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第十二話 十二歳、旅立ちの日

 澄み切った青空の下、どこからか聞こえてくる小鳥のさえずりが耳をくすぐる。

 少し仕事の手を止めて、吹き抜ける風を感じながら一休みできたら、最高の気分転換となるだろう。

 穏やかな気候の領地にあっても、常にないほど気持ちの良い快晴となった日。

 その日も、ガブリーニ公爵領にある屋敷の訓練場では、魔術師の訓練が行われていた。


 ――魔術師にとって、相手の魔術陣を己の魔術陣で相殺そうさいするのは容易ではない。

 そもそも、並みの魔術師であれば、相殺しようとする発想すら思いつかないだろう。

 理由は明白。魔術陣を相殺するためには、相手の陣に込められた魔力量を正確に読み取り、瞬時に同じ陣を紡いで見せるだけの魔力と技量が必要になるからである。

 王族の前で行われる余興ならともかく、実戦で魔術陣の相殺をやってのける人間など、今ではほとんどいない。

 その数少ない魔術師の内の一人に、情け容赦なく、何度も地面に打ち付けられては、這い上がって挑みかかる少女。

 訓練当初は、子供相手に容赦のない訓練を行うホフレを恐れた兵士たちだったが――今となっては、何度死にかけても決してあきらめることなく立ち上がる少女の方に、畏敬いけいの念をいだくようになった。

 ここで引いては公爵令嬢ルクレツィア=ガブリーニの名に傷がつく――と、ホフレに向かっていくルクレツィア。

 公爵令嬢ってどこの武将だったっけ? と兵士たち間で言語認識能力が崩壊しつつあるような有様である。

 もはや彼らにとっての公爵令嬢とは、何度倒れようと不死者のごとく蘇り、不屈の精神でもって決して勝てない敵へと向かっていく、恐るべき狂戦士として認識されていた。

 打ちのめされるたびに血にまみれ、千切れた練習着を纏った華奢な少女。

 時を経るごとに、その体から放たれる魔術陣が人としての域を外れていく。

 それは見守る兵士たちの目にも明らかだった。

 ――ひとつめの月が流れ、ふたつめの月が流れ、年が移り変わってゆく。

 ようやく少女がホフレの陣を完全に相殺できたとき、領地を揺るがさんばかりの歓声が上がった。


『ウオオォォ――ッ!!』


「ついに! ついにやったな、お嬢さま!!」


「本当にやってのけるなんて、たまげだぜ!」


 ようやく、つらい訓練を乗り越え、努力が報われたのだ。

 木の枝をホフレの拳に見立てて、繰り出される突きを魔術陣で防ぐ。

 魔術訓練が休みの日にダニーロとルクレツィアが行っていた秘密の特訓。それがようやく実った。

 気づけばダニーロの瞳からは涙が溢れていた。

 常識はずれのとんでもない少女だが、彼女の意志の強さは本物だ。彼は兵士たちの誰よりもそれを知っていた。


「ふむ。思いのほか、早かったのう」


 まだ、成し遂げたことを信じられず、呆然としているルクレツィア。

 ホフレは長く伸びた顎髭をひと撫でしながら少女を見やり、瞳を細める。

 老魔術師の眼差しは、自らの子の成長を喜ぶかのように、優しかった。


「――わたくし、ついに成し遂げました……!」


 拳を握りしめて喜びに打ち震えるルクレツィアには、降り注ぐ陽光や通り抜ける風の音、ときおり聞こえる小鳥の囀りすら素敵なものに感じた。


「まず、第一段階は終了じゃ。これから、込める魔力を変動させ、それを相殺できたら、今度は陣の種類を規則性なく変えていく。陣を相殺した後に、わしに反撃までできれば上々じゃ。そのためには、体術ももっと鍛え上げていかねばなりませんのう」


