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第一話 始まりの日1

 そこは小さな演劇場のようであった。

 真紅の天鵞絨ビロード豪奢ごうしゃな金の刺繍を施した垂れ幕が、窓のない室内を彩っている。

 部屋の中央には黒い円形をした、石の台座が配置されていた。

 石台せきだいを囲む様に同心円状に配置された席。その席には着飾った男女が腰を掛けている。

 円の外側、一等高い席では、その場の誰よりも絢爛けんらんな衣装を着こんだ壮年の男性――国王陛下が石台を睥睨へいげいしていた。

 そして、その横には王兄であるガブリーニ公爵が控えている。

 黒い石台の上では、銀色の塊が小さく蠢いていた。

 それは長い銀髪の少女。薄く銀光を放ちながら波打つ彼女の髪は、埃にまみれてなお、美しい。

 ――ここは裁きの間。

 冷たく硬い床石に白い額をこすり付け、両の手を後ろ手に縛られた少女はこれから罪を裁かれる罪人として、取り押さえられているのだった。

 元は高貴な身分にあった彼女の落ちた姿に、好奇と揶揄、そして嫌悪の視線が集まる。


 「元ガブリーニ公爵令嬢、ルクレツィア。貴族としての籍を剥奪された汝に、この場での発言は許されぬ。刑罰が下されるまで、そこで己が罪を悔いるがよい」


 石造りの部屋に反響するように重々しい声が響く。顔も見えぬ相手から告げられた言葉に、彼女は唇を強く噛んだ。

 申し開きも許されぬとは……やはり、運命を変えることはできなかったのか、と。


***


 ――悪役令嬢。それは物語において、主人公の乗り越えるべき障害として描かれることの多い脇役の事である。

 そして、その脇役は主人公の糧となったのちに、悲惨な末路を迎える事となるのだ。

 これは、自らの物語を歩むため、世界に旅立つ少女とその仲間達の物語である。


***


 神々に祝福された国、レッチェアーノ王国。

 王都を含む中心部――プリマヴェーラと呼ばれる地域の気候は穏やか。

 畜産に向いており、農作物の収穫高も安定している。また、南部は海に面していて海の恵みも豊かな国であった。

 隣国であるサルダ帝国との境は極寒の大地と山があり、帝国からの進軍を退けている。

 数十年前に起こったサルダ帝国との戦争を除き、ここ数年で起こった国家間の問題と言えば、海を挟んだ小さな島国と小競り合う程度だ。

 大地に満ちる魔力と自然に恵まれたレッチェアーノ王国には、他国よりも高頻度で魔力を帯びた獣が生まれることもあり、王都はそれらから身を護るために高い外壁におおわれている。

 壁は王城を中心として3つの円を描く様に配置されていた。

 まず、一番外側にある商人や町人が行きかう第三区画。

 この第三区画には各領主から身元を保証された、通行許可証があれば、貴族籍を持たない民であっても容易に入ることができる。

 第三区画の住人には、別途、王都の住民管理部門から住民証が渡されていた。

 第二区画は貴族の邸宅がある区画。主に、領地をもつ貴族が、王城に出仕する際の屋敷として使用されている。

 貴族の子女と各方面より推薦を受けた、才能ある子供たちを集めた『学園』があるのもこの区画である。

 そして第一区画は、王城と王族の血縁者たちの住む屋敷がある区画。

 その第一区画にある屋敷の中でも特別に大きな屋敷が、ガブリーニ公爵邸であった。

 王城と比べるべくもないが、屋敷としては規格外な規模の優美な造形の白亜の建造物。

 この屋敷は亡き先代の国王が息子の戦場での功績をたたえ、領地や爵位と合わせて贈ったものだった。


 屋敷の主であるガブリーニ公爵アレッサンドロ=ガブリーニは、母親の出自――公に残すべきではないとして、名前も記録から抹消されている――ゆえに、不遇の幼少期を送った人物である。

