第二十二話 祝杯
薄闇に沈む雪山の麓に、ぽつりぽつりと炎が生じる。それは長らく消えていた暖かな光。
――インヴェルノにかがり火が灯されたのだ。
村長宅を囲うに配置されたかがり火は、ルクレツィアの陣で補強され、積もった雪をも溶かしそうな勢いで燃え盛っていた。
薄暗がりの空から、深々と降る雪の音は聞こえない。
聞こえるのは村人たちの談笑する賑やかな声と笑い声、そして大なべの煮えるぐつぐつという音。
「……ねえ、ルーシー。本当にこれを食べるつもりなの?」
リナルドは恐る恐る鍋を見上げた。
ルクレツィアもつられて少年の視線を視線を追う。
人が何人も入れそうなほど巨大な鍋からは、例の水竜の頭の一部が飛び出ていた。
火力が強すぎるのか、大きなえらは炎にあぶられ、黒く、炭と化している
「コイツはなァ。元々淡水の泥の中に棲む魚が魔力をため込んで変化したもんでよォ。鱗なんてないはずなのに、あの硬さ……ここまで巨大で凶悪な種はワシも初めてだ。ああ、食えるのかって話だったな。味は淡泊だが、汁ものにゃ向いてる」
まだ乾杯もしていないのに、既に赤ら顔のエルモ。彼は火にあぶられてこんがり焼けた巨大魚の頭に噛み付いた。
良く焼けた魚の皮が裂ける、小気味の良い音が響く。
「食感は悪くねェが、味しねえな。塩が要らァ」
咀嚼しながら杯をあおると、エルモは冬眠明けの熊のような足取りで塩を探しに行った。
「エルモって面白いね!」
「いつの間にあれほど飲んだのかしら」
くすくすと笑いながら視線を交わすと、グイドが二人の両肩に手を置いた。
「よう。二人とも! そろそろ宴が始まるぞ! こっちにこい!」
グイドも熱気にあてられたのか、少し上気した顔で二人の手を引く。
「主役が居ねえと始まるものも始まらないからな!」
村人たちから口々に褒め称えられながら、二人は鍋から少し離れたテーブルまで連れて行かれた。
皆、杯を手にして、掲げるのを待っている。
「待たせたな! 主役の登場だ! そォら、全員、杯を掲げろォッ! 小さな二人の英雄と、我らの勝利にッ!」
『オオオオオォォォォ――ッ!』
炎と雪に照らされた木杯が高く掲げられ、歓声が上がる。
杯から酒が零れるのにも構わず、一気に杯をあおる人々。
杯が空になった時、再び歓声が上がった。
「さァ、宴の始まりだ! 日が落つとも、我らの炎は消えぬ! みな、その意識落ちるまで、杯を空けろ!」
調子に乗ってどんどん酒を飲み干すグイドの尻を老婦人が叩く。
「何言ってんだい! バカ息子ッ。意識が落ちたら凍死しちまうだろ!」
「ぶっ、なにすんだよッ。かァちゃん!」
杯に顔を突っ込んで、よろめくグイドにどっと笑声がわく。
老婦人も一口酒を飲んで、村人たちをぐるりと見回した。
「家の暖炉に火を入れてきた。倒れそうな奴は早めにいうんだよ! めでたい日に死人を出すなんて冗談じゃない。居間の床と毛布ぐらいは貸し出してやるさね」
「ありがとうよ、かァちゃん!」
これまた調子に乗ったグイドの友人が老婦人に声をかけると、今度はそちらに叱責が飛んだ。
「あんたの母親になった覚えはないよ、コリオ。息子はこの馬鹿一人で十分だ!」
「そうだぞ、コリオォッ。――オレの、かァちゃんだ!」
どうだとばかりに胸を張って宣言するグイド。
「グイド。お前は黙ってな!」
夫に杖を借りた老婦人は、その杖で彼の頭をぼかりと叩いた。
村長家族の賑やかなやり取りを耳にしながら、ルクレツィアはリナルドと水竜のスープを啜っていた。
薪の焼ける臭いと冷気に混じって、魚独特の香りが辺りに漂う。
油まじりに白濁したスープに浮かんでいるのは、乾物として保存されていた野菜の根、水竜の肉とその骨のみ。
一口飲めば、まず塩気と魚の甘みがじんわりと舌に沁みいる。
淡泊な白身は柔らかく、口に含むとしっとりとほぐれた。
野菜の根の歯ごたえも悪くない。
「美味しいね」
火傷しそうに熱い具材の熱を逃がすように、ほくほくと口を開閉しながらリナルドが言った。
口元から湯気が出ているあたり、相当熱いのだろう。
「ええ。温かくてとても美味しいです」
ルクレツィアは具を小さく切り分けて、少しずつ食していた。
「リナルドも小さく切り分けて食べればよいのでは?」
ルクレツィアの提案にリナルドは首を振る。
「えー、なんかめんどくさいよ。あっついのに噛み付いて食べる方が美味しいし」
熱さと格闘しながらも、一生懸命食べているリナルド。
彼のようすを見ていると、具の少ないスープも素晴らしいご馳走に見える。
同じものを食べているはずなのに、少年の食べているものの方が美味しそうに見えて、少女は首を傾げた。
「本当に美味しそうに食べるのですね」