「わかりました!」


 終わったかと思われた訓練はまた始まった。

 えっ? まだやるの? とは、兵士たちの心の声に他ならない。

 兵士たちとダニーロの感動を置き去りにして、魔術師二人は視線を交わしあうと、これまで以上に過酷な訓練に身を投じるのだった。

 ルクレツィアとホフレの魔術訓練。そして、ルクレツィアとダニーロの秘密の特訓は、彼女が一二の年を迎え、社交界デビューを迎える数日前まで続くこととなる。

 日々の訓練に打ち込んでいるうちに、あっという間に月日が流れ、七歳だった彼女は十二歳になった。


 ――社交界デビューと冒険者ギルドへの登録のため、ルクレツィアが王都へ旅立つ日。

 彼女は傍らに立つソフィアを見上げた。

 五年前はすらりとした背丈の清楚な美少女だった彼女。

 ソフィアは今や、主の盾となるべく見えない所に迫力の筋肉を仕込んだ、肉体派美女へと成長を遂げていた。


「五年前とは、見違えましたわね。実に見事な筋肉です。ホフレ先生が悔しがるのが目に浮かぶようですわ」


「しかしながら、私の外見のせいで、お嬢さまの評判を損なうことがあってはなりません。服に関しては、リストスキーさまの知恵をお借りして特別に仕立てました」


「あら、そんなこと。気にする必要なくてよ。表立ってわたくしの侍女を貶めるような愚か者は、社交界におりませんもの」


 だから余計な気を使うな、と彼女なりの好意を示すルクレツィアに、ソフィアはゆるりと瞳を伏せる。

 五年前、魔術の素養が全くなかったソフィアは、それでも主の役に立ちたいと願った。

 悩める侍女の筋肉に可能性を見出して、ホフレは彼女に体を鍛えることを勧める。

 そして、五年間の鍛錬とホフレの的確な助言により、ソフィアは立派な筋肉を持つ怪力女戦士へと成長を遂げたのだった。

人食い魔物の討伐訓練の際、ルクレツィアは彼女の清楚な見た目にそぐわぬ荒々しい戦いぶりに何度も驚かされたものだ。


「ありがとうございます。お嬢さま。それでは、私は先に王都にてお待ちしております」


 逞しい筋肉を侍女服の中に隠し、楚々として優雅にお辞儀をするソフィア。

 彼女を王都に転移させるための陣を紡ぎながら、少女も頷いた。


「ええ。わたくしも、すぐに向かいます」


 ルクレツィアはそう言って、侍女や荷物を転移魔術陣で王都の入り口まで送る。

 そうして一人になると、砦の前に立ち、雲一つない空を見上げた。

 暖かな風が木の枝から零れ落ちた白い花びらと、その甘い香りを運んでくる。

 無骨で決して過ごしやすいとは言えない場所だったが、ここには五年分の思い出が詰まっていた。

 甘い花の香りを肺いっぱいに吸い込んで、感慨深く砦を見上げていると、誰かが彼女の名前を呼んだ。

 視線を空から、地上に下ろすとそこにはこの五年間を一緒に過ごした人々がずらりと並んでいる。

 ――ホフレとダニーロ、砦の使用人と兵士たちが総出で見送りに来てくれたのだ。


「お嬢さま。……出会ってから六年になりますかの。砦での五年を含め本当にお嬢さまはよう頑張りました。こと攻撃魔術陣に関しては、お嬢さまの右に並ぶものはおらぬじゃろう。しかし、油断なされるな。お嬢さまはまだまだ世間を知らぬ。慢心することなく、これからもより多くを学びなされ」


 一緒に王都へ来ないのかと、視線で問いかけるルクレツィアにホフレは言った。


「わしは砦の兵士たちにちと稽古をつけてやろうと思っての。ソフィアの筋肉が理想的に育ってゆくのを見て思いついたんじゃが、他人の筋肉が育つ手伝いをするのも良いものじゃ。しばらくこちらで過ごすが、困ったことがあればいつでも訪ねてきてくだされ。困ったことがなくとも、たまにはこの年寄りを訪ねてきてくれると嬉しいですがの」


「もちろんです! 王都から、領地なんて転移魔術陣で一瞬ですもの。呼んで下さったなら、すぐに飛んでまいりますわ。……呼ばれなくとも伺うつもりですけれど」


「うむうむ。お嬢さまはわしの唯一の教え子、魔術師で言うところの"娘"。自らの全てを注いだ愛娘のためならば、死すら厭わぬのが魔術師じゃ。妙な遠慮はしなくて良いからの。……お嬢さまはお父上とよく似て、人に頼ることを良しとしない風があるから心配なんじゃよ。ああ、今わしがお嬢さまを"魔術師の娘"と言ったのはお父上には内緒じゃぞ? あやつ、いや、あの方は怒るととても厄介なんじゃ」


 渋い表情をして、おどけるようにやれやれと首を振るホフレにルクレツィアはたまらず吹き出した。


「まあ、先生ったら! お父さまに秘密を作るのは気が引けますけれど、仕方ありませんわね。他ならぬもう一人のお父さまのお願い事ですもの」


 いつもホフレがするように悪戯っぽく笑って、片目を閉じるルクレツィアにホフレの瞳が潤む。


「わし、長生きして良かった! 朽ちゆくばかりのわしにも、まだこんな喜びが残されていたとはの。人生とは、ほんに何が起こるかわからぬものじゃて。弟子……いや、娘とは、素晴らしいものじゃのう!」


