転換
街道をいく馬車の旅は、拍子抜けするくらい順調に終わった。
わたしたちは王都の北門、すぐ脇にある馬置き場に馬車をおいた。1泊ごとに駐馬料を加算される方式で、ノルド君が値段に文句をいうくらいには高かった。らしい。
馬車を預かる際に、管理人らしきおじさんが言っていた。
「お祭りが近いからね。各地からいろんな行商人が集まってきている。だから、どの預かり所もいっぱいで空いてるところなんてほとんどないんだ。お嬢ちゃんたちは運がよかったよ」
たしかに、北門をくぐってしばらく歩くと、王都の道はおおぜいのひとでごったがえしていた。あまりにひとが多いので、エルゼさんは小さなリスになってわたしの懐に避難してきた。つぶさないように気をつけないと。
どこからか笛の音や太鼓の音が聞こえてくる。ひとびとのざわめきに混じって、非日常を報せるように、しゃらんしゃらんと鈴の音が響いていた。
「おまえら、これからどうするの? ぼくは騎士の修練所にむかうつもりだけど」
わたしたちの目的地は王都で、けれどその詳細をノルド君も、エルゼさんも、そしてわたしもしらない。しっているのはアキちゃんだけだ。
自然、わたしたちの視線はアキちゃんに集まる。アキちゃんは少し考えてからいった。
「王城にむかうつもりだ」
「ふーん。じゃあ、方向は一緒だな。ついでに王都を案内してやるよ」
「ノルド君は、王都にくわしいの?」
「ああ。騎士見習いのころは王都に住んでたんだ。おいしいごはんの店とか、いろいろしってる。機会があったらつれていってやるよ」
そんな風に言葉を交わしながら、大きな通りを歩いているときだった。
にわかに周囲が騒がしくなる。しゃらんしゃらんという鈴の音がいっそう近くなっていることにわたしは気がついた。
前方から青年が数人、人払いをするように歩いてくる。青年達はとおりを歩くひとびとの波をかきわけて、一筋の道を作った。わたしたちも通りの端によって、様子を見守る。さきほどまであんなに賑やかだったのに、いまでは水を打ったように静まり返っている。
静寂の中、あの、しゃらんしゃらんという鈴の音がいっそう響いた。
前方からやってきたのは、大きな御輿だった。長衣をまとったおとこのひとたちが前に4人、後ろに4人ばかりいて、大業そうに御輿を運んでいる。御輿は薄布で覆われていて、中はよく見えないけれど、誰かが鎮座しているらしいことは分かった。薄布越しにちいさな人影が見えたのだ。
「ノルド君、あれ、なに?」
「ああ。神殿の……神の子の親衛隊だ。降臨祭が近いからパフォーマンスしてるんだろ」
「降臨祭?」
わたしが首を傾げると、ノルド君はあきれたように目を細めた。
「神の子が神を降ろして、神の声を伝える祭りだよ。ここ何年かは、なんのお言葉もいただけてないみたいだけどさ」
「そうなんだ」
獣人族の集落で、取り乱していた神官のおとこのひとを思い出す。
神様の言葉っていわれても、いまいちピンとこない。けれど、そういったものをとても大切にしているひとたちもいるんだろう。
なんとなく、不思議な気分で御輿を眺める。ゆっくりゆっくり運ばれる御輿は、なぜかわたしたちの目の前で停止した。
「え?」
御輿は地面に降ろされて、薄布をおしあげ、中からひとりの少女が姿を現す。
緩やかなウェーブを描く金の髪を肩まで下ろした、翡翠の色をした目をもつ少女だった。白を基調とした簡素な長衣を身にまとい、複雑な意匠を凝らした肩掛けを腕にかけている。
彼女を守るように、先払いをしていた青年たちが少女の両脇に控える。少女はわたしたちをまっすぐな視線で貫いた。
そして、少女はゆっくりと膝をついた。彼女に習うように、青年達も膝をつく。とたんに、周囲のひとびとがざわめきはじめる。
