第十四話 インヴェルノ
自然の恵み豊かなレッチェアーノ王国。
王国内でも特殊な地域であるのがインヴェルノと呼ばれる、年のほとんどを雪に閉ざされた極寒の大地であった。
そこに住む人々が納める税は、作物や貨幣ではない。
雪解けの時期に取れる希少な薬草と、狩りによって得た上質の毛皮を国に献上することで、税の代わりとしていた。
インヴェルノの薬草は通常のものよりも質が良く、ここでしか得られない薬草もあるので、薬術師たちには重宝されている。
また、極寒の大地を生き抜く獣の毛皮は見栄えも良く、丈夫なものが多いので王族の外套に好んで用いられていた。
「あら。わたくし、座標を読み違えてしまいましたかしら」
転移陣を起動する直前まで、鼻腔を刺激していた汗と酒、湿った木材の香り。それらは、冷たく澄んだ空気に追い出されて霧散する。
ルクレツィアは王都の冒険者ギルドから、白銀の村インヴェルノへ座標をつないだはずだった。
けれど――……。
「村なんて、どこにも見えません」
分厚い雲に覆われた、灰色の空。
陽光の暖気を求めてを見上げても、太陽は遠く感じるだろう。
どこまでも続くかのような、視界いっぱいに広がる白銀の世界――インヴェルノ。
遠くを望めば、白い氷に覆われた山々がそびえ立っていた。
はらはらと空から落ちてくる薄い氷の粒たちは地面に、体に降り注ぎ、積もってゆく。
視界の端にいくつか見える木々まで白く凍り付いており、まるで良く出来た硝子細工のようだった。
足を止めて周囲を見渡せば、静かではあるが、全くの無音というわけではない。
けれど、雪が地や体に降りて積もる、かすかな音がこの空間の静けさをいっそう際立たせているように感じられる。
むかし本で読んだ、静寂、と言う言葉はまさしくこのことを指すのだろう、と彼女は思った。
息を吸えば、鼻腔から肺腑に冷気が流れ込み、内側から凍りついてしまいそう。
急激な気温の変化に体がついてゆかず、ルクレツィアの耳がじんと痛んだ。
「いや、ここで良い。すぐそこに私たちの生まれた村がある」
空から落ちる雪を見やり「吹雪いてきそうだな」と呟くと、イレーネは雪に足を取られることなく、颯爽と歩いてゆく。
ふわふわとした柔らかい雪を踏めば、沈んで足を取られる。小柄なルクレツィアが無理に進めば、雪に埋まって動けなくなりそうだった。
人が通っているであろう道も僅かに見えるが、踏みしめられた雪が固まって氷と化していた。
柔らかい雪に埋もれてしまうよりは、と固い雪道を歩こうとしたルクレツィアは均衡を崩して妙な姿勢で硬直する。
「おうおう。魔術師ってやつァとんでもねェな! 王都からインヴェルノまでひとっ跳びなんざ、まだ信じられん」
短く刈り込んだ頭を撫でさすりながら、エルモはずんぐりした体で危なげなく、氷の床を歩いていく。
さりげなく、ルクレツィアの準備した荷物を預かるあたり、彼は見た目に反して紳士的な性分であるようである。
もしかしたら、それは彼女のためではなく、中に入っている食料や備品を無事に村まで運ぶためだったかもしれない。
どうであれ、ルクレツィアにとってありがたいことに変わりはなかった。
邪魔な荷物もなくなったところで、何とか体勢を立て直しながら、ルクレツィアはエルモを追いかける。
「転ぶぞ、気ィつけろ。しっかし、今の転移陣だったか? ずげェ便利だし、国が魔術師を重用するのもわからァな」
後ろからついてくる少女に手を貸してやりながら、エルモが言った。
エルモに礼を言いながら、ルクレツィアは氷の床の上で何とか踏ん張って、前に進む。
そんな二人の様子を見ながら、ジャンは物言いたげな視線を向けた。
「いいえ、エルモ」
珍しくまじめな表情でジャンはエルモの言葉を否定する。
「いかに魔術師と言えどですね……。そう、魔術師といえど、この距離を一度で跳ぶなど前代未聞で……」
しかし、イレーネの姿が遠くなりにつれて、そわそわと落ち着かなくなってゆく。
「あっ、待ってください! 置いて行かないでッ! イレーネさまアアァァッ!!」
