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第二十四話 夜会1

 インヴェルノと違い、湿った土と草木の香りを運ぶ風。

 さやさやと心地よい風が流れる草原を目の前に、ルクレツィアは大きく深呼吸をする。

 身を突き刺すような寒さから一転して、暖かな日差しの落ちる王都一帯は、プリマヴェーラと呼ばれていた。

 草原を少し歩くと、適度な大きさに割った石を敷き詰めた石畳が見える。

 この石畳が王都へ続く道。通称、王の道だ。

 王都近辺の草原に転移したルクレツィアは石畳までたどり着くと、外套についたフードを目深にがぶった。


「ソフィア、グイドと残らなくて良かったんですの?」


 こつこつと二人分の靴底が、石畳を小気味よく叩く。

 ときおり通り過ぎる馬車をよけながら、二人は城門前に並ぶ人々の列の最後尾についた。


「お嬢さま、愚問をお許しいただけますでしょうか」


 問いかけに黙したまま、(あるじ)の意図を推し量っていたソフィア。

 しかし、主が何を思ってソフィアに先刻の質問をしたのか、彼女には理解できなかった。

 そのことを申し訳なく思いつつも、主の質問に正確に答えるため、ソフィアは許しを請うことにしたのだ。


「許します」


 一方、主――ルクレツィアの方は深く考えるでもなく、即座に頷いた。


「なぜ、私がグイドと残るとお考えになったのでしょうか」


 いつも冷静な侍女の、珍しく硬い声に驚きつつも少女は言葉を返す。


「宴の時も、別れの時も、話し込んでいたでしょう?」


「恐れながらお嬢さま。あれはグイドが一方的に話しかけてきただけにございます」


 心外だとでも言うようなソフィアの反応に、ルクレツィアは腕を組んだ。

 本人がこう言っている以上、追及するのも無粋と言うものだろう。

 ルクレツィアが辿たどるはずだった未来を考えると、恋愛は鬼門である。

 不得手な彼女が余計な口出しをすれば、さらにこじれさせかねない。


「そう。ならいいのです。わたくしもソフィアが居なくなっては困りますし」


「光栄に存じます」


 会話を打ち切ると二人は王都の入り口である大門を見上げた。

 外敵の侵入を防ぐため、高く隙間なく積み上げられた赤石。その赤石が年月によってくすんだ、赤褐色の城壁は視界いっぱいに広がり、端が見えない。

 大門の前には、橋が架かっており、その下は水が満たされた堀になっていた。

 橋の上に立った兵士に通行証を見せると二人は、下町を抜けて弐の門へと向かう。

 弐の門を抜けると、すぐのところに、品の良い食事処や菓子店などが並んでいる通りがある。

 貴族の屋敷がある方向とは反対側を望めば、ルクレツィアの視界にとあるものがうつりこんできた。


「あれは……学園……」


 天高くそびえ立つ、白い塔。

 第二区画でひときわ目立つそれは、『学園』の象徴ともいえる尖塔だ。

 この距離では汚れのない美しい塔に見えるが、ルクレツィアには抜身の長剣のようにも感じられる。

 ルクレツィア=ガブリーニという少女は、本来ならば、あの場所で破滅するのだ。

 幼少期に垣間見た、恐ろしい結末を思い出して、ルクレツィアの全身が震えた。


「学園が、どうかなさいましたか?」


 主の動揺を察して、ソフィアが問いかける。


「いいえ。なんでもありません」


「そうですか。……お嬢さまは学園に(おもむ)かれるおつもりでいらっしゃいますか?」


「わたくしは、あの場所と関わるつもりはありません」


 きっぱりと言い切る主の言葉に頭を下げると、ソフィアは許しなく質問したことを謝罪した。

 ルクレツィアはその必要はないとだけ告げて、首を振る。

 遠くなっていく白い尖塔を背に、二人の主従は壱の門を抜けてガブリーニ公爵邸へと向かうのだった。


***


 当然ながら、ガブリーニ公爵邸には厳重な警備が敷かれていた。

 五日後に夜会を控えているからだろう。

 王都全体に敷かれた強力な侵入避けの結界のせいで、ルクレツィアはわざわざ草原から歩いて戻ることになったのだ。

 七日前にはここまで強固なものは張られていなかった。

 そのため、少女は面をくらったが、今回は他国の王族も顔を見せるという話だ。