「だって、美味しいし。それより、ルーシー。話を聞かせてよ!」
立って食べるのも落ち着かないので、二人は丸太で作られた素朴な椅子に腰かけた。
「話とはなんでしょう?」
「これまでしてきた冒険の話だよ! みんなすっごく強いから、たくさんの冒険をしてきたんでしょ?」
「えっ? いえ、わたくしは……」
ルクレツィアにはこれが初めての冒険だ。
語れるほどの話があるはずもなく、彼女はぐっと押し黙る。
「もったいぶらずに教えてよ! ルーシーはぼくと同じくらいなのに、水竜と闘っている姿はとっても格好良かったし!」
ルクレツィアの沈黙を勘違いしたリナルドが言葉を続けると、少女はぴたりと動きを止めた。
「かっこう、いい……?」
呟きながら、ルクレツィアの首と顔が夜目にも明らかなほど赤く染まる。
じん、と痺れるくらい熱をもった耳を冷まそうと、少女は指先で耳朶を掴んだ。
「うん、凄く格好良かったよ。ぼくもいつか、ルーシー達みたいな冒険者になりたいんだ」
もじもじと落ち着かない様子で視線を彷徨わせるルクレツィアに、リナルドは眩いほどの笑顔で言い切った。
「そ、そうなんですの!? 私達みたいな冒険者に?」
平静を取り戻そうと啜ったスープに咽て咳き込む彼女へ、簡素な布切れが渡される。
布きれを受け取りつつ、腕の持ち主を見上げるとそこには、灰色の女が立っていた。
「勇敢な魔術師殿も、友人にはかなわんらしい」
にんまりと、意地の悪い表情で見下ろすイレーネ。
「ありがとうございます」
イレーネは、いったいいつからそこにいたのだろう。
ルクレツィアは布を受け取るも、気恥ずかしさを隠すようにさっと顔に布をあてる。
そうしてイレーネから火照った顔を隠すように、勢いよく顔をこすり始めた。
「ルーシーさま、わたくしめにおまかせくださいませ」
恥ずかしさも相まって、少女の顔のふき方は乱雑である。肌を痛めることを心配したソフィアは、やんわりと少女から布を受け取ると、優しく拭ってやった。
「ありがとう、ソフィア。ん?……ゆ、ゆうじん!? 空耳かしら? いま、友人っていわれたような気が……!」
一拍おいて、どもるルクレツィア。そんな彼女の様子が意外だとでもいうように、イレーネが眉を跳ね上げる。
「なんだ、違うとでも?」
答えに詰まった少女の代わりに、少年が元気よく答える。
「うん! ぼくとルーシーは……えっと、一緒に困難を乗り越えた戦友なんだよね! グイドおじさんが言ってたよ!」
「私と、リナルドが、せんゆう」
戦友――それは、ホフレから父公爵の話を聞いた時より、憧れていたもの。
呆けたように言葉を繰り返す少女の目の前へ、蜜酒が差し出される。
エルモからだった。
大きくずんぐりしたエルモの手の中にあると、杯も玩具のように小さく見える。
「遠くの敵を殲滅した後、雪鬼に突っ込んで行った嬢ちゃんは、まるで尻に火が付いた暴れ牛のように荒々しかったんだがなァ……こうしていると、年相応だな!」
豪快に笑うエルモ。
杯を受け取って礼を言うと、ルクレツィアは甘い蜜酒で口内を湿らせた。
「雪の中での戦闘に慣れるために、私も地を蹴って戦ってみようと思いまして」
ルクレツィアが使い終わったふき布を回収しようと、前方へと重心を移動させるイレーネ。
その気配を察して、ジャンがさっと前に出た。
「イレーネさまが雪鬼を狩りながら、雪原を駆ける姿は美しかったですが、ルーシー嬢はちょっと……」
ソフィアから布を回収して綺麗に折りたたむと、ジャンが先の戦闘を思い出して緩く笑む。
「なんですの? ジャンまで、わたくしを牛扱いするのですか?」
刺々しい少女の声にジャンは軽く肩をすくめた。
「滑って雪まみれになりながら、魔力任せに雪鬼を吹っ飛ばす戦闘スタイルも、雄々しくて良いと思うんですけどね。さながら、白銀の暴れ牛って感じで」
「やはり牛なのですか!?」
牛なんて格好悪い! とむくれるルクレツィアの袖をリナルド軽く引いた。
「ルーシーは格好いいよ」
さらっと言って柔和な笑顔で微笑む少年に、意表をつかれた少女もやがて眦を下げた。
それだけで、気位高く、高慢な印象を与える美貌が一転して、年相応の柔らかな印象になる。
「ま、まあ……リナルドがそういうのなら、牛も悪くありませんわね!」
そしてその表情を隠すように、ルクレツィアは杯に注がれた蜜酒をあおるのだった。
液体が、熱をもったように喉を流れる感覚が、心地よい。
爆ぜるかがり火の音。炎を維持するために流れていく魔力さえも、この村の人々の暖となっているのだと思えば、嬉しかった。
――賑やかで、温かくて、幸せな、この時間がずっと続けばよいのに。
少しの眠気と酩酊感の中で、少女はそう願った。




