第十六話 温かな人々
雪山の景色が一転して、暖かな暖炉のある居間にかわる。
体勢を崩して膝をつくと、少女の体から雪塊が零れ落ちた。
室内には、薄らと食欲をそそる香りが漂っている。
そう長く外にいたわけではないのに、髪も肌も、骨の髄まで冷え切っていた。一拍おいて押し寄せてくる部屋の暖気に当てられて、全身が震える。
――まるで故人を悼むかのように、静まり返った室内。
大人たちは急に現れた雪まみれの少女の姿を見ると、まず、目を見開いて固まり、次に目じりを下げて泣き笑いのような表情を浮かべる。
ルクレツィアはじっと自分を見つめる人々を眺めていると、何か言葉をかけないといけないような気がした。
「あの……ただ今、戻りました」
彼女はなんとか震える唇を開いて、言葉をひねり出す。
イレーネは俯きがちに椅子に座っていたが、彼女が戻ると視線を上げて、口端を持ち上げた。
「良くやった。少年は無事だ。それと少年の父親の持っていた薬草のお蔭で、母親も持ち直すだろう」
あの死体は少年の父親だったのか。問おうとしたルクレツィアに大男が突進してくる。
最初に彼女を部屋まで抱えてきた男だ。
「えっ? ちょっ!?」
「良かった! 嬢ちゃんが無事で、本当に良かった! 怪我はないか?」
思わず身構えるルクレツィア。大男は構うことなく脇に両手を差し込むと、高く掲げる様にして怪我がないか確かめる。
「え、ええ。かすり傷がありましたが、もう塞がっているようなので大丈夫です」
少女の背中の一部にこびり付いた血痕。それを見つけて驚くも、傷がない事に安堵して、彼は勢いのままにルクレツィアを抱きしめた。
「こんな小せえのに、よう頑張ったなあ!! 村の子供のために命をかけてくれて、ありがとよォ」
ルクレツィアは近すぎる距離に面をくらった。しかし、男が声を震わせ、涙ぐみながら自分の無事を喜んでいることを察して、好きにさせることにする。
今日出会ったばかりの人間の無事を、どうしてここまで喜ぶことができるのか、彼女には不思議でならなかった。しかし、悪い気はしない。
むしろ取り繕うことを知らない、純粋な感情を向けられることが、こそばゆくも嬉しく思えた。
「やめんか! グイド。お嬢さんは村の恩人じゃ。野獣のような顔を近づけて怖がらせるでない!」
白く長い髪を後ろで一つに結び、髪と同じ白い髭を蓄えた老人が、杖を振って大男――グイドをぽかりと叩く。
「イテッ!? なにすんだ、オヤジ! ひっでえなァ、んな杖で殴るこたァねえだろ」
などと、ぶつぶつ言いながらも、グイドはそっとルクレツィアを床に下ろした。
「愚息がすまないね、お嬢さん。まずは村長として言わせてくだされ。本来なら、我々で解決すべき事柄に巻き込んでしまってすまなかった。村の子供のために、命がけで救出に向かってくれたこと、村民一同深く感謝しておる。お嬢さんの勇敢なる行動と救われた子供の命の尊さを、我々は決して忘れぬと誓おう」
老人は床に膝をつき、ルクレツィアの手を取って、額に近づける。
村長がとったそれは深い感謝の意を示す礼であり、謝罪し慈悲を乞う礼でもあった。
どちらの礼と捉えるかは受け手に任されている。
「感謝の意、しかと受け取りました。しかし気に病むことはありません。村の人々が止めるのも聞かずに飛び出したのは、わたしです。どのような結末を迎えようと、それはわたしの責任です。村の人たちが責を負う様な事柄ではありません」
そうだ。助けに行くのはルクレツィアが自分が決めたことだ。
慣れない土地でちょっと頑張ったのだから、感謝してくれるのは構わないが、謝罪する必要はない。
そんな気持ちを胸に、ルクレツィアは柔らかな声音で、丁寧に言葉を紡ぐ。
「ありがとう、お嬢さん」
村長は顔を上げて少し困ったような笑みを浮かべた。
「気を遣わせてしまったようで、すまないね。……さあ、温かいスープを飲んでおいで。妻もお嬢さんのことを心配していたから、元気な顔を見せてあげておくれ」
