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第十話 新米兵士 ダニーロ

 からりと晴れた晴天。

 公爵家の敷地内の森の中、兵士たちの訓練により良く踏みしめられた固い道を少女は走っていた。

 木漏れ日に照らされる小さな体が動くのに合わせて、一つに結んだ少女の髪が、馬の尻尾のように元気よく跳ねる。

 たったったっ。

 少女が地を駆ける音に――いつからだろうか、もう一つ、足音が重なるようになった。


「護衛の方ですか?」


 木の葉のざわめく音や小鳥の歌声に混じって、子供特有の甲高い、しかし凛とした声が響く。

 先日の訓練により、魔力に敏感になっていたルクレツィアは、自分の周囲に二つの小さな魔力を感知していた。

 護衛のものかと思い、知らぬふりをしていたが、こうまで存在を主張されては無視することも難しい。


「砦常駐兵士の一人。ダニーロです!」


 問いかけておきながら、足を止めることなく走り続ける少女。


「隊長の命によりお嬢さまが走られている間、護衛をさせていただきます」


 ダニーロは彼女に並走しながら頭を下げた。

 走りながら頭を下げるとはずいぶんと器用だこと。と、横目にダニーロを見たルクレツィアの瞳が見開かれた。

 白っぽい乳白色の肌に、ひょろりと高い背丈。さらりと流れる髪は夜明けの空を思わせる柔らかい青灰色。

 先日、兵士たちの中ではいささか浮いて見えた人物、彼がダニーロだったのだ。


「あなた、兵士でしたのね」


 とてもそうは見えない、と怪訝な表情を隠そうともしないルクレツィア。

 少女の不躾な態度にも気にした風はなく、ダニーロは淡い青灰色の瞳を緩める。

 

「あはは、よく言われます! 僕って筋肉つきにくいし、日に当たっても赤くなるばかりで、なかなか焼けなくて」


 整った顔立ちと言うほどではないが、笑うと人懐こい大型犬を連想させる風貌だった。

 彼がルクレツィアの護衛につけられたのは、兵士たちの中で一番威圧感がないからである。

 何とも不名誉な理由だったが、本人は嬉々として受けた。

 他と比べて細身とはいえ、兵士である。子供の足に合わせて走るのは彼にとって何の負担でもないし、厳しい訓練と比べたらまるで天国のよう。

 鼻歌でも歌いだしそうな様子のダニーロに、ルクレツィアは一つ頷いた。


「やはり男性は筋肉に憧れを持つのですね。ホフレ先生もそのようなことをおっしゃってました」


 他の兵士たちの筋肉鎧が別格すぎるだけで、間近でみればダニーロも十分筋肉を持っているように見える。

 他の兵士たちが、頑堅な岩山だとしたら、ダニーロはしなやかな筋肉を持つ野生の動物といったところだろうか。

 しかしながら、野生動物とはいっても、肉食ではなく穏やかな草食動物と言った印象ではある。

 その草食動物はというと、彼の知らない『大将軍』の姿に驚いている様子であった。


「リストスキー大将軍が!? いや、あの方に筋肉などいまさらでは? 筋肉などなくとも、この国であの方に勝てる人間は居ないかと思われますが」


「あら。そうなのですか? わたくし、ずっと気になっていたのですけれど。大将軍ってなんなのですか。そのような役職、ありましたかしら?」


「あー……それを説明するには、魔術師と一般兵士の体質から説明しなくてはなりませんが」


「そのくらい存じております。魔術師は魔力に恵まれ、魔術の才がある。しかし、いくら鍛えても筋肉が付きにくく、身体能力に難があるのでしょう? 兵士は僅かな魔力しか持たず、魔術の才はない。けれど、鍛えれば鍛えるほど身体能力が向上すると教えて貰いました」


「うん。まぁ、その通りです。ですから、兵士を束ねる将軍と魔術師を束ねる魔将軍それぞれの軍は独立しています。しかし、過去に二人だけ、それぞれの将軍を兼任し、大将軍と呼ばれた人物がいるんですよ! 一人は、数百年前の人物だそうですが、もう一人が、ホフレ=リストスキー大将軍です! リストスキー大将軍の下には五人の強者が居てですね。一人が、拳一つで岩をも砕く超人マルコ! 二人目は異形の武器と共に立ちふさがり、鎧ごと叩き潰す鉄塊のコラード! 他の三人もすごいんですけど、この二人は別格なんです。その五人が束になっても、リストスキー大将軍にはかなわなかったそうですから、とんでもないですよね! 僕は彼らの残した英雄譚に憧れて軍に入ったんです」


 ダニーロが英雄に憧れる少年の様な熱っぽい表情で語る。

 早口で一気にまくしたてられて、ルクレツィアが口を挟む隙はなかった。

 しかし、ダニーロの口から語られるホフレの話は、彼女にとってとても興味深いものである。


「もっとも、今はそのほとんどが姿を消してしまいました」


 一転して、悲しげな表情をみせるダニーロ。


「現在表舞台に残っているのは、『学園』を管理する魔術師ティート=バドエルのみですね。他の四人に比べると目立った逸話はないですが、誠実かつ堅実な人物として知られています」


