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彼女の記憶

 宴の翌日、わたしたちは花の街の南門から、馬車に乗り王都に向かって出発した。

 カナンさんとは花の街で別れることになった。彼は街の復興の指揮を担うことになったそうだ。寂しくなるけど、お仕事だもの、仕方がない。

 その代わりに、ノルド君がわたしたちの旅に同行してくれることになった。花の街で起こった影たちの襲撃の件を、王都のえらいひとびとに報告するのを兼ねて、らしい。

 ノルド君は不服そうだったけど、わたしは嬉しい。せっかく知り合えたんだから、もっと仲良くなりたいもの。これってとてもいい機会だと思う。

 わたしは、南門の前で、見送ってくれるカナンさんたちに馬車の中から大きく手を振る。カナンさんの隣にはリュネちゃんがいて、それに、エルゼさんが助けた装飾屋の老紳士も見送りにきてくれていた。

 見送りのひとびとの姿が見えなくなるまで手を振って、それからわたしは馬車の席についた。席には赤い布で覆われた上等なクッションがあって、がたごとと馬車はゆれるけれど全然おしりは痛くならなさそうだ。

 馬車は四人がけで、中にはわたしとエルゼさん、それからアキちゃんの三人がいる。ノルド君は前方の御者席に座っていた。御者席と後方の馬車の間には間仕切りがあって、簡単には出入りができないようになっているけれど、言葉を交わすことはできそうだった。

「楽チン、楽チン。ねー、アキちゃん、王都まではどれくらいかかるのかなあ」

「さあ。馬車もずっと走り続けてるわけじゃねーからな。道中は馬達を休ませなけりゃならないし、まぁ、せいぜい4、5日くらいだろ」

 カナンさんから融通されたこのあたり一帯の地図を片手に、アキちゃんはあくびをかみしめた。

 くるくると流れる外の景色を堪能し、花の街で泊まった宿屋さんが用意してくれたお弁当を食べて、かたことと規則的にゆれる馬車の振動に眠気を誘われて。

 気がつけば、夜になっていた。街道から少し脇にそれた岩陰に馬車を停め、野宿の準備をはじめる。

 花の街より以南はまだ黒い影の影響が少なくて、夜中でも比較的安全にすごせるらしい。影よりも、にんげんや野生動物のほうが脅威みたいで、火を絶やさないように交代で火の番にあたることになった。

 気持ちよく馬車の中で毛布にくるまり眠っていると、アキちゃんに叩き起こされた。毛布を奪われ、着の身着のまま馬車の外に追い出される。火の番の交代らしいけど、もう少し労りをもって起こしてくれればいいのに。

 幸い春先なので、夜中でもそれほど肌寒くはない。こうこうと燃える炎に、あらかじめ馬車に積んできた薪をくべて、ほっと一息をつく。

 なにげなく夜空を見上げると、たくさんの星が瞬いていた。半分にかけたお月様がぼんやりとした光を放っている。周りはとても静かだ。ぱちぱちと炎が爆ぜる音が響き、風が吹けば草木が揺れる音が聞こえた。時々なにかの鳴き声がして、耳を澄ませてはその正体を確かめようと努めてみる。

「リンちゃん、平気?眠いなら寝てていいのよ。火は私が見てるから」

 いつの間に隣に座っていたんだろうか。ひとの形をとったエルゼさんが、黒い髪をさらりを揺らしてわたしを見つめていた。

「ううん。平気。昼間、馬車でうたたねしてたから、目が冴えてるよ」

「まだ、旅は始まったばかりだから、無理はしないでね」

 エルゼさんはやさしい。アキちゃんにエルゼさんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

「こうして夜中に火を囲んでいると、昔のことを思い出すわ」

「昔?」

「ええ。村にいたときのこと。たくさんのひとに囲まれて、たくさんのひとを見送ったわ。ひとびとの生活の中心には必ず火と、それから水があって。懐かしいわ」

 エルゼさんは言葉を切って、火を見つめている。

 心から懐かしんでいるようで、その表情はなんともいえない色を浮かべていた。

 もしかして、エルゼさんは後悔しているのだろうか。あの村を離れてしまったことを。わたしたちについてきてしまったことを。

 わたしは、おそるおそる尋ねた。

「村にかえりたい?」

「いいえ。もう、あの村には誰もいないもの。私の愛したものはすべてなくなってしまったの。守れなかったことが悲しくて、取り残されたことが寂しくて、リンちゃんたちに連れ出してもらえなかったら、私、大変なことになっていたかもしれないわ」

