第二十一話 決着
転移陣でリナルドをイレーネ達の元へ送った後、ルクレツィアは目の前の怪物を見上げた。
怪物は彼女の魔力に夢中らしい。
結界という殻を破いて、中にいる彼女を捕食しようと、何度も頭突きを繰り返している。
――リナルドへは大見得を切ったものの、水竜の外殻は硬い。
おそらく水竜もまた、己の魔力で表皮に結界のようなものを張っているのだろう。
ルクレツィアはそう推測した。
「生存本能というものでしょうか。しかし、結界を構築する魔獣なんて、聞いたことがありません」
結界を維持する必要がなくなった分、彼女は魔力を自由に使える。
しかし、もてる魔力のすべてを注いでも、目の前の怪物の分厚い皮膚を破れるかどうか、わからない。
水竜の頭突きが収まると、結界を切り、ルクレツィアは同時に複数の陣を紡いだ。
最初の陣で空中に転移し、上空からありったけの魔術陣を怪物に向かって放つ――が、雷、炎、風、どんな魔術陣を展開しようと、硬い外皮に阻まれ、水竜に致命傷を負わせることができなかった。
水竜の魔力核――魔獣のとっての心臓の位置は把握済みだが、攻撃が通らないことには意味がない。
いたずらに魔力を消費するばかりの状況にあっても、少女は絶望することなく、嫣然と微笑む。
「これは、アレを試す絶好の機会ですわね」
それはホフレには禁止された、危険な技だった。
大抵の魔術師は、今までにない新しい魔術を思いついたら、それがどんなに危険なものでも試さずにはいられない。
己の魔力の限界に挑戦し、乗り越え、実った成果を得て高らかに笑う。
それが、ルクレツィアがホフレから学んだ魔術師の姿だった。
ゆえに、彼女も師と同様、己の限界に挑戦することを好んだ。今までそれを使わなかったのは、必要がなかったからである。
ルクレツィアはいったん地に降り立つと、己に身に流れる魔力に意識を集中させた。
――彼女の魔力は、大気中の魔力との親和性が非常に高い。
自身の魔力を少し混ぜるだけで、大気に満ちる大きな魔力を巻き込み、強力な陣を発動できる。
そして、その親和性と干渉力は大気中の魔力のみならず、他者の魔力にまで影響が及ぶ。
「ぐッ……」
無防備なルクレツィアの体に雪塊がめり込む。
一方的な攻撃を受けながらも、彼女の口から紡がれる魔力は、着実に陣を紡いでいた。
――水竜の、体の中に。
「お返しです」
血のにじんだ口元に笑みを浮かべ、ルクレツィアは陣を発動させる。
魔核の近くに紡ぎあげた陣は、水竜自身の魔力をどんどん吸い上げてゆく。
そうして、臨界点に達した時点で――爆散した。
魔核が壊れて派手に飛び散った肉辺が降り注ぎ、ルクレツィアの脳内が激しく揺さぶられる。
水竜が重々しい音を立てて地に倒れる音と、最後の断末魔の音――魔力がこもった咆哮が聞こえた。
他人の魔力へ干渉することは可能だとはいっても、彼女自身もただでは済まない。
干渉し、壊した相手の魔力の一部。それが一時的に彼女の体内へ取り込まれ、全身を駆け巡る。
「ァ……ガッ……!」
想定外の副次的作用だった。
限界まで目を見開いているのに、何も見えない。
水竜の魔力と自身の魔力が混ざり合って全身を駆け巡り、視界が暗転する。
ルクレツィアの足元はふらつき、頭から地面に倒れこんだ。
暴れ狂う魔力を呼気から逃がそうと、荒い呼吸を繰り返す彼女の耳に、澄んだ硝子が砕けるような音が響く。
月の護り石が発動したのだ。
つまり、彼女は今、襲撃されている。
このままでは死んでしまう。
焦りはあれど、酷い倦怠感が全身を支配し、体が思うように動かない。
ルクレツィアは渾身の力で上半身を僅かに浮かせ、地面に打ち付けると、その反動で体を仰向けにする。すると、歪んだ視界の中に、一体の雪鬼の姿がうつりこんだ。
水竜の魔力にあてられて生じたのか、咆哮の魔力で呼ばれたのかは分からない。
確かなのは、今の彼女には打つ手がないということだった。
「やはり……先生の言いつけは守るべきでしたわね」
苦く笑うも、自分に優しくしてくれた、村人達のために戦えたことがとても誇らしかった。
