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第九話 侍女ソフィア

想定外の結果に驚いております。

ありがとうございます。

お礼もかねて本日のみ、二回目の投稿です。

 ルクレツィアが目覚めたのは、日も高く上った昼時だった。

 今日もきっと兵士たちは朝の走り込みをしたはずだが、それに気づかぬほど深く眠っていたようだ。

 ふかふかのベッドに横になったまま、枕を抱き込む様に寝返りを打つと、小さな羽毛がふわりと宙を舞う。

 閉じたカーテンの隙間から漏れる日の光に眩しげに眼を細め、落ちてくる羽毛を眺めながら彼女はゆっくりとため息をついた。


「魔術師の訓練って過酷ですわ」


 夢の中でまでホフレに追いかけられていたルクレツィアは、しみじみと呟く。

 昨日のルクレツィアとホフレの取っ組み合いは、ホフレの提案により、魔術で互いの髪の毛やまつ毛を修復するまで続いた。

 修復の魔術はまだ、ルクレツィアには難しい。

 しかし、ホフレの必死の指導の下、なんとか成功した。

 途中で髪が生えすぎたり、短くしようとして散ってしまったりと紆余曲折あったが、終わりよければすべてよし! である。

 彼女がゆるりと息を吸い込んだ時、鼻腔を甘い花の香りが抜ける。

 これまでは爽やかな樹木を連想させる香りだったのに、今日はルクレツィア好みの花の香り。

 ルクレツィアは侍女の細やかな気遣いに、涙が出そうになった。

 ――ガブリーニ公爵家の侍女または侍従は、とある一族から選出される。

 敷地内の森の中に住居を構える名もなき一族は、元々ルクレツィアの母方の家に仕えていた。

 彼らについては少女もあまり多くを知らない。

 仕えていた家の最後の生き残りであった母が嫁ぐのに従って、この地に移ってきたのだと父親から聞いたくらいだ。

 主となる者と年の頃が近く、特別優秀なものが一人、彼ら一族の中から侍女まはた侍従として選ばれる。

 選ばれたものは主となったものの身の回りの世話をし、最後まで供をするのだと、ルクレツィアは初めて自分の侍女に会ったときに説明を受けた。

 侍従または侍女に選ばれなかったものは、伴侶を迎えて子供をなし、次代の育成に励むのだという。

 ルクレツィアも自分専属の侍女を与えられると聞いた時は嬉しかった。

 遊び相手ができるかも知れないと内心とても楽しみにしていたことを覚えている。

 しかし、侍女はルクレツィアを目の前にしても、表情一つ変えることなく、ただ淡々と挨拶をするだけ。

 そうして、必要以上の言葉を発することはなかった。

 期待を裏切られて彼女はがっかりした。

 父や母、兄、姉達の侍従や侍女も似たような感じではあるが、控えめに笑みを浮かべたりと多少の変化は見て取れる。

 ずっと自分の侍女は主への関心がない、あるいは、主への不満を抱いていると思っていた。

 けれど、枕に滲む優しい香りは、ルクレツィアに小さな希望を抱かせる。

 そうだ。……侍女との関係をあきらめるのはまだ早い。

 ルクレツィアが寝台の上に立ち上がって気合を入れていると、控えめなノック音がして侍女が顔をのぞかせた。


「お嬢さま? ……起きておられましたか。今日はリストスキーさまより、訓練は休みと聞いております。食事はいかがされますか?」


「茶と軽いものをちょうだい」


「かしこまりました。お茶と軽食の準備は整っておりますので、こちらに運びます」


 侍女はいつものように、感情を悟らせない涼やかな態度で準備を始める。

 朝食の準備を行う侍女の姿に、ほっとしたような、しかしやはり納得がいかないような気分になってルクレツィアは声をかけた。


「ねえ、あなた。昨日の事、聞いているんでしょう?」


 憐れみや慰みなどを求めていたとは言わないけれど、無関心ともいえる態度は腑に落ちない。

 暗に何か言うことはないの? と尋ねるルクレツィアに、侍女は準備を終えて向き直る。


「主の決めたことに従うのが、わたくしの仕事にございます。差し出がましくも、愚見を申し上げることなどございましょうか」


 うす赤い唇は引き結ばれており、涼しげな黒い瞳からはやはり感情を読み取ることができない。

 すらりとした肢体とさらりと流れる黒髪も相まって、良く出来た人形のようにも見える侍女。

 その真意を探るべくルクレツィアはじっと侍女を見つめるが、表情を読むことはできなかった。

 やがて諦めて寝台から降りると、鏡台の前の椅子に腰かけ、彼女は窓の外を見る様にそっぽを向いた。


「ふーん。そう……そうなの。ならいいわ」


 つんととがった唇とこもった声が、不満であると訴えていた。

 ルクレツィアのあからさまな態度も気にした風ではなく、侍女は少女の髪を軽く梳いてゆく。

 そうして髪を綺麗に結い上げると、温水を絞った柔らかい布を少女の目元や頬に優しくあてた。


「湯浴みは外を軽く走ってからになさいますか」


「そうねえ……おまえ、本当にわたくしに言うことはないの?」


「そこまでおっしゃるのでしたら……申し上げてもよろしいでしょうか」


「許す! 許すわ! さあ、おっしゃい!」


 ルクレツィアの勢いにのまれることなく、侍女はふき布を元の籠に戻す。

 後片付けをきっちり済ませてから、彼女は椅子に腰かけた小さな主と視線を合わせるために、床に膝をついた。


「わたくしめには魔術などようとわかりません。お嬢さまの痛みや苦しみも分かち合えぬこの身が、踏み込むべき領分でない事も存じているつもりです」


 濡れ羽色の長い睫毛を下ろして一度視線を伏せた侍女だったが、数瞬の後、迷いを断ち切る様にすっと瞼を持ち上げた。

 いつもと変わらぬ表情であるはずなのに、真っ直ぐに向けられる視線がルクレツィアの背筋を震わせる。


「しかし――お嬢さまなら、耐えられます。超えられます。そう、信じております。生き急ぐような過酷な訓練の果てにお嬢さまが何を望むのか、わたくしのような者に推し量ることなどできませんが……お嬢さまがどのような道を選ぼうとも、わたくしはお嬢さまを信じ、最後まで付き従う所存でございます」


