沼地の魔女2
あしあとを辿ると、小さな小屋にいきついた。わたしの歩幅10歩分くらいで一周できてしまいそうなくらいの大きさだった。
その小屋は木で作られていて、ところどころ泥による腐食のあとがあった。
沼地から伸びた蔦が半球状に絡まりあい、小屋を覆っている。けれど、小屋の入り口と思われる扉の前だけ、蔦の囲いがぽっかりと開いていて、まるで入ってくださいといわんばかりだった。
「こんな小屋、はじめてみたな」
にんげんの姿に戻ったノルド君が、首をかしげている。
「でも、古そうだよ。昔からここにあるみたいな」
「だよなー。ま、考えても埒明かないし、開けてみようか。魔女の住家かもしれないしさ」
ノルド君は小屋の扉にずんずん近づいて、半球状に絡まった蔦の向こうにある扉を開けようとした。
ところが。
「うわっ」
突然、ノルド君が立ち止まった。小屋の入り口まであともうちょっとでたどり着くところで直立している。
「どうしたの?」
「ん、んー?なんだ、こりゃ」
ノルド君の背中から彼を覗き込むと、彼はまるで見えない透明な壁をぺたぺた触るみたいにしてうなっていた。
「前に進めない」
「ほんと?」
わたしもノルド君に並んで、彼がぺたぺた触っている中空に手を伸ばしてみる。
うん。なんの感触もない。伸ばした手はすかっと宙をかく。
「なにもないよ」
「は?うそだろ?」
わたしはノルド君を追い越して、小屋の扉の前に立った。
ノルド君は両手を前に押し出しながら、ぼうぜんとわたしを見た。
「いや、まじで進めないんだけど。このへんになんか壁がある」
嘘や冗談を言っているようには見えない。ノルド君は中空に両手をついて、ぐぐっと体重を乗せている。ふつうなら前に倒れこんでいるところだが、不思議と体勢を保っているので、ノルド君が前に進めないのは本当なのだろう。
けど、どうしてノルド君だけが前に進めないのかな。獣人族避けとか?
「こまったねぇ」
なんとなく、わたしは中空を押すノルド君の左手に自分の右手を合わせた。
すると、わたしとノルド君の手がぴたっとくっついて、その瞬間、強い力が私を後方に押し倒す。ノルド君が壁を押していた力がまともにわたしにかかったんだって気付いたのは、沼地に背中から倒れこんだあとだった。
「……いたい」
「わ、悪い。わざとじゃないんだ!」
わたしの上に覆いかぶさっていたノルド君はあわてて上体を起こし、わたしの腕をとって引き起こしてくれた。
「なんだかよく分からないけど、前にすすめたみたいだね」
「おう。なんだったんだろうな、いまの」
本格的に泥だらけのわたしたちは、お互いの姿をみてへらっと笑った。笑うしかない惨状なのだ。
それから、とりあえず小屋の中を確かめてみようということになって、何度か扉をノックした。返答はない。
扉のノブを引いてみると簡単に開いて、鍵はかかっていなかった。
「おじゃましま……うわー」
小屋の中は、それはそれは豪勢なお屋敷風の内装だった。
灯りがともっていれば、きらめかしいであろうシャンデリアがぶら下がっていて、赤いビロードの絨毯が敷き詰められたホールに、二階へ続く大きな階段。その先には大きな木製の扉があって、両脇には他の部屋に続くであろう中空の廊下が見えた。
階段の両脇にもふたつ扉があって、いづれも鳥や鹿といった動物の彫刻が施された高価そうなものだったし、一階にはもっと他に部屋がありそうだった。
この泥だらけの格好で足を踏み入れるにはちょっとためらいが生まれる場所だ。灯りはなく薄暗いので、この屋敷の主はお留守なのだろうけど。
