沼地の魔女3
エルゼさんに手を引かれて、わたしたちは玄関ホールに戻ってきていた。
引きずられているうちに気がついたらしいノルド君は、頭を押さえて呟いた。
「なんか……すげー疲れた。寝てもいい?」
「寝たら死ぬわよ」
にこやかな笑顔でエルゼさんはノルド君に告げた。
「え!まじで!?」
「冗談よ。目は覚めたかしら」
エルゼさんの冗談ですっかり目は覚めたノルド君は、ちょっと恨めしげな目で彼女を睨んでいる。
「でも、エルゼさんもアキちゃんも無事でよかったよ。わたしたち、霧の中でへんな蔦に襲われたりしたから、心配してたんだよ」
「ああ。リンちゃんたちも、蔦に遭遇したのね。なら、話は早いわ。今回の、獣人族の集落で起こった、眠ったひとが目覚めない事例だけれど、犯人はあの蔦みたいなの」
うーん。蔦がひとを眠らせる?って、いまひとつピンとこない。
わたしの戸惑いが伝わったみたいで、エルゼさんは少し困ったように首をかしげた。
『あなたも、去るの?』
「わっ!……びっくりした。ついてきたんだ」
いつの間に傍にいたんだろう。あの紫色の髪の男の子が、わたしの足にまとわりついていた。
エルゼさんも驚いたみたいで、目をぱちぱちさせて男の子を凝視している。
「リンちゃん、このこって……」
「うーんと、よくわからないけど、さっき知り合ったんだ」
いろいろあったけれど、すべてをうまく説明できる自信がなかった。だから、ちょっとごまかしぎみに答えてみる。
「そう。リンちゃんはすごいのね」
エルゼさんは男の子のあたまをなでなでした。
男の子はエルゼさんをじっと見上げて、にこりと笑った。よかった。泣いている顔よりずっといい。
「どこに行きやがったのかしら。そう遠くには逃げてないはずだけれど」
ほっとしたのもつかの間。あの蔦だらけの部屋から、銀髪の少女とアキちゃんが連れ立ってやってきた。
荒々しい様子のアキちゃんたちを見て、男の子はわたしの背中にさっと隠れた。アキちゃん、人相悪いからなあ。きっと怖がらせてしまったんだ。
「だいじょうぶだよ。あのおにいちゃん、顔は怖いし乱暴だけど、根はやさしいんだよ」
うん。完璧なフォローだ。
しゃがんで男の子としゃべっていると、銀髪の少女がわたしたちを見下ろしていた。なんだろうって思っていると、彼女は男の子の腕を乱暴につかんで、そのまますばやく羽交い絞めにした。
「ぼ、暴力反対だよ!」
「なにもしらない部外者が口を挟まないでいただけるかしら。まったく、手間をかけさせてくれること」
アキちゃんは彼女を止めるそぶりもなく、苦しそうに首を振る男の子を興味深げに見下ろしている。
「そのガキが、あんたの言ってた化け物の力の一部なのか?」
「ご名答。あいつの影であり、あいつの一部よ。変に人格をもっちゃってるみたいで面倒くさいのよねぇ」
わたしは少女の肩に手をかけて、羽交い絞めにされている男の子をなんとか助けようとした。
「かわいそうだよ。そんな風に乱暴なことしちゃ」
「ちょっと、この女、あなたのお連れさん?黙らせてくださるかしら」
「リン、黙ってろ」
「やだよ!なんでそんなひどいことするの?」
アキちゃんは味方になってくれないらしい。
どんな事情があるかはしらないけれど、こんなのって変だ。
わたしが引き下がらないでいると、アキちゃんは苛立ちを隠さずに告げた。
「あのガキが、ノルドのじーさんたちを眠らせてるんだ。さっきおまえに襲い掛かろうとしてたあの蔦も、そのガキの力なんだよ。分かったか?分かったら引っ込んでろ」
「わ、分かったけど、引っ込めないよ!」
理屈じゃなくて、あの男の子が苦しい思いをさせられていることにわたしは我慢がならなかった。
だって、あの子は、好きなのに。
わたしたちを惑わすのは、好きの裏返しだ。なにかがあって、あの子はにんげんを信じられなくなったけれど、でも、やっぱり寂しいのだ。寂しいと思ったときに求めたものが、にんげんならば、やはり、あの子はまだ、にんげんと仲良くしたいと思ってくれているに違いない。
この思いをどうやって伝えたらいいんだろう。うまく説明できるだろうか。
いいあぐねていると、どすんっていう地響きとともに、屋敷が揺れた。立っていることも難しいくらい、揺れは何度も続いた。
それから、屋敷の壁をつきやぶって、何本もの蔦がわたしたちに向かって押し寄せてきた。
とっさに、エルゼさんがわたしたちを守ってくれた。中空に手を掲げたエルゼさんの前には、まるで見えない壁ができたみたいで、襲い掛かってくる蔦は次々とはじかれる。
「リンちゃん」
やがて、ひとの形を模した蔦の塊が、わたしたちの目の前に姿を現す。
ぬるぬるとうごめくその形に、ほんの少し恐怖を感じる。霧の中、わたしやノルド君を襲ったものの正体は、これだったのだ。
「悲しみ、嘆き、狂ってしまった精霊族は、時々ああなってしまうの。自我を失い、暴れてしまう。彼は、リンちゃんに出会えなかった私だわ」
霧の村に取り残されたエルゼさん。
誰もいない村の中で、ひとり、村人の幻をつくり心を慰めていた彼女もまた、狂いかけていたのだろうか。
エルゼさんの言葉は切実な響きをもっていて、わたしはどうすることがいちばんよいのだろうかと考えた。
「元には戻るの?」
エルゼさんは静かに首を横に振った。
「解放してあげましょう。きっとそれが、彼のいちばんの望みだと、思う」
本当に?
