偽りのともだち
少女たちに連れられていった先は、大きな白亜の神殿だった。荘厳で美しい神殿は、不気味なほど沈黙を守っている。
神殿の内部は薄水色っぽい不思議な色のタイルが敷き詰められていて、細く長い回廊が続いていた。
かつんかつんと、人数分の足音だけが響く。誰もなにも言わない。口を開いてはいけないような雰囲気があった。
やがて大きな扉にたどり着き、わたしたちを連行していた青年のうちのひとりが、恭しい動作で扉を押した。
重たそうな扉なのに、音もなく押し開かれる。
草原を思わせる緑のじゅうたんが敷かれたその先に、からっぽの椅子がひとつ。ちょっと拍子抜けだ。てっきり、誰かが待ち構えているのかと思っていたのに、誰もいないなんて。
「しばらく、この部屋でおくつろぎください」
少女はそういって、扉をしめて出て行った。
ほっと一息つく。ちょっとした開放感だ。
ノルド君とは神殿に入る前に別れることになった。ノルド君は抵抗してくれたけれど、少女の影響力には敵わなかったのだ。
大きな扉の割にはこじんまりとした部屋にいるのはわたしとアキちゃん、それから小さなリスの姿になったエルゼさんだけだ。
わたしたちは顔を見合わせて、小さな声で言葉を交わした。
「……なんか、とんでもない勘違いされちゃったねぇ」
「本当にな。なにがどうしてこうなった」
座る場所といえば、椅子ひとつしかないので、行儀がわるいけれど草色のじゅうたんの上に座り込む。
アキちゃんは立ったまま、じっくりと部屋の中を観察しているようだった。
といっても、本当に椅子以外はなにもない部屋で。戸棚とかテーブルとかそういった生活じみたものは一切おいてない。いったいなにをするための部屋なのかさっぱり分からないところだった。
「アキちゃん、アキちゃんは、お城にいくっていってたけど、誰に会いに行くの?」
「……国王に、おやじからの手紙を届けに行くだけだ」
なんだ。やっぱり、王様に会いにいくんだったんだ。
カナンさんとはじめてあったときに、誰に届け物をするか、とか目的を濁していたからもっとよく分からないことを任されているのかと思ってしまっていた。
「なーんだ。だったら、誤解もすぐ解けるよね。だって、王様に会って届け物をしたら、アキちゃんがアキちゃんなんだってことみんなわかってくれるよ」
「会えたら、だけどな」
珍しく、弱気なアキちゃんだ。
「いざとなったら、魔法で脱出しようよ」
「……そうだな」
とくにすることもなくて、わたしは小さなリスの姿になったエルゼさんと戯れて時間をすごした。アキちゃんは壁にもたれかかって目をつむっている。
どれくらい時間が経っただろうか。
眠気におそわれて、うとうととしていたところに、突然、扉が開かれた。
銀色の鎧を着た屈強そうな男性がふたり、部屋に入ってくる。飾り気のない剣を腰に携えていて、抜け目のない様子で周囲を警戒している。
男性に続いて、白い髭をたくわえた壮年の男性が姿を現す。簡素な服装だが、布地には繊細な刺繍が施されており、豪奢ではないが上品な装いだ。装い以上に、男性のもつ雰囲気はどこか高貴な香りがする。
彼に続くように、あの金髪の少女と、金髪の青年が入室してきた。
「あ!」
金髪の青年には見覚えがあった。ちょっと鋭い空色の瞳、さらさらの金の髪、整った顔立ちに高い背。間違いない、カナンさんだ。
わたしと目があうと、カナンさんは少し困ったように微笑んだ。
声をかけたい。けれど、なんだかかけられるような雰囲気じゃなかった。カナンさんは白い髭を蓄えた男性の後方に直立して立っていて、近づきがたい。
壁に背を預けていたアキちゃんは、じゅうたんの上でくつろいでいたわたしの隣にいつの間にか立っていた。
物怖じすることなく、アキちゃんは来訪者達に視線を向ける。
「……ふむ。この者が神の子であるとは、まことか?」
白髭の男性が顎に手を当てて、いぶかしげにそういった。
彼の言葉に答えたのはあの金髪の少女だった。
「はい。そのとおりです、国王様。わが主の姿は変幻自在。気まぐれなお方ですので、いまは俗な姿に身をやつしておいでですが、わが主に間違いありません」
いったいなんの根拠があるのか、自信満々に少女は断言した。
白い髭の男性は、周りの態度からえらいひとなんだろうなって思っていたけれど、王様だったらしい。王様ってこんな気軽にお城から出てこれるものなんだろうか。それとも、王様が出てこざるをえない事態だということなのだろうか。
