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第二十六話 夜会3

 王城の広いバルコニーへ吹き付ける風は、インヴェルノの風ほど清涼感はない。

 代わりに、少女へ花の香りを運んできてくれる。

 肺腑を満たす甘い花の香りは、ささくれ立った心と、ぱんぱんに浮腫むくんでいるであろう足の痛みを忘れさせてくれた。

 魔術陣を使って治せない事もないが、こんな場所で堂々と魔力を使うわけにはいかない。

 強固な結界が張られているし、強引に発動させれば、王宮騎士団に取り押さえられる恐れすらあった。

 今の彼女にできることは、地味に魔力を体内にめぐらせて、自己回復能力を高めるくらいだろう。

 ルクレツィアが髪飾りで重たくなった頭を揺らせば、しゃりん、と涼やかな音が鳴る。

 強張った体を解す様に伸びをすると、すっかり暗くなった空に満月が浮かんでいた。

 夕暮れ時に見た金色の光玉はまだそこにあり、あちらこちらで生じては弾けてを繰り返している。

 室内の演奏に合わせる様に明滅するさまは、幻想的な風景だった。

 しばしその光をぼんやりと眺め、少女は深いため息をついた。

 あいさつ回りからようやく解放されたルクレツィア。

 心底疲れ切った彼女は父親の許可を得て、バルコニーでしばし休憩をしていたのだった。

 これまで何不自由なく暮らしてきたルクレツィアだったが、ただの椅子がこんなに素晴らしいものに思えたのは、生まれて初めてのことである。


「きみ、すごく良い匂いがするねえ」


 ほっとして椅子にもたれかかる少女へ、少し甲高い少年の声がかけられた。

 ルクレツィアが声の方を向くと、そこには異国の礼装に身を包んだ同じ年頃の少年が立っている。

 淡い砂色の髪を無造作に流し、紅茶色の瞳を好奇心に輝かせた少年――ニコラ=アルシエロ。

 アルシエロという国の第二王子だった。

 アルシエロは遊興と芸術に秀でた国であり、世界の終りにある国とも言われている。

 国土のほとんどを砂に覆われ、作物も育たない過酷な土地。

 かの国の特産物は人だった。歌と芸事に長けた人々あるいは、荒野を生き抜く力をもった傭兵を他国に貸し出し、あるいは売り渡すことで利益を得ている。

 歌で人を眠らせたり、傷を癒したりと特殊な能力を持つものも多いという、かの国の情報はほとんど秘匿されていた。

 レッチェアーノ王国とは間にサルダ帝国を挟む、友好国同士だ。

 互いに手を組むことで、帝国の範囲拡大をなんとか抑え込んでいた。


「濃密にして、清廉な月の魔力……君みたいな女の子が魔術師だなんて意外だな」


 猫のように大きな瞳を見開き、愛嬌のある表情で、とんでもない発言をする少年にルクレツィアは絶句した。


「あ、あなた……ッ。いえ、ニコラさまいったい何を」


「うん? ああ、もしかして秘密だった? レッチェアーノは我が国に比べて、保守的だとは聞いていたけれど、これほどとは思わなかった」


 奥歯を噛んで言葉を飲み込む少女に、音もなく――すい、と近づいてニコラは首をかしげる。


「驚かせてごめんね。こんなに綺麗なんだもの。月に焦がれるアルシエロの人間なら、声をかけずにはいられないよ」


 日に焼けた肌は焼き菓子の様な色合いで、目元の泣き黒子が妙に色っぽい。

 ニコラは子供の無邪気さと大人の狡猾さを兼ね備えたような少年だった。

 とても楽しそうにルクレツィアに絡む様子からして、人を警戒させ、その反応すら楽しむような人種だろう。


「……どういう意味でしょうか」


 自然、ルクレツィアの指先にも力が入る。

 少女の指先をちらりと見やって、少年は笑みを深くした。


「あれ、知らない? アルシエロはね、神に見放された土地なんだ」


 歌うように軽い口調で、ニコラはルクレツィアの知らないアルシエロという国の話を語り始めた。


「神話の時代には、大陸で一番豊かな土地だったらしいんだけどねえ。その昔、ボクらのご先祖様がね、身内びいきが過ぎて、他人種を地上から排除しようとしたらしいんだ。そのせいで、女神に見放されちゃったらしくて、作物の育たない不毛な大地になったんだって。女神に乞い、許しを得られたら国が豊かになると、信じている民も未だにいるくらいだ」


