第二十八話 学園
レッチェアーノの第二区画にある『学園』は、おおもとをたどれば、生まれや身分によらず、人と人を繋げるために作られた場である。
まだ神がいたとされる神話の時代に、迫害された移民たちが寄り集まってできたとされるこの国――レッチェアーノは、国民それぞれの価値観や風習などのバラつきがひどく、国としてのまとまりがなかった。
この問題に対処するため、女神は各移民たちの代表者の子を幾人か、一つの場所へ集めることにした。
そうして、互いの文化や習慣を学ばせ、相互理解をより深めようしたのが『学園』の始まりである。
神々が去り、人々の記憶から消えゆくほどの長い年月を経た今、『学園』の存在意義は当初とは違うものになっていた。
例えば、貴族の子女は社交やお見合いもかねて、己が家では得られない知識や技術を学ぶために、あるいは、普段の夜会では得られない人材を求めて『学園』へやってくる。
そして、貴族や冒険者ギルド、その他の国の機関から推薦されるほど、優秀で身元の確かな平民の子は、『学園』に蓄積された知識や技術を学び、己の価値を高めるためにやってくる。
要するに、現在の『学園』は主として優秀な人材を欲する貴族と、より良い勤め先を望む能力ある平民とをつなぐ場所として利用されていた。
その『学園』の一部に銀光が奔る。
「塔を目指したつもりでしたが、結界の魔力干渉のせいで位置がずれた、と言ったところでしょうか。……ここは、どのあたりかしら」
光が収束すると、そこには華やかなドレスで着飾った少女――ルクレツィアが立っていた。
『学園』は周囲を高い壁に囲まれているので、外側から内部を伺うことはできない。
また、その内部構造を外部に漏らすことは、重罪となる。
ルクレツィアは事前に国王であるセヴェリオから、『学園』の構造について説明を受けていた。
『学園』では、敷地の中央に配置された白い尖塔と中心として、放射状に建物が並んでいるとのことである。
外から秘された『学園』の唯一の例外。王都のどこからでも見える、白く高い尖塔に学園長がいるらしい。
「つまり、中心に向かって歩いて行けばよいのです」
石作りの壁と床をしばらく眺めた後、窓の外に見える白い塔を目指して、ルクレツィアは歩き出す。
特に何の特徴もない廊下の曲がり角を曲がろうとしたところで、彼女は一歩後ろに下がった。
――こちらに向かってくる小さな魔力を感知したのだ。
数秒の後、ずでんッ、と派手な音がして、駆け込んできた人物が床を転がってゆく。
それは少女だった。ルクレツィアの目の前で、薄桃色の髪が、波打ち、柔らかく跳ねる。
転んだ拍子に、少女のドレスの裾は大きくめくれあがり、淑女にあるまじきものが見えている。
とっさに目を逸らすとルクレツィアは扇で口元を隠した。
「どうした!? 今凄い音が……!」
こちらに駆けてくる栗色の髪の少年には見覚えがあった気がしたが、どうにも思い出せない。
その後ろから、ゆったりと歩いてくる人物に彼女は目を見開いた。
「おや、君が学園に来ているとは知らなかったな。しかし、これはいったい……」
ふわりと揺れる金髪に優しげな青い瞳――レッチェアーノの王太子殿下、ジュリオだった。
慌ててドレスの中のものを隠して、体を起こそうとしている桃色の髪の少女。彼女の鼻は擦れて赤くなっている。
それを痛ましげに見やって、ジュリオは栗色の髪の少年に手を貸すように言った。
「すいません。私ってば、慌てちゃって」
恥ずかしげに顔を赤らめた少女は、少年の手を借りて立ち上がると、瞳に涙を浮かべて走り去った。
王太子殿下の許可も得ず、走り去るとは。やや呆れながらも、ルクレツィアは淑女の礼を取って頭を下げる。
「ご機嫌麗しゅう、殿下」
「うん。この間のお茶会以来だね、ルクレツィア。さっきの子はどうしたのか、聞いても?」
「先ほどの方、ですか? 角を曲がろうとしたら、何かが走りこんできたので、とっさに避けたのです」
緩く首を傾げてルクレツィアが告げると、ジュリオは少し考える様にして頷いた。
「……そう。ならいいんだ。呼び止めて悪いね」
「いいえ。滅相もございません」
再び礼をすると、ルクレツィアは無礼にならぬ程度の速さで、尖塔へと急ぐ。
桃色の髪の女の子――名前は知らずとも彼女の存在は、ルクレツィアの心をざわつかせた。
たぶん、いや、きっと彼女がアマーリエだ。少女の名は問わなかったものの、ルクレツィアには妙な確信があった。
彼女が『学園』到着してすぐに出会い、目の前で派手に転んだ後、それをジュリオに目撃されるなど状況ができすぎている。
