少年達2
地図を片手に、アキサリスは山道を進んでいた。
オアサという老人から手渡された地図は非常に正確で、目的地である鉱山の坑道まではあと一時間足らずでたどり着くことができるだろう。
道は険しいが、山道に慣れたアキサリスの足には堪えなかった。彼の後ろを歩く神殿騎士である獣人族の少年も同様のようで、軽快に山を登っている。
ふたりの少年は、ほとんど言葉を交わすことなく黙々と進んでいたが、ときどき思い出したように声をかけあっていた。
大概は、おい、とか、なぁ、などの意味のないものだったが、ふと、後ろを歩く少年がこんなことを言い出した。
「おまえさ、あの子、おいてってよかったの?」
「あのこ?」
「えーと……リンって子。泣きそうな顔してたけど」
「邪魔だし」
アキサリスは言い切った。
対して、少年、ノルドは尻尾を逆立ててアキサリスをなじる。
「うっわー。ひっでー。おまえって血も涙もない奴だな!あの子おまえの彼女じゃないの?」
「は?……さむっ!ありえねー」
アキサリスは大げさに肩をすくめて両腕を手でこすった。
「ふーん。けっこうかわいいのに」
なにげなく呟かれたノルドの言葉に、アキサリスは自分でも意外なほど反発を覚えた。
幼馴染の少女は、かわいらしいというよりも、こどもっぽい。いや、まるでこどもだ。
そんな彼女が愛欲の対象になるなど考えられなかったし、対象たりえる可能性を考えると腹が立った。アキサリスが彼女を思うときは、娘を持つ父親の心境に近い。と彼自身は思っている。
誰よりも近いところにいるが、手を伸ばそうとは思わない。親しみはあっても、核となる欲求がない。彼女はそんな存在だった。
「じゃあ、もうひとりの黒髪の美人の方かよ。羨ましすぎるんですけど?」
思考に沈みかけたアキサリスだったが、ノルドの下世話な発想に思わず嘆息した。
「違う。つーか、なんでも下半身で考えすぎじゃね?盛りのついた犬じゃねぇんだから。……。あ、わるい。どう見ても犬だよな、あんた」
「泣かす!おまえぜったい泣かす!」
犬といわれた少年は、獣の耳と尻尾をぴんっと逆立てて抗議するが、アキサリスは両手で自分の耳を押さえて無視を決め込んだ。
そんなことを繰り返した道中も、太陽が傾きかけてきた頃には終わりを迎えていた。
「おー。ついたついた。なんだ、らくしょーだな!」
山の中腹に差し掛かったところで、少し広い平らな場所に出た。地面は砂利が敷かれており、薄苔が生えている。周りは背の低い広葉樹が茂っていた。
地図によると、どうやらこのあたりに坑道への入り口があるらしい。
「ん?」
進むと、なんなく入り口は見つかった。
しかし、その入り口は頑丈な鉄格子で締め切られており、その中心には大げさなくらい立派な錠前がかけられていた。
アキサリスは錠前を手に取り、がちゃりと引っ張った。もちろん、鍵は掛かっている。
「なぁ、あんた、鍵もってるか?」
「持ってないけど」
当然、アキサリスもここの鍵を預かってはいない。
アキサリスは腰袋から針金を一本とりだすと、鍵穴に差し込んだ。
「げ。もしかして鍵かかってんの?信じらんない。あのじーさん、ついにボケたか!」
「騒ぐな。気が散る」
何度か針金を差し入れし、針金の形を変えて試してみるが、なかなかうまくかみ合わない。
後ろに控えるノルドが、退屈であくびをかみ締める程度には時間がたった頃。
アキサリスは針金をしまい、ため息をついて立ち上がった。
「ちっ。鍵は難解だし、魔力を受けつけないよう細工されてる。ちんたら解除するより鍵を取りに帰った方が早そうだな」
「めんどくさいなぁ」
花の街に一瞬で帰りつける術をアキサリスは持っている。
さいはての森の奥で、幼馴染の少女相手によく使っていた移動魔術。あれを使えば最短で鍵を手に入れることができるだろう。
脳裏に少女の姿を思い浮かべ、魔術の発動を試みる。額のあたりがなにか物足りないが気にするほどではない。
