第十一話 新米兵士 ダニーロ2
「――お話の最中ですけど、どうにも気になりますので、少しよろしいでしょうか」
その視線は、一点へと向けられる。
冷然とした彼女の横顔が見つめる先には、青々とした葉を蓄えた木々しかない。
「えっ? あの、急にどうしたんですか?」
「わたくしの護衛はあなただけですか?」
突然の豹変に、怪訝そうな顔で頷くダニーロ。
ルクレツィアは足を止めて拳を握った。
二人の足音が無くなった森は、とても静かだった。
「まさか!? お嬢さま! 僕の後ろにッ……って、え? えええぇぇ――ッ!?」
他者の気配を察知したダニーロが言うよりも早く、ルクレツィアが前に出た。
彼女が脳裏に描くのは、大地をずんと踏みしめて構え、拳を握るホフレの姿。そしてその動き。
呼気にのせて、小さな唇から流れた銀光が瞬く間に陣を描く。
少女の体から放たれる圧に、周囲の木々にとまっていた小鳥がとび立ち、風が渦を巻いた。
この間数秒。
「えいっ!」
可愛らしい掛け声とともに、陣を乗せた小さな拳が勢いよく突き出される。
瞬間――、空気の爆ぜる音と共に暴風が吹き荒れ、巻き込まれた木の葉が切り裂かれて宙を舞った。
一拍おいて、ダニーロと同じ隊服を纏った男が、大きな木の枝から転がり落ちてくる。
舞い落ちる木の葉にまみれながら落下し、全身を打ち付けた大男は微動だにせず、白目を剥いて意識を失っていた。
「うっそお……」
酷い冗談のような展開に、ダニーロは口を大きく開けて呆然とする。
「よし! 昨日の特訓のお蔭で、大分コツがわかって来ました。……あら、お仲間だったかしら」
ルクレツィアがダニーロを見上げると、彼ははっとしたように己の頬を叩き、首を横に振った。
「うちの人間じゃないです」
落ちてきた男の懐からは茶色の瓶が覗いている。
数本の小さな瓶は、二人の目の前でころころと男のわき腹を転がっていった。
そうして、瓶はそのまま地面に落下し、あっけなく割れる。
よく見れば、ひしゃげた銀の皿や折り曲げられた匙なども周りに散らばっていた。
「盗賊かしら?」
「おそらく。欲を出してお嬢さまを狙ったのではないでしょうか。……いや、そうじゃなくて。お嬢さま、このような時は後ろに下がって守られてくれないと困るのですが」
地面に頭を打ち付けて目を回している男を、腰の留ひもで縛りながら、ダニーロが言う。
ルクレツィアはそんな彼を見下ろしながら、両手を腰に当てて胸を張り、つんと顎を逸らした。
「勝算はありました。ホフレ先生からはこのような場合、先手必勝が勝利の秘訣と教わったのです」
「それでは護衛の意味がないかと」
「そうですわねえ。ならば、私が倒れた時は、よろしくお願いいたします」
「お嬢さま……護衛とは何か、ご存知でしょうか? 対象が倒れてからでは遅いんですけどッ!」
「では、次は一緒に戦うとしましょう」
「はあ!? 次なんてありませんからね!?」
「ふふふ。面白い方ですのね。わたくしたち、なかなか良い組み合わせだと思いませんこと?」
「思いませんです」
「あなたらならば、特別に、秘密の特訓を手伝わせてあげてもよろしくてよ」
「結構です。って……いや、あの、秘密の特訓ってなんなんですか」
「あら、断っておきながら興味津々のようですわね。初めから、喜んで手伝わせて頂きます、ルクレツィアさま。とおっしゃればよろしいのに」
人間、素直が一番ですわよ、と胸を反らして高慢な笑みを浮かべるルクレツィア。ダニーロは間髪入れず首を横に振った。
そして、とても残念なものを見る様に、少女を見下ろす。
「いや、全く、これっぽっちも! 興味のかけらもないのですが、お嬢さまを野放しにするのは危険な気がしてきました」
「むう。そんなに否定しなくても良いでしょうに。後、わたくしを見下した挙句、危険物扱いとはさすがに無礼が過ぎるのではなくて? いくら、わたくしとダニーロの仲でも許しがたくてよ!」
「えっ、ちょっ、どんな仲なんですか、僕ら!? 公爵閣下に殺されるので、不穏な発言はよしてください!」
「あら、無礼なダニーロでもお父さまは恐いのね。それなら、わたくしに協力してくれるでしょう?」
「それは脅しですか!? ああ、もう、なんで僕がこんな目に……! 幼く未熟な魔術師は十分に危険な存在です。お嬢さまはもっとそれを自覚なさってください!」
これまで魔術師と直接会ったことがなかったダニーロにも、昨日の訓練でその危険さが十分に理解できた。
昨日の出来事を思い出したルクレツィアは、ぶるりと背を震わせ「ええ、まあ。そうですわね」と頷く。
そして何かを思い出したようにはっとして、砦の方に向き直った。
「盗賊の事をホフレ先生にお伝えしないと! 大きな声を出しますので、耳をふさいでいてくださいまし」
言ってすぐ、両手で口元を囲むように輪を作り、陣を紡ぐ少女。
ダニーロは慌てて両耳をふさいだ。
『ホーフーレーせんせーいッ!! 盗賊、捕縛いたしましたアアァァァーーッ!!』
もはや咆哮と言ってもおかしくないほどの声。
