プロローグ
突然だが君は『霊』の存在を信じるだろうか。
霊とは、魂が肉体から離れあの世へ行かずにこの世に留まり続ける存在。幽霊とも言う。
本来ならこの世に強い未練を残す霊が多いが、中には人の悪しき心に触れ悪霊や怨霊と化し人間を襲うもの。
悪戯に人をからかう霊。
愛する人を護りたいと一心に思う霊。
死んだにも拘らず自分の肉体を求める霊。
など、この世には一言で霊と言っても、いろいろな理由を持った霊が存在し、この世で我々人間と人知れず存在している。
そして、そんな中で人に危害を加える特定の霊などを祓う人の事を、祓魔師または悪魔祓いし―――属にエクソシストと呼ぶ。
この者たちは人にして、人ならざる者を人ならざる力でもって排除する。
排除すると言っても、昔はその殆どが神社や寺なんかに祭られている守り神などが暴れ出した時や霊が暴れているのを宥めるくらいだった。
しかし、近年は守り神以外の霊などが暴れている場合はその霊を完全にこの世から排除してしまう。そうしたことが当たり前になって来るにつれて、人々の思考も段々と変わってきた。
『霊は全て我々にとって有害でしかない。全て消し去るべきだ』
『そうよ。霊なんて全ていなくなればいいのよ』
このように、人々の考えは霊を完全に拒絶する考えに変わりつつあった。いや、もう既に変わってしまった。今や霊を全て悪霊と考える人が殆どだ。
霊が全て悪霊なんてことはないなんて言えば周りから笑われてしまう。
そうした中でエクソシストによる霊狩りが始まった。
普通の人には霊は見ることは出来ない。だがエクソシストは霊を見ることが出来る。これがエクソシストになる最低条件なのだ。霊感が高い人は殆どがエクソシストを目指す。
高いと言っても精々霊が見える程度。触れることはマズ出来ない。
そこで、エクソシストは霊に触れ、干渉するための道具を作り出した。
最初は霊力―――霊を見て、霊に干渉出来る力、または霊が人に干渉する力のこと―――を込めた呪符、一般に黄布を使っていた。
人間は霊に触れることが出来ない。
しかし、黄布を使えば人は霊に触れることが出来るのだ。
黄布とは霊力が小さい人でも、黄布を巻いた部分の霊力を一時的に高める役目をする。
これによって、霊力が小さい人でも霊に触れることが出来るのだ。
最初こそ呪符や黄布を用いていたが、近年はさまざまな武器―――タクティカルアーツと呼ばれる道具が創り出された。そして、強力なものは宝具や神具という。
その種類は多種多様。剣や杖、式神に銃といったものもある。
しかし、式神ならまだしも、タクティカルアーツを使うとなるとそれなりの実力が必要になるし、申請も必要になる。
霊力は訓練によって高めることは出来ない。だが、訓練次第では霊の声を聞き、霊と対話することも出来る。
そして極稀に幼くして霊を見て対話し、尚且つ霊に触ると言うことが出来る人が居る。その人の事をエクソシストのなかでは『霊核剥離』と呼ぶ。
霊核剥離は強大すぎる霊力を持っている。その力は人にとっても都合の良いもので、また霊にとっても都合の良いものなのだ。
霊核剥離が人の手に渡ればその力を使い、超広範囲に亘って強力な結界を張ることが出来る。そうすればその中には霊は一歩たりとも入ることは出来ない。
また、霊にとっては自らの霊力を何倍何十倍、下手をすれば何百倍にも増幅させることが出来る。下位の霊などはその力に耐えきれないが、中位以上になると実態を持ちこの世に顕現する。文字通りの妖怪となってだ。
妖怪とは悪しき心による人の姿のなれの果て。
つまり、霊核剥離の力は使い方によっては霊に『新たな命』を吹き込むことも可能なのだ。
これは生物誕生、万物創造の理に背く事だが、実際に霊核剥離と霊が長い間共にいれば、霊核剥離から流れ出る霊力が霊体に作用し、霊に肉体を授け命を吹き込む。
ところが、霊が実態を持つ方法は霊核剥離の力だけではない。
人の悪しき心を吸収し続ければ実態化することが出来る。その場合は十中八九妖怪と化している。
こうなっては倒すのにかなりの手間がかかる。
古文書によると、昔一度だけ霊の手に霊核剥離の力が渡り、上位の霊が実体化し妖怪となって暴れまわったことがある。
その時は火の七日間の再来と言われるほどの災厄が起こり続けた。
最後には一人の旅人―――後にエクソシスト達によって救世主と名付けたられた―――がその妖怪を見事に打倒したらしい。
以後、そのようなことが二度と起こらないようにとそのエクソシストのような強い者を育成するのと同時に、霊核剥離が現れれば即刻保護することが当分の目的となった。
だが、霊核剥離は何百年に一人現れるかないかという確率だ。
今まで確認された霊核剥離は二人だけ。
しかもたとえ上位のエクソシストであろうと霊核剥離を見分けるのは困難なのだ。
霊核剥離とは、文字通り人間の霊核の殻が剥離し霊力が止めどなく溢れることを言う。その霊力は通常の何十倍も濃く、人間には感じることが出来ないのだ。
そう、自分自身も気が付くことが出来ない。感じることが出来るのは霊だけだ。
しかし、子供のうちは例え霊であろうとその存在を感じ取ることはできない。そんなことができる霊が存在する確率は霊核剥離と同じだ。
もし俺が、あの時あの子と出逢っていなかったら、俺はどうなっていたのだろう。
自分が霊核剥離だと気が付かずに普通の生活を送っていたら、エクソシストに保護されていたのだろうか。それとも霊に殺されていたのだろうか。
そんなことが今でも、俺の頭の中に残っていた。あの子と出逢えたことは、俺にとって最も良かったことなのに・・・。
今から十年前の夏。
俺は彼女と出逢った。
『君、誰?』
『・・・・・・っ』
『怖がらなくてもいいよ。そうだ、まずは自己紹介をしよう。僕の名前は天ヶ咲 桜華。君の名前は?』
『・・・ユ、ユエラ』
『ユエラちゃんって言うんだ。可愛い名前だね』
『あ、ありが・・・とう』
『ユエラちゃん。一緒に遊ばない?一人に飽きてきたんだよね』
『・・・いい、の?』
『もちろん』
『うん』
これが俺と彼女―――ユエラとの出逢いだった。
プロローグを読んでいただき、ありがとうございます。これからも頑張って書いていこうと思いますので、応援よろしくお願いします。