結局、ジャンは話よりもイレーネを優先し、目にもとまらぬ速さで走って行ってしまった。
ルクレツィアは硬く、滑りやすい地面の上を転ばないように歩くだけでやっと。
両手でつり合いを取りながらしばらく歩いてみたものの、足を速めれば転んでしまう。
普通の地面と変わりなく行動してみせる彼らに追いつくことを諦めて、ルクレツィアは転移魔術陣を何度か使用して村までたどり着いた。
村人は皆、家に閉じこもっているらしく、村には人っ子一人見当たらない。
木の丸太を組み立てて作った家々は、おとぎ話に出てくる小人のおうちのよう。
落ち着かない様子であちらこちらを見回すルクレツィア。
村のすぐ横にある凍った湖に、彼女の好奇心は最高潮に盛り上がる。
「うわあ……凄い! こんな大きな氷の塊、見たことないですわ」
「その湖の氷は乗っても割れないくらい厚い。村の子供たちがよく滑って遊んでいたな」
白銀の世界の中に広がる大きな湖。白い雪の間からのぞく氷の塊が光を透して青緑色に輝いていた。
ほんのわずか、気まぐれに顔をみせた太陽による奇跡のように美しい光景。
雲間に消えようとする太陽を追いかける様に、ルクレツィアは陣を起動して湖の中心に転移する。
硬い氷の上に勢いよく降り立とうとして、つるりと足を滑らせて尻餅をつくことですら、彼女には新鮮で好ましく思えた。
「氷って土より、硬いのですね。岩とどちらが硬いのでしょうか……水が氷るとこんなにも硬くなるなんて、不思議……」
少女は手袋越しに両手をついて雪を掃い、厚く硬い氷の湖を覗き込んだ。
そこにはほの青く、底の見えない幻想的な世界がある。
氷の中に大きな魚影を見た気がして、ルクレツィアは慌てて飛びのいた。
あんな大きな魚に襲われたら、丸のみにされてしまう。
慌てて湖から転移した彼女は、道の脇に避けられた雪の山に突っ込んで、雪まみれになってしまった。
「つ、冷たい……!」
厚手の服と毛皮のコートを着込んだ彼女は、まるで白い鳥の雛のよう。
ふるふると全身の雪を叩き起こそうと奮闘する姿は中々に愛嬌があり、見る者の目を楽しませた。
訪れたことのない未知の世界。珍しくも美しいこの地の全てに、ルクレツィアの心は躍り、転移陣の起動速度も上がっていく。
村のあちこちに転移して、しまいには上空から村を一望。そうしてようやく満足すると、彼女はイレーネ達のところへ戻ってきた。
「お嬢ちゃんの魔術の腕が凄いのはよく分かった。だが、それは魔力の無駄遣いじゃないか?」
ルクレツィアの歩く速度を考慮せず、さっさと歩いて行ってしまったイレーネにそんな突っ込みをされ、ルクレツィアは頬を膨らませた。
「わたくしの場合、慣れぬこの土地で歩くよりも転移魔法で移動した方が速いんですもの。魔力の心配ならご心配なく。この程度、すぐに回復いたします」
「そうか。それならいい。――おい」
短くルクレツィアに頷いて、イレーネはジャンに軽い蹴りを入れる。
ジャンの体とイレーネのブーツに積もった雪がぱさりと地に落ちた。
「ありがとうございます!」
蹴られたというのに、ジャンは満面の笑みでイレーネに答える。
斬新な雪掃いですわ、とルクレツィアは妙に感心しながら二人を眺めていた。
村の中心、他の家々よりも、少しだけ高い位置に立っている建物。同じ丸太づくりであっても、一際大きく、重厚な造りの家の前に立つと、ジャンは拳で家の戸を叩いた。
「冒険者ギルドの依頼を受けた者です。村長さんはご在宅ですか?」
ややあって、分厚い木製の扉が軋む音とともに、大柄な男が現れた。
長く、伸ばしっぱなしでろくに手入れもされていないような髪を一つにくくり、顔は伸びた髭にほとんど隠されている。
村人と言うよりは、盗賊や山賊を連想させるような野性的な風貌の人物であった。
「良く来てくれた! 客人。インヴェルノは主らを歓迎しよう。しかし、今は緊急時にて、中でしばし待たれよ」
見た目に反して、朗々と歌うように告げると、男は一行に屋敷の中に入る様促した。
「緊急事態? まさか、鬼の襲撃ですか?」
「いいや、そうではないのだが……」