詰めの甘い自身に腹は立つが、その結果彼らの命を守れたのなら満足である。
凶悪な氷の爪――少女には死神の鎌にも見えるそれが、振り下ろされるさまは妙にゆっくりと見えた。
この間にもなんとか魔力の流れを戻そうと足掻いているが、あと僅か、時が足りない。
――息絶えるその瞬間まで、決して目を逸らすものか。
歯を食いしばり、敵を睨む彼女の目の前で、良く知った魔力が紡がれた。
黒い魔法陣。
その魔力が示すものは一人だ。
吹き上げる、圧倒的な魔力に引き込まれるように雪鬼が陣へと駆ける。
黒煙吹き上げる陣の中から現れたのは、意外な人物だった。
「遅くなってしまい、申し訳ございません。お嬢さま」
癖のない漆黒の髪を、後頭部できっちりとまとめ上げた美女。
切れ長の、怜悧な目元を細めて、彼女は主に害なす怪物へ対峙する。
「これが、お嬢さまの敵ですか?」
丈長の侍女服が風圧でひらりと翻った。
雪鬼の爪を受け止め、切り裂かれた服のあいまから、見事な前腕屈筋群が姿を現す。
発達した筋肉とガブリーニ家の侍女服、この特徴を持つのはレッチェアーノ広しといえどただ一人だ。
「仕置きは後ほどうけますので、ここはわたくしめにお任せくださいませ」
なぜホフレでなく、ソフィアが?
その疑問に、ルクレツィアの脳内のホフレが答える。
――"娘"の初陣に"親"が出ていくなんぞ、無粋じゃわい。わしの"娘"なら、水竜だろうと鬼だろうと相手じゃなかろうて。
お茶目に片目をつぶってみせるホフレの姿を想像して、少女の口元が綻ぶ。
「――いいえ、ソフィア。いかにあなたと言えど、一人で相手をするのは難しいでしょう」
ルクレツィアは言いながら、早急に自らの魔力の流れを整えて、おぼつかない足で立ち上がった。
ソフィアが怪物を押さえつけている間に、何とか陣を紡いで起動する。
「まずは、一体」
銀光とともに地面から生えた炎の槍が、あっという間に雪鬼の魔核を貫いた。
しかし、ほっと息をつく暇もない。
崩れ落ちる氷塊の向こう側に、数えきれないほどの異形の魔物がいた。
それらは少なくとも、二人が視認可能な距離まで来ている。
ルクレツィアが捜索の陣を紡げば、ざっと百体ほどの雪鬼が計測された。
「……私が時間を稼ぎます。お嬢さまはいったん下がって態勢を整えてください」
二人が村の家々を振り返ると、村長宅から老婦人が顔を出していた。
彼女は扉を少し開けると、身振り手振りでそちらへ来るよう示している。
「あら。その必要はなくてよ」
少女は慌てず、騒がず、いつもの尊大な笑みを浮かべた。
「――あちらも、ちょうど決着がついたようですもの」
口と言わず、少女の全身から放たれる、膨大な魔力。
紡がれたのは、精緻にして巨大な、村全体を覆う白銀の魔術陣。
ルクレツィアを中心として描かれたそれは、徐々に輝きを増し、村中を明るく照らしだす。
魔術陣から放たれる光が、空から降る雪によって乱反射し、村全体へ光が降り注いでいるようにも見えた。
「これは、なんと……。嬢ちゃん、あんた、神降ろしでもするきかい」
いつまで経っても逃げようとしない二人に、じれて近くまで駆け寄ってきた老婦人が、口を大きく開けて空を見上げる。
「神だなんて、そんな。わたしが呼んだのはもっと素敵なものですわ」
少し青ざめた薄紅色の唇をきゅうっと持ち上げて、ルクレツィアは老婦人に片目をつむってみせた。
光が収束すると、そこには雄たけびを上げる戦士たちの姿があらわれる。
先頭を行くのは灰色の獣のような瞳をした女だった。
女は犬歯をむき出しにして、低く唸る。
「野郎どもォ、準備は良いか? 村を襲うクソどもに、貴様らの訓練の成果を見せてみろッ!!」
『オオオオォォォ――ッ!!』
後に続く男どもはそれぞれ、斧や鋸を手に魔物どもへ向かってゆく。
なかには、どこで調達してきたのか、折れた丸太を片手に戦うものもいた。
「よォ、ルーシー。よく頑張ったな。後はアタシらに任せて下がってろ」
両の手に剣を構えて背を向けるイレーネ。
彼女は味方のはずなのに、気圧されそうなほどの威圧感を感じさせる。
