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世界の壁が壊れるとき


 精霊族、獣人族、それぞれの里に旅立つエルゼさんとノルド君を見送った後、カナンさんとわたしは、神殿に赴いた。

 アキちゃんとおまけのわたしが姿を消してしまって、さぞ騒然としているだろうと思っていたけれど。神殿の中はおどろくくらい静まりかえっていた。

 カナンさんが神殿の中で見張りをしているらしい男性に声をかけると、しばらくして、アキちゃんを神の子だって言っていたあの金髪の少女が姿を現した。

 けど、なにか様子がおかしい。はじめて会ったときに感じた居丈高な雰囲気はなりを潜め、どこか悲観的に見えた。よく見れば顔は青ざめているし、頬はこけている。具合でも悪いのだろうか。

「……。いまさらなんの用ですか、王の犬」

「神の子にお会いしようと思っています。神官長代理である君からも、王にその旨を進言いただければと思いまして、来ました」

 カナンさんの言葉は率直だった。

 静まり返っていたはずの神殿内がわずかにざわつく。けど、金髪の少女は生気の感じられない目でカナンさんを見返した。

「戯言を……。神の子のお姿は、消えうせました。我々は、見捨てられたのです」

「神の森への扉を開きましょう。きっと、そこに神の子はいらっしゃるはずだ」

「いいえ。わたくしには分かるのです。神の子の力は消えました。世界はもう闇に呑まれて行くしかないのです……」

 ひどく気落ちした様子で、少女はつぶやいた。

 神殿内はどんよりとした空気に包まれている。わたしはカナンさんのマントを引っ張った。

「カナンさん、指輪を持っているのは王様だよ。無理に彼女を連れて行く必要はないよ」

「しかし、神殿の後押しは必要だよ。王は信心深い方だからね」

「うーん、けど、もう彼女達は神の子はいないって思ってるんでしょ?自分達を見捨てる薄情者だって思ってるんだよね」

 困ったなって思ってると、鋭い声が飛んできた。金髪の少女は燃えるような瞳でわたしを睨みつけてくる。

「そんなことはありません!あの方はきっと、きっと戻ってきてくださいます!わたくしたちをお見捨てになるはずが……!」

 そこまで言って、少女は悔しそうに唇を噛んだ。

 神の子の不在を語りながらも、本当はそう思いたくない。寄るべきしるべを失った彼女達はなんて脆いんだろう。

「うん。じゃあ確かめにいこうよ。こんなところでやきもきしてるより、ずっと早いよ」

 わたしは金髪の少女に手を差し伸べた。

 彼女は、ためらいながらもわたしの手をとった。ひんやりと冷え切った手だった。

 この脆さを、神の子も、いつくしんだのだろうか。



 そうして、神殿の後押しをとりつけたわたしとカナンさんは、金髪の少女を伴って王宮へ赴いた。

 そこからは驚くくらいとんとん拍子で事が進んで、いま、わたしの手元には人間族の王様と、獣人族、精霊族の族長の指輪が集まっている。神の子に会おうっていう提案は、予想以上に効果があったらしい。

 あとは神の森へと続く扉を開けるだけなのだけれど。

「扉ってどこにあるのかなあ」

 って言ったら、同席していた金髪の少女にあきれられた。

 少女、サリちゃんは神殿の中でも偉い立場にいるひとで、神の子に関する一切を神殿から任されているらしい。彼女は生まれながらに神の子の存在を感じ取れる力を備えていたそうだ。だから、神官の中でも重宝されて、いまの立場にいるらしい。

