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第十七話 雪国1

 早朝、まだ日も登らぬ暗いうちに目を覚ましたルクレツィアは、寒さに震え、毛皮の毛布をかぶりなおした。

 ガブリーニ公爵領での訓練の日々のお蔭で、彼女には一定の時間になると目覚める習慣がついている。

 薄眼を開いて寝返りをうつ少女に視界に映りこんでくるのは、日の光も射さぬ真っ暗な室内――……。

 起きたはいいが、起きる時間を間違えたと思ったのだろう。

 冷たい頬を毛布に押し付ける様にして体を丸めながらも、ルクレツィアは念のため、屋内と周辺を捜索する陣を起動させる。

 すると、小さな魔力が屋内を移動するのを感じた。まだこんなに暗いのに、働いている人たちがいるらしい。

 ベッドの横の長椅子にかけておいた厚手の外套を手に取ると、ルクレツィアは夜着の上から羽織った。

 そうして、部屋の扉から顔だけを出してそろりと外を覗く。


「おや、起きたのかい?」


 ちょうど階段から上ってきた老婦人と目があうと、老婦人は顔を綻ばせてルクレツィアの傍によってきた。


「はい。おはようございます」


「おはよう。ふふ、髪の毛が絡んでいるよ。どれ、梳いてあげるからじっとしておいで」


 部屋の扉から出てきて、挨拶をする少女に笑顔で答えると、老婦人は彼女の背後に回る。

 絡まり、広がっているルクレツィアの髪を老婦人が手櫛で梳くと、絡まっていた髪はするりと解けた。


「ほんに、まあ、美しい髪だこと。同じ人間のものとは思えないねえ」


 優しく髪を梳く指がくすぐったくて、身じろきをするルクレツィアに老婦人はうっとりとした声で言った。


「さあ、これでいい。食事の準備はできているから、着替えたら食堂までおいで」


 持っていた革ひもでゆるく少女の髪の毛を束ねると、老婦人は満足したかのように一つ頷いた。


「わかりました。ありがとうございます」


 ルクレツィアが礼を言うと老婦人は目じりにしわを刻んで微笑み、かくしゃくとして悠々と階段を降りて行った。

 どうやらまだ起きていないのはルクレツィアだけだったようだ。

 彼女は急いで部屋に戻って着替えると、食堂へと向かった。そして、質素ではあるが心づくしの料理を頂いたあと、家の外へ出る。

 外はまだ薄暗かった。しかし、村のあちこちに人影がうろついているのが見える。

 村長宅の横には生け捕りにした獣を飼うための家畜小屋があったが、今はがらんとしていた。

 雪道を慎重に歩いて行くと、道をはさんで向こう側には墓地のようなものがある。

 そこにイレーネの姿を見かけて、ルクレツィアは彼女の隣まで転移した。

 急に現れた人影に身構えたイレーネだったが、それがルクレツィアであることを確認するとゆっくりと腰のナイフから手を離す。


「おはようございます。驚かせてしまってすいません」


「いや、いい。気にするな。……早起きだな」


「それは嫌味ですの? わたくしが一番遅かったようですけれど」


「安心しろ。最後ではない。村の子供たちはまだ眠っている。後、数刻もすれば起きるだろうがな」 


 むくれるルクレツィアに苦笑して、イレーネは立ち上がった。