 市井から王宮へ王子として迎えられるも、正妃から弟が生まれた後は、早々に王位継承権を放棄して軍へと入隊することとなる。

 そして、彼が入隊するのを見計らったかのように、凍った大地や山々を迂回しつつサルダ帝国の軍が攻めてきた。

 当時、まだ年若い青年だったアレッサンドロは、恵まれた地形のお蔭で大きな戦争を経験したことのない兵士たちを率い、国のために自ら先陣を切って戦い続けた。

 彼らの功績により、五年におよぶ戦いに勝利し、サルダ帝国から多額の賠償金を得たのだった。

 その戦いの記録は数十年たった今でも酒の席で語り継がれ、王都の兵士たちの憧れとも言える存在であった。

 冷徹で気難しいとされる気質ゆえに敵は多いが、貴族のみならず、軍や民衆からも支持されており、ガブリーニ公爵の影響力は計り知れない。


 そんな彼、アレッサンドロ=ガブリーニ公爵の末娘の名はルクレツィア=ガブリーニ。公爵家の第六子である。

 貴族としては品行方正なことで信頼を得ているガブリーニ家だが、この末娘のルクレツィアだけは他の兄姉とは違っていた。

 彼女がこの世に生を受け、物心ついた時からついて回る不快な違和感。

 理由も原因も分からぬそれに、ルクレツィアは常に苛立っていた。

そのせいか少し気に食わないことあれば癇癪を起こして騒ぎ立て、諌めようとすればそっぽを向いて知らぬふり。

 彼女の父親が現国王の腹違いの兄、それも筆頭貴族として多大な影響を持つ人物とあって強く諌めることもできない。

 姿かたちは麗しいが、とんでもない悪童だと社交界デビュー前から話題になっていた。


 では家族はというと、他の兄弟姉妹と同じようにメイドや教師をつけ、教育を施すように手配はした。

 けれど、愛ゆえか無関心ゆえか、彼女を咎めだてする者は誰も居ない。

 年の離れた末っ子として生まれた彼女は、6歳以上年の離れた兄や姉と顔を合わせる事もなく、その日も御付きの侍女と二人で過ごしていた。

 魔力を帯びて自ら光を放つ銀糸の髪に、朝露に濡れた紫水晶のように艶やかな瞳、白磁の肌にバラ色の頬。

 僅か6歳にしてそこいらの淑女では太刀打ちできないような美貌を兼ね備えたルクレツィア。

 彼女は、侍女に髪を梳いてもらいながら何とはなしに 鏡台に映る自分を眺めていた。

 自分と同じように動く、鏡の中の少女。

 これだけの美貌を有しているのにもかかわらず、彼女は鏡が苦手だった。

 鏡の中の自分を眺めていると胸の中の不快な感情がどんどん大きくなって、飲み込まれそうになるから。

 この得体のしれない不安を相談できる相手もおらず、かといって不安を押し殺して毅然と振る舞いきることもできない。

 ルクレツィアは侍女へ急な退室を命令するとギュッと目を閉じてベッドに横になった。

 ふわりと漂う甘い香に少し心が和らぐ。

 今日の予定はすべて取りやめだ。どうせわたくしのわがままだってみんな受け入れてくれるから。

 どこか投げやりな気持ちでゆるりと夢の中に落ちていく。

 その途中で彼女の意識の中にいくつかの映像が、怒涛の勢いで流れ込んだ。



 始まりは12歳の社交デビュー。

 めったに会えない父親に付き添われて王宮へ。そこで、ルクレツィアの婚約者として、この国の王太子殿下を紹介される。

 初めての同年代、それも紳士的な美少年に丁重に扱われて、彼女はすっかり浮かれてしまう。

 少しでも彼に気に入ってもらえるように、ルクレツィアなりに努力するのだ。

 突然王太子にべったりしてみたり、かと思えば、淑女らしくしようとして素っ気ない対応をしてしまうなどと、大抵それは裏目に出る。

 そもそも王太子との婚約自体、それぞれに悪い虫がつかないように、との配慮によって結ばれた仮の婚約なのである。

 互いに相手以上にふさわしい存在が現れれば、あっさりと解消されるような繋がり。

 真の意味では分かっていなくとも、何となく繋がりの細さを察していたルクレツィア。