 エルゼさんは、わたしの手をとって、その甲に唇をおとした。エルゼさんが触れた箇所からぽかぽかとほんわりとした温かさが広がって、わたしは急激な眠気に襲われる。

 ありがとうという囁きが耳を打ち、そこで記憶は途切れた。

 不覚にもぐっすりと眠ってしまったわたしは、翌日、アキちゃんにどやされるんじゃないかと警戒したけれど、とくになにも言われず拍子抜けしていた。

 結局、わたしの分までエルゼさんが火の番をしてくれたらしい。眠くないの?って聞いたら、眠くないよって返された。本当かなあ。

 2日目も旅は順調で、馬車に慣れたアキちゃんが御者席に座るノルド君にちょっかいをかけていた。

 アキちゃんが、歳の近い男の子とあんなに仲良くしている姿をわたしははじめてみた。

 わたしたちは人里離れた辺境に住んでいたし、他のひとと仲良くなる機会がなかったからかもしれない。よく考えれば、わたしも、アキちゃんも、自分達以外のひととこんなに長く同じ時間をすごすのははじめての経験だった。

 わたしの遊び相手はアキちゃんだけで、他のひとはしらない。わたしたちは気がつけば一緒にいた。仲がいいとか悪いとかそういう次元じゃなくて、とにかく一緒だった。

 間仕切りの向こうでじゃれあう、というかたぶんノルド君が一方的にバカにされて怒ってるんだろうけど、とにかくふたりの姿を見て、わたしはちょっといいなあと思ったりした。

 ぼんやりしていると、エルゼさんがぎゅっとしてくれた。エルゼさんはやっぱりあったかい。

 そんな穏やかな馬車の旅に異変が起こったのは、3日目の昼のことだった。

 そろそろお昼ごはんにしようか、なんて話していると、とつぜん、地響きが聞こえてきたのだ。時間が経っても地響きはおさまらず、むしろ、この馬車にどんどん音源が近づいてきている気さえする。

 御者席に乗り出して外を見てみると、南方のほうからもくもくと砂煙が上がっているのが見えた。砂煙はどんどん馬車に近づいてきていて、その中心にはものすごく険しい形相をした馬がいた。

 いや、正確には馬ではない。馬の顔をしたにんげんだ。にんげん?いや、獣人?とにかく二足歩行で走ってきている。ものすごい速さで!

「よ、避けないと……」

 唖然としているノルド君の肩を叩いて、そう告げる。そうだ。とにかく、ぶつかることだけは避けなければ。あんな猛スピードでつっこまれたら、この馬車なんてひとたまりもないはずだ。

 ノルド君は頷いて、馬車を街道から横の草むらに動かして道を譲った。

 風に煽られるかもしれないけれど、ひとまずこれでひとあんしん。なんて、ほっとしたのもつかの間、わたしたちの乗る馬車全体が強い衝撃に襲われて、二度、三度、がくがくと大きく揺れた。

