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第二話 始まりの日2

 ……先の映像は、これから彼女が辿るはずの、悲惨な未来。

 夢から覚めようと決して消える事のない、数多の映像から逃れるように、ルクレツィアは枕へ顔を押し付ける。

 そうして、息を殺すように、ひっそりと涙した。実際に体験したことではないのに、一度自分を……父親を、殺されてしまったかのような酷い気分だった。

 夢の中の、そして彼女の未来の姿である、悪役令嬢ルクレツィア=ガブリーニの何が悪かったのか?

 ――全てだ。与えられた知識をきちんと習得、活用することもせず、すり寄ってくるものに気分を良くして権力を振りかざす。

 望んだものを手に入れるための努力の方法からして間違っていることに気づいていない、権力を持ってはいけない類の人間。

 最悪だ。けれど、その最悪を回避するために、何をしたら良いのかわからない。回避できるのかも、分からなかった。

 ルクレツィア=ガブリーニとしてこの世に生を受けたこと、それそのものが理不尽で忌むべき運命だった気がして、奥歯をかみしめ、嗚咽をこらえる。

 自分のせいでお父さまが死んでしまう。夢だと笑って済ませる事の出来ない、確信めいた感覚。

 このままでは、公爵家の名を汚すだけでなく、父親の命まで犠牲にするような、とんでもない大罪人となるのだ。

 それは、とてもとても、受け入れられるような話ではなかった。


「……お父さま、ごめんなさい」


 ぽつりと呟かれた謝罪は、誰に届くともなく、空気に溶けて消えた。



 泣き疲れて起きたら既に日は高く、丸一日寝過ごしてしまったのだと彼女は気づいた。

 控えていた侍女はいつものように表情もなく、外へ使いをやると間もなく、壮年の男性が部屋に来た。

 あれこれルクレツィアに質問した後、男性は気分を楽にするという薬を彼女にくれた。

 気鬱の病であると診断されたらしい。

 ぼんやりとした視界の中で柔らかく煮た豆のスープを受け取りながらルクレツィアは思った。

 ……私の初恋は実らないのだわ。

 出会ってすらいない婚約者。

 恐ろしい夢によって初恋を知らされ、散らされた挙句、悲惨な結末を見せつけられた。

 彼女にしてみれば、それはあまりに突然で、受け入れがたい記憶である。

 一方で、別の世界の記憶に翻弄されて、物語の中の自分が真実無心に殿下を慕っていたのかも分からなくなっていた。

 のろのろと食べていたスープもいつの間にか空になっている。視線を落せば、銀の皿の底に映る彼女の表情が奇妙に歪んだ。

 それを見て、彼女は慌てて皿を侍女へ押し付ける。

 悲惨な結末を知る記憶を否定し、抵抗する少女へ"それ"は絶えず囁きかけてきた。

 ルクレツィアが殿下を好きにならなければ良い。父の愛情もはねつけて誰からの愛も望まなければ、みんなが幸せになれる。

 記憶で見たような、悲劇が起こることはないのだと。


 ――けれど、誰からも愛されない人間など、この世界に必要なのだろうか?

 家と家族……父親の無事を望むのなら、いっそのこと死んでしまえばよいのでは?