二人が話している間、一行は体に積もった雪を掃い、家に入る準備を整える。
準備が整うとジャンがイレーネに道を譲った。
イレーネ、ジャン、エルモの三人がするりと中に入っていくのに続いて、ルクレツィアも追いかける。
が、焦るあまり足を滑らせて、扉の横に分けられた雪塊に頭から突っ込んでしまう。
「おいおい、大丈夫か。嬢ちゃん」
雪の中でもがく彼女を救出し、そのまま小脇に抱える様にして雪を掃うと、大男は彼女を室内へ運んだ。
扉をくぐると、玄関の正面に二階へ上がる階段があり、右手が居間、左手が台所兼食堂になっているようだった。
柱も床も、大きく立派な木材が使用されており、磨きこまれた表面が艶を帯びている。
男の腕にぶらりと下がったまま、室内を観察しつつ運ばれるルクレツィア。
彼女は、丸太の様な腕に圧迫されている腹部が痛むようで、男が歩くたびに小さく呻いている。
「ルーシー?」
居間に入るなり、何をやっているんだ。とのイレーネの視線を受けてルクレツィアは恥ずかしさのあまりそっぽを向いた。
居間には、イレーネ達のほかに、村の住人と思われる人々が幾人か、テーブルを囲んでいる。
住人達は皆大柄で、どっしりとした重厚な家と家具が良く似合っていた。
「滑って雪塊に埋もれてたもんでなァ。引き上げたんだ。しかし、なんでまたこんな小さいのが?」
首をひねる大男に、イレーネも苦笑する。
「その子はルーシー。アタシの仲間だ」
「……こんな細くてちっさいお嬢ちゃんが?」
「ああ、小さくても一流の魔術師だ。見誤るなよ」
色素の薄い灰色の瞳を細め、獰猛な笑みを向けるイレーネにも動じることなく、大男は声を上げる。
「はっはっは! そうかそうか、凄いなあ。俺ァ魔術師なんて生まれて初めて見たぜ。さあ、お嬢ちゃん外は寒かっただろうから、こっちに来て火にあたりな」
ようやく床に降ろされるも、ルクレツィアは大きな掌に押し込まれるようにして、暖炉の前の椅子へ座らされた。
ぱちぱちの火の粉が爆ぜている石作りの暖炉の周りには、乾燥させた草花の飾りや動物のはく製などが飾ってある。
体の芯から冷える寒さから、皮膚を炙る様な熱気満ちる暖炉の前に座ると、全身の血が一気にめぐり、思考がぼやける様だった。
虚脱感に身を任せ、ルクレツィアは王都では目にすることがない珍しい品々をぼんやりと眺めていた。
「ほれ、嬢ちゃん。これでも飲んどきな。冷えた体が温まる」
しわくちゃの顔の老婦人に渡された木杯の中で、赤色の刺激的な香りのする液体が湯気を上げている。
ルクレツィアは匂いを嗅いで、躊躇しつつも口をつけた。
むわりと漂うアルコールときつい薬草の香りが喉の奥を突き抜けて、彼女の視界がゆがむ。
「果実酒と薬草を煮たものだよ。すこーしばかり、癖があるがね」
小さくせき込みながら涙目になる彼女に、老婦人は小さく笑ってそういった。
出されたものを残すのは不作法であるという常識の下、何とか飲み物を飲みきってルクレツィアは老婦人に器を返す。
「ごちそうさまでした。おかげさまで、体が少し、温まった気がします」
美味しかったとは口が裂けても言えないが、なるほど、飲み下した喉や液体の通った場所がじんわりと熱を帯びた気がする。
礼儀正しい少女の態度に、老婦人も眦を緩めた。
「そりゃあ、良かった。お腹は空いてないかい? 鬼が出てからと言うもの、まともに狩りに出れなくてねえ。食材もろくなものがない。それでも良ければ、ひとつこしらえてこようかね」
「あ。あの、食料でしたらいくつかお持ちしましたので、イレーネさんたちに聞いてみてください」
「おや。それは助かるねえ。ありがとう、お嬢ちゃん」
老婦人は細く、節くれだった指でルクレツィアの髪を優しくなでると、イレーネ達の元へ向かった。
ルクレツィアも気になって暖炉の後ろのテーブルを振り向くと、大人たちが何やら難しげな表情を浮かべているのがわかる。
いったい何の話をしているんだろう。
少女が問いかけようとした時、急にふきつけた強い風が窓を打った。