ルクレツィアは、老人に促されて食堂へ向かった。すると、食堂のテーブルに置かれた木の器から、白い湯気が立ちのぼっているのが見える。
器の中に注がれたスープには橙色の油膜が張っていた。具はほとんど見当たらなかったが、食欲をそそる香りである。
「外は寒かっただろうねえ。さあ、スープをお食べ」
目じりの皺を深くして、柔らかな笑みを向けてくる老婦人。ルクレツィアは感謝の言葉を告げて席に着いた。
木製の器はしっとりと手になじんで、彼女の手を温めてくれる。
ルクレツィアは火傷しないよう、あつあつのスープを少しだけ、舐めるように口を付けた。
すると、ちょうどよい塩梅の塩気と干し肉の旨味が広がり、食欲がわいてくる。
「……おいしい……」
干し肉と根菜の簡素なスープだったが、一口飲めば、食道から胃へじんわりと熱が広がる。
率直にいって、スープはとても美味しかった。
スープに浮かぶ油が蝋燭の炎を反射して、揺らめくさまも美しい一品である。
ふうふうと吐き出す息で少しずつ冷ましながら、ちびちびとスープを啜るルクレツィアを老婦人は優しい眼差しで見つめている。
「たくさんあるからね。火傷しないように、ゆっくりお食べ」
「はい! ありがとうございます」
「なんのなんの。礼を言うのは私らの方さ。勇敢なお嬢ちゃんに、みな、感謝しているんだよ。ただね、吹雪の中でていくのは危ないから、これっきりにしておくれよ」
「いいえ。わたしは魔術師です。転移魔術陣の使える魔術師には、吹雪なんてどうと言うことはないのです」
大きな椅子の上でふんぞり返る小柄な少女。その頭を布でふいてやりながら、老婦人はそっと息を吐く。
「お嬢ちゃんには凄い力があるのだろうけどね、戻ってきた光の中にお嬢ちゃんが居ないとわかったとき、わたしゃ心臓が止まるかと思ったんだ。今は鬼も出ている危ない時期だしねえ、心配なんだよ」
年老いた女性の懇願にルクレツィアは口を閉ざして、少し考えた。
心配してくれるのは嬉しいけれど、できない約束をするつもりはないし、何と答えてよいのか分からなかったのだ。
スープを飲む手を止めて、少女は老婦人を見上げると、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「うーん……ごめんなさい。やっぱり、約束はできません。心配していただけるのは嬉しいのですが、わたしはわたしのするべきことを致します」
「そうかい。いやいや。謝ることはないさ。小さいのに立派な志だ。謝るのはわたしの方だよ。年寄りの感傷に付き合わせてすまないねえ」
「いえ、心配してくれて嬉しいです。ありがとうございます」
ルクレツィアが長い銀髪をさらりと揺らして頭を下げると、老婦人は彼女の手を取って顔を上げるように促した。
「まあまあ、本当に良く出来た子だねえ。うちの息子があんな野獣じゃなけりゃ、嫁に欲しいくらいさ」
「嫁ッ!? いや、あの、そういうことは父に聞いてみないと……」
頬を赤らめて慌てる少女に、老婦人の瞳がきらりと光る。
「おや、お父上の了承があれば来てくれるのかい?」
「えっ。それは……難しいかもしれません。息子さんがどうのというよりも、わたしには少し問題がありまして」
「お嬢ちゃんのように幼く美しい娘が、魔術師として冒険者をしているなんて、ワケあり以外のなんでもないだろうねえ。まだ十歳くらいだろ? ちと幼すぎるし、息子の嫁は冗談さ。けどね。もし寄る辺がなくて危険な仕事を続けているんなら、うちにくるといい。住みやすい土地ではないが、村に住むものはみんなお嬢ちゃんの事を家族として歓迎するよ」
「ありがとうございます。もし、本当に行く場所がなくなったら……その時は、よろしくお願いします」
「もちろんだよ。わたしらはあまり長くはないが、村の女たちと息子のグイドによくよく言い聞かせておくからね。さ、スープが冷めるといけない。たんとお食べ」
折角心配してくれたのに、それをはねつけるようなことをしてしまった。
老婦人はさぞ気分を害したのではないかと、ルクレツィアは恐れたが、杞憂に終わったようである。