まるで、運命がルクレツィアにその役割を迫ってきているかのようだった。
『学園』関係の依頼を受けるのはこれが最初で最後。
自分に言い聞かせながら、全身に立った鳥肌を両手で押さえ、ルクレツィアは塔の中へと飛び込んだ。
今の時間、塔に張られた結界は、彼女以外の侵入者を通さないように設定していると聞いている。
だから、ルクレツィアがどんなに無様をさらそうと、それを見咎める者はいない。
「落ち着きなさいッ」
自分に言い聞かせるように口にすると、ルクレツィアは壁を背に座り込んだ。
血が逆流し、全身を巡っているかのように、体が熱い。
拍動する鼓動の音を耳の奥で聞きながら、ルクレツィア瞳をきつく瞑った。
――付きまとう陰惨な記憶に耐え続けるよりは、いっそのこと、アマーリエに正面から勝負を挑んでみるべきか。
そんな物騒な誘惑に、少女の魔力が揺れる。
しかし、それもすぐに霧散した。吐息と一緒に銀の光が零れて空気に溶ける。
「馬鹿ね、何を競うというのでしょう」
魔術? 魔術勝負を挑んで勝利したところで何になるというのか。
見たところ、アマーリエの魔力はそこそこあるものの、ルクレツィアには到底及ばない。
決闘で加減を間違えば、最悪、アマーリエ=カリニ―の細切れの出来上がりである。
自身の愚かな考えがおかしくて、甲高く、引き攣ったような笑い声が漏れた。
彼女はルクレツィアにとっての脅威ではあるが、悪人ではないのだ。
アマーリエに手を出してしまえば、あれほど疎んでいた悪役令嬢としての結末を招いてしまう可能性もある。
王太子妃になど向いていないことは百も承知であるし、二人の恋を邪魔するつもりもない。けれど、家を貶め、父親が死ぬ結末だけは許容できない。
ルクレツィアは幼少時に垣間見た、残酷な最期を脳裏に描くと、ぎりりと拳を握りこんで大きく息を吐く。
そうして彼女は愁いを振り払うかのように立ち上がり、踵を高らかに鳴らしながら塔の階段を上り始めた。
「彼女が誰であろうと、わたくしはわたくしの成すべきことを成すだけです」
自分から手を出すつもりはないし、アマーリエとの関わり合いはできるだけさける。
けれど、もしも。
もしも、アマーリエがジュリオとの恋を成就させるため、自らの意志で、独り、ルクレツィアに挑んできたとしたら。
その時は。
公爵令嬢の名にかけて、逃げることはするまい。
――未来の王妃殿下に敬意を払い、全力をもってお相手して差し上げましょう。
震える手を握りしめたまま、少女は最上階を目指して石段をけった。
******
年を経た古紙の香りが漂うその場所は、まるで小さな書庫のようだった。
明かりをとる窓はない。代わりに、天井にある大きな光の球が室内を照らしていた。
城でみた金色の光玉に似た泡が、石畳から音もなく湧き上がり、光を散らしながら不規則に弾ける。
はじけた光は、すうっと天井の光源へと吸い込まれていった。
光の泡を追いかける様に、室内をぐるりと見渡せば、円筒状の壁の全てに隙間なく本が並べられている。
中央には鈍い飴色の、どっしりとした机が置かれ、書類の山が小さな塔のようにそびえていた。
全体的に埃っぽい部屋ではあったが、書類の山を避けておいてある金属製の絵姿立ては、曇りなく磨きこまれている。
きっと大事なものなのだろう。
「その絵姿が気になるのかね、ご令嬢」
塔の最上階へと入室を許可されたルクレツィアは、他者の存在を一時忘れるほど、部屋の雰囲気に圧倒され、見入っていた。
机の左右にある棚には、薬瓶や何に使うのか推測するのも難しい器具が整然と並んでいて、彼女の興味を引き付ける。
もっと隅々まで、この部屋を見て回りたい。
ルクレツィアは名残惜しげに目を伏せると、声の人物へと視線を移した。
「……すみません。ご挨拶が遅れました。ガブリーニ公爵家第六女、ルクレツィアと申します」
好奇心をなんとか押さえて、無礼を詫びる少女に老人は頷く。
白髪交じりの黒髪を丁寧に撫でつけ、眉間に深い皺を刻んだ、神経質そうな老人だった。
師であるホフレほどの魔力は感じない。しかし、底の見えない黒を宿した視線を受けて、ルクレツィアの背に力が入る。
「儂は学園長のティート=バドエル。お初にお目にかかる」
きっちりとした魔術師の礼を取る学園長に、少女も思わず魔術師の礼を返した。
貴族出身の魔術師らしい、優雅で流れるような所作。
その身に宿す魔力は強大でありながら、持ち主の気性を示すかのように清廉な輝きを放っている。
ルクレツィアの礼とその魔力の在り方に、ティートの脳内で、昔の仲間の姿が思い起こされた。
それは、推測と言うよりは、確信に近い。