「神の森への扉は神殿内部にあります。そんなことも知らずに、よく神の子にお会いしようなどとたいそれたことを思いつきましたね」

 辛らつだ。

 けど、ちゃんと教えてくれたのだから悪い子ではないと思う。きっと。

 わたしたちは王宮を離れ、神殿へと向かった。

 神の森へと続く扉まで、サリちゃんが道案内をしてくれるらしい。扉は神殿の地下にあって、カナンさんもノルド君も実際に足を踏み入れたことはないそうだ。

 神殿の白亜の廊下をカナンさんとサリちゃんが先頭に立って進み、わたしとエルゼさんが並んでうしろに続く。ノルド君は静かにひとりで一番うしろを歩いていた。

 ちょっと行儀が悪いけれど、わたしはくるりと振り返って、後ろ歩きをしながらノルド君に話しかけた。

「ノルド君、元気ないね」

「そりゃ、ね。こうやって歩いてても、なんか、物足りないんだよね。おかしいよな。おまえらとは、いや、あいつとはそんなに長いこと一緒にいたわけじゃないのにさ」

 そう言ってから、ノルド君は、はっとしたように口元をおさえた。

「悪い。こんなこと言ってる場合じゃないよな。気ぃ引き締めないと」

「いいよ。アキちゃんのこと、心配してくれてるんだよね」

「ば…っか、心配なんか! ……してるか、してるよな、うん、してるしてる、どーみてもしてるよな。はぁー。やだやだ。なんだかんだいって、ぼく、あいつのこと、友達みたいに思ってたのかな」

 顔を赤らめて尻尾と耳を逆立てたと思ったら、急にがっくりと肩を落として、かと思えば、まるでどうしようもないみたいにノルド君は笑った。

 うれしかった。ふわふわとこころが浮き立つ。

「うん。ありがとう」

「なんでおまえが礼いうの。意味わかんないよ」

「いいの。言いたい気分になったんだよ」

 まるで緊張感のない会話を交わしていると、急にノルド君の背後が騒がしくなった。ぱたぱたと廊下を走る足音がたくさん聞こえてきて、前を歩いていたカナンさんやサリちゃんも何事かと振り向いた。

 わたしたちを追いかけてきたのは武装をした騎士たちで、ノルド君と似た服を着ていた。たぶん、彼らは神殿の騎士なんだろう。ずいぶんあわてた様子でわたしたちに近づいて、倒れるように膝を折った。

「ご無礼をお許しください、神官長代理殿! 実は……その、影がでました!」

「……影?」

「はい」

 いぶかしげなそぶりを見せるサリちゃんに代わって、カナンさんが騎士たちに問いかけた。

「今は昼間だ。黒い影が出ることはないはずだ」

「けれど、現実に、王都に黒い影が進入しているのです!見張り台の兵士からの報告によると、王都の外にも、大勢の影が、佇んでいると!」

「……それは本当か?」

「このような嘘をついてなんになりましょうか。いったいどうすれば……」

 そのときだった。青ざめる騎士とわたしたちの間に、ゆらりと蜃気楼のようなもやがかかり、それはやがて深い深い虚無の色に染まる。黒い影が、なんの表情もなくわたしたちの目の前に佇んでいた。

 神殿の騎士たちは青ざめながらも、果敢に剣を抜いた。

 カナンさんはサリちゃんの背中を押して、言い放った。

「走ってください、神官長代理! この場は僕が引き受けます」

 それから、わたしたちに目配せをすると、カナンさんは剣を構えた。

「君たちは君たちのなすべきことをなしてくるんだ。ノルド、リンちゃんやエルゼさんのことはまかせたよ」

「……はいっ!」

 ノルド君は威勢よく返事をして、サリちゃんのあとを追いかけた。わたしとエルゼさんもそれに続く。

 地下にむかって伸びる階段を急ぎ足で駆け下りる。等間隔にともされた魔法の青い炎がゆらゆらと足元を照らし、わたしたちの影を作る。その影が、むくりと起き上がってわたしたちに襲い掛かってくるのではないかという狂人じみた恐怖が、じわじわと広がっていく。

