第二十七話 十三歳
第二区画にある中規模の屋敷は、元々、伯爵家の屋敷だった。
赤い煉瓦を積んだ大きな壁に囲まれた屋敷は、貴族の屋敷としては小さなつくりである。
可愛らしい赤い屋根に暖かい土色の煉瓦、広々とした庭には大きな厩舎のような建物があった。
いささか少女趣味ではあるが、一人の人間のために用意されたとは思えないほどの立派な建造物である。
――本格的に公爵令嬢ルクレツィアと冒険者ルーシーの二重生活を送るつもりならば、彼女には隠れ家が必要であった。
王族が住まう第一区域の中では基本的に、魔術による転移陣の使用は禁止されている。
第二区画も本来ならば、一定以上の魔力による陣――転移陣や高火力の攻撃陣などは、使用を制限されていた。
しかし、ルクレツィアは特例として、第二区画の魔術使用制限の枠から外される事となる。
第一区画では転移陣が使用できない以上、第二区画に新たな屋敷を構える方が動きやすい。
全ては国王陛下と父公爵の協力があって実現したことである。
享楽の国、アルシエロの賭博と女で身を滅ぼした伯爵の家など、誰も入りたがらず、貴族たちは屋敷の近くを通ることすら疎んでいた。
つまり、屋敷の内情を探られたくないルクレツィアにはうってつけの物件だ。
こうして、古い貴族の屋敷を親戚の名義で購入したガブリーニ公爵は、娘のために現在のように作り替えたのだった。
そして現在、ルクレツィアはその屋敷の応接室で、深いため息をついている。
「どうして、あなた方がここに?」
彼女は先ほど自室で、公爵令嬢としての装い――ドレスの着付けや髪の結い上げ、薄化粧を済ませたばかり。
後は出かけるだけ、というところで、応接室の扉が開いていることに気づいて今に至るというわけである。
応接室にはふんわりと柔らかなクリーム色の絨毯が敷かれ、その上に背の低い飴色のテーブルが設置されていた。
テーブルを平行に囲む白い革張りの長椅子には、上品な刺繍の施されたクッションが乗せられている。
「ルーシーか?」
イレーネはルクレツィアお気に入りのクッションを腹に抱え、長椅子に寝そべっていた。
「質問をしているのは、わたくしなのですけれど?」
再度問いかけるルクレツィア。
両腕を組み、顎をそらす少女を見上げながら、イレーネはゆるりと体を起こした。
「そうしていると、別人のようだな」
着飾った少女の姿を楽しんでいるのか、からかっているのか。
瞳を細めて口端を持ち上げる女に、ルクレツィアはもう一度息を吐き出す。
この人たちが、冒険者という職業を選んでよかった。少女は心の底からそう思う。
もしも盗賊や殺人狂だったら、きっと、王都の兵士たちの手にあまるだろう。
「相変わらず、やりづらい方ですわね」
「いつでも訪ねるように言ったのは、ルーシーだろ?」
「それはまあ、そうですけれど……。いったいどうやって入ったのですか」
イレーネが腕の中で弄んでいたクッションを放り投げると、彼女の後ろに控えていたジャンがすかさず確保する。
「イレーネさまを責めないでください。鍵なら私が開けました。少し古めかしくて、開けるのにコツが必要でしたが、あの程度で私の侵入を阻むことはできません。あ、このクッション持って帰っていいですか?」
「――良いわけないでしょう!?」
クッションを両腕で抱え、悪びれなくねだるジャンへ、ルクレツィアは思わず突っ込んだ。
条件反射のように断ったが、ジャンが幸せそうに頬ずりしているクッションなど、やはり捨てた方が良いのかもしれない。
クッション一つのため、後日勝手に屋敷へ侵入されたらどうしよう。
もちろんその時は誠心誠意をもって撃退させてもらうが、父親の贈り物であるこの屋敷を破壊するのは躊躇われた。
そんなことになるよりは、とルクレツィアはジャンを見やる。
「……やっぱり、そのクッションは差し上げます。どうぞ、お持ち帰りください」
「えっ? いいんですか!? うわー、ありがとうございます!」
「嬢ちゃん……うちの変態が、すまんな」