 淡々と、言い切って頭を垂れる侍女のつむじを見下ろして、ルクレツィアは動きをピタリと止めた。

 侍女は、自らの口で、最後まで道を共にするといったのだ。

 生まれてから家族よりも長い時を一緒に過ごしてきた侍女だったが、これまでの態度からルクレツィアには何の興味関心もないと思っていた。

 それだけに、その口から『最後まで道を共にする』という、主従の誓いを告げた時の衝撃は筆舌しがたいものであった。

 今まで父親とホフレにさえ認められれば良いのだと、自分に言い聞かせていた彼女への思わぬ告白。

 侍女は恐らく、とうの昔に覚悟を決めていた。

 自分の事ばかりを考えて、従うものをないがしろにし、不満ばかりをまき散らすなど。主たるものの覚悟ができていないのは、自分の方ではないか。

 首、頬、耳と順に血液が上り、しまいには全身を真っ赤に染め上げるルクレツィア。

 認められていたという喜びと同時に、向けられてた信に応えるどころか、甘ったれた態度をとっていた自分への恥が一気に押し寄せてくる。

 昨日からから始まった厳しくて、過酷な訓練。

 始まったばかりで、一瞬でも逃げの考えがよぎり、甘えてしまったなどと言えよう筈がない。

 羞恥と誇りを刺激され、ルクレツィアは小さな両手で顔を隠すようにして、朝食の席に着いた。



「え、ええ! そうね! わたくしはルクレツィア=ガブリーニですもの。絶対に、やり遂げてみせます。……痛みがなんだというのです! どんなに痛くても、過ぎてしまえばどうという事はありません! 眉や逆さまつ毛の毛抜きと一緒です!」


 自らを鼓舞するように呟きながら、食事をとるルクレツィアを侍女は変わらず静かな瞳で見守る。


「お嬢さま。先日のリストスキーさまとの一件でまつ毛が修復されたと聞きましたが」


「え? あ、はい」


 不穏な空気を察したルクレツィアが言葉少なに答えた。

 俯き加減に目元を隠そうと、悪あがきをする少女の態度も意に介さず、侍女は鏡台に毛抜き用の道具を並べていく。


「眼球に刺さるような小さな逆さまつ毛あれば抜きますので、食事が終わったらお時間を頂けますでしょうか」


「……はい」


 先ほどの勢いはどこへやら、答えた彼女の瞳は世の無常を嘆くかのように遠くを見つめていた。

 痛みにはなれたと思ったルクレツィアだったが、やはり、痛いものは痛かった。

 数本のまつ毛を抜いた後、もう一度温水を絞ったタオルで顔を押し付ける様にしてぬぐう。

 どうにか見れる顔にして、服を着替えて身支度を整えると、彼女は砦の外へ向かった。


「ちょっと走ってきます。――ソフィア、おまえは中で待ってなさい」


 緊張に拳を握りしめながら、ルクレツィアは初めて、侍女の名前を呼んだ。


「かしこまりました。いってらっしゃいませ、お嬢さま」


「……ソフィア?」


「なんでしょうか?」


「そこはわたくしの名前を呼ぶところでしょう!?」


「えっ? お嬢さまのお名前を、ですか。それは……わたくしの身にあまることにございます。どうかご容赦を」


「はっ? この、わたくしが、許す、と言っているのですよ」


 良いから、黙って名前を呼びなさい! と不機嫌な表情を隠すことなく、言いつけるルクレツィアにソフィアはぎこちなく頷く。


「か、かしこまりました。では、……いってらっしゃいませ、ルクレツィアさま」


「よろしい!」


 ルクレツィアは満足げに一つ頷くと、颯爽と踵を返してソフィアに背を向けた。

 しかし、何かがおかしい。

 ようやく主従として認め合い、名を呼んでもらえたのに、思っていたものと違う。

 呼ばれたというよりも呼ばせたと言うような……。

 ルクレツィアは満足はしたものの、どうにも納得がいかなかった。

 涙の名残で瞳を潤ませてながらも、ぴんと背筋を伸ばして屋敷から出る少女。

 その背中を侍女はいつも通り、深々と頭を下げて見送った。


「……せっかく、少し分かったような気がしましたのに、道のりは遠いようですわ」


 屋敷の玄関が遠ざかってから取り繕う必要が無くなると、ルクレツィアの口からぽつりと漏れ出た言葉。

 やっと互いの胸の内が知れたと思ったのに、普段と全く態度が変わらないとは。

 もしかしたら、これが彼女なりの忠誠の示しかたなのかもしれないけれど……。

 ルクレツィアにはやはり、侍女の考えていることが理解できなかった。

 これまで通り、つれない侍女の態度に歯噛みしつつも、きっと侍女なりの考えがあるのだろうと思い直す。

 雑念を振り切るように、彼女はいつもより少し早いペースで森に向かって駆けだした。


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