第十五話 少年と少女
視界を白く染める吹雪。
凍った樹木に背をもたれ、遠のいていく意識の中、少年はしばし夢を見た。
……少年には、両親が居た。
魔獣や猛獣にも引けを取らない、腕っぷしが自慢の父親と、料理上手で家族を暖かく包み込む母親。
狩りに出た父親は、たまに大きな獲物を持ち帰ってきてくれた。
父親が誇らしげな笑顔で帰ってくるのが待ち遠しくて、母の料理をみんなで食す時間が大好きだった。
少年が大好きだった家族の風景は、此度の災害によって儚くなった。
失って初めてその価値がわかる、暖かくて優しい時間。
現在、母親は病に伏しており、父親は先日、雪山に向かったまま帰らない。
母の病には、インヴェルノでしか取れない希少な薬草が必要だった。
薬草を飲み続け順調に回復してきた母親、あと少しと言うところで鬼が現れたとの知らせが村に走る。
一体ならまだしも複数体の目撃証言が出ている。
災害級の異常事態に、まずは急ぎ国に報告した。返事を待つ間、狩りや採取も一時中止して人々は家にこもる事となった。
王宮からの返事は、そのまま宮殿での夜会が終わるまで耐えよ、という非情なもの。
軍の助けを待つ間に、母の治療のために備蓄していた薬草が切れてしまった。
母のため、父は命がけで山に向かった。
――そうして、帰らぬ人となった。
父の帰りを待つ間に、母の乾いた咳が湿り気を帯び、徐々に血が混じり始める。
父の生存が絶望的になると、村人たちに助けを求めたが、狩りの制限のせいで滋養のある食材も準備できなかった。
母はやせ細って行き、熱が下がらない日が幾日も続くようになった。
いよいよ母の具合が悪くなって、ベッドから身を起こすのもやっとになってきた時、少年は決意した。
父の代わりに、自分が薬草を手に入れるのだと。
村の大人たちに見とがめられないように、良く晴れた日の早朝を待って、雪が降り出す前にこっそりと村を抜け出したのだった。
朝から探したのも関わらず、目当ての薬草は見当たらない。
晴れていた空は曇り始め、雪が降り、やがては吹雪いて視界を覆い尽くす。……少年は完全に遭難していた。
少年の体は既に半分以上雪に埋まってしまっている。
何とか体を動かそうと力を入れても、感覚がなく、指先が動いているのか凍っているのかすら分からない。
夢うつつの中で、瞬きをする少年の視界に、ぼんやりと銀色の何かが映った。
白い雪の中にあっても、眩い輝きを放つ銀色。
銀光を受けて淡く澄み渡る葡萄色の瞳と、白く滑らかな肌。
幾分幼くはあるが、それはまるで女神さまのように美しかった。
レッチェアーノ王国に古くから伝わる神話。
死に際に迎えに来てくれる女神さま。
自分はまだ子供で半人前だから、子供の女神さまが迎えに来てくれたのかもしれない。
少年はそう思った。
「めがみさま……どうか、おねがい」
父と最後に交わした約束。
薬草を取りに行くと決意した父へついていくと駄々をこねた少年に父親は言った。
もしもの時はお前が母さんを護るのだ、と。
だから、ぼくはまだ死ねない。まだ、母さんに薬草を届けていないのだから。
「おかあさんを、たすけて」
上手く動かない口で、必死に言葉を紡いだ。
死の女神が迎えに来たのだ。ぼくはもう死んでしまうのだろう。
自分が死んでもいいから、母親を救ってくれとは言えない。
死にたくなんてなかった。
大きくなったら父と狩りに出て、母の待つ家に帰り、狩った獲物を三人で食べたかった。
初めての狩りで大物を仕留めて、驚かせたかったし、たくさん褒めてもらいたいと思っていた。
もう二度と両親と会えないかと思うと、目頭が熱を持ち、暖かな液体が頬を伝う。堪えるように唇を噛むと、喉の奥が引きつり、痙攣した。。
死にたくなんてない。死ぬのは恐い。
けれどせめて、大好きな母親を護るという、父との約束だけは守りたかった。
「ぼく、ちゃんといい子にするから。ちゃんと……」
――死を受け入れるから。
だから、病に苦しんでいる母だけは、どうか、助けてあげてください。
薄れゆく少年の意識の中、彼女は優しく微笑んでくれた気がした。
****
ルクレツィアは困っていた。