 彼女はいったい誰の墓に参っていたのか。好奇心を刺激されて、少女が墓石に記された名前を見ると、そこには意外な名があった。


 【父:ゲオルグ 母:ミリア 息子:ダニーロ 娘:イレーネ 四人の親子の冥福を祈って】


 雪が積もってはいたが、他の墓石と同じように手入れがされてあるようだ。何度も磨かれたであろう墓石には角がなく、柔らかい艶を帯びている。


「これって……」


「私達の墓だな。父と母のは想定していたが、まさか自分たちの墓まであるとは思わなかった。まあ、吹雪の中で両親が死に、幼子二人だけが生き残るなんて……思わない、か」


 小さく笑うイレーネの横顔は、遠い過去を振り返るかのようにすがめられている。

 普段は豪胆で猛禽じみた笑みを浮かべる彼女だが、この時ばかりは女性らしい穏やかな雰囲気を漂わせていた。


「自分の墓に花を供えるのも妙な気分だな」


 赤い天鵞絨ビローソや白絹など色取り取りの生地で作られた、造花の花束。

 古いものなのだろうか、少しくすんだ色の花束それを墓に供えると、イレーネは村長の家へと戻って行く。

 推測するに、イレーネとダニーロの両親は彼らが幼いころに無くなっており、二人だけが生き残ったというところだろうか。

 二人の両親の死に村人がかかわっているとなると不穏だが、イレーネの穏やかな表情から察するに問題はないだろう。

 むしろ、両親の墓を作ってくれた村人に感謝しているような様子であった。

 ルクレツィアも墓の前でしばし冥福を祈り、体が冷え切る前に村長の家へと戻ることにした。


「おう。嬢ちゃん、早起きだな! 今から、ギルドの冒険者たちと周囲を見回ってくるから、いい子にしてるんだぞ」


 ルクレツィアの髪を無造作に撫でて、大斧を担ぐグイド。

 村長宅の前には村の男衆たちのほか、イレーネ、ジャン、エルモの姿もあった。

 どういうことかとルクレツィアがイレーネを見上げると、イレーネは自身の装備を確認しつつ口を開いた。


「ルーシーは村に残れ。アタシらが見回りに出ている間、村の護りは手薄になる。何かあれば転移魔術で呼び戻せ」


「標的の位置を検索しましょうか?」


「いや、いい。近場に気配を感じないしな。今日は周囲の探索が主で、討伐は明日以降に行う。遭遇したらもちろん狩るが……」


 念のため、陣を展開して周囲の魔力の気配を探すも、村の近くにそれらしき気配は引っかからなかった。


「たしかに、近くにはいないようです」


 驚きつつも頷くルクレツィアにイレーネは苦笑した。


「だろ? あれが近くに居れば、アタシにはわかるのさ」


 両足に短剣を差し、左右の腰に双剣を、背には弓と矢筒を背負ったイレーネの姿は他の者たちと比較しても異様な姿だった。

 全身に仕込めるだけ武器を仕込んでいる。誰がどう見てもそう確信しただろう姿。

 ルクレツィアは異様な装備にしばし目を奪われ、我に返る。そして、慌てて自身の耳飾りを外すと、イレーネに差し出した。


「月の石と呼ばれる守り石です。この石の魔力を目印に転移魔法の陣を組み立てるので、持って行ってください。これは、持ち主の身に危険が迫ると自動で壊れて魔力が吹き出し、結界を張る守り石です。一度発動すると魔力も霧散してしまいますので、なるべく手傷を負わないように気を付けてください」