空気がびりりと肌を震わせ、森の鳥たちが一斉に飛び去った。
『ようやったぞオオォォイ――ッ!!』
即座にやってきた咆哮返し。
ルクレツィアの何倍も威力があり、音の壁ともいえるそれに打ち付けられ、飛び立ったはずの鳥たちが地上へ落下してくる。
それをまともにくらってしまった少女は、酷い耳鳴りとめまいで地面にへたり込んだ。
ホフレなら、転移魔法陣か使いの鳥を使って返事をよこすだろう、と油断していたのだ。
「お、お嬢さま……大丈夫ですか?」
まだまだ油断はできない、と耳をふさいだままダニーロが小走りにルクレツィアのそばへよる。
ルクレツィアは仰向けに倒れ、空を見上げた紫の瞳はぐるぐると目を回していた。
「これが……大丈夫に見えて……? 護衛ならばこんな時こそ役に立って欲しかったですわあ~」
「無茶言わないで下さいよ。魔術師の咆哮からどうやって御身を守れってんです」
「それはまぁ、あれです……護衛なら、どうにかしてみせなさいな」
お茶目なホフレの返事に目を回しつつもようやくルクレツィアが立ち上がると、目の前に転移魔法陣が展開され、ホフレが現れた。
「なんと、存外に苦戦したらしいのう」
きょとんとした目を向けて、ぱちぱちと瞬きをするホフレをルクレツィアは恨めしそうに睨んだ。
「まさか、身内にやられるとは思わなかったのです。不覚でしたわ!」
「ふぉっふぉ。目を回しただけじゃったか。怪我もないようで何よりじゃ」
悪びれず、上機嫌なに笑うホフレ。その態度が腑に落ちず、ルクレツィアは唇を尖らせる。
そんな彼女を微笑ましげに見やった後、ホフレは盗賊の方を横目でみやった。
「それでじゃのう……盗賊と言うからには、ほら、なにか盗んでおらなんだかな? こう、茶色くて、小さい……高級感漂う瓶の様な……」
やや視線を泳がせながら、そわそわと問いかけるホフレを不審に思いつつも、ルクレツィアは思い当たった瓶を指さした。
「茶色の瓶でしたら、そこに。盗賊を叩き落としたときに、転がり落ちてわれてしまいましたの」
ルクレツィアが指差すとホフレは割れた瓶に飛びつくようにして地面に膝をついた。
「お、おおう……何ということじゃ。これを割ってしまうとは……! この瓶は高名な薬術師による品で、その名もムッキーズ! その名の通り、毎日のお手入れの最後に塗り続ければ、筋肉ムキムキ倍増! 肉体賦活効果のある油を塗ることで、筋肉の陰影がよりくっきりと――はッ!? げふん、げふん、いや、なんでもないのじゃ」
未練がましくも、中身が残っているものがないか確認しつつ、割れてしまった瓶をかき集め、持ってきた上着で包み込むホフレ。
瓶を包んだ上着を大事に抱え込むホフレを、ルクレツィアは何とも言えない顔で見下ろした。
「先生……まだ、筋肉への憧憬を諦めていなかったのですね」
ホフレに生ぬるい視線を向ける少女の横で、ダニーロは表情を無くした。彼の目は死んでいる。
「僕の英雄像がものすごい勢いで崩壊していく……お嬢さまと関わると碌なことがないと今、確信しました」
そうして、目の前で愉快な醜態をさらしたかつての英雄からすっと目を逸らした。
「早めに分かって良かったですわね。ホフレ先生だって人間ですもの。お茶目な部分も慣れてしまえば、とても愉快で可愛らしいところのある方ですのよ」
胸を張って得意げにそんなことを言うルクレツィアを見下ろして、ダニーロは肩をすくめた。
「訓練で、あれだけめちゃくちゃにやられておいて、可愛らしいなんていったいどういう神経しているんです? お嬢さまって怖いもの知らずというか、大物になりそうですね」
言葉に乗せられた感情を察して、ルクレツィアは拳を握った。
「馬鹿にしてますの? 喧嘩ならば買いますわよ!」
「止めてください! 軍に入ったからにはある程度覚悟はしていましたが、そんな死因はいやです」
「おかしなことを。喧嘩くらいで死ぬわけないでしょう」
「ははは、人間兵器が何をおっしゃいますやら。誰が何と言おうと僕は、売らないし、買わない!」
口元だけで笑いながら、断固として拒否するダニーロ。
ルクレツィアは思うようにいかない流れに、下唇を噛んで頬を膨らませる。
「おかしいです。仲たがいや殴り合いなど、喧嘩を乗り越えてこそ真の友を得ると、本に書いてありましたのに。これではお友達ができません!」
「そんな危険な本は今すぐ捨てやがれください! 僕という、犠牲者が、出る前にッ!!」
言い合う二人の視界の端で、ホフレは瓶の残骸を抱えたまま立ち上がる。
そうして、哀愁漂う背中を二人に向けると、転移魔術陣を紡いでこの場を去った。
落ち込んでいても、盗賊や金品の回収をしていってくれた辺りは流石である。
そのまま二人は走り込みを再開し、他愛のないやり取りは、日暮れまで続いた。
――何だかんだで、ダニーロはこれからもルクレツィアの秘密の特訓に付き合うことになるのである。
爽やかではあるが、子供にも甘くない好青年は、実は面倒見のいい苦労人なのであった。