そうしてアキサリスが魔術を発動しようとしたとき、彼の背後で何かが壊れるような金属音が響いた。
まさか、と思い振り向いてみるとアキサリスはありえない光景を目にしてしまった。
「これで入れるな!」
ノルドはまっぷたつに割れた錠前を手に、まるでいい仕事をしたとでもいいたげな笑顔を浮かべていた。
「入れるが、閉めれないな」
アキサリスはノルドの持つ錠前の半分を地面にたたき落とした。
その顔に表情はない。
「つーか、なんだよこのバカ力は。壊せないだろ、普通」
「獣人族なめんなよ。本気を出せばこれくらい朝飯前だ」
「なに威張ってんだ。少しは反省しろよ」
そのままノルドをおいて、アキサリスは暗い坑道に足を踏み入れる。
「なぁ。なんで怒ってるんだよ。入れたんだからいいだろー?」
「鍵がかけられていたということは、本来、この坑道は開けられてはいけない場所であるということだ。もしかしたら危険な生き物が閉じ込められている可能性もある。あるいは坑道の中に危険な生き物が入ってくる可能性もある。開けっ放しにしておくのは、それなりにリスクを伴うんだよ。ばーか」
悪態をつきながら、アキサリスは手のひらに光の玉を浮かべる。
暗い坑道はじめじめと湿気ており、普段お目にかからないような足のたくさん生えた白虫やなめくじのような生き物が光から逃げるように散っていく。
ノルドは岩壁に手をかけながら坑道を見回した。
「暗いな……」
「使われてない坑道なんだから当たり前だ」
地図と光を手に先導するアキサリスの後ろをノルドはついていく。
何回目かの分かれ道に差し掛かったとき、ふとノルドは鼻をひくつかせた。
「獣の臭いがする。左に行ったほうがいいぞ」
「地図では右の通路にある採掘所がいちばん近い」
ノルドの警告を無視して、アキサリスは右の通路に進む。
ノルドは肩をすくめて、彼の右手に灯された光を目印にして坑道を歩いた。
獣の臭いがじょじょに強くなっていく。背中に負っていた棍棒を利き手に持ち、後方に注意を払う。
ふいに、灯りが消えた。
とつぜんのことに動揺するノルドを静止して、アキサリスはじっと前方を見つめている。
通路の真ん中で立ち止まったアキサリスの背中越しに、ノルドも坑道の奥に目をこらした。
通路は少し広い場所に繋がっていた。その深い闇の中で、なにかがうごめているようだった。
「あれは、影だ。なんで。まだ、夜じゃないのに」
うごめく闇の正体を捉えた途端、ノルドの全身を強張らせた。こころなしか顔が青ざめている。
そんな彼を横目に、アキサリスは抜け目なく広間を観察する。
影はどうやら一体ではないようだった。不規則な動きで、狭い坑道を左右に行ったりきたりしている。
「見ろよ。あいつら、面白いもん囲んでる」
アキサリスの指差す先を、ノルドはじっと見つめた。
「……黒い鉱石?」
「てっきり、石ってのは影を遠ざけるものだとばかり思ってたけど。逆に群がってるじゃねーか」
「おまえさぁ、冷静に分析してる場合じゃないよ。とにかく、一旦離れよう。見つかると面倒だ」
後方にあとじさるノルドを振り返って、しばし、アキサリスは沈黙した。
そして諦めたようにため息をつく。
「いや、もう遅いな。とっくに見つかってるみたいだぜ」
生臭い獣の臭いが濃くなり、狭い坑道の空気を、興奮をはらんだ呼気が震わせていた。
「獣が飛び掛ってきたら、左右に分かれよう。分かれ道になっていたところは少し広かったからそこでやる。石の場所は確認したし、影たちに気付かれる前にここから離れ」
アキサリスがすべてを言い切る前に、それは少年達に飛び掛ってきた。
鋭い爪が空気を切り裂く。
間一髪のところで、ふたりは地面を蹴り左右の壁に背中を預けた。
獣は勢いよく前方へと突っ切っていったが、中空で上体をひねり、地面に着地したときには少年達に向かって襲い掛かる体勢を整えていた。
「げっ」