「十年前、あなたさまが気まぐれに姿を消されたとき、前代の神官長は気がふれてしまったのですよ。それからは凶事が続きました。あなたさまの力が及ばぬ世界は、まことにひどい。黒い影があふれだし、ひとびとは安息を失いました。本当に、あなたさまはひどいお方です。けれど、私は信じておりましたよ。神の子、わが主。あなたさまはけして私達をお見捨てにはならないと」
けれど、そういう少女の瞳は暗い。すがるような言葉とはうらはらに、冷たい視線だ。
少女だけではない。この部屋にきたひとびとは、みんなどこか恨めしそうにアキちゃんを見つめていた。
「……残念ですが、私は神の子などという存在ではありません。さいはての森に居を構える魔術師の息子です。父から、国王様あてに手紙を預かっています」
アキちゃんは、少女から視線をはずし、腰に下げていた荷物袋から白い封筒を二通取り出した。
一通は、おじさんがアキちゃんに預けた手紙だとして、もう一通はなんだろう。
よく見てみると、片方の封筒はすでに封が破られている。立派な蝋印がしてあったみたいだけれど、それも半分に別れてしまっていた。
「国王様から父宛に送られた手紙も所持しています。私の出生に疑いをお持ちなのでしたら、さいはての森にいる父に確認してください」
「ふむ。私はさいはての魔術師などに手紙を送ったおぼえはない」
国王様の言葉に、アキちゃんはぴくりと眉をひそめた。
「しかし、私の手元にはあなたからの手紙があります。この手紙に捺された王家の印章に間違いはないはずです」
アキちゃんは封が破られているほうの手紙を国王様に差し出した。
国王様はそれを受け取らず、代わりに後方に控えていた青年が手紙を受け取り、検分する。青年はカナンさんを手招きで呼んで、二言、三言、言葉を交わしてから首を振った。
「蝋印に使用されている印章は、現王家のものではありません」
「ふむ」
「しかし、この手紙に捺されている印章と似たものを見た覚えがあります。相当昔の、王家にまつわる文献で……」
なんだか、話の雲行きがあやしくなってきた気がする。
アキちゃんへの誤解はとかれるどころか、ますます深まっている気すらする。
「あ、あの!」
おもいきって、わたしは声をあげた。
いっせいに注目されて、ひるみそうになる気持ちを、にぎりこぶしをつくって奮い立たせた。
「カナンさん、前に、わたしたちを黒い影から助けてくれたあとにいってましたよね。アキちゃんのお母さんとお父さんを保護してくれるように、騎士の仲間にいっておくって。その話、どうなったんですか? もし、保護してくれてたなら、あいたいです」
アキちゃんのお母さんとお父さんなら、きっときちんとこの誤解を解いてくれるはずだ。なんていったって、アキちゃんを育てたひとたちなんだから。アキちゃんは、神の子なんかじゃないって証明してくれるはずだ。
われながら名案だと思った。もし、まだ保護してくれていなかったとしても、アキちゃんの両親の存在を伝えたら、かれらだって少しは疑問をもってくれるはずだ。
神の子に、にんげんの両親なんているはずないんだから。
だって、神の子は、神様のこどもなんだから。
「それなんだけど……」
カナンさんは少しいいにくそうに切り出した。
「さいはての森の中には、誰もいなかったよ」
その言葉がなにを意味するのか、理解するのが少し遅れた。
カナンさんは続けてこう言った。
「長い間つかわれた様子のない民家が一軒あったっきりで、誰一人、残っていなかった。民家の裏手には小さな墓があって」
「カナンさん、わたし、アキちゃんの幼馴染です。アキちゃんのことも、アキちゃんのご両親のことも、昔からよく知ってます。わたしたち、ずっと、さいはての森で暮らしていました。本当です。カナンさんの知り合いを悪くいいたくはないけど、アキちゃんの家を見落としたんじゃないでしょうか」
アキちゃんの両親がいないわけがない。
だって、わたし、ずっとアキちゃんと一緒にいたのだ。だから、おじさんやおばさんともずっと一緒にいたってことだ。ひとが突然きえてしまうわけがない。
そこで、わたしは思い当たった。そうだ、黒い影。あれに、まさか、ふたりとも。いやいや、だって、あのおじさんとおばさんだ。簡単にやられてしまうわけがない。だって、おじさんはアキちゃんのお父さんでお師匠様だ。だから、きっと大丈夫。
だから、間違っているのはカナンさんだ。正確には、カナンさんの知り合いの騎士さんが、アキちゃんの家をつきとめられなかったに違いない。
けれど、カナンさんは頑として譲らなかった。