「つーか、おかしくね?あきらかに小屋の大きさと中の広さがかみ合わないんですけど」
わたしの背後で、ノルド君はなんども外装と内装に視線をやって、混乱したように呟いた。
たしかに、いわれてみればそうだ。小屋の大きさはわずか10歩くらいで一周できてしまうのに対して、中の広さも、高さも、あきらかに小屋の大きさを上回っている。
「こんなことありえるのかよ……」
ノルド君は呟く。でも、現に、わたしたちの目の前には、ありえない光景が広がっている。自分の目で見たもの以上に信じられるものなんてないはずなのに。
「う、ん。扉の先が本来とは別のところに繋がってる、魔術的ななにか?とか?」
「もーやだ。常識を返して」
あまり魔術に耐性がないらしいノルド君はいやいやしながらも薄暗い小屋、もといお屋敷のホールに足を進めた。
一応、調査はする気らしい。ノルド君とわたしが歩いたあとの絨毯には泥のあしあとがついてしまって、非常に申し訳ない状態になった。洗濯代を請求されたらすごいことになりそうだ。
「とりあえず、一階の部屋を確かめてみるか」
そういって、屋敷の中の扉をひとつひとつノルド君は開けてまわる。厨房や書斎、客人の寝室に休憩室といった感じの部屋があって、どの部屋もぱっと見不自然な点は見受けられなかった。
強いていえば、どの部屋もあまりに綺麗過ぎることと、これだけ広いお屋敷なのにひと気がなにもないことがひっかかるくらいだ。
誰か住んでいるなら、お留守番にひとりくらいおいていくか、鍵くらいかけるものだと思うのだけれど。
「ん?この部屋鍵がかかってる」
右回りにぐるりとお屋敷の廊下を回って、ちょうど入り口の扉の真正面にあたる位置にある小さな扉。ノルド君はたしかめるように何度もノブをがちゃがちゃと引いた。
いままでの扉に鍵がまったくかかっていなかったことを考えると、なんだか意味深な部屋だ。
「鍵、探す?」
屋敷に無断で進入した時点で、お屋敷のひとに対するプライバシーは考えないことにした。
沼地の魔女さんに関係ないひとの屋敷だったらあとで謝ろう。そう心に決める。
「いや、面倒だし、開ける」
ノルド君って案外器用なんだ。扉にかかった鍵を開錠できるなんて。ちょっとアキちゃんを髣髴とさせて、ふと、彼らのことが心配になった。
だいじょうぶかな、アキちゃんとエルゼさん。結局、はぐれたままだ。
「開いたー」
「え!?」
ばきっていう豪快な音がしたかと思うと、小さな扉は見るも無残に蹴破られていた。
ああ。謝っても許してくれないかもしれない、この屋敷のひと!
わたしは軽く青ざめたが、その小さな扉の向こうの光景が目に入り、更に言葉をなくすことになった。
笑顔だったノルド君の表情も固まってる。逃げ出したいくらい異様な光景がその部屋にはみっしりとつまっていた。
そう、みっしりと、あの、霧の中でノルド君とわたしを襲った蔦のようなものが、その部屋にはつまっていたのだ。
「に、にげるか?」
「……うう。けど、せっかくきたから、みてみようよ。襲われたら、ノルド君、またぴゅーってにげよう」
及び腰のノルド君の手をひいて、わたしは蔦に覆われた部屋にそろりと足を踏み込んだ。
壁はもちろん、クローゼットやベッド、椅子やテーブルなんかにも蔦は巻きつき這っている。もとはふかふかの絨毯であっただろう床にも無数の蔦がへばりつき、足元の感触はでこぼこだ。部屋の中は基本的に薄暗いので、不気味な感じが三割り増しになってる気がする。
「うげ」
ノルド君が変な声をだした。
なんだろうと思って、ノルド君の視線の先を辿ると、部屋のすみっこの壁に蔦がひときわもりあがっている箇所があって、そこに、にんげんの顔があった。