「みな、静まるように」
そう言った少女の声は、けして大きなものではなかった。けれど、有無をいわさぬものがある。ざわめきはとたんにおさまった。
静寂を確認した少女は、膝ばかりか、額を地面につき平伏する。そして、おかしな言葉を口にした。
「お帰りになれるのを、ずっとお待ち申しておりました。わが主、神の子よ」
そういって、顔をあげた彼女の視線の先に立っていたのは、エルゼさんでも、ノルド君でも、もちろんわたしでもなく。
彼女は、ただまっすぐに、アキちゃんを見つめていた。
アキちゃんはひるんだ様子もなく、少女に視線を返す。冷たい氷色の目と、翡翠の目がぶつかる。熱も思惑も感じさせない乾いた空気だ。そう感じるのはわたしの願望だろうか。
「……意味がわかりません。俺、いや、私たちはただのしがない旅人です。あなたがたが誰なのか、それすら知らないような田舎者ですよ。勘違いをなさっているのでは?」
アキちゃんが諭すように言えば、少女はにこりと笑みを浮かべた。
「わたくしがあなたさまを見まごうことなどありえません。神の子、わが主。どうぞ、こちらへ」
少女の言葉に従うように、彼女の両脇に控えていた青年達がわたしたちを取り囲む。
「穏便な言葉の響きのわりに、ずいぶん高圧的な扱いですね」
「そうでしょうか。あなたさまをお守りするのがわたくしたちの役目。あなたさまの害になりうることを極力排除するのは至極当然のこと。それがたとえ、あなたさまのご意向に沿うものでなくとも」
ノルド君がわたしやアキちゃんをかばうように一歩前に進み出た。膝をおり、ノルド君は少女たちに向かうあう。
「お言葉ですが、なにか思い違いをされているのでは?彼らはぼくの連れで、神殿とはなんの関わりもありません。だいたい、彼は魔術師だ。ぼくたちとは相容れない存在です」
「神殿騎士ノルド、控えろ。神官長代理にはむかう気か」
ノルド君の首元に、鋭い剣先がつきつけられる。いつ抜刀したのかわからなかった。少女に従う青年のうちのひとりが、険しい表情でノルド君を見下ろしていた。
街中での抜刀行為、不穏な空気に周囲のひとびとから小さな悲鳴が上がった。
「いいです。彼のような神殿騎士の末端にはなにも知らされてはいないのですから。王都までわが主を無事につれてきたことに免じて、この場は不問に処します」
少女はあくまで高慢に言い放った。
「祭りの前に、ちょっとしたお散歩だなんて。本当にあなたさまは気まぐれなお方です。さあ、これ以上、民衆に不安をあたえてはなりません。帰りましょう」
「だから、いったいなんの」
「そこのおともだち、大切ではないのですか?」
少女はアキちゃんから視線をそらし、ほんの一瞬、わたしたちを見た。
怖いとは思わなかった。ただ、ぞわりと背筋に寒いものが走る。嫌悪感に似たもので、彼女がたしかな悪意をもってわたしたちを見ていることが分かった。思わず、懐にいるエルゼさんを抱きしめる。
「わけがわからないが、騒ぐのは得策じゃなさそうだ」
ぼそりと、アキちゃんはつぶやいた。
周りにはたくさんの街のひとがいるし、わたしたちは屈強な青年たちに取り囲まれている。抵抗を試みるだけ無駄だろう。
わたしたちはおとなしく、少女の御輿に入れられた。
馬車よりは揺れないし、すわり心地はいい。けれど、わたしたちに向かうあうように座る少女の存在が気になって、ちっともくつろげない。これからどこに連れて行かれるのかも分からない。
少女はきっとなにか勘違いをしているんだろう。しかし、わたしたちがなにを言っても聞き入れてくれる気配はない。
彼女たち自身が、その勘違いに自ら気づいてくれるまで待つしかなさそうだった。