 おそらく、その王族とやらがすでに王都内へ到着しているのだろう。


「お嬢さまがお戻りになりました。門を開けてください」


 少しくたびれた侍女服のソフィアが言うと門番が、怪訝な顔をした。


「お嬢さまだと? どちらにいらっしゃるのだ」


 目の前でフードをかぶり、大人しくしている小柄な人物。その人物がルクレツィアだとは思い至らず、困惑する兵士。

 公爵家令嬢と言えば、ドレスや宝飾品で着飾った、いかにもなお嬢さまだ。

 しかも、ガブリーニ公爵家のお嬢さまは気位が高く、我儘で気まぐれな子供だと兵士たちの間でも噂が流れている。

 兵士の無礼な態度に気色ばむソフィアを手で制して、ルクレツィアは一歩前へ出た。


「貴方の目は節穴なのかしら……わたくしが、ルクレツィア=ガブリーニ以外の誰に見えて?」


 フードをばさりと脱ぎ捨てると、燐光を放つ銀髪が風に舞う。

 意志の強い紫水晶の瞳は挑発的に輝き、艶やかな紅色の唇は皮肉気な笑みを浮かべている。

 爆発寸前の我儘令嬢現る、と言ったところか。

 年齢にそぐわぬ冷ややかな口調に、兵士の背筋が震えた。


「し、失礼いたしました! お嬢さま。すぐにッ! すぐに、門を空けます!」


 おい、早く門を空けろ! 俺らの首がかかっている!! と兵士が他の門番に告げると、人々が慌ただしく、動き出す。


「ちょっと、やりすぎてしまったかしら?」


 思った以上の反応に、少女が苦笑すると、ソフィアは首を横に振った。


「彼らには、仕置きが必要です」


 侍女服の中で引き絞られる筋肉。その気配を感知したルクレツィアが素早く待ったをかける。


「そこまでしなくても良いわ。お忍びで出かけているから、気付かなくて当然ですもの」


 兵士たちが気づかないのは仕方のない事だが、だからと言って、下手したてに出れば家の名に傷がつく。

 貴族とは難しいものだ。

 門の周りにいた人々の再三の謝罪を受けながら、ルクレツィアは屋敷の門をくぐった。

 出迎えたのは王都の屋敷を管理する執事と、以前彼女の教育を担当していた夫人だった。


「お帰りなさいませ。お嬢さま。さあ、どうぞこちらへ。準備は整ってございます」


 一糸乱れぬように髪を撫でつけた執事が一礼し、ルクレツィアへ道を譲る。

 その先にいた夫人は、少女の姿を一瞥(いちべつ)するとぱちりと扇を閉じた。


「ーーそれでは、お嬢さま、お覚悟はよろしゅうございますか」


 夫人の上品な笑みが開始の合図だった。

 目視できるだけでも五人の侍女たちが、少女を取り囲んで、迅速かつ丁寧に屋敷の奥へと誘導する。

 何が起こっているのか、戸惑っているうちに、ルクレツィアは衣服を脱がされ、体を清められていた。

 侍女たちに見張られながらの入浴を終えると、すぐさまマッサージ用の台に横たえられ、肌や髪に香油を塗りこめられる。

 髪を結って薄く化粧をしたら、これでようやく準備完了。

 それらが終わると、ドレスの採寸の最終確認をして、一息つく間もなく、着飾ってダンスと淑女の礼の練習を行う。

 一日の終わりには毎晩、読書の代わりに貴族名鑑を眺め、招待客の名前と特徴の暗記することを義務付けられた。

 まさに、怒涛(どとう)の五日間である。

 ガブリーニ公爵も公爵夫人も夜会の準備で忙しいらしく、彼女はこの五日間、家族とは一度も顔を合わせる事がなかった。

 そして、夜会の直前。

 ルクレツィアは久々に両親と対面した。


「……元気そうだな。無事で何よりだ」


 七日前の絶叫などなかったかのように、威厳たっぷりに頷くアレッサンドロと、上品なドレスを着こんでその傍に控えるクラリッサ。

 クラリッサ=ガブリーニは少女の実母ではある。しかし、彼女の関心は子になく、その目に映っているのはアレッサンドロのみ。

 それは屋敷の誰の目にも明らかで、ルクレツィアには幼少の頃より、当然のことだった。

 口さがない人々の噂話によると、クラリッサは元々、国の暗部を担う家の娘であったらしい。

 密かに王兄の暗殺を企てていたものの、失敗。その上、暗殺対象であるはずのアレッサンドロと一緒になるため、家を裏切って潰したのだなどというとんでもない噂話もあった。