目の前で雪に埋もれている少年は、必死に母親を助けてほしいと訴えていたが、遭難者は一人としか聞いていない。
少年は死を覚悟しているかのような風であったが、間に合うのならばどちらも死なせるつもりはなかった。
周りを見回しても吹雪のせいで、ルクレツィアにはほとんど何も見えない。このままではあっという間に雪に埋もれてしまう。
念のため、彼女は捜索の陣を組み立て、もう一度一帯を捜索することにした。
捜索条件は少年と似た魔力だ。
どんな小さな魔力でも、拾うように設定したので、少々時間がかかるだろう。
それが終了するまでの間、ルクレツィアは風の陣を使って、雪に埋もれた少年の体を掘りだしてゆく。少年の手は、氷のように冷たかった。
自身の体温で温めようと彼女は手袋を取り、しばし両手で挟み込むが、いっこうに温まらない。
「……早くしないと、命が危ないかもしれません」
少年の死が頭によぎったとき、ルクレツィアの陣に一つだけ引っかかる個体があった。
急ぎ、転移魔法の陣を起動して、意識を失った少年と共に指定の座標に跳ぶ。しかし、そこには何も見当たらない。
目的の個体は雪に埋もれている可能性があったので、風の陣を使って掘り起こすと、雪の下に凍死した男性の遺体があった。
ガブリーニ公爵領の兵士に負けず劣らず見事な筋肉は、全身のところどころに傷を負っていた。服は破け、致命傷になったであろう大きな傷を背中におっている。
男性の手には凍った草の様なものがしっかりと握られていた。
かなりきつく握りこまれているので、無理に取ろうとすれば、氷ごと草が砕けてしまうだろう。
ルクレツィアには草の良し悪しはわからないが、きっと彼にとってはとても大事な草なのだろう。死んでも離すまいとする、執念のようなものを感じさせられる死にざまだった。
「お母さん、とは違うようですが、このまま置いてゆくのも気分が悪いですわね」
しゃがみこんでいた彼女は、背後に別の魔力の気配を感じて、さっと立ち上がった。そして、瞬時に陣を紡ぎ、少年と男の凍死体を村の居間まで転移させる。
振り向けばすぐ後ろに大きな雪の塊――否、鬼が居た。
鋭く透明な牙と爪をもつ、大型の魔物。場に存在する全てを凍らせようとするかのような、冷たい魔力を感じて、ルクレツィアの全身に鳥肌が立った。
生物が大気中の魔力をため込み、本来持たないはずの力を得て変化したものを魔獣や魔物と呼ぶ。
生物、あるいは物質がその元の形状を残さぬほどの変異を遂げ、名状しがたい異形の生き物と化したもの。それを鬼と言うのだと、ルクレツィアはホフレの授業で説明を受けていた。
これらの存在は、人が食物を食べるのと同じく、より多くの魔力を求めて人や他の生物を襲い、喰らうのだ。
小型の人喰い魔獣――単体では、主として子供や生物の屍を狙って喰らう――ならカブリーニ公爵領で何度か実戦経験を積んでいたが、これだけ大きな異形に出会うのは初めてである。
雪と氷の塊のような鬼は、たしかに獣と呼ぶのをためらうくらい、奇妙な存在に見える。
「あら。あなたが北の暴れ鬼と言うものかしら。北の生き物は毛皮を纏っていると聞きますが、あなたは違いますのね」
向かってくる鬼に話しかけながらも両の拳に陣を紡ぐと、ルクレツィアは地を蹴った。
が、足が滑って転んでしまう。
「もう! さっきから、こんなのばっかりです!」
迫りくる鋭い鬼の爪を地面を転がりながら避けると、ルクレツィアは地面に炎の陣を紡いで火柱を上げる。
鬼は一瞬怯むが、大して損傷を受けてないようであった。
転んで回避した際に、爪が背をかすったらしく、彼女の肩甲骨の辺りがぴりりと痛む。
この程度の傷ならば、魔力による自己治癒能力ですぐに塞がるとルクレツィアは判断した。
「いっそ魔力に任せて、雪を全てとかしてしまいたいくらいです。けれど、雪山で騒ぎすぎると、雪崩が起きて大変なことになるとホフレ先生がおっしゃっていましたし……」
初めての単独戦で即刻撤退するなど口惜しくはあるが、今の自分の仕事は救出であって討伐ではない。
少女は自分に言い聞かせると、転移魔術陣を起動してその場を後にした。