 自分がバラバラになってしまいそうな、居ても立っても居られない感覚に混乱し、ルクレツィアは部屋を飛び出した。

 驚き、慌てふためく使用人たちを蹴散らして、恐ろしい記憶と囁く声から逃げる様に走り続ける。

 溢れかえり、制御できない感情をぶつけるように、今しがた屋敷の門をくぐって姿を現した父親に飛びついた。

 ルクレツィアの父であるアレッサンドロ=ガブリーニは、先王の庶子と言うその出自ゆえに自他ともに厳しい人物であった。

 末の娘に関しては眉をひそめるような話もいくつか聞いてはいたが、家長の帰宅と同時に走りこんでくるなど前代未聞。


「いったい何事だ」


 眉を顰め、やんわりと体を離そうとしたアレッサンドロに、ルクレツィアは必至でしがみついた。


「待って! 一人にしないでッ!! お父さま!」


 それは慟哭に似た叫びだった。

 破滅を知る"彼女"が言わせた心の叫び。

 貴族らしからぬ娘の乱心にに戸惑いつつも、彼は自分に良く似た銀髪を手櫛ですき、横抱きにするとルクレツィアの部屋に向かう。

 アレッサンドロは常に貴族たらんと己を戒めていた。

 けれど、滂沱ぼうだの涙を流しながら、腕の中で小さく痙攣する娘を引きはがし、問答無用で叱責するほど非情にはなりきれない。

 部屋に到着すると、彼は初めて自身が末娘の部屋を訪れたことに気づいた。

 公爵家令嬢として当たり前の教育を施してきたつもりだが、一体何が悪かったのだろうか。

 これまでの子供たちには見られなかった、娘の尋常ではない様子に彼も当惑していた。

 アレッサンドロは侍従から末の娘が問題を抱えていることは聞いてはいたが、これほどの事態だとは認識していなかったのだ。


「お父様、わたくしは……わたくしは、この世に必要とされる人間なのでしょうか」


 酷く憔悴している様子のルクレツィア。

 何が小さな娘にこのようなことを言わせたのかは分からない。

 しかし、その目にはまぎれもない孤独と絶望の色が浮かんでいた。

 突然変わってしまった世界にどう対処してよいかわからず、途方に暮れて泣く子供。その目の色は、かつての彼の瞳によく似ていた。

 理由を問えども、答えず、黙ってうつむく娘。

 自分が必要のない人間であることを知っていて、けれど、そんな事実は受け入れたくないと、必死に足掻いているようだった。

 六歳の娘の悲壮な問いかけに、父親はとある決意をする。

 幸いにして、この子は家督を継ぐ必要もなければ、家のために政略結婚を強いる必要もない。

 既に育ってしまった子供たちにはできなかったこと、歩むべき道をこの子には自分で選ばせようと彼は心を決めた。


「ルクレツィアよ、良く聞きなさい。私はその問いに答えてやることはできぬ」


 生母から引き離されて、無理やり王宮に連れ去られた時が、一度目。

 世継ぎとしての教育を受けるも、正妃の子である弟が生まれた時が、二度目。

 全てを他者に奪われて、世界が変わってしまった少年。

 王城から逃げる様に軍へと入り、命が散っても構わないと戦場へ身を投じた日々の事を、彼は鮮明に覚えている。

 軍へと入隊する前、かつての教師は彼に問うた。

 身の安全と何不自由ない生活を保障されているのに、なぜわざわざ剣を取るのだと。

 問い詰められたとき、アレッサンドロは答えることができなかった。

 誰もが否定した王位継承権放棄と軍への入隊、そして戦争への参加……結果として、彼は自らの居場所と幸せを掴み、満足している。ただそれだけ。

 己の孤独で過酷な少年時代を思い出しながら、アレッサンドロはゆっくりと、かつての自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。


「なぜなら、自らの価値を決めるのは、ほかならぬ自分自身なのだ。必要とされる居場所とは与えられるものではなく、自分で勝ち取るものだ。……だが、安心するがいい。お前は決して一人ではない。私は父親として、小さな娘にできる限りの支援を行うことをここに誓おう」


 自分に良く似た紫の瞳に、かつての彼と同じ孤独を見出したアレッサンドロは、この先娘がどのような道を辿ろうとも自分だけは最後まで味方でいようと宣誓した。

 まだ小さい少年だった己が欲したような庇護者に、己自身がなるのだと。

 それでは不十分か? と問いかけてくる父にそろりと顔を上げるルクレツィア。

 真摯で不器用な父の期待に応えんと彼女は涙をぬぐってしっかりと頷いた。


「ありがとうございます。お父さま。わたくしも誓います。例えどんな困難が待ち受けていようと、わたくしは、決して諦めたりはしないと……誓います!」


 在るべき未来を捻じ曲げ、父の死の運命だって退けてみせる!

 ――たとえそれが……この世界を作った、神の意に背くことだとしても。

 

 こうして、彼女の戦いは幕を開けたのだった。


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