音の大きさに驚いて、彼女は窓の方をふり返る。しかし、この家の窓は木製なので外をのぞき見ることはできなかった。
「この吹雪だ。行方不明の子供の捜索とやらは、諦めた方がいい」
静かな室内に、イレーネの声が響く。
ルクレツィアを運んだ大男と老婆、他の面々も沈痛な表情をしていた。
むやみやたらと首を突っ込むべきではないとの師の教えは忘れていない。
けれども、早くもこの地の人々に好感を抱きつつある少女は、彼らに声をかけずにはいられなかった。
「探し物ですか?」
「村の子供の一人が、行方不明になっているらしい。捜索隊を組もうと集まったところにアタシらが到着した、というわけだ」
「なるほど。それでしたら、わたしに任せてください。魔力による人の捜索も、得意ですから」
「……できるのか?」
「ええ。人の多い王都で魔術師でもない一般人を探すのは難しいですけど、この辺り一帯に一人ぽつんといる人間を探すのは極めて簡単です」
ルクレツィアは言いながら、口から流れ出る銀の魔力で陣を編み、大気中の魔力を取り込むことで広域捜索陣を発動させた。
室内と言わず、インヴェルノ全域に、眩い銀光が走る。
光は瞬く間に過ぎ去り、村から少し離れた場所で、平均的な人間のものより小さな魔力が引っかかった。
そこから少し離れた場所にも、中くらいの魔力の反応がいくつかあり、こちらはもしかしたら討伐対象の鬼のものかもしれない、とルクレツィアは考えた。
「ここから、南西の位置に小さな魔力反応が一つ。少し離れた場所に中くらいの魔力反応が一つ。インヴェルノ全体でみると多数の鬼らしきものの反応が見られます」
少女の言葉に大人たちがざわめく。
「まさか、嬢ちゃん……行くつもりじゃあねえよな?」
「インヴェルノの雪を甘く見てはならん。これ以上犠牲者を増やすでない!」
村人たちは口々にルクレツィアを止めようとする。
彼らの気持ちは嬉しく思うも、事は急を要する
ルクレツィアは村人たちに言葉を返すより先に、イレーネと正面から視線を合わせ、宣言した。
「今ならまだ間に合うかもしれません。転移魔術陣で回収してきます」
「頼む。……外は吹雪だ。いかに魔術師と言えども、長居すれば命を奪われかねない。見つけたら、即座に戻れ」
イレーネに頷き返してルクレツィアは転移魔術の陣を即座に発動させた。
陣の発動と同時に、彼女の姿は銀光に包まれて消える。
――外は恐らく、視界を覆い尽くすほどの雪が吹雪いていることだろう。インヴェルノの人間ながら、まず、外へ出ることはない。
それが自殺行為であることを知っているからだ。
「魔術師さまってのがどれだけ凄いのか、私にはよく分からないがね。あんな小さい子を、こんな吹雪の中へ行かせてよかったのかい?」
老婦人が自分を含めたこの場の全員へ問いかけるように呟いた。
インヴェルノは生き抜くことが厳しい土地である故に、村全体が家族のように助け合って生活している。
彼らには、女子供といった、か弱き者を大事にする気質があった。
女や子供は、男と比べると筋力・体力面では劣るものが多いが、インヴェルノの男たちは決して蔑んだりはしない。
女性は次代を増やし、健やかに育むために重要であるし、子供は未来の村の力となるからである。
そんな彼らからしたら、我が子を救うためとはいえ、吹雪の中に子供を放り出すなど、あってはならないことである。
俯き、黙り込む人々にイレーネが告げる。
「――だが、子供を救えるのは彼女だけだ」
足を組んで椅子にふんぞり返る彼女は、どこまでもふてぶてしく、どっしりと構えている。
猛禽を思わせる青灰色の隻眼が、村人たちを睥睨するかのように爛々と輝く。
「戻らなければ、アタシが行く。今はあの子の行動を無駄にしないためにも、アンタらは備えておくべきだ、そう思わないかい?」
「……そうだね。お腹を空かせて帰ってくるかもしれないから、わたしゃ温かいスープでも作ってくるよ」
老婦人が台所へ消えるのを皮切りに、村人たちは厚手の毛布や気つけ用の酒、怪我していた場合の治療道具の用意など、各自準備のために動き出した。