 両手を組んで瞳を輝かせながら、小躍りするホフレ。

 周りの兵士たちはドン引きしているが、ルクレツィアは慣れた様子で師を見守っていた。

 この光景もしばらく見納めかと思うと、瞬きするのすら惜しい気がしたのだ。

 周りとの温度差に気づいてようやく我を取り戻したホフレは、咳払いを一つすると穏やかな笑みを浮かべて魔術師の礼を取る。


「ルクレツィアさま、どうかお元気で。この地に貴女の名声が届くのを楽しみにしておりますぞ」


 それに応える様にルクレツィアもホフレに良く似た魔術師の礼を返した。


「――敬愛する師にして、魔術のお父さま、冒険者ルーシーの名が御許に届くのを楽しみに待っていてくださいまし」


 涙に滲んだ視線を交わして微笑あうと、ルクレツィアはまなじりを拭ってダニーロに視線を向けた。


「ダニーロ、これまで何かとありがとうございました。わたくし、これでもあなたにはとても感謝しておりますのよ」


「……しおらしげなお嬢さまって何とも妙な感じですね。がむしゃらに頑張っているお嬢さまをみていると、僕もやる気を刺激されてここまで頑張れたので、お互いさまと言うところでしょうか」


「まあ。あなたって最後まで可愛くないですわね」


「お嬢さまに言われたくありません。何だかんだで、五年も付き合ったんです。できる事なら、ギルドまで付き添ってお嬢さまの行く末を見てみたかったのですが、僕も仕事がありますしねえ。本当に残念です。でもまあ、お嬢さまがリストスキー大将軍より強くなって、運命の女神さまに戦いを挑む時が来たら、その時は及ばずながら力を貸して差し上げてもいいですよ」


 数年前のやり取りを思い出し、からかう様にそんなことを言うダニーロ。

 ルクレツィアは驚きに目を見開き、彼を見つめた。

 口調は軽くとも、込められた思いが本物であることはわかる。

 ――その言葉がルクレツィアにとって、どれほど嬉しいものであったのか。

 きっとダニーロには分からないし、伝わらないのだろう。

 引いたはずの涙が再び滲むのを感じて、少女は、湿り気を吹き飛ばすように明るく笑ってみせた。


「そうね。その時は、ぜひよろしくお願いします」


「それとですね。お嬢さまなら大丈夫かと思いますが、姉貴には気を付けてください。機嫌を損ねたら、すぐさま逃げるんですよ!」


 それぞれ別れのあいさつを交わすとダニーロの言葉に頷いて、ルクレツィアは王都へ転移するための陣を起動させる。

 陣が起動すると今まで遠巻きにしていた兵士たちが、わらわらと寄ってきた。


「お嬢さま! どうかお元気で!!」


「王宮で気に障ることがあっても堪えてくださいね!」


「いつもの調子で魔術ぶっ放したら危ないですからね!」


「どんなクソ野郎でも殺しちゃだめですよ!」


 もう安全、と安心しきった兵士たちが口々に、別れの挨拶に紛れきれないほどの暴言を吐き始めた。

 皆、ルクレツィアのことが心配で口にしているのだが、率直すぎて貶めているようにしか聞こえない。

 まさかの展開に、笑顔で見送られていたルクレツィアの額に青筋が浮かぶ。


「あなた方、安心するのはまだ早いのではなくて? 転移陣を起動していても、新たな魔術陣を放てますのよッ!!」


 転移魔術とは別の陣を展開させながら、ルクレツィアが吼えると兵士たちは素早く散開した。


『総員、退避イイイィィィ――ッ!!』


「全く、もう! しょうのない方たち。……それでは、皆さま、またいずれ」

 

 見送る人々にお辞儀をすると、見慣れた砦の景色が揺らぐ。

 揺らぐ景色の先で、散開したはずの兵士たちが素早く隊列を整える。

 彼らはみな、軍隊式の礼をとって彼女を見送ってくれていた。

 自然と口元が緩み、笑みを浮かべる間に離れがたい景色は霧散する。

 そうして、白と灰色の不思議な空間を抜けた後、指定した座標に到着した。

 空間の揺らぎが収まると同時に、彼女の鼻腔に満ちるのは汗と酒の香り。

 足元への違和感に下と向くと、傷だらけでおうとつが激しい石畳の隙間から、湿った茶色い地面が覗いていた。

 視線を上げることで、視界に入り込んできた石壁には、何かが飛び散ったようなシミが散らばっている。

 ――ここは、レッチェアーノの冒険者ギルド本部。

 少女が周囲に視線を巡らせると、砦の兵士たちとはまた違った雰囲気の、どこか不穏な空気を纏った大柄な男性たちと目が合う。

 彼らは、ルクレツィアという突然の闖入者を警戒しているようだ。

 平民が普段着にしているような動きやすい簡素なズボンとシャツを纏っていても、どこか気品あふれる出で立ちの少女。革ひもで束ねられた銀髪からは、薄く燐光が放たれ、浮世離れした雰囲気を(かも)し出している。

 "わけあり"であることは、一目瞭然。金にならない厄介ごとを嫌うギルドの男たちが、ルクレツィアを警戒するのも無理のない話である。

 そんなこんなで、少女にとって初の冒険者ギルドの印象は、野性味あふれた排他的な場所ということになった。

 しかし、ルクレツィアが怯むことはない。彼女は新しい世界に胸を躍らせながら、まずは一歩、足を踏み出したのだった。


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