 昼間に出るはずがなかった黒い影。

 もしかして、これは、わかたれていた生者の国と死者の国が、急速に近づきつつあるという証拠なのかもしれない。ゆがみが、噴出してきているのだ。

 走って、走って、わたしたちは神殿の最奥にたどり着いた。

「これが、神の森へと続く扉……です」

 呼吸を整えながら、サリちゃんは扉を指差した。

 それはひと二人分くらいの高さはある大きな扉で、蔓が絡み合ったような複雑な文様が彫られていた。

 さて、この扉。どうやって開けるんだろう。指輪はみっつ揃っているけれど、とくに指輪をはめたりするような穴もなさそうだけれど。

「その指輪、よこしてください」

 サリちゃんに言われるがまま、彼女に指輪を渡す。彼女は王様の指輪を自分の指にはめて、それから、獣人族の指輪をノルド君に、精霊族の指輪をエルゼさんに渡した。

「それぞれ指輪を指にはめて、三人同時に扉に触れます。そうすると、自然と神の森に招かれる……と、言われています」

「ふーん。って、扉に触れたひとしか森にいけなかったらどうしよう」

「大丈夫でしょう。たぶん」

「たぶん!?」

「わたくしとて、実際に扉を開くのははじめてなのです。詳しいことは分かりかねます」

 それもそうか。サリちゃんの言葉には納得したけれど、わたしだけおいてけぼりになるのは非常にこまる。

「大丈夫よ。心配しないで、リンちゃん」

 そういって、エルゼさんは指輪をはめていない方の手でわたしの手を握ってくれた。

 指輪をはめた三人は、扉の前に立って、サリちゃんの合図で扉に手を触れた。すると、まるで水を吸い上げる大樹の導管のように、扉に刻まれていた蔓の文様に光が走った。

 蔓の文様すべてに光が満ちると、大きな扉が外向きに、ゆっくりと開いていく。

 わたしたちは、まぶしい光に呑みこまれ、そして、一瞬にして風景が切り替わった。

 しめっぽい土のにおい。

 緑のじゅうたん。

 光をさえぎるように生い茂る木々。

 はっぱの隙間からわずかにさす太陽のあかり。

 頬をなでる風はひんやりとしていて、澄んでいる。ことりたちのさえずりがときおり耳を打つ。穏やかな空間。

 わたしは、ここを知っている。

「……さいはての森だ」

 アキちゃんが生まれ育ち、わたしと出会った、あの森だった。

 どうして、あのとき。アキちゃんと故郷に戻ってきたときに気づかなかったのだろう。ここに、わたしはいる。いるんだ。そうだ。目の前にいるじゃないか。

 わたしは一番ちかくにあった、一番大きな木を抱きしめた。

 すると、木から二本の腕が伸びて、わたしのからだを抱きしめ返した。

「待って、リンちゃん!」

 ものすごい力で、木から引っぺがされる。ひどく取り乱した様子のエルゼさんが、わたしを背後から抱えていた。

「どうしたの、エルゼさん」

「なにを考えているの、リンちゃん」

「えっと……」

 どう答えようか悩んでいると、尻尾をぴんっと立てたノルド君と、血の気の失せた表情をしたサリちゃんが木を指差してかわるがわるに言った。

「な、なにあれ!なんで木から腕が生えてんのさ!?」

「ああ……神よ……」

 うん。たしかに、木からにんげんみたいな腕が生えてるという図はおかしいかもしれない。

「姿、ちゃんとあらわしたほうがいいと思う」

 わたしがそういうと、二本の腕はぱたぱたと奇妙な動きをしたあと、木から分離するように、ゆっくりと、ゆっくりと、ひとりの少女が姿を現した。

 ノルド君とサリちゃんが、息を呑むのが分かった。少女の顔を見て、驚いているんだろう。少女は、わたしと同じ顔をしていた。

 絹地のシンプルなワンピースを纏った少女は、けだるげに木にもたれかかる。口を開くのも億劫だとばかりに、わたしに目配せをし、それからため息をついた。

