女はと言うと現在、敷地内の厩舎に見せかけた訓練施設にいた。

 朝の日課である走り込みを行っているのだ。

 彼女がこうして令嬢らしからぬ行為に邁進しているのは、ひとえに、体力をつけて冒険者ギルドでもっと多くの依頼をこなすためである。

 ルクレツィアは12のときより身分を隠し、ただのルーシーとして冒険者ギルドで依頼を受け始めた。

 それの理由は定められた運命に負けず、自らの居場所を勝ち取るために力をつけたかったからである。

 令嬢としては間違っていたのだろうが、ガブリーニ公爵は何も言わずに支援した。

 そうして数々の依頼をこなす過程で出会った人々と過ごした時間は、彼女に何にも代えられない充実感を与えてくれたのだった。

 父親以外の家族もまた彼女が良い方向に向かっているのを感じてか、あるいは公爵の意向をくんでか、ルクレツィアの行動に文句をつけることはなかった。

 これまで辿たどってきた道のりを思い起こしながら、うっすら汗ばむ程度で済ませると、少し施設内を歩く。

 早まる脈と心臓の拍動がおさまると、ルクレツィアは侍女から受け取った柔らかな布で首回りの汗をぬぐった。


「昨日は夜更かししてしまったせいか、どうにも体の動きが鈍い気がします」


 主の言葉に応えて、侍女――ソフィアは特に感情の見えない表情で頷く。


「常よりは、走り終えてこちらに戻られるのが遅かったように存じます」


 そうして、朝食へと向かう彼女に書簡が寄せられた。

 屋敷の食堂に座り、植物の繊維をすいて作った固い紙を広げて、内容を確認するルクレツィア。


「果実水にございます」


 ソフィアがテーブルへ硝子がらすの杯を置いた。中身は昇る朝日を連想させる、色鮮やかな橙色の果実水である。

 絞ったばかりであろう新鮮な果実水を手に取り、口に含めば、甘酸っぱい香りが鼻を抜けて食欲がわいてきた。


「お食事をお持ちしてもよろしいでしょうか」


 侍女の言葉に一つ頷くと、ルクレツィアは件の書簡をテーブルの脇に置く。

 白い石を削って造られたテーブルの上で、くるりとまるまって転がる紙を流し見ながら、彼女は内容を反芻した。

 ――レッチェアーノ王国より西の方角にある、ファレーリア山脈の麓の小国、ミルトーネ。

 小さいながらも自然の恵み豊かなその国は、領土拡大をもくろむ各国から虎視眈々と狙われている。

 しかし、政治手腕の優れた王の采配により、これまで独立を保ってきた。

 長きに渡り国を守り抜いた国王も、ファレーリア山脈に住み着いた正体不明の怪物にはかなわなかったらしい。

 何でも山より大きな怪物の討伐へ王国騎士団や国中の魔術師、冒険者などを集めて幾度となく討伐に向かわせたが、惨敗。

 これまで帰ってきた者はいなかったそうだ。

 自国に不利な情報の秘匿のため、内々に処理しようとしたのが裏目に出たのか、今やかの国は進退きわまっていた。

 ではなぜ、レッチェアーノ王国の冒険者ギルドが依頼を請け負うことになったのかと言えば、その理由はかの国が産出する鉱物にある。

 ファレーリア山脈から採掘される鉱石の中には、月の光を浴びると魔力を帯びて輝き、宝石としても価値を持つものがあった。

 中でも古く、魔力をため込んだものは、護り石として各国の貴人に重宝されていた。

 護り石とは、持ち主の身に危険が迫ると砕け散り、解放された魔力が一度きりの強固な結界を展開する宝石のことである。

 インヴェルノでは、ルクレツィアもその石のお蔭で命拾いした。

 また、身分ゆえか厳格な仕事ぶり故か、何かと敵の多いガブリーニ公爵。彼がその宝石をいくつか身に着けていたことを、ルクレツィアは覚えている。

 昨日彼女がイレーネから知らされた依頼とは、この件のことを指していたようだ。


「……想定以上に、込み入った依頼のようですね」


 なんでも、ファレーリア山脈に突如として現れた怪物は何をどうやったのか、いつの間にか宝石を山ごとひとつの場所に集めてしまったらしい。

 月の護り石の流通量が減れば、ここぞとばかりにあちこちで、襲撃事件などの犯罪も増える可能性があった。

 今回はギルドを経由しての依頼であるため、この件に関して父親であるガブリーニ公爵は何も知らない。

 もし知っていたら、さすがに娘を止めただろう。

