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齋藤一明 小噺集

密売人物語

作者: 齋藤 一明

 密売人物語


 夜の都心。人通りがまばらになった中心部の公園。

 北行き道路と南行き道路に挟まれた広大な緑地帯を、公園として整備されている。高層ビルが林立する都心部に緑をふやす苦肉の策で、昼は買い物客や学生が、夜になれば仕事帰りの会社員が、ひと時の憩いを楽しむ場となっている。


 夜が更けるにつれ、親密なカップルが好んで暗がりのベンチで語らい、制服姿の学生も臆することなく暗がりに消えてゆく。

 そして、あちこちに散らばった男たちも闇に隠れるように立っていた。

 ある者は木立の根元に隠した何かを取り出す仕草が背景の明かりで映し出され、またある者は、さかんに通り過ぎる車に不審な合図を送っている。

 車が一台、道端で立てた二本指を口にもってゆく仕草を繰り返す男の横に停まった。

 道端の男が駆け寄ると、窓ごしに何かをやりとりしている。停車してものの十秒ほどで発車するので、そこで何がおこなわれているのか誰にもわからい。


 通りを隔てたビルの二階。ぶあついカーテンを引いた室内の電灯は消されている。カーテンの先に設置したモニターの明かりがやけに眩しかった。


「いつもの太夫は来てるか?」


 粘り気のある言い方、そして声である。


「今日は客が多いですね。だんだん大胆になっています」


 応えたのは比較的若い声。緊張がたかまっているのか誰もいないのに囁くように抑えた声である。


「制止班は配置についたか? 確認してくれ」


 声とともにセロハン紙を捻る音が妙に大きく聞こえる。若い声が無線のやり取りをする間に、セロハン紙を手の中で丸める音がした。


「間もなく配置完了だそうです。緊張しますね、課長。飴でも舐めないとたまらんですよ」


 若い声は、セロハン紙の音を聞きつけて暗に飴をねだっている。


「いいか、二十二時四十五分開始。客がついたら客と太夫を確保。そう連絡してくれ。他の班も一斉確保を指示してくれ。絶対に逃がすじゃないぞ」

 この二人、いったい何者であろうか。そして太夫とは何を表す隠語だろうか。とにかく静かに待つしかないだろう。


 一台の車が荒っぽいブレーキ操作で道端の男の真横に停まった。すかさず男が運転席に駆け寄ると窓越しに手が伸びる。

 五百円玉を受け取った男は隠し持っていた小さな包みを運転手に握らせた。

 それで発車するかと思いきや、さらに三百円が差し出された。

 男はニヤッと笑うと小さなビニールを握らせた。

 その時である。通行人を装っていた何人かが不意に飛び掛ってきた。


「動くな! 警察だ!」


 不意を衝かれた運転手は、何もできぬ間にエンジンキーを抜き取られてしまった。道端の男は猛ダッシュで逃げ回っている。

 しかし何人もが付近を固めているのでにげきることができず、もみ合いになった隙に持っていた物を植木の陰に投げ込んでいた。


「おとなしくしろ! 警察だ!」


「……」


「今捨てた物は何だ?」


「……」


「これは何だ? 言ってみろ!」


 警察官は男が捨てたものをつきつけた。


「こっちのもそうだ、お前が捨てたのをちゃんと見たんだ!」


 指し示す先には小袋に分けられた白い粉。


「これは何だ! 自分の口で言え!」


「……」


「強情な奴だな。まあいい、検査すればわかるからな」


 警察官は薬物の試薬を持って来させた。


「いいか、よく見とけ。今から検査するから、この色に変色したら覚せい剤だからな」


 勝ち誇ったように袋を破り、中の粉を試薬に溶かした。


「よく見ろ、すぐに色が変わるからな」


 試薬のアンプルを振ったのに色が変わらない。


「いいか、色が変わったら覚せい剤だからな。色が……、変わる……」


 いくら振ってもなにも変わらない。


「よし、大麻の試薬でためすぞ」


「マリファナ……」

「MDMA……」


 男が所持していた白い粉は、警察が用意しているすべての試薬に反応しない。意外な成り行きに動揺を隠せない警察に、男が反撃を始めた。


「何か不審なことがあったか?」


「これは何なんだ? 何のために持っているんだ?」


「ちょっと並んでくれ、いいから一列に並んでくれ。それと、全員身分証明を見せてくれ」


 とまどいながら独りが身分章を提示したが、男は納得しない。


「わかった。警察官は一人だけで、あとは全員詐称しているのだな?」


 言いながら電話をかけ始めた。


「警察官を詐称する集団に暴行されました。今は監禁状態です。すぐ来てください」


「どこへ電話したんだ?」


「110番だ。すぐに警察が来るからな」


「俺たちは警察だって言ってるだろうが」


「身分証を提示できないってのは、偽者ってことだ。求められたら提示するのは義務なはずだろ? この偽者めが!」



 やがて十台を越えるパトカーが集まり、付近は騒然としてきた。

 身分証を提示しなかった不手際を詫びると、お返しとばかりに追求が厳しくなった。


「いいかげんに言えよ! この白い粉は何だ? この道具は何だ? 何のために持ってるんだ?」


「なぜそんなことを言う必要があるんだ。あんただって、どうしてそんな服を着てるんだ。どんな下着だ? 見せてみろ」


 女性警察官に対して男が逆襲した。


「そんなことをする必要はありません。個人の自由です」


「俺だって、何を持つのも自由じゃないのか? いちいち丁寧に説明しなきゃいかんのか?」


「だから念のために……」


「耳が悪いのか? それとも頭が悪いのか? 俺を疑うのは勝手だけど、何か違法なものを持っているのか?」


「だったら言えるだろう。それは何だ?」


「馬鹿か! 立証責任を負うのはそっちだろうが!」



 一連のやり取りを仲裁したのは、パトカーで駆けつけた警察官であった。

 男をパトカーに乗せ、穏やかに尋ねた。


「腹立ちはわかるけどねえご主人、あれっていったい何なの?」


「あれはね、ポプリなんだよ。一日中たばこの香りを嗅ぐためのね」


「粉は?」


「香りの元。詰め替え用だよ。原料はショウノウみたいなもんだ」


「なんだ、それならそうと言えばいいのに……。じゃあ私が説明してくるからここで待ってて」


「ちょっと待って。それならこれを渡してもらえないかなぁ」


 男は手帳に何やら書き付けて渡した。



「領収書をくれって言ってるけど」


 当然だというように頷いた男は、手帳に必要なことを書いてスタンプ印をポンと押し、それを千切って窓のそとに差し出した。

 遺失利益保障料、慰謝料、商品代金、合計二万九千九百円。


 かくして密売人は、この先何を売っても見咎められなくなり、警察官は自分たちの失敗を公にせずにすんだ。

 いわばWin Winの関係になったのである。

 ずらりと並んだ警察官の最敬礼に見送られ、男は雑踏にのみこまれていった。


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