体を蔦で覆われているみたいで、顔だけが見えている状態だ。小さな男の子のようで、短い髪は水晶のように淡い紫色、肌は白く、やせている。目を瞑っているので、眠っているのか死んでいるのか分からない。
この部屋に閉じ込められているのかな。自分の意思で蔦にぐるぐる巻きにされているとは考えがたい。
「……これ、魔女の仕業か……?」
ノルド君はつぶやく。だとすれば、小さな男の子を閉じ込めて、魔女さんはいったいなにをしようというのだろう。
『あなた……誰?』
耳鳴りがして、霧の中で聞こえたあの声が、谷底をうつこだまのように反響する。
また、同じ問いかけだ。
声の主の姿を探す。この部屋にはわたしと、目を瞑ったやせた男の子しかいない。ノルド君の姿はいつの間にか消えていた。部屋の中は綺麗で、ベッドや絨毯を覆っていた蔦もなくなっている。まるで別の部屋みたいだ。
「あなたこそ、だれ?」
『わたし、あなた。あなた、誰?』
なぞかけのように声はこだまする。
また自分の名前を名乗ったら、前回の二の舞になる気がした。それは避けたい。あれは触れてはならないものなのだとわたしは分かっていた。
「わたしは、わたし。あなたとわたしはおなじものじゃないよ。あなたはだれ?」
あえてこたえをあいまいにして、はぐらかす。
声は途切れて、静寂がおちてくる。くわんくわんと頭の中を反響していた耳鳴りがおさまった。
代わりに、小さな声が聞こえてくる。誰かの泣き声だ。小さなこどもが泣いている。声は大きくなったり、小さくなったり不安定で、わたしは自然と声の主を探していた。
すると、部屋のちょうど真ん中に、うずくまる人影が現れた。たぶん男の子で、二重にも三重にも形が重なり、判然としない。
髪の色も、大きさも、姿かたちも違うこどもたちが、まるで順番に入れ替わるように一瞬姿を明確にしては曖昧になっていく。
共通しているのは、みんな泣いていること。わたしはおそるおそる、現れては消えるこどもたちの肩に手を伸ばす。とにかく、泣き止ませたかった。こどもの泣き声は、聞いていてとてもつらい。
こどもの肩に手が触れたと思った瞬間、部屋の中の風景が一変した。
ベッドや柔らかな絨毯は消えて、わたしは木組みの床の上にいた。辺りには物が散乱していて、割れたビンやお皿が床に転がり、鍋がひっくりかえっている。
そして、私の足元にはどろりとした赤い液体が広がっていた。絵の具を撒き散らしたみたいに、部屋中にぬりたくられた赤い色。赤く染まったこども。
血だまりにうずくまり、こどもが泣いている。黒い髪、同じ色の獣耳と尻尾。獣人族のこどもがしゃくりあげ、小さな声で泣いていた。
こどもの傍には、ふたつ、折り重なるようにして倒れる死体があった。こどもとよく似た顔の成人で、こどもの両親なのだと察せられた。
二度と帰ってこない肉親を前に、こどもはただただ泣いている。
わたしはかける言葉もなくて、うずくまるこどもの傍に寄り添い肩を抱いた。
『ひとは簡単に死んでしまう。残される悲しみを抱えるのはいつも寄り添う者ばかり』
まぶしい光が差して、黒い人影が現れる。
剣を携えた金髪の少年だった。彼は迷いのない足取りでわたしたちに、いや、うずくまるこどもに近寄り、わたしの腕の中からこどもを取り上げた。思わず止めようと手を伸ばすけれど、わたしの手はむなしく宙をかく。少年にも、こどもにも触れられないのだと気がついた。
少年は、大丈夫だ、とか、安心して、とか何度もこどもに声をかけ、暴れるこどもをけして離そうとはしなかった。