 地図から座標を割りだし、空間と空間をつないで跳躍する転移魔術陣は、ルクレツィアの得意とする陣である。

 どのような怪物であっても、それなりの準備をしていけば問題ないと判断して、ルクレツィアは依頼を受けることにしたのだった。

 彼女に依頼されたのはまず、怪物の正体を確認してレッチェアーノの冒険者ギルドに報告することだ。

 持っていた月の護り石は一つ壊れてしまったが、既に父公爵より代わりを与えられている。

 この護り石があればどんな相手であろうとも、一撃くらいはしのげるだろう。

 食事を終え、考えがまとまるとルクレツィアは残った茶を飲み干した。

 そうして空になった茶器をテーブルの上に置き、侍女に声をかける。


「ソフィア、今日の卵料理は見事な味でした」


「この身に余るお言葉でございます」


 少女は食事を終えると、いったん自室の戻って支度を整えることにした。

 両耳に護り石を飾り、自分の魔力を通しやすいようにあつらえて貰った装備一式を身に着ける。

 そうして準備が整うと、ルクレツィアは居間へ向かった。


「ここの茶は美味いな」


 居間では、長椅子に深く腰掛けたイレーネが紅茶を楽しんでいた。

 客というよりは、まるで屋敷の主人かのような堂々たる態度で茶をたしなむイレーネ。


「それはどうも。良かったら、焼き菓子も召し上がってみてください」


 彼女らしい態度に少女はくすりと微笑んだ。


「ソフィア、お茶のおかわりを」


「かしこまりました」


 客人の茶器をちらりと確認して侍女に言いつけると、ルクレツィアも長椅子に腰かける。


「どうぞ、エルモも座って下さい」


 既に寛いでいるイレーネ。彼女の背後から一歩も動くつもりはないだろうジャンはともかくとして、所在なさそうに佇んでいるエルモに、少女は声をかけた。


「この屋敷は立派過ぎて落ち着かねェ。あまり身ぎれいじゃねィし、こんな上等な長椅子にワシが座ってもいいもんかと思ってな」


 普段は豪快で快活な気性であるのに、妙なところで遠慮深い男である。


「もちろんです。お茶でもどうぞ」


 エルモは勧められるままに長椅子に腰かけた。

 座り悪そうにもぞもぞと尻を動かしていたが、彼はソフィアの運んできた茶を飲んで頬を緩める。


「おう、こりゃうめえ!」


 部屋に広がる、爽やかな柑橘類の香りに、ルクレツィアも目元を和らげた。

 ――この茶葉には、人の緊張をほぐすような成分が含まれている。どうやらソフィアが気をきかせてくれたようだ。

 しばしお茶と歓談の時間を楽しんだ後、ルクレツィアは先ほどの依頼書を取り出す。

 イレーネはその依頼書を一瞥して、にやりと口端を歪めた。


「――どう思った?」


「本当にこれは、ただの偵察なのでしょうか」


「おそらく、な。ただ、調べてみたところによると、偵察に行ったものが誰一人として戻ってきていないらしい。そこが問題だ」


 討伐に向かったものが戻ってこなかったことは、依頼書にも書いてある。

 ルクレツィアに話が来た以上、討伐どころか、偵察に向かわせた者も戻ってこなかったのだろうと想定はしていた。

 けれどイレーネは、依頼書以外のところからも情報を得ているようである。


「……どこでそのような話を?」


「私が調べました。イレーネさまの命に係わる重要な情報ですからね! あ。情報源はもちろん、秘密ですよ」


 ニコリと微笑むジャンを胡散臭そうに見やりながら、ルクレツィアは紅茶を一口含む。

 どんなに危険な依頼であろうとも、相応な理由がない限り、断るのは得策ではない。

 特に今回は国家間の結びつきの関わる依頼である。

 香り豊かな紅茶を飲み下し、ルクレツィアは長椅子から立ち上がった。


「ともあれ、今回は現地のおもむくより他にないようです。先にギルドや現地の人々の話を聞いて、手におえないようならば戻りましょう」


 勇敢と無謀は違う。自分一人ならともかくとして、全員の命がかかるとなれば、相応の慎重さは必要である。

 ルクレツィアの決断に、イレーネも頷いて四人は冒険者ギルドへ向かった。


「お嬢さま、お気を付けて」


 冒険者ギルドへの登録がないソフィアは今回も屋敷に残って、留守を守ることとなる。