「……役目を終えた影は、戻るものよ」

「うん」

 わたしはうなずく。

「エルゼさん、離して」

「いやよ。だめ。離せないわ」

 ぱちんっと音がはじけて、わたしを抱きしめていたはずのエルゼさんの腕の力が、失われる。

 少女が、魔法でエルゼさんを軽々と吹き飛ばしたのだ。エルゼさんはよろめいて、地面に膝をつく。

「だ、大丈夫か!」

「ええ」

 ノルド君がかけよって、エルゼさんを支えた。

 サリちゃんは青ざめた表情のまま、わたしと、わたしと同じ顔をした少女を見つめている。

「彼女は……彼女達はなんなんですか」

 サリちゃんのつぶやきに、エルゼさんが答える。

「分かるでしょう。神の子よ」

「嘘です。彼女達からは、あのお方の力を感じません」

「そうかしら。あなたがなにをもって神の子の力と考えているのか私には分からないけれど。彼女が長い長い時間を、ひとりで過ごしてきたのは分かるわ」

 エルゼさんは、どこかつらそうな表情で少女を一瞥した。

 長命な精霊族であるエルゼさんには、なにか思うところがあるのかもしれない。

 でも、きっと、彼女には遠く及ばない。

 見放されて、寂しくて、嘆いて、そして諦めた。こころを閉じて、死んだように生きていたのだ。すべては、この世界を健全な姿で保つために。喜びも悲しみもない、石のような時間だったに違いない。

 それに引き換え。わたしはなんと幸福なことだろう。

 彼女の命令どおり、死者の国へアキちゃんを送り届け、死の夜から彼を守った。穏やかな夜を繰り返すうちに、死者の国のひとびとが例外に気づき、世界の均衡は崩れた。聡明なアキちゃんのお父さんは、死者の国と生者の国の境界を越えるために、アキちゃんを、いや、神の子の首飾りを王都へ届けようとしたんだろう。

 けど、神の子の首飾りが遠ざかるということは、死の夜が近づくということだ。首飾りの効力が切れ、アキちゃんのお父さんに死の夜が訪れた。そして、妻子を失った魔術師の、死の間際の狂気にわたしたちは巻き込まれた。結果、わたしたちは境界を越えた。

 はじめて黒い影をみたときは、恐怖でからだが凍りつきそうになったし、はじめてお祭りに参加したときはどきどきわくわくしてとても楽しかった。花の街では髪型を変えてもらえて嬉しかったし、獣人の集落ではいろんな獣人の姿が見れておもしろかった。沼地は怖かったけど、いい出会いがあったと思ってる。

 カナンさんはとても親切で、紳士的で、あこがれた。エルゼさんは優しくてふわふわして、うっとりした。ノルド君はつんつんしてるけど、本当はあったかい。リュネちゃんはきらきらして自信にあふれていて、火花のようだった。

 アキちゃんとの旅は、楽しかった。いろんなことがあったし、いろんなひとに出会った。なにもかもが新鮮で、わたしの心臓はいつもどきどき飛び跳ねていた。

 でも、それも、もう終わりだ。

 アキちゃんが死者の国を選んだように、わたしも、選ぶんだ。

 わたしはアキちゃんのために作られた。アキちゃんを守るために、この世界に形作られた、まがいものの命だ。

 本当なら、わたしは、アキちゃんを守るために、アキちゃんのためだけに行動しないといけないのかもしれない。

 けど。わたしは、アキちゃんも、他のみんなも、同じくらい大切だと思っている。

 そして、感情を凍らせた彼女の目は、わたしを通して、わたしと同じ景色を見ていたことを、わたしは知っている。知っているんだ。分かってしまった。ひとはいつまでも孤独には耐えられない。どれだけ平気なふりをしたって、冷え切った大地にともされたあたたかな炎を無視することはできやしない。