長い長い時間が経ち、暴れ疲れたこどもが気を失う。金髪の少年は彼を抱えて赤い部屋から出て行った。
血塗られた一室にはわたしと、それから、獣耳のこどもと入れ替わるように、わたしの腕の中に水晶のように澄んだ紫色の髪をしたやせた男の子が残された。彼はいつからここにいたのだろう。
『あなたもわたしも取り残された。ひとはみな去っていく。はじめからおなじであれば、失う苦しみに怯えることはなくなるのに』
彼はきっと、あの部屋で、蔦に囚われていた男の子だ。彼は涙を流していた。寂しい、寂しいと彼の緑の瞳が訴えかけてくる。
『わたしはあなた。あなたはわたし。おなじになれば、苦しくない』
今更ながら、あの反響する声の主がこの男の子だったのだと確信した。
涙をながす男の子の手をとって、目を合わせる。彼はきっとなにか大切なものを失って、やけになっているのだ。
「わたしとあなたは違っていいんだよ。違うから、こうやって寄り添える。おなじものにはできないことだよ」
『……あたたかいね。なつかしい』
男の子はわたしの目をみて、ほんのりと笑みを浮かべた。
『でも……ほんとうのわたしをみたら、みんな去っていく。ひとは簡単に誰かを裏切り、傷つけるから』
ぼとぼとっと背後になにかが落ちる音がした。
おもわず視線を背後にやると、切り落とされた2本の蔦の先がうねうねと床を這っていた。息を呑む。いつの間に蔦が現れたんだろう。
男の子は苦しそうな表情を浮かべて、わたしから目を背けた。
その瞬間、部屋の風景は一変して、血塗られた部屋はもとの薄暗い、蔦だらけの荒れた部屋に戻っていた。
わたしの腕の中にいたはずの紫色の髪の男の子は姿を消していて、代わりに、ノルド君がいた。彼は気を失っているようで、ぐったりとしている。
小さな男の子とは勝手が違って、ちょっとこのまま抱えるには重たいかも。
「おい、リン。のろのろしてんじゃねーよ。さっさとその犬つれて部屋からでてけ!」
うん?なんだか懐かしい声がする。
うろうろと視線をさまよわせると、目つきの悪い短髪の少年がうねうねと動く蔦を相手にナイフを構えていた。
「アキちゃんだ。久しぶり~」
「最高にうざい」
ひどい。せっかくの感動の再会だから、笑顔で手を振ってみたというのに。
蔦と対峙する彼の傍には黒髪の美女と、銀髪の美少女がいて、蔦の動きをけん制しているようだった。
黒髪の美女はもちろんエルゼさんで、彼女はわたしと目があうとにっこりと微笑んでくれた。そして、わたしの腕の中からやさしくノルド君を引き上げて、そのまま、廊下と部屋をつなぐ扉の方向へノルド君を軽々と放り投げた。ノルド君は華麗に宙を飛んで、廊下の壁にどんってぶつかって、おちる。あれ?
「重かったでしょ?ふふふ。リンちゃん、こっちよ。この場はアキ君と彼女に任せて、私達は撤退しましょう」
やさしい笑みを浮かべたまま、エルゼさんはわたしを引っ張り起こして、廊下へ向かった。
そのとき、いままでぴくりとも動かなかった足元の蔦が、ばちんっと絨毯を鞭打った。部屋全体を覆う蔦がぶわりと膨らむ。
ど、どうしよう。このままアキちゃんたちをおいて逃げちゃっていいのかな?
そんなわたしの心配をよそに、エルゼさんはぐんぐんわたしの手を引っ張った。
「平気、平気。あの部屋にいるのは本物じゃないわ。だから、アキくんたちだけで十分対処できるから。ね」
エルゼさんの言葉が差す、本物っていったい誰のことなんだろう。
疑問をうかべたまま、わたしと、エルゼさんに首根っこをつかまれたノルド君はずるずるとその場を撤退したのだった。