「残念だけれど、あの森には民家がひとつあったっきりだよ。そして、王都の古い戸籍には、さいはての森に住む魔術師の名前がちゃんと書かれていた。十年前まではね」
「十年前?」
「そう。十年前、さいはての森には魔術師の夫婦とひとり息子がたしかに暮らしていたみたいだね。けれど、いまはいない。いるわけがないんだ。十年前、魔術師の夫婦と息子の葬式が王都で執り行われてるんだから」
そんなわけがない。
そんなの嘘だ。だって、わたしはアキちゃんたちと一緒にいた。
「リンちゃん、アキ君。君達はさいはての森からきたという。けど、森には荒れ果てた民家が一軒あっただけだ。アキ君のご両親の姿はなかった。……君達は、いったいどこからきたのだろうね」
カナンさんの瞳は暗く沈んでいた。あの、少女とおなじ目だった。信じられないものを見る目だ。
唇がふるえてうまく言葉が紡げない。わたしはなんでこんなに動揺しているんだろう。
理由はわからないけれど、アキちゃんの両親が頼れないのは事実としたら、なら、わたしがアキちゃんをアキちゃんだと証明しなくちゃならないのに。わたしはかんじんなところでいつも役立たずだ。
アキちゃんは表情ひとつ動かさずに、カナンさんを見ていた。
そして、ため息。
「あなたがたがなんていおうと、私はただの魔術師ですし、神の子ではありません。父から預かった手紙を渡す相手が国王様でなかったのなら、私のミスです。申し訳ございません。これ以上この場に留まる理由はないので、失礼させていただきます」
そういいきると、アキちゃんはわたしの腕をひっぱって扉へ向かう。王様と少女の横を通り過ぎて、扉をくぐろうとしたところで、王様の後方に控えていた青年に止められてしまった。
「離して下さい」
「しかし」
アキちゃんは抵抗するけれど、わたしをひっぱるのに片腕を使っていたこともあって力では完全に青年には敵わない。
青年がアキちゃんを押さえている間に、あの金髪の少女がアキちゃんの首元に手をかけた。あっと思った瞬間には、すでに遅く、少女はアキちゃんの首に下げられていた首飾りをすくいあげていた。
「あなたさまがどんな姿になろうと、私には分かります。神の子、わが主。あなたさまの首元に輝くこの首飾りこそあなたさまがあなたさまたる証であり、逃れられない鎖でもある。そう教えられています」
首飾りの赤い宝石を間に、アキちゃんと少女の鼻先が触れ合うくらい近くなる。
少女は赤い唇をにっと弓なりにして、暗くよどんだ言葉を吐き出した。
「あなたさまがあなたさまを否定しようと、私達はそれを許しません。あなたさまがあなたさまとしての価値がある限り、私達はあなたさまを敬います。けれど」
少女はちらりと、わたしにむかって視線を投げた。アキちゃんにも分かるように、ゆっくりと。
「あなたさまの”付属品”には興味はありません。偽りを語る口には用はありません。どこで拾ってきたのか知りませぬが、かのように怪しい輩、すぐにでも始末してもかまわないのです」
アキちゃんは軽く舌打ちをすると、わたしを引っ張っていた腕を放して、青年に抵抗することをやめた。
そして、苦々しい表情で少女を睨みつけている。
「ま、待ってください。アキちゃんは、ずっとわたしと一緒にいました。だから、神の子なんかじゃないです」
「リン!……いいから」
「よくない、ぜんぜんよくないよ!だって、わたしたち、ずっと一緒だったんだよ。あの森で、ずっと!」
そうだ。ずっと一緒だった。これだけは確かだ。
だから、わたしはアキちゃんは神の子なんかじゃないって確信をもって言えるんだ。
なのに、アキちゃんはどこかうろんな目でわたしを見ていた。
たいして変わらない、同じくらいの高さの目線。この目を、わたしはずっといちばん近くで見つめていたはずだ。
わたしの確信とはうらはらに、アキちゃんは沈んだ声音でいった。
「……本当にか?」
「え」
「俺たちは、本当にずっと一緒だったんだろうか。おまえは、いつ俺の前に現れたんだろう」
アキちゃんの言葉が、わたしの心臓につきささる。横っ面をおもいきりひっぱたかれたみたいだった。
目が覚めるどころか、衝撃で失神しそうだ。呆然として、たいしてまわらない思考がよけいに動かなくなった。
アキちゃんは少女たちと一緒に、部屋を出て行く。
あとには椅子と、じゅうたんと、わたしと、エルゼさんが残された。
かちゃり、と鍵をしめるような音が聞こえた。閉じ込められたんだ。そう思っても、からだを動かす気にはなれなかった。
揺るがないと思っていたものが、相手にとっては、いとも簡単に揺らいでしまうものだった。ただそれだけのことだ。それだけのことなんだ。