 癖のない艶やかな黒髪を華やかに結い上げて、清楚な笑みを浮かべるクラリッサは、暗殺などと言う後ろ暗い仕事とは程遠い女性に見える。

 昼下がりに、たくさんの女性たちと談笑しながらお茶をしている姿がよく似合う。そんな女性だった。


「お父さま、お母さま」


 ルクレツィアは両親を見上げて、口元を綻ばせた。

 丁寧にくしけずられた艶やかな銀髪は、優美に結い上げられている。その髪を飾るのは見事な藍玉があしらわれた髪飾だ。

 少女が一歩歩みを進めれば、裾の長い豪奢なドレスがひらりと揺れる。

 目の覚めるような青絹が花弁のように幾重にも重なりあい、光の加減によって見え方の変わる神秘的なドレス。

 そのドレスは、彼女に良く似合っていた。

 夜明け前の空と冴え冴えと輝く月の光を連想させる、幻想的な装いである。


「――此度の勝手を許していただき、感謝いたします」


 ルクレツィアが淑女の礼を取ると、髪飾りがしゃらんと涼しげな音を立てて彼女を彩る。

 アレッサンドロはその出来に感心するように瞳を細めた。


「過ぎたことは良い。報告は聞いている。インヴェルノは国にとって、重要な地域だ。よくぞ守り切った」


 足止めどころか雪鬼の殲滅と大型魔獣の討伐等々……。報告書を読んだ後、衝撃のあまり、執務室でひっくり返ったことなど、おくびにも出さない態度だった。

 力強く雪原を駆け、魔獣を蹴散らす姿は、まさに暴れ牛のよう。その場の誰よりも雄々しい戦いぶりであった――などと、報告を受けて、どう反応しろと言うのか。

 インヴェルノを護り切った功績は素晴らしい。結果として、王都の兵士を動かさずに済んだ。

 けれど、筋骨たくましい、騎士団随一の力自慢ならともかく、彼の娘はまだ十二の愛らしい少女なのだ。

 娘が自身のむさ苦しい部下たちのように、歴戦の猛者のようないでたちで帰ってきたら、自分はどう迎えたらよいのか。

 公爵はここ数日夜会の準備に奔走(ほんそう)しつつも、悩んでいた。

 そんな複雑な親心など知らない娘は、父親からの褒め言葉に、瞳を輝かせながら誇らしげに微笑んだ。


「お褒めにあずかり光栄です。お父さま」


「うむ。こうして、夜会にも間に合ったのだ。お前は良くやった。さて、そろそろ城へと向かうとしよう」


 手を取りあって、三人は馬車に乗りこんだ。

 徒歩でも行けるような距離でも、こうして馬車で行くのがレッチェアーノ貴族の慣習である。

 城の前で三人が馬車を下りると、ちょうど夕暮れ時であった。

 日の落つ茜色に、白亜の城が照らされている。

 城の周りにはたくさんの光の球が浮かんでいた。

 城に仕える多くの魔術師によって灯されているであろうそれは、蛍火のようにゆらゆら揺れては光を放って消え、そしてまた別の場所で生じる。

 色は暮れの空に合わせたであろう、黄金色。

 降り注ぐ光の雨は、此度十二の年を迎えた王太子殿下を連想させる色合いだった。


「ルクレツィア?」


 肌に触れると音もなく消える不思議な光。その光に見惚れている少女を、父親の声が呼び戻す。


「申し訳ございません。お父さま」


「研究部門が一年がかりで陣を張って用意した術式だ。絶えず、魔力を空間に放つことで、結界の維持にも一役かっている。……お前が見惚れるのも、無理はない」


 気にするな、と娘にひと声かけて、アレッサンドロは城への長い階段を見上げる。

 右手に妻を、左手に娘を伴って彼はゆったりと歩みを進めた。

 王兄アレッサンドロ=ガブリーニの登城に、先を歩いていた人々の波が割れ、道ができる。

 左右に分かれた貴族たちは皆こうべを垂れて、彼らが通り過ぎるのを待った。

 夜会の間へと案内され、重々しい扉が開かれると、熱気に混じって様々な香水と酒の香りが漂ってくる。

 広間では、既に多くの貴族が談笑していた。

 本来、夜会は日が沈んでから開催されるものだが、プリマヴェーラの日は長い。

 また今回の主役が子供たちであることも考慮して、少し早い時間に開かれることとなったのだ。

 待ちに待った世継ぎのお披露目とあって、会場は常にない賑わいを見せていた。


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