 身振り手振りを交えて饒舌に話しながら、鮮やかに表情を変えるダニーロは、彼の敬愛するホフレ=リストスキー大将軍に少しだけ似ていた。


「大将軍が凄い役職なのはわかりました。けれど、そんな凄い役職でしたら、どうしてお辞めになったのでしょうか?」


「さぁ、僕には分かりません。まさかこんなところでリストスキー大将軍に会えるなんて思っておりませんでしたし。本当に、夢のようです」


「……こんなところで悪かったですわね」


「い、いや、そういう意味ではないですけど……リストスキー大将軍が小さな女の子相手に、あんな過酷な訓練をするなんて……まだ信じられなくてですね」


「あら、あれはわたくしが望んだことですのよ」


「うーん。それなんですが、お嬢さまは一体何を目指していらっしゃるんですか? 正直に申しますと、あのような訓練を続けるなど、とても正気だとは思えません。公爵令嬢に魔術師としての訓練は不要かと思いますが」


 素直と言えば聞こえはいいが、率直すぎて無礼ともいえる言葉。

 ルクレツィアの不興を買うことを恐れず、歯に衣着せぬ物言いで問いかけてくるダニーロに、ルクレツィアもしばし思考を巡らせる。


「ええ、そうですわね。公爵令嬢には不要かと思います。でも、わたくしには必要なことです。わたくしには身分や権力によらず、自分の力だけで勝ち取りたいものがあるのです。どうしたら手に入れることができるのか分からないのですが、まずは人類最強を目指してみようかと思いまして。冒険者ギルドに登録して、実戦経験を積むのも重要なことかと考えております」


「おっしゃっていることが、よく分からないのですが……人類最強って、お嬢さまは一体何と闘うつもりなんですか」


「しいて言うなら――運命、かしら」


「はあ。運命とはまた、大きく出ましたね。リストスキー大将軍どころか、運命の女神に戦いを挑むおつもりで? まあ、まだ幼くていらっしゃるから夢を持つのは良いことですが、冒険者なんて碌なものじゃないですよ。お父上や大将軍にご相談された方がいいんじゃないですか」


「随分、知った風な口をききますのね。……お父さまとホフレ先生は了承済みです。さんざん止められましたけど、わたくしはとても頑固者ですの。他者に何と言われようと、自分でやってみるまで譲る気はありません」


 前を見据えたまま、つんとした口調で言い切るルクレツィアにダニーロは苦笑した。

 ガブリーニ家の末娘はとんだ我儘娘とは聞いていたが、これは確かに扱いづらい少女である。

 夢見がちと言えばそうだが、想像していたのとは少し違っていて、彼も戸惑っているようだった。


「姉が数年前に騎士団をやめて、冒険者になりましたので。人々の役に立つと言えは聞こえはいいですけどね。冒険者に依頼されるのは、人々の生活していく上では問題となるが、国が動くほどでもないものが主らしいですよ。まぁ、何でも屋みたいなものです。子供たちが憧れるような華々しい活躍もなく、泥にまみれ、水浴びもままならぬ日々が続くこともあると聞いています。本当に、碌な仕事じゃないんですよ」


 酒場で酒を酌み交わしたときに語られた、姉の冒険者生活を思い出しながら言葉を紡ぐダニーロ。

 その言葉に中に違和感を感じて、ルクレツィアは聞き返した。


「まってください。女性は、兵士にはなれないと聞きましたけれど?」


 だから、ルクレツィアは冒険者になることにしたのだ。


「元は傭兵だったのですが、高貴な女性の警護のために騎士団へ一時的に入隊したんですよ。緊急時の例外的処置ってやつですね。まあ、なんといいますか、姉はかなり特殊な人間なので、傭兵や騎士団より冒険者の方が性に合っているようでしたが」


 ダニーロは言いながら、目じりを下げ、遠くの姉を望むように中空をみやる。

 彼の横顔を見ながら、ルクレツィアは唇をゆるく持ち上げた。


「そう。――立派なお姉さんなのですね」


「どうしてそうなるんですか。凄いと言えば確かにそうですけど、人に紹介するのを躊躇(ためら)うような人種ですよ。あの人は」


「だってあなた、今とても誇らしげな顔をしておりましたもの」


「そうでしょうか? そんなことはないと思いますが、まあ、冒険者としては一流ですし。お嬢さまがどうしてもっていうのなら、紹介しなくもないですけど。かなり型破りだから、驚かれると思いますよ」


「ええ。そんな素敵なお姉さまでしたら、ぜひわたくしにご紹介してくださりませ」


 ダニーロが照れくさそうに、右手で後頭部を乱雑にかき混ぜる。その笑顔をルクレツィアは眩しげに見上げた。

 あんな姉でも立派と言われれば、弟としてはもちろん悪い気はしない。

 しかし、小さな女の子に言われるのは、なんだかとても妙な感じがしたダニーロだった。

 

「お嬢さまにもご兄弟がいらっしゃると聞きましたが」


「……おりますけど。三人の姉たちは既に嫁いで行ってしまいましたし。兄たちは従軍中で、まともに顔を合わせたことがありませんの」


「えっ? あー、貴族ってそんなものなんですかね。……すいません」


 気まずそうに視線を下げるダニーロに、ルクレツィアは唇を噛み、少しだけ頬を膨らませた。


「あら、どうして謝りますの? わたくしにはお父さまやホフレ先生がおりますもの! お母様はわたくしに関心がないようですし、お兄さまやお姉さまとお会いできないのは寂しいことですが、あなたに謝られるようなことでは……」


 憤然と言い返すルクレツィアだったが、口上は途中で打ち切られた。

 彼女は足を止め、前方に生い茂っている樹木のうちの一本を睨み付ける。


「――お話の最中ですけど、どうにも気になりますので、少しよろしいでしょうか」


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