本当に、そうなんだろうか。
解放って、つまり、倒すってことだ。
きっと、あの蔦の塊を倒してしまえば、この騒ぎは収まるのだろう。けど、そうしてしまっていいんだろうか。
『あなたもわたしも取り残された』
彼はそういっていた。彼は、取り残されて、寂しかったんだ。彼の周りにも、エルゼさんの昔のように、心通わせるひとたちがいたのだろう。
そんなひとたちを失って、そして、どうすれば失わずに済んだのだろうと考えて、彼は、周りをすべて自分とおなじにすればいいと思ってしまったんだ。
いや、違う。
彼の問いかけがよみがえる。
『わたし、あなた。あなた、誰?』
自分とおなじにするよりも、自分がおなじになろうとしたんだ。自分よりも他人を優先してしまう彼は、こころやさしい精霊族だったにちがいない。
狂っているとエルゼさんは言ったけれど、わたしにはまだ彼に理性が残っているように思えた。
あの男の子と緑の蔦がおなじであるならば、彼には、まだ意思を交わす力が残っているはずだ。現に、わたしは、あの不思議な空間で、男の子と話をしたのだから。
わたしが一歩、蔦の塊に向かって踏み出そうとしたときだった。
アキちゃんのナイフが飛んだ。
ナイフはすうっと蔦の中に吸い込まれるように消えていって。
ぱりんっと、なにかが砕ける音がした。
男の子の姿は跡形もなく消えて、緑の蔦は固まってしまったかのように動かない。やがて、蔦は先端からぼろぼろと崩れていって、あとには砂の塊のようなものが残されるだけになった。
「一件落着だな」
アキちゃんは憎たらしいくらいにせいせいした顔をして、そういった。
「あ、あなた、なにやったのよ。ナイフ一本で、あいつを倒すなんて……」
「あんたが言ったんだろ。精霊族の核を砕けば絶命するって。だからそうしただけだ」
銀髪の少女はアキちゃんに猛烈に抗議をしているけれど、アキちゃんはどこ吹く風だ。うずたかく積もった砂の塊に近づいて、ナイフを回収すると懐にしまいこんだ。
「それにしたって、そんな簡単に核なんて見抜けるわけないじゃない!」
「魔術だよ、魔術。ナイフは媒体に使っただけだ」
にぎやかしいふたりの声はどこか遠い。
わたしは行き場をなくした思いをもてあまして、ただ砂の塊を見つめていた。
アキちゃんが悪いわけじゃない。わたしがどんくさかったからいけないのだ。都合が悪いからと、あの男の子について考えるのを避けてしまっていた。もっと早く目をむけていれば、違った結末があったのかもしれない。
「なんとなく分かるよ。助けたかったんだろ」
ノルド君の声だ。
彼はわたしの隣に並んで、わたしと同じものを見ていた。
「……うん」
「アキサリスの判断は正しかった。でも、おまえの気持ちも分かる。俺、あの蔦だらけの変な部屋でさ、昔の夢みてたんだ」
「……?」
「両親が山賊に殺されて、まだガキだった俺は怯えて泣くことしかできなくて。この世にたったひとり取り残されたみたいに感じて、すっげーつらかったころの夢で。その夢の中で、そのころの俺とおなじ位のガキがちょろちょろ現れて、俺を慰めてくれたんだ。無視したらそのうちいなくなってたけど、あれ、あの蔦の精霊族だったんだよな。だから」
ああ、あの、不思議な部屋で、あの精霊族の男の子と一緒にみた光景は、ノルド君の夢だったんだ。
夢の中で、ノルド君を迎えに来た金髪の少年は、カナンさんだったんだろう。ノルド君はカナンさんに救われて、ひとりぼっちじゃなくなったんだ。
わたしと男の子は取り残されて、あのとき、もっと違う言葉を彼にかけていれば。
「だから、ちょっとだけ、あのとき慰めてくれた礼くらい、伝えたかったよ。そりゃ、いろんな元凶はあの精霊族なんだろうけどさ。元々、悪い奴じゃないんだろうし」
「うん」
「……アキサリスは、おまえを危険に晒したくなかったんだよ。ナイフ、ずっとかまえてたけど、実際投げたの、おまえが蔦に近寄ろうとしたからだよ。って、おまえを責めてるわけじゃないんだけどさ。きっと、これは、どうしようもなかったんだ」
「……うん。ありがとう、ノルド君」
「礼はあいつにいってやってよ。俺、なんにもしてないし」
でも、ノルド君は気遣ってくれた。
だからお礼をいいたかった。わたしはもういちど、彼にありがとうと伝えた。