「ほう。――なるほど。ホフレめ、そういうことか。あやつは公爵閣下とも親しい間柄だったが、これほどとはな!」
呟きと言うには、朗々たる声で言いながら、老人は骨ばった指で絵姿立てを撫でる。
「この絵姿は儂の妻と娘のフィオナのものでしてな。ご令嬢と同じく、"魔術師の娘"となりえる才能をもった子です」
古めかしい絵姿には、少し外にはねた黒髪の、可愛らしい女の子が描かれていた。
その女の子は優しそうな、母親らしき女性と寄り添いあい、お気に入りだろう絵本を抱えて微笑んでいる。
「あら。この絵本……」
「それは月の女神とこの国の始まりについて書いてある絵本ですが、興味がおありですかな?」
「いえ。昔読んだことがありますの」
「ふむ。それは珍しい。今となっては希少な書ですから」
鷹のように鋭く険しい目元を僅かにゆるめて、ティートはルクレツィアにソファへ腰かけるよう勧めた。
そして、自身もその正面に腰かけると、足を組んで両手を膝の前で合わせる。
「一つ、伺っても良いでしょうかな」
「……わたくしに、答えられることならば」
「令嬢はなぜ魔術師になる道を選ばれたのか、教えていただきたい。しかも、生半可な相手ではなく、世で最も過酷な修行を課すであろう、ホフレ=リストスキーを師……いや、"魔術師の親"に望まれた」
黙り込む少女。ティートは、こけた頬に刻まれた皺を撫でながら、更に言葉を続ける。
「なに、そう警戒する必要はございません。先ほど、儂の娘の話をしましたが、あれは"魔術師の娘"になるのを嫌がっていましてな。参考になればと問うただけです」
「そうですか。残念ながら、参考にはならないかと思います。わたくしはわたくしなりの覚悟と決意を持って、自らホフレ先生に頼み込み、魔術師と成ったのですから」
選んだ相手がホフレだったのは、全くの偶然。
だが、結果として、これほど幸運なことはなかった。と、ルクレツィアは微笑んだ。
「自ら望んで? それはなんと――ッ」
凛とした表情で迷う無く言い切る少女の言葉に、ティートは目を見開いて立ち上がった。
そうして、こみ上げてくる感情に突き動かされるように、忙しなく室内をうろつき始める。
「――実に、羨ましい! 身から溢れるほどに強大で、美しく冴えわたる月の魔力と、それに耐えうる不屈の意志――令嬢の様な"娘"を得る事ができて、ホフレのやつはなんと幸運な! だいだい、あやつはいつもそうだ! いらぬいらぬといいながら、しれっと他人の欲するものを手に入れておる。全く度し難いッ。幸運なやつめ!」
声が反響し、空気がびりりと震えた。
この場に居ない相手に叩きつけるように一息に捲し立てると、ティートはルクレツィアに背を向けた。
そうして、両腕を机に叩きつけ、頭を振る。
突発的な感情の爆発。いったい何が起こったというのか。
少女は、目の前の光景をただ唖然と見つめる事しかできない。
耳が痛くなるような静寂の後、我を取り戻した老人は恥じる様に首の後ろを撫でた。
「いや、失礼。驚かせてしまって申し訳ない。ホフレとは古い付き合いでしてな、あやつと魔術が絡むと、つい我を忘れてしまいます」
先ほどの狂乱などなかったかのように落ち着きを取り戻すと、ティートは苦い笑みを浮かべながら謝罪した。
ルクレツィアは戸惑いつつも、頷いて彼の謝罪を受け入れる。
すると、老人も幾分気持ちが和らいだようで、ゆったりと自身の机の前に歩み寄った。
「質問に答えていただいたお礼がまだでしたな。儂で力になれることがあれば、いつでもご相談下され。魔術のことでも、なんでもかまいません」
ティートはそう言って一息つくと、崩れた書類の山々を見渡して、意識を切り替える様に声を張った。
「さて、研究の報告書、でしたか」
彼は入り乱れた書類の束から、器用に黒い封筒を抜き取ると、ルクレツィアに手渡す。
「分かっているかとは思いますが、中は決して見ぬことです。国王と儂の極秘の研究……中を見れば、命の保証はできかねますぞ」
「ええ。存じております」
「それは重畳。では、貴女が良き"魔術師の娘"として、大成することを願っております」
互いに丁寧な魔術師の礼を終えると、ルクレツィアは転移魔術を紡いで、自宅へと飛ぶ。
燐光を発しながら消える、月の魔力に見惚れるように、老人はほう、と息を吐き出した。
長らく顔を合わせていない友の顔が……そして、最愛の娘――フィオナの姿が、彼の脳裏に浮かぶ。
「儂は、お前が心底羨ましく、妬ましいよ。ホフレ」
遠い月に焦がれるような、憧憬をはらんだ響き。
小さく閉じた部屋の中、老人の呟きは誰に聞かれるともなく、空気の溶けて消えてゆく。