 物がぶつかりあう痛そうな音が響いて、ほんの一瞬記憶がとんだ。外に投げ出されることは免れたみたいだけれど、腕や足をどこかにぶつけてしまったみたいでちょっと痛い。

 いったいなにが起こったんだろう。わたしが顔をあげると、くりくりっとした黒目がちな大きな目と目があった。

 馬だ。馬の顔だ。

 馬の顔をしたにんげんが御者席の向こう、ちょうど馬車を引っ張ってくれていた馬がつながれていたところにすっぽりと収まって、こちらをのぞきこんでいた。

「若!たいへんなんです!」

 ぶひーんっと鼻を鳴らして、馬、えっと、馬人間?が叫んだ。

 すごく大きな声で、きーんっと頭に響く。たいへんなのは分かったけれど、こちらもこちらでたいへんだ。

「とにかく!」

 馬人間はいちど言葉をきって、がっと馬車に両腕をかけた。

 嫌な予感がする。

「もどってくださーーーーい!!」

 同時に、浮遊感。

 次いで、先ほどの衝撃を上回る揺れが馬車を襲う。それは一度では収まらず、何度も、何度も、何度も。

 馬人間が馬車を持ち上げて、走っているのだ。つまり、わたしたちは荷物よろしくどこかに運ばれてしまうらしい。そんなの困る。

 困るけれど、どうしようもなさそうだ。アキちゃんは最初の衝撃のときに気絶してしまっているみたいだし、御者席にいたはずのノルド君も、吹き飛ばされたのか馬車の中で目を回している。

 かろうじて意識があるのはわたしとエルゼさんだけのようだけれど、馬車があまりに揺れるものだから、気持ち悪くなってきた。

 あ。だめだ。

 そして、わたしは、そのまま気を失った。



 夢をみた。

 わたしは川辺に立っていた。穏やかな川面に映る季節のうつろいを飽きることなく眺め続けていた。

 そうして、わたしの一生はひっそりと終わりを迎えるのだと、そう思っていた。

「うわあ!」

 いつものように川辺に立ち、変わらぬ風景を眺めていると、川向の木々の間に珍妙なものを見つけた。

 普段はめったに見ることのない、ヒト族のこどもだった。

 ヒト族の集落から離れているはずのこの川辺に、こどもがたったひとりで姿を現すのは珍しい。

 茶色の髪に茶色の目をしたかわいらしいこどもだった。

 けれどわたしと目が合うと、すぐに木々の向こうに姿を消してしまった。

 緩やかに流れる時間の中で起こった、ほんの些細な出来事。すぐに忘れてしまうはずだった。

 その翌日、またこどもが川辺にやってきた。

 今度はおそるおそるといった様子で、遠くからわたしのことを眺めている。

 気付かないとでも思ってるのだろうか。しかし、こちらから声をかける理由はない。放っておくことにした。

 それから、そのこどもは毎日のように川辺にやってきた。

 少しずつ少しずつ近づいてきて、手を伸ばせば捕まえられるほどの距離まで近寄ってきた頃に、こどもがわたしにはじめてかけた言葉は。

「おまえ、ゆうれいか?どうしてとうめいなんだ?」

 こどもはわたしに手を伸ばすが、触れられない。こどもの手は宙をかき、わたしのむこう側におちる。本来そこにあるはずの感触がまったくないことに驚いているようだった。

「私は、精霊族よ。私の実体は、こっちなの」

 川辺に無造作に転がった緑色の石を指差す。

 こどもは目をまんまるに見開いて、わたしと石を見比べた。

 それから、毎日決まった時間に、こどもは川辺にやってきた。こどもは集落で起こったなにげない出来事や自分の家族の話などを目を輝かせてわたしに話してきかせた。

 わたしは彼の話に相槌をうち、ときどき彼らの生活の珍妙さに驚かされた。

 彼の家は代々、石像を彫ることを生業としているらしい。小さな彼もまた父親と同じ石像彫りを志し、作品と称しては動物を模したわけのわからぬ獣を川辺においていった。

 そうやって、こどもが少年になり、青年になり、分別のつく年頃になる長い間、彼は毎日川辺に訪れた。いったいなにが面白くてここにやってくるのか。集落にはもっと面白いことがあるのではないのか。