常にない笑顔で礼をいうジャンを横目に、エルモが頭を下げた。
すっかりくつろいでいる二人組とは違って、エルモは身の置き所がないという様に、居間の扉近くに立っている。
すまなさそうな表情で困ったように、後頭部を撫でているエルモ。そんな彼を見ていると、ルクレツィアもこれ以上、責める気にはなれない。
むしろ、自由奔放な二人に振り回される強面のおじさんを見ていると、妙に癒されるというか、心が安らかになるのを感じるのだった。
大変なのは自分だけではない。こうして気遣ってくれる常識人がそばに居てくれることが、少女には救いであった。
「いいえ。エルモは、なにも悪くありませんもの」
「含むところがある様な言い方だな。……遊びで寄ったんじゃないさ。ギルド経由で国王陛下から直々の依頼が来るらしいぞ。今日はそれを知らせに来た。明日、正式な依頼状を持ってくる」
通常、国王からの依頼は、父公爵経由で伝えられる。
冒険者として依頼を受けているとはいえ、ルクレツィアは公爵令嬢だ。
命を危険にさらすような仕事を依頼されることは少ない。
大体において、国の機密にかかわるような書類を秘密裏に運んだり、危険な魔獣の噂の真偽を確かめるために偵察に赴いたりと、転移魔術を期待された内容が主だ。
やとわれの兵士や魔術師などに比べて、他国や良からぬ人物に重要な情報を漏らす恐れがないという点が重宝されるらしく、便利に使われている。
しかし、ギルド経由でイレーネ達まで話が行くということは、明日の依頼には護衛が必要だということだ。
なにかとんでもない厄介ごとに遭遇しそうな気がして、ルクレツィアは眉をひそめた。
「ああ、それと……」
イレーネは音もなく立ち上がると、上着のポケットから小さな小瓶を取り出した。
薄青い小瓶に満たされた液体を怪訝そうに見つめる少女に、灰色の女が笑う。
「そう警戒するな。先日十三の誕生日を迎えたそうじゃないか。こいつは、ルーシーのために特別にこしらえた蜜酒――インヴェルノの連中からの祝いだ」
「えっ? そうでしたの!? 失礼な態度をとってしまい、ごめんなさい。……あ、ありがとうございます」
無礼な態度を恥じて、顔を紅らめ、謝罪するルクレツィア。
まさかの贈り物に、彼女は戸惑いから焦り、そして喜びへと表情をめまぐるしく変化させる。
イレーネは気にした風もなく、一つ頷くと、ちゃぷんと小瓶を揺らした。
「伝えとくよ」
そしてそれをテーブルに置くと、短い別れの言葉を口にして三人は去った。
「もう、一年になるのですね」
小瓶をそっと手に取ると、ルクレツィアは繊細な宝飾品でも扱うかのように、両手の中にそれを包む。
繊細な細工が施された色ガラスの中に満たされた液体は、一煽りでなくなりそうなほどの量だ。
少しひんやりとしているのは、細工に組み込まれた魔術陣のせいだろう。
大気中の魔力を少しずつ吸収して、室温よりわずかに冷たくなるように作られているようだ。
インヴェルノは寒冷の地であるので、中の酒が腐らぬよう、イレーネが気をつかってくれたのかもしれない。
飲むための酒であるのに、そうするのがもったいないような気がして、ルクレツィアはいったん自室に戻った。
少女は迷いなく、主に水差しなどを置くために配置した、寝台の横のある棚の一番下を開ける。
他の引き出しと違って、そこにはまだ何も入っていなかった。
がらんとした引き出しの中へ小瓶をそっと置き、倒さないようにゆっくりと閉じてゆく。
部屋の主である少女以外、触れることのないであろう引き出し。
その中へ贈り物をしまい込むと、少女は満足そうにほほ笑んだ。
「さて、気は進まないけれど、そろそろ出かけるとしましょうか」
ルクレツィアがこれから向かう場所、それは――『学園』だった。
『学園』は彼女にとって鬼門ともいえる場所である。正直なところ、行きたくはなかったが、国王からの依頼とあっては断れない。
「いってらっしゃいませ、お嬢さま」
見送るソフィアに頷いて、ルクレツィアは『学園』へと転移した。