「そうかい。なら、私が持っているのが最良だ」


 光を美しく反射させるように切り出された月の石は、宝石としても一級品だ。

 並みの冒険者ならば破損を恐れて受け取らないか、壊れても責を負わないとの口約束を求めるものだが、イレーネはそのどちらでもなかった。

 独特の笑みでにやりと笑うと、自身の耳飾りと付け替える。


「壊しても責は問いませんのでご安心を」


「誰にものを言っている。免責など要らん。それくらいのお遊び要素があった方が、ちょうどいい」


 薄闇の中で、イレーネの耳飾られた月の石がきらりと光る。

 白金で精緻な細工が施されたそれは、豪胆な笑みを浮かべる彼女に良く似合っていた。


「そうですか。では、それは差し上げましょう。今後も、目印があった方が何かと便利でしょうし」


「ふむ。首輪をつけられるのは好まないが……まあいい。常に持ち歩く必要もないしな」


「仕事や有事の時以外は、捜索の陣など使いません。ですから、安心してくださいな」


 イレーネとルクレツィアの会話が終わると見るやジャンが二人を交互に見比べる。


「イレーネさまとおそろいの耳飾り……それはいったいどちらで購入できるんですか?」


 ごくりとつばを飲み込み、やや興奮気味に尋ねてくるジャンをイレーネが文字通り一蹴する。


「気色悪い」


 端的かつ心を抉る言葉に、ジャンは打ちひしがれて地面に倒れ伏した。


「まあ、ジャンが気持ち悪いのはいつもの事じゃねェか。んなことしてねえで、晴れてるうちにさっさと行こうぜ」


 背丈よりも大きな大斧を担いだエルモがさっさと村の外へ歩いていくのに従って、イレーネと村人たちも行ってしまう。

 地面に転がっていたジャンもイレーネの足音が遠ざかっていくにつれて、小さく震えだす。

 我慢の限界が来たのか、ついには引き絞られた矢のような勢いでイレーネの名を叫びながら、走り去った。

 ああまであからさまに感情を表現できるジャンへの、感嘆とも呆れともつかない吐息が少女の口から零れ落ちる。


「ジャンさんって、本当にイレーネさんの事が大好きですのね」


 吐息と共に言葉にのせてから、あの変態じみた奇妙な行動を「大好き」の一言で済ませていいものか、ルクレツィアはしばし悩んだ。

 しかし、遠くから控えめに掛けられた声に気を引かれ、そんなどうしようもない疑問は頭の片隅から消え去った。

 村長宅の家の横には大きな木が生えている。

 今は白く凍っており、木と言うよりは氷で作り出した美術品のように見えた。

 白く凍った大木の背後からこちらを伺っている少年。

 ――年の頃は十歳前後だろう。ルクレツィアよりも少し年下に思える。

 同じくらいの年齢の少年との初めての出会い。

 意識をしたと同時に、ルクレツィアは硬直した。


「あの。えっと……」


 大木の背後からそろそろと出てきながら、視線を彷徨わせる少年の頬は真っ赤で、言葉を紡ごうにも上手く出てこない風であった。


「な、な、なにかしら!?」


 つられてルクレツィアも緊張し、言葉を噛む。声も不安定で、裏返ってしまう。

 淑女にあるまじき失態に、彼女の全身に血が巡った。年上の自分が気の利いた言葉をかけねば、とは思うものの、焦るばかりで思考がまとまらない。

 村長宅の目の前で見つめあったまま立ち尽くす二人の子供。

 村の男たちと冒険者たちを見送った老婦人は、そんな二人に呆れたように声をかけた。


「おやおや、二人して何をやっているんだい。……リナルド! 突っ立ってないで、お嬢ちゃんに村の中を案内しておやり」


 老婦人にぴしゃりと言いつけられて、リナルドはぴんと背筋を伸ばした。

 普段から悪さをしていて、怒られている様子がうかがえるような反応の速さであった。


「あ。でも、母さんが……」


 はっとしたように呟いた後、しゅんと背を丸めるリナルドの背を軽く押しながら老婦人が笑う。


「ビアンカのことは、わたしらに任せて行っておいで。子供は元気に遊ぶのも仕事だよ。ああ、でも、危ないから村から出るんじゃないよ! いいね?」


 老婦人の言葉に迷うように俯くも、リナルドは意を決してルクレツィアに向き直った。


「あ、あの! ぼく、リナルド。えっと、昨日は……助けてくれてありがとう」


「い、いいえ。お役に立てたのなら何よりです」


「役に立つどころじゃないよ! 父が死んでいたのはショックだったけど、薬草を握りしめていてくれたから……」


 必死で言い募るリナルドの目が潤み、口元が小さく震える。


「――死んでも薬草を離さなかったから。そして、きみが、父を捜して連れ帰ってくれたから。だから、母は助かったんだ」


 リナルドの目じりにたまった涙が零れ落ちる。


「ぼくと、ぼくの家族を救ってくれて、ありがとう」


 一度涙が零れ始めると、せきを切ったようにとめどなく溢れた。

 泣きながら礼を言うリナルドにルクレツィアはどうして良いかわからず、ただ黙って話を聞いていた。

 涙をごしごしと袖で拭って、鼻を啜るとリナルドは少し恥ずかしそうに笑う。


「……急に泣いちゃったりして、ごめん。話すことを考えていたら、涙が出てきちゃった。ぼく、もう死んじゃうんだって思ってたから、目を覚ましてとても驚いたんだ。そして、生きてるってわかってとても嬉しかった」


 視線を落しつつそんな言い訳をするリナルドに、ルクレツィア首をかしげた。


「リナルド……あ、わたしはルーシーといいます。どうぞ、ルーシーと呼んでください」


 慌てる様に自己紹介をつけたして、ルクレツィアは言葉をつづける。


「あなたはすべて他の人の功績のように話しますけれど、一番頑張ったのはあなたではないでしょうか。あなたが遭難しなければ私は捜索に出ませんでしたし、お父上の遺体も見つからなかったでしょう」


「そうかな……? うん。ありがとう、ルーシー」


「どういたしまして。お礼の言葉はもう十分いただきました。さあ、村を案内してくださいな」


「うん、わかった! ふふ、でも、ルーシーって面白いしゃべり方するんだね。大人のマネして遊んでいるの?」


「えっ? ええと、そんなにおかしいかしら?」


「面白いからいいと思うよ。ぼくもやってみようかな。いや、やってみようカシラ?」


「マネしないでくださる!?」


「クダサル? ルーシーって絵本のお姫様の様なしゃべり方するんだね」


 けらけらと笑って、雪の上をサクサク進むリナルド。

 軽快な足さばきで雪道を進む少年を追いかけて、ルクレツィアも氷の湖に向かうのだった。


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