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第二十話 雪鬼 vs 討伐隊

 ――赤い雪。

 転移したリナルドの目に飛び込んできたのは、雪の白に滲んだ赤色だった。

 深く雪をかぶった木々の間、ところどころに血痕や何かが暴れまわったような痕跡が残っている。

 うなじを撫でる冷たい空気に鳥肌が立ち、木々の向こう側から上がる怒号に全身が震えた。

 いつもは澄んでいる冷気に、どこか血なまぐささが混じっている気がして、足がすくむ。


「……大丈夫。今度は、ぼくが助けるんだ!」


 拳を握りしめ、気持ちを強く持つように自らに言い聞かせる。そうして彼は一歩前に踏み出した。

 この先にいるであろう存在のこと考えると、心臓の鼓動は激しくなるいっぽうだ。頭に血が上ったように、足元がふわふわとおぼつかない。

 雪鬼に対するリナルドの感情は複雑だ。父を殺した雪鬼が憎く、仇を討ちたいという気持ちもあるが、同時に自分では敵わないということも、子供ながらに理解している。

 握りこんだ指先は冷え切っていたが、その冷たさが興奮と恐れから彼を目の前の現実へと引き戻してくれた。

 踏み散らかされ、固くなった雪の上を滑らぬよう、気を付けながらそろりと木々の間から顔を出す。

 そして、リナルドは硬直した。

 口を大きく開き、悲鳴を上げようとしたが、喉まで凍りついてしまったかのように、呼吸が止まる。

 ――槍のように鋭く尖った牙は赤黒く汚れており、呼気からむわりとした異臭が漂う。

 舌はない。代わりに、牙に絡まって口内に止まった腸が覗いていた。……何の腸かなんて、考えたくもなかった。

 眼前で怪物の(あぎと)が大きく開いていたのだ。

 今まさに彼の頭を食いちぎらんとばかりに!


「あ……ああ、」


 そんな。

 逃げなければ、という自分の意思に反し、震えるばかりで全く動かない足。

 ごめん、ルーシー……やっぱり、ぼくじゃあ、だめだったみたい。

 リナルドはきつく両目をつむって、歯を食いしばった。


「――そこで何をしているッ!」


 右肩からわき腹にかけて強い衝撃がはしり、リナルドの体が雪の上に投げ出される。

 反射的に上を見上げるリナルド。彼の視線の先では、この辺では見かけないくらい、品のある容貌の男性剣士が剣を構えていた。

 その剣士はおそらく、王都から来た冒険者のうちの一人だろう。

 村の男達よりは筋肉のつき方などが一回り小さいのに、岩より大きな雪鬼と対等、いやそれ以上の強さに見えた。

 岩と違って氷の刃を全身に生やした雪鬼は、存在自体が獰猛な凶器だ。

 大岩のような巨体と丸太のような四肢からは想像できないくらい素早く、またその一撃は重たい。

 剣士は迫りくる雪鬼の刃を上手くいなしながら、着実に雪鬼の体を削いでゆく。大腿部の関節へ蓄積した損傷によって、雪鬼が体勢を崩すと、すかさず懐に滑り込み――雪鬼の魔力の核となる部分へ、剣を突き通した。

 どう、と音を立てて倒れる化け物。それを蹴りつけ、動かないことを確認すると、彼はリナルドに手を差し伸べた。


「村の子か? どうしてこんなところに……?」


 眉をひそめる剣士の手を恐る恐る取ると、リナルドは雪の上から一気に引き上げられた。


「ぼくはリナルド!」


 緊張でカラカラに乾いた口を開いて、リナルドが剣士を見上げる。


「ルーシーがここに送ってくれたんだ。湖を滑っていたら、急に大きな怪物が襲ってきて……ああ、もう! とにかく! 村が、大変なんだ!」


 お願い、助けて! と震える手で縋るリナルドに剣士――ジャンは、ただならぬ事態を察して頷く。


「イレーネ様のところへ行くぞ。できる限り護るが、保証はできない。私から離れないよう、命がけでついて来い」


「わかった!」


 雪鬼は複数体いるらしく、一体の雪鬼と向き合っていたら後ろから別の個体に襲われたりと、混戦していた。

 体に傷を受け、血を流している村の男たちの姿を見て、リナルドは小さく悲鳴を上げる。

 それでも、誰ひとりひるむことなく、雪鬼に向かっていく姿を見て、リナルドも必死でジャンの背中を追いかけた。


「三体か……」


 目の前に立ち塞がる雪鬼にジャンが呟く。

 リナルドを護りながら三体の雪鬼を撃破するのは、流石のジャンにも厳しいようだ。


「――おい、ジャン。子供と遊んでいる暇があるなら、さっさと狩れ」


 低く唸るようであるのに、戦いにさなかにあっても良く響く声。

 数瞬後、唐突に三体の雪鬼が砕け散る。

 砕け散った氷塊の向こう側で、長く、青みがかった灰色の髪が靡いている。その髪の持ち主、獣のようにしなやかで強靭な肉体を持つ女――イレーネが獰猛な笑みとともに現れた。