 手にした銀の杯で舌を湿らせて、ニコラは続ける。


「豊かな魔力は国を潤す。とりわけ、女神に焦がれる我が国は、月の魔力を尊ぶんだ。女神の子孫……レッチェアーノの王族の血統にのみ現れる、希少な魔力。君がジュリオの婚約者じゃなけりゃ、もらって帰るんだけどなあ」


 アルシエロの王位は、第一子ではなく、一番優秀な子が得る。

 とはいえ、ニコラの唯一の競争相手である兄は、王位にはあまり興味がないらしかった。

 脅威と感じたことはないが、備えるに越したことはない、とニコラは思っている。

 ルクレツィアを連れ帰れば、王位継承権において、ニコラの立場はさらに盤石なものとなるだろう。

 少年の飄々とした態度に潜む、きな臭さにルクレツィアは胸がひどく重くなる。

 笑みを張り付け、人々の言葉のうちに潜む悪意と好奇を受け流して、ようやくひと心地着いたと思ったらこれである。


「恐れながら殿下、ヒトをモノのように扱うのはいかがなものかと思いますが」


 眉をひそめる少女に、少年はぱちぱちと瞬きをした。


「なんで? ウチにきたら、ものすごく大切にするよ。神々に愛されたレッチェアーノの、月の魔力を秘めた姫君ならば、おそらく、王族に次ぐ地位を得られると思うんだけど」


「レッチェアーノの月の魔力をもつ魔術師を求めているだけで、わたくしを求めているわけではないのでしょう? わたくしが何らかの理由で、魔力を失えばそれまでです」


 ルクレツィアは言いながら唇を尖らせると、小さくため息をついた。


「それに、レッチェアーノの王宮で、王太子殿下の婚約者を堂々と口説くのは良識に反するのでは?」


「たしかに。じゃあ、今日のところはこの辺にしとこうかな。婚約者に愛想を尽かしたら、いつでも歓迎するよ」


 いささか変り種であっても、王族には変わりないということだろうか。

 引き際はあっけないほどあっさりとしていた。

 乾杯でもするかのように杯を掲げて、そのまま会場へと戻っていくニコラの後姿を見送って、ルクレツィアはぐったりと椅子にもたれかかる。

 少女に、夜会は向いてないらしい。

 こんなことなら、インヴェルノで雪道を駆けている方がよっぽど楽しめるというものだ。

 ぐったりと椅子にもたれかかる少女の元へ、アレッサンドロが歩み寄ってくる。

 流石になれているのだろう、公爵にはまだ余裕がありそうであった。


「ルクレツィア、休憩は済んだか?」


「えっ……お父さま、それはいったいどういう意味ですの?」


「疲れが取れたのならば、ともに会場を一回りしてくるとしよう」


 父親の言葉に、少女はぴしりと硬直した。

 もう屋敷に帰りたいッ! そんな、少女の心の悲鳴は、父親には届かなかったようだ。

 心と靴底をすり減らしたかいあって、ルクレツィアつつがなく夜会を終了し、ときおり王太子殿下の茶会に呼ばれるほどの友好関係を築くことに成功する。

 身の破滅を防ぐ前に、心労で倒れてしまうことを危ぶんだ少女は、以来、極力社交界への露出を避けるようになった。

 社交の場を避けることは、国王からの勧めでもある。

 ルクレツィアがぼろを出さず、冒険者としてルーシーとして上手くやるためには、その方が良いだろうとの判断だった。

 身分を隠すことへ協力してもらえる代わりに、ルクレツィアは父親経由で国王から依頼を任されることとなる。

 しかし、それで夜会を免除されるのならば、彼女に文句はなかった。


 このときより、公爵令嬢ルクレツィア=ガブリーニは着実に別の道を歩み始めていた。

 彼女の行く道の先に何が待っているのか、それは誰にもわからない。

 けれど、人を虐げ、破滅の道を歩むよりは、ずっと良い。

 ――これまで少女が出会い、別れた人々の顔がふと、脳裏によぎった。

 ホフレ、ダニーロ、公爵領の兵士たち、イレーネ、エルモ、リナルド、インヴェルノの村長一家。……あと、ジャン。決して彼のことを忘れていたわけではない。

 思い返しただけで、肋骨の奥が軋むような熱が灯る。

 公爵令嬢としては問題だらけ……むしろ、問題しかない少女。

 けれど、今の彼女は、ないもの強請ねだりで空虚な悪役令嬢ではなくなっていた。

 誰が見ていなくとも、家族と友、そして自分にこの熱を与えてくれた人々に恥じぬ道を行くのだと。

 誓いも新たに、少女は自ら道を切り開く覚悟を決めたのだった。

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