 本人は行きたがったが、侍女が彼女一人の今、屋敷を空けるのも心もとない。

 主の意をくんで、ソフィアもそれを了承した。


****


「ここは相変わらずですわね」


 むわりとした湿気がこもるギルド内。

 酒場では昼前から、むくつけき男どもが、笑いながら酒を飲み交わしている。

 夜が明ける頃に仕事を終えた男たちの体には、たくさんの傷があった。

 傷の上に傷を作り、命がけの激しい戦闘で衣服もあちこち裂けていたが、彼らは気にした風もなく陽気に笑っている。

 それがギルドの日常であり、建物自体にも彼らの血と汗と酒の臭いが染みついているかのようだった。

 ルクレツィアはギルドの刻印が刻まれた、古くて大きな木製な扉を押し開く。

 この扉を通るたびに、彼女は別世界に迷い込んだような感覚をおぼえた。

 少女は今日もまた少しの緊張と高揚感とともに、扉をくぐる。


「なんだァ。ここは嬢ちゃんみたいな子供の来るところじゃあねえぞォ。ったく、イレーネもずいぶんと落ちぶれたもんだぜ」


 すっかり出来上がった冒険者の一人が、ふらふらとした足取りで少女に歩み寄り、酒臭い息をふき付ける。


「ずいぶんと酔いが回っていらっしゃるようですね。そろそろお休みになった方が良いのでは?」


 少女の艶やかな唇がきゅうっと笑みを形作る。

 同時に、銀に輝く魔力を乗せた吐息が、視認困難な速度で陣を紡ぎ、男の体が宙を舞った。

 派手な音とともに打ち上げられた男はギルドの天井に激突して、建物全体を揺らす。

 そのまま床上で数回跳ねて、くたりと動かなくなった男に仲間たちが駆け寄った。


『ヤルノオォォォ――ッ』


 ヤルノ、しっかりしろォッ! こんなところで死ぬんじゃないッ! などという、男たちの叫び声を聞きながら、ルクレツィアはイレーネを振り返った。


「彼らは何をあんなに慌てているのですか?」


 小首を傾げるルクレツィア。イレーネは道端の石ころでも見下ろすように、彼らを流し見ると素っ気なく答えた。


「酷く酔っているし、仲間がやられたからだろ。でなけりゃ、アタシらにケンカ売ろうなんて考えないさ」


「息はありますし、ちゃんと加減したのですが」


 少女の言葉に、エルモはちらりと男を見やって、口元に笑みを浮かべる。


「まァ、加減は上手くなった。この間の魔獣のように、細切れになるんじゃないかとひやひやしたんだがな」


 今にも剣を抜きそうなジャンをその厚い体で牽制けんせいしながら、エルモはイレーネへ視線を移した。

 ジャンをなんとかしろと言わんばかりの視線を背中に受けて、イレーネが足を止める。


「――ジャン、やめろ。殺すと後が面倒だ」


 背後を振り返ることなく、彼女は短く告げた。

 ジャンはイレーネの言葉にも応えることなく、無言で男たちを一瞥(いちべつ)する。

 口元に緩く笑みを湛えているものの、どこか剣呑(けんのん)さをはらんだ眼差(まなざ)しだった。

 背に走る悪寒に身を震わせる者、一触即発の気配にあてられ、嬉々として自らの武器に手をかけるもの。ギルド内の反応はそれぞれである。

 一歩間違えば乱闘に発展しそうな、危うさを秘めた静寂が場を支配した。


「……はい。すみません、イレーネさま」


 言って、ジャンが臨戦態勢を解いた。

 しかし、口元にはうすら寒さを感じさせる微笑を浮かべており、彼自身は全く納得していない様子である。

 これ以上、この場に止まって乱闘が始まれば、おそらくギルドに血の雨が降るだろう。

 ルクレツィアとエルモは見つめあって、頷くと、手早く件の依頼の手続きを済ませて出発することにしたのだった。

 依頼を受けるだけで、一苦労である。

 四人同時に転移するよりは、連れを先に送って、後から術者単独で転移する方が負担は少ない。

 ミルトーネへの転移は初めてだったので、なるべく危険を減らすため、ルクレツィアは三人を先にミルトーネの冒険者ギルドへと転移させた。

 術の発動時に、魔力が少し引っ張られるような干渉を感じたが、三人は問題なく予定の座標へ転移させることに成功する。

 少女もすぐにそのあとに続こうと、転移魔術陣を発動させたのだった。


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