 わたしは、彼女の中に、炎をともそう。わたしがもらったあたたかい思い出を、感情を、彼女に受け渡すんだ。きっと、それが、わたしの本当の役目に違いない。

 彼女のこころが目覚めれば、この崩れかけた世界の均衡も、元に戻るだろう。そして、わたしも、彼女の中に還るのだ。

 私は彼女に向かって手を差し出した。

「リンちゃん、待って!」

 エルゼさんの声が聞こえた。

「私、あなたのことが好きよ。大好き。あなたが好きなの。あなたがいいの。だから」

 彼女に包まれて、エルゼさんの声が遠のいていく。

 代わりに、くぁんくぁんと耳鳴りがして、自分のからだが自分ではないなにかに混ざっていくような、奇妙な感覚にとらわれる。頭のてっぺんから、つま先まで、ぐにゃぐにゃになっていく。

『……おとうさまは……』

 彼女の声だ。

『……もう、じゅうぶんだとおっしゃっていた……』

 うん。言ってた。

 それに、あなたのことを心配していたよ。すまないって。

『わたくしは……ここにいる意味をうしなった……』

 そんなことないよ。

 わたし、感謝してるんだよ。

 あなたがいてくれたから、あんなに楽しい時間を過ごすことができたんだよ。

 きっと、これからも、ずっと楽しいよ。

 今度はわたしじゃなくて、あなた自身にそう思ってほしいんだよ。

『……わたくしは……』

 うん。

『……リンになりたい』

 え!?

『リンを通して……見る世界は、違ってみえた』

 だめだよ。わたしじゃなくって、あなたにならなくちゃ!

 そうじゃないと、意味がないよ。

『……リンにとって、意味がなくても、わたくしにはある』

 彼女が、かすかに笑ったような気配がした。

 その瞬間、ぐにゃぐにゃに溶けていたわたしのからだの感覚が元に戻っていく。と、同時に、とてつもない引力に引っ張られるように、ぐんぐん、ぐんぐん、上昇していく。

 その間、どんなに呼びかけても彼女は答えてはくれなかった。

 彼女の中にわたしがいるのか、わたしの中に彼女がいるのか。それとも、わたしはリンという名の彼女なのか。

 混乱したまま、流れに身を任せていると、上昇していく感覚が急に失われた。

 どうやら、ここが終着地点らしい。

 まわりを見回してみると、なじみ深い森の景色が広がっている。さきほどまでエルゼさんたちと一緒にいた、さいはての森によく似ている。

 さくさくと草地を踏んで道なりに進むと、黒い影が一体、佇んでいるのが見えた。

 不思議と、恐ろしいとは思わなかった。わたしは黒い影に近づき、声をかけた。

「こんにちは」

 影が振り向く。顔の部分も真っ黒なのっぺらぼうで、表情は見えないけれど、なんとなく驚いているのかなって思った。

 なにをしていたんだろうと思って、観察していると、とつぜん、泥を洗い流すように黒い影の部分が溶けていって、とても馴染み深いひとが姿を現した。凶悪な悪人面の、けど、心根はやさしいひとだ。