 彼女は時に恋敵を陥れるような悪辣な手を使ってまで、初恋を実らせようとする。

 しかしながら、元よりこれは彼女の物語ではないので、どれだけ努力しようとも決して報われることはない。

 ――そう、これは王太子殿下であるジュリオと男爵令嬢であるアマーリエの恋の物語なのだから。


 公爵令嬢ルクレツィア=ガブリーニと男爵令嬢アマーリエ=カリニーは、相いれない存在だった。

 ルクレツィアは公爵令嬢であるがゆえに常に人の囲まれ傅かれるが、我儘で傲慢、矜持だけは人一倍の彼女は、その心に寄り添う友を得る事ができない。

 人の輪の中にあっても埋められぬ孤独感に、知らず苛まれていた彼女に初めて微笑みかけてくれたのが、王太子殿下――という流れだった。

 アマーリエはそんな彼女の目の前で、彼女が持たない全てを手に入れていった。

 弱みも全てさらけ出して頼れる親友と、何も言わずとも彼女のために行動する友人たち。

 王太子殿下以外にも、幼少期に貴族に買われ、過酷な修行の果てに感情を無くした天才魔術師や故郷を竜に焼きつくされた亡国の王子等々、ルクレツィアには見向きもしなかった人々がアマーリエに惹かれていく。

 どうしたらアマーリエのように愛されるのかわからず、何をしても全てが裏目に出る彼女。

 目の前で繰り広げられる光景に耐えきれなくなった時、ルクレツィアは壊れてしまった。

 学園と言う小さな箱庭で、公爵令嬢の権力を振りかざしてアマーリエをいくら貶めようと、彼女は満たされない。

 アマーリエが王太子妃になることが正式に決まると、ルクレツィアはこれまでの所業を断罪されてしまう。

 そして、精神が壊れた気狂い女として、領地での療養という名の幽閉を言い渡されることとなる。

 領地へ向かう馬車には、なぜか滅多に会えない父公爵もお忍びで同行した。

 二度と会うことができないと思っていた父が、不肖ふしょうの娘に会いに来てくれたことを、ルクレツィアは素直に喜んだ。

 しかし、道中、悲劇が起きる。馬車が襲われるのだ。公爵と二人の護衛も腕は立つが、数の暴力に苦戦する。

 いつしか護衛は皆地に伏し、後に残るは公爵だけとなった。

 しかし、公爵は決して倒れない。その体に矢を受けようとも、剣で突かれようとも立ち上がり、ついに暴漢どもを返り討ちにした。

 最後に、新手の襲撃を恐れてか、自分の大きな体で娘を隠すようにして公爵はこと切れる。

 呼吸が途切れるその前、娘の無事を確認して僅かに笑みを浮かべる公爵に、ルクレツィアの口から言葉が零れた。


 「お父さま。どうして……」


 美しく賢い姉や優秀な兄たちならわかる。でも、命を賭してまで父が自分を庇った理由が分からなかった。


 「お前は過ちを起こしたが、それはわたしの過ちでもある」


 公爵の口から一筋の赤い液体が伝う。震える掌の上で生暖かく、ぬめる血液それは、ルクレツィアの白いドレスを真っ赤に染め上げる。

 彼は取り乱す娘を宥める様に抱きしめると、呼吸を整え、穏やかな口調で続けた。


 「もうしばらくの辛抱だ。じきに巡回の騎士が通る。領地では安らかに過ごせるよう手配してあるが、お前を孤独から救えなかったことが心残りだ。……愛しているよ。私の可愛い娘。願わくば、どうか、幸せに」


 一番欲しかったものは、手に入れていたと知った瞬間に砕け散ってしまった。ルクレツィアはこの瞬間、真の意味で全てを失うのだ。

 父公爵が爵位を長兄に譲り、彼女と共に領地で過ごすつもりだったことも、もはや何の意味もない。

 父の死で彼女の罪がこれ以降、取り上げられることが無くなったことですら、彼女に更なる苦しみを与えるだけである。

 それはくしくも、王太子とアマーリエの婚約発表が行われた日の事であった。

 この日を最後に、悪役令嬢ルクレツィア=ガブリーニは物語の舞台から消えることとなる。


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