それっきり、老婦人との会話はなくなったが、嫌な沈黙ではなかった。
器が空になれば老婦人がついでやり、ルクレツィアは礼を言ってまたスープを飲む。
静かで、穏やかな時間だった。
お腹がいっぱいになるまで、スープを飲んだ後、ルクレツィアたちはそのまま村長宅の客室に泊まることとなった。
村長宅の地面からは熱い湯がわき出ており、その湯を湯殿に引いているらしい。
熱ければ外から雪塊を運び入れ、温度を調節しながら使用するそうだ。
湯殿はすべて木材でつくられており、まるで森の中にいるような清々しい香りが漂っていた。
湯はぬるりとしていて、不思議な感触だったが、とても体が温まる。
地面からわく湯に入るなど初めての経験のはず。けれどルクレツィアはどこか懐かしい気がした。
湯は最高に気持ちが良かったが、一人で風呂に入るのは初めてだったので、体や髪の洗浄などがなかなか上手くいかない。
彼女は最終的に魔術陣で水を呼び出し、操作することで何とか汚れを落とした。
汗や皮脂など余分なものをきれいに洗い流すと、疲れまで流れ去ってしまったかのように気持ちが良い。
満足のいく出来に、己の魔術の腕は着実に上がっていると確信したルクレツィアだったが、魔術師として努力の方向性を間違っているような気もした。
体が温まると今度は眠気の方がやってくる。
湯殿から上がると、少女は髪を風魔法の陣で綺麗に乾かした。
脱ぐのは意外に簡単だったが、水気を纏った気怠い体で服を着るのは時間がかかる。
何とか服を身にまとうと、ルクレツィアは宛がわれた自分の部屋に向かうべく、階段を目指した。
「おう。嬢ちゃん。ゆっくり温まったか?」
にぎやかな話し声や笑い声の響く居間から、グイドが顔を出した。
赤ら顔でとても機嫌がよさそうに見える。
「はい。不思議なお湯でしたが、とても体が温まりました」
ほんのりと顔を上気させて微笑むルクレツィアだったが、湯から上がったばかりで少し喉が渇いていた。
喉を潤す水を欲していたので、つい、グイドの持つ杯を視線で追ってしまう。
「ん? こいつか? こいつァ嬢ちゃんにはまだ早い。……嬢ちゃんはこっちにしときな」
右手に持った杯を掲げて一気にあおると、グイドは人の波をかき分けて別の杯を持ってきた。
ルクレツィアが杯を受け取ると中には琥珀色の液体が揺れていた。揺れるたび、甘い芳香が彼女の鼻をくすぐる。
ちろりと舐めるととても甘い、糖蜜のような味がした。甘いのに後味はすっきりと爽やかで飲みやすい。
ルクレツィアが求めたのは水か茶だったが、これはこれで悪くなかった。
「草花の蜜で造った蜜酒だ。草花の蜜は寒村では貴重でなァ。この村では祝いごとのときにふるまわれるんだ」
「……そんな貴重なものを、頂いてもよろしいんですか?」
「あ? ンなの当然だろ。何だったら、村中の蜜酒を空にしてくれたってかまわねえ。文句を言うヤツなんざ、いねえよ」
がはは、と豪快に笑うとグイドは居間への扉を勢いよく蹴り開けた。
「オイ! ゴルアァッ! 野郎どもォ! 今宵の主役のお通りだ! 杯を掲げろォッ! 小さくて勇敢な英雄殿に敬意と感謝を示せええぇぇッ!」
グイドが杯を掲げると、居間に居た村人たち全員が杯を掲げ口々に彼女の勇気を称えた。
グイドに背を押されてルクレツィアは居間の中央まで足を進ませる。中は酒臭かったが、明るく、活気に満ちていた。
周りを取り囲む人々の中には村人のほかに、見知った姿もある。
イレーネは笑みを浮かべつつ杯を傾け、ジャンはそんな彼女に見惚れていた。
エルモは、村の男達と楽しげに酒を飲み交わしているようだ。
皆が杯を掲げるのに倣って、ルクレツィアも掲げると「小さな英雄にッ!!」と雄々しい歓声が上がり、男たちはぐいっと杯を飲み干した。
ルクレツィアもそれをまねて杯をあおるが、酒の香りに咽て、一気に飲み干すことはかなわない。
あおった瞬間に目を見開き、けほけほと涙目になりながら咳をする少女。彼女の姿は妙に人々の笑いを誘い、酒宴は大いに盛り上がったのだった。