「……神の子か」

「リンだよ。アキちゃんがいるってことは、ここ、死者の国なの?わたし、死んじゃったのかなあ」

 まがいものの命でも、死者の国に招かれるんだ。これは大きな誤算だったかもしれない。わたしとしては、彼女の中に還って、それでおしまいのつもりだったのに。

 アキちゃんは、少し考えたそぶりを見せた後、首を横に振った。

「この場所は、死者の国でも、生者の国でもない。その間だ」

「あいだ?」

「ああ。ぶつかりあおうとしているふたつの国を隔てている壁の中みたいなもんだな。もう壊れかけているが」

「む。そっか。でも、大丈夫だよ。彼女、神の子に渇いれてきたからね!ぶつかる前にちゃんとふたつの国に戻るよ!」

 本当は、渇を入れるなんて強気なものじゃなかったのだけれど、誇張して偉ぶってみた。

 けど、アキちゃんにはばればれのようで、半眼で睨みすえられる。

「しょーもない嘘つくんじゃねーよ。それに、俺は、ふたつの国を分かれたままにしておく気はない」

 さらりと、アキちゃんは言った。

「いまの状態は、どう考えても不健全だ。黒い影に怯えることのない、死の夜に苦しめられることのない、本来の姿に戻すべきだ」

 おとうさんは、もうじゅうぶんだって言ってくれた。だから、この世界の形に関して、わたしがこだわるところはない。

 ただ、アキちゃんや、エルゼさん、ノルド君。わたしの知りうる限りのひとたちが、苦しんだり悲しんだりしなければ、それでいいと思っている。

 けど、ふたつの国をひとつにして、本来の姿に戻すということは、つまり、死者の国が消えてしまうということだ。もし、死者の国が消えてしまったら、死者達は、どこにいくのだろうか。アキちゃんは、どこかに消えてしまうのだろうか。

「……アキちゃんはどうなるの?」

 アキちゃんは草地に腰を下ろして、あぐらをかいた。

「理不尽な死に憤りをぶつけるのは、生者の役目だ。弔うことで慰められるのは、生者の心だ。死という事象そのものは万物に訪れる。ならば、死そのものは安らぎであり、穏やかなものであるべきだ。それを脅かす現状は、好ましいことじゃないのは明らかだろ」

「そんなこと、聞いてるんじゃないよ。わたしは、アキちゃんがどうなっちゃうか聞いてるんだよ」

 アキちゃんは、わたしをみない。

「死者は去るだけだろう」

「そんなことになったらノルド君だって悲しむよ!」

「……すぐ立ち直るさ、あいつは、生きてるんだから」

 おしゃべりはこれでおしまいとばかりに、アキちゃんは目を瞑り、口内でなにごとかつぶやいた。

 すると、アキちゃんのからだの中心に光がともり、その光は、じょじょに強くなっていく。彼のからだの中に消えていった、あの首飾りが輝いているのだと、わたしには分かった。

 おとうさんの、神の、奇跡の力があたりに満ちていく。

 同時に、アキちゃんという存在が、まぶしい光に反比例するように薄まっていく。

 あぐらをかいていたアキちゃんの姿が、少しずつ、浮上していく。なにかに導かれるように、上へ、上へと。

 彼の名を呼んで、わたしは手を伸ばした。

 けれど、伸ばされた手は宙をかき、彼にはけして届かない。きらきらと、光の粒子が薄まった彼のからだを包んでいる。

「そうだ、リン」

 アキちゃんは、ふと、わたしを見た。

「おまえとの旅、けっこう楽しかったぜ」

 ひどい。

 アキちゃんは、ひどい。

 どうして、最後に、そんなにやさしい言葉をかけてくれるんだろう。

 そんなことを言われたら、さようならが、つらくなるに決まっている。ひどい。本当にひどい。

「わたし、アキちゃんと一緒にいる」

「は? ばっか、できるわけねーだろ」

「できるよ。アキちゃんが、望んでくれたなら、なんだって!」

 その瞬間、アキちゃんに向かって伸ばしていた指先に、光の粒子が流れてきて、わたしのからだをまるごと包んだ。

 地面を蹴って、宙に浮かぶアキちゃんに向かって体当たりをする。嫌そうな顔をされたけれど、ちゃんと受け止めてくれたのでよしとしよう。

 アキちゃんの内側から輝く光が、世界の壁を壊していく。

 神でも、神の子でもない。世界を紐解き、真理を得たひとりの魔術師の意思によって、これから、ふたつの国が混ざり合い、新しい世界の夜明けがはじまるのだ。

 それは、とても美しい光景に違いない。

 わたしは、こころからそう思った。



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