「いいえ。もう大丈夫です。魔力も回復しつつありますし、わたくしもまだやれます。仲間が戦うのを後方でただ見ているだけなんて、お断りいたします」
「そうか。なら好きにしろ」
ルクレツィアの耳にあったはずの護り石がなくなっているのを確認すると、イレーネは預かっていた耳飾りを無造作に外した。
「――こいつは返しとくよ」
そしてそれをルクレツィアに放り投げた。
疾風のように素早く割り込もうとしたジャンは、今、イレーネの靴の裏にいる。
ジャンが疾風ならば、イレーネは光に迫る速さでジャンを踏みつけたのだ。
「お前は一体、何をしてるんだァ……ジャン?」
「ふぁい! ありがとうございます! いやあ、イレーネさまが投げたものを確保するのは、私の役目かと思いまして!」
靴底でぐりぐりと踏みつけられながらも、幸せそうな笑顔で答えるジャン。
ルクレツィアは驚いて取り落とした月の護り石を拾い上げ、耳に飾ると二人に背を向けた。
変態に付き合うよりも、もっと大事なことがあるのだ。
「私めが壁になります。鍛えておりますので、存分になさってください」
あのやり取りを見た後だと、ソフィアの言葉もなんだか不穏に聞こえる。
ルクレツィアは侍女の提案に首を振って、転移魔術陣を起動した。
「その必要はありません。私は空から魔術で雪鬼どもを串刺しにします。ソフィアは自由に戦いなさい」
「かしこまりました。ルーシーさま。ご武運を」
「あなたもね」
視線を交わして二人は戦場へと足を向ける。
空中に転移したルクレツィアは落下しながら、まだ村に到着していない、遠目に映る雪鬼たちの姿を確認した。
その姿が視界から消える前にと、魔力を紡げば、少女の眼前を銀光が奔り、複数の魔術陣が展開する。
そうして、彼女は三十の炎槍で遠くの雪鬼を串刺しにした。
遠目にもわかるほど鮮やかな手並みに、眼下で歓声が上がり、ルクレツィアは小さく笑みを浮かべる。
彼女の足元では、ソフィアと村長の息子――グイドが共闘していた。
「美しい顔に見合った、見事な筋肉だな!」
グイドが手斧を振い、雪鬼の腕を砕く。
ソフィアはそれに応えることなく、別の雪鬼の腕をつかみ、ひねるようにもぎとった。
いくつもの氷の刃を重ねたような腕を掴んでおいて、小さな切り傷で済んでいるのは流石と言えるだろう。
自然、背中合わせになる二人。
「うおっ。腕もぐとか信じらんねえ! あんた本当すげェのな。痺れたぜ! ……なあ、まだ相手いないんなら、オレと結婚してくれねぇか?」
手斧で雪鬼の魔核を破壊するとグイドは照れくさそうに頬を摩りながら、ソフィアに結婚を申しこんだ。
雪に足を取られたか、動揺したのか。一瞬足を止めたソフィアだったが、雪鬼の魔核を豪快に鷲掴んで引きずり出すと、掌の中で握りつぶす。
「断る」
「即答かよ! いってェ一体どんな握力してんだ。あんた!」
「この程度もできぬ軟弱ものを夫に据える気はない」
「おし! じゃあ、オレが魔核握りつぶしたら、結婚してくれ!」
「断る」
「おっしゃア、やるぜー! って、結局ダメなのかよォッ!?」
グイドは別の雪鬼の魔核を斧で切り落とすと、その思いのたけを叩きつけるように踏み潰した。
楽しげな会話を続ける彼らのすぐ横を、灰色の影が過る。
――イレーネだ。
彼女の通った後に転がっている雪塊は元雪鬼だったもの。
狙った獲物を瞬時に狩りとる彼女は正しく、狩りの女王と言ったことろか。
並走するように金色の影が見えるが、こちらは気まぐれな猫のように、移動線に重なる雪鬼を狩っていた。
金色の影――ジャンは、イレーネの戦いを最善の位置で観賞することに専心しているのだろう。
腹立たしいほどブレない男である。
その二人から少し離れた最前線で、エルモは大斧を豪快に振り回していた。
老婦人に連れられて、後方に下がったリナルドは、彼が雪鬼をなぎ倒すたびに興奮して飛び跳ねている。
結構な危機のはずなのに、みんな楽しそうで何よりだ。
ルクレツィアも小さく笑み零すと、素早く転移陣を起動し、敵の殲滅に集中することにしたのだった。