「強力な個体はあらかた狩り終えた。残っているのは、この程度か」


 少し前まで雪鬼だったものは、いくつかの氷の塊となって地面に転がっていた。それを踏みつけながら、イレーネがリナルドを見下ろす。


「それで、要件は何だ?」


 戦いの興奮にギラついた眼光は、その迫力だけで人の舌を凍らせる。

 リナルドは凶暴な灰色狼に見下ろされているような錯覚を覚えた。


「えっと、あの、村の湖から怪物が現れて、ル、ルーシーが、一人で戦っているんですッ!」


 しどろもどろにながらも、身振り手振りを交えて少年が答えると、彼女は瞳を細めて腰にナイフをしまう。


「そうか。……よく頑張ったな。すぐに終わらせるから、そこで少し待ってろ」


 一転して、柔らかい笑みを浮かべるイレーネ。

 リナルドはなんだか照れくさくなって、少し頬を赤らめた。

 犬でも撫でるかのように、無造作にリナルドの頭を撫でると、彼女は二人に背を向ける。


「――雪鬼討伐訓練は終いだ」


「イレーネさまッ! 私も……!」


「ああ、ジャン。お前はやっぱ子守しとけ。怪我させると村の連中がうるさいからな」


追いすがるジャンに、イレーネはナイフを持った手をひらりと振って答えた。


「……さっきたくさんの血を見たんだけど、誰か……死んだの?」


返事を聞くのを躊躇うように、リナルドが問いかけると剣士は首を傾げた。


「いいや、死者は出てないはずだ。怪我はともかく、訓練で死者を出すなんてイレーネ様が許さない。動物か何かじゃないかな。あの方は……えーと、一般人から見るとちょっと不安になるくらい、やんちゃな戦闘狂だけど、それも魅力の一つ……げふんげふん。まあ、あの通り、すごく強いから安心して待ってたら良いよ!」


 良い笑顔で太鼓判を押す剣士を胡散臭そうな表情で見上げて、少年はその視線の先を追った。

 視線の先では、イレーネが野に放たれた獣のように、嬉々として雪鬼をほふっている。

 両の手から繰り出される湾曲した短剣は、怒涛(どとう)の勢いで雪鬼の体をそぎ、うちに隠された魔力核を破壊する。

 雪塵を巻き起こして剣を振うそのさまは、華麗にして苛烈で、荒々しい舞を見ているかのようだった。


「すげ……かっこいい……!」


 リナルドの全身に鳥肌が立った。

 圧倒的な戦士の戦いは見ているだけで人々の感情を高ぶらせ、熱狂させる。


「だろ? イレーネさまは何していても素晴らしい。とりわけ、戦っているときのあの方は、誰よりも輝いている」


 うっとりとイレーネの戦闘に見惚れるジャン。

 彼はイレーネの戦いぶりに見入りつつも、視界に乱入して観戦を妨げる雪鬼を容赦なく串刺しにしていた。

 イレーネは言うまでもなく戦闘狂だが、彼も大概である。


「ねえ、冒険者ってみんなこんなに強いの?」


「どうかな。私は元々騎士だったから、イレーネさま以外の冒険者と組んだことないし。でも、あの方は別格なんだと思うよ」


 殺伐とした戦場のさなか、リナルドとジャンは茶でも飲みかわしそうなほど、和やかな雰囲気で会話を交わしていた。


「おら、そこの二人。てめェらがのんびりしてる間にこっちは終わったぜ」


 大斧を担いだエルモが雪塊を蹴って、言い放つ。


「嬢ちゃんが待ってんだ。さっさとけぇんぞ」


「お疲れ様です! 眼福でした! イレーネさま」


「おいジャン。ワシの事は無視か」


「あ。エルモもお疲れさま」


「こるァッ! ワシァついでかッ!?」


 さらっと付け足すジャンに、エルモが噛み付く。

 足場の悪い戦地で健闘した仲間に対して、あんまりな扱いではないか。

 エルモは短く刈り込んだ頭をぞりと撫でて、唇を歪めると顎をしゃくった。


「えい、クソ! ワシのことはええわい。村に帰るぞ!」


耄碌もうろくしたか、エルモ。村は反対方向だ」


 反対方向へと歩き出そうとしていたエルモ。彼を引きとめ、しれっと突っ込むとイレーネは村に向かって歩き出す。


「ぐ……鼻たれジャンだけならまだしも。イレーネ、おぬしまで……!」


 エルモは湯気が出そうなほど真っ赤な顔で、のっしのっしと雪を踏みつけながら後を追いかける。


「おう、坊主。危ねェから、はぐれるんじゃねえぞ」


 あんまりな扱いにぼやきながらも、エルモはリナルドを振り返り、その手を取った。

 大人たちと歩幅の違うリナルドがはぐれないようにと、気を使ったのだろう。少年を庇護しながらしんがりを務めるつもりのようだ。


「すまんな、ワシァ子供に好かれる顔じゃねぇんだが、村に帰るまで辛抱してくれや」


「大丈夫だよ!」


 リナルドは子供らしい無邪気な笑顔でエルモを見上げた。


「野獣顔なら、グイドおじさんで慣れてるから!」


 つまり、エルモは野獣顔だということだろう。

 何とも微妙な理由で了承されて、苦い顔をするエルモ。

 しかし、嫌がられるよりはマシだと思い直すと、彼は少年の手をしっかりと握りなおした。


「そうかィ。そいつァ僥倖だ」


「ぎょうこう?」


「良かったってことだ」


「うん! おじさん達が村に来てくれてよかったよ。王都からすごく遠いのに、助けに来てくれてありがとう」


「良いってことよ」


「ルーシーも……助けてくれる?」


 じっと顔を見上げてくる少年に、エルモは真面目くさった顔で、こう答えた。


「――嬢ちゃんはワシらの仲間だ。ワシらは仲間を見捨てねェ……わかるか?」


 リナルドはエルモの言葉に瞳を輝かせる。そうして、満面の笑みを浮かべ、力強く頷いた。

 

「うん! ありがとう、おじさん! ルーシーのためにも早く村に帰ろうね!」


「おう」


 エルモの短い返事を最後に、二人は雪道を急ぐのだった。

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