 そう思いながら、わたしは彼が川辺に訪れるのを心待ちするようになっていた。

 けれど。

 ヒト族は成長し、成熟し、やがて老い、そして死ぬ。

 わたしと彼らは違う。命の尺度が決定的に違うのだ。彼らの一生は短い。瞬きをする間に儚く散ってしまう、もろい生き物なのだ。

 彼だってそれはわかっているだろう。わたしは、彼とはじめて出会ったころから、声も姿もまったく変わっていないのだから。

 青年は老い、中年となり、老人になった。

 昔のように軽やかに歩くことのできない、自由の利かない体になった。それでも、彼は毎日川辺に訪れる。

「集落に一緒に来ないか?」

 もう何度目か分からない誘い。彼がまだ少年の頃に、はじめてそう誘われたときは笑って断った。

 わたしは川辺で一生を過ごすと決めていた。誰かに決められたわけではない。自分でそう決めたのだ。

 穏やかな川面に映る季節のうつろいを眺め、誰にも気付かれないままそっとこの世を去る。そう決めていたのに、いま、老人となった彼を前にして、わたしの胸の中にさざなみが立った。

 きっと、彼に出会ったそのときから、これは始まっていたのだろう。小さなさざなみはやがて大きな波紋となり、小さなわたしの意地を呑み込むのだ。

 死を目前にした彼の、穏やかな瞳を前にして、わたしは抗え切れない。

 気がつけば、こくんと頷いていた。

 彼とともに行こう。せめて、彼の魂のともしびが消えるその瞬間を見届けるのだ。そうすれば、きっと。

「泣かないで。大丈夫。僕が死んでもひとりにはさせない」

 わたしを、緑の石をそっと持ち上げて、彼はゆっくりと集落に向かった。

 彼の集落には小さな池があり、わたしのいた川から水が流れ込んできているのだとわかった。その池の中心にちょっとした陸地があって、その陸地には祈りを捧げる美しい乙女の像が座している。きっと、彼の作品なのだろう。

 彼は乙女の片目にわたしをはめこみ、とても大切なものを扱うように、そっと撫でた。

「僕は君にとてもひどいことをしているのかもしれない。けれど、君にはあんなに寂しい場所は似合わないとずっと思っていた。ここなら、いつでも、いつまでも君と一緒に居られる」

 そう言って、彼はしわを深めて笑った。

 その翌日、彼は冷たくなっていた。わたしは彼を見送って、ひとなつこい集落のひとびとを慈しんだ。彼らはわたしを恐れなかった。わたしは彼らに救われた。彼を失った悲しみや寂しさを、少しずつ埋めることができた。

 このままずっと彼らを見守り、やがてくるべき死を穏やかに迎えるのだろうと、そう思っていた。

 時間が流れる。たくさんのひとの笑顔が浮かんでは消えていく。

 集落はもはやわたしの家だった。ひとびとは家族だった。あの運命の夜。すべてが黒く塗りつぶされるまでは。

 ひとり、またひとり、黒い影に覆われる。彼らは彼らの形を変えて、影と一体化する。じわじわと侵食されて、行き場をなくした彼らをわたしは助けることができなかった。

 影を、退けることはきっとできたはずだった。けれど、できなかった。わたしは、彼らは。混乱する。きっとおなじものだったはずだ。

 苦しい。寂しい。つらい。憎い。誰もいない。守るべきものも、価値あるものも。やさしかった世界は姿を変えて、わたしを容赦なくせめたてる。

 黒い影の向こうで、彼が悲しい目をしていた。



 目が覚めた。

 ふわふわとやわらかく、あたたかいものがわたしの頬を撫でている。

 目をあけると、しろいうさぎが、わたしのほほに頬ずりしていた。赤いつぶらな瞳がなにかを訴えかけるようにわたしを見つめている。

「エルゼさん」

 わたしはごく自然に、そのうさぎをエルゼさんだと思った。

 きっとそれは正解で、いまわたしが横たわっているお布団は誰のものだとか、見慣れない天井の木目だとか、しらない場所の匂いだとか、そんなことはどうでもよくて。

「エルゼさんは、しってるんだね」

 うさぎはなにも語らない。

 すりすりと、甘えるように頬ずりをくりかえすだけだ。

 だけど、わかってしまった。きっとさっきの夢の中で、わたしはエルゼさんだった。エルゼさんのとても幸せで、少しだけ悲しい昔の話。

 わたしは頬ずりを続けるエルゼさんを胸に抱きかかえて、ゆっくりと目を閉じた。


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