「ちっ。走るぞ!」
脱兎のごとくふたりは坑道を走るが、ぬかるんだ地面とはっきりしない視界、なにより野生の獣の足の速さに勝てるわけがなかった。
背中から襲われる前に、アキサリスは振り返り獣と対峙した。
獣は容赦なく飛び掛ってくる。懐からすばやくナイフを抜き出し獣の牙にあて、鋭い前足のつめはもう片方の腕で防いだ。
しかし、獣の勢いには勝てず、そのまま背中から地面に倒れこむ。
獣の嫌な臭いと、大きく開いた口から垂れる生温かいよだれ。思ったよりも大きな獣だった。牙にあてたナイフが少しでもずれれば、アキサリスはこのままかみ殺されてしまうだろう。
「おい、ノルド!なんとかしろ!」
「言われなくても!」
アキサリスが獣の動きを封じている間に、ノルドは棍棒を横に振りきり、そのまま獣の側頭部と思しき箇所に思い切りぶつけた。
なにかが砕けるような嫌な音がして、獣はそのまま岩壁にむかって吹き飛ばされた。
獣の牙にナイフをあてていたアキサリスも、吹き飛んだ獣に巻き込まれ、岩壁に体をしこたまぶつけるはめになった。
「はぁ……ひとまず撃退できたな」
「てめぇ……」
アキサリスは頭を押さえて上半身を起こした。幸いにも意識はあるし、骨も折れていないようだが、力任せすぎるノルドにアキサリスが文句のひとつでもつけようとしたときだった。
「うわっ!おまえ、血!」
素っ頓狂な声が上がったので、アキサリスは自分の全身を検診してみた。すると、左腕に三本、きれいな線が入っており血が地面に滴っていた。
「……ああ、ちょっと引っかかれたみたいだ。治療はあんま得意じゃねーんだよな」
怪我を認識すると、急にその箇所がうずくようだった。
アキサリスは腰元の袋から包帯を取り出すと、ぐるぐると腕に巻きつける。
治療の魔術もあるにはあるが、これからのことを考えると無駄な魔力を使う気にはなれなかった。
アキサリスが簡単な応急措置を終えた頃、ふと、顔を上げると壁にむかって正座をするノルドの姿が目に入った。
声をかけると、上ずった声で返される。
「お、おわったか?」
「あんた、なんで背中向けてんの?せめて周囲を警戒するとかしろよ、使えねーな」
心底あきれたようにアキサリスはため息をついた。
軽口のつもりだったが、ノルドから返ってきたのは想定よりも激しい言葉だった。
「悪かったな!ぼくはどうせ使えないよ!あるのは力ばっかりで、へなちょこの弱虫だよ!」
くるりと振り向いたノルドは、勢いのある言葉とは正反対に、尻尾と耳を力なく垂れ下げていた。
「ぼくは」
「あ?」
「ぼくは、血が怖いんだ。だから、鋭い剣は使いたくても使えない。でも、神殿の騎士なら、刃物をもつことを禁止されてるから……」
「鈍器でも殴れば血くらい出るだろ」
実際、側頭部を殴られた獣はアキサリスでもちょっと改めてみたくないくらい、悲惨な状態の死体になっているはずだ。
「どぱーっとは出ないだろ、どぱーとは!ここ、ちょー重要なんだよ!」
「そうですか」
アキサリスには理解しがたいが、そこは重要らしい。
「情けないだろ!だから、だから、あいつらがぼくをばかにするのも、親の七光りだってなじるのも、正当なんだ。……おまえをみてると嫌になるよ。ぼくと年だってそう変わりないのに、なのに、なんで」
「ぐちぐちうるせーんだよ。いまは鉱石に集中しろよ」
放っておくといつまでも愚痴りそうなノルドの話を無理やり打ち切って、アキサリスは立ち上がった。
暇なときならてきとうに聞き流してもいいが、今はあまり時間に余裕がない。
おそらく、外はもう夜だろう。
鍵の開錠と獣の相手に手間取ってしまったのが致命的だった。
できるなら、夜を迎える前に鉱石を持ち帰ってしまいたかったが、仕方がない。せめてなるべく早く花の街に鉱石を届けようとアキサリスは考えていた。
通路の壁にへばりついて、黒い鉱石を見つけた場所に戻って様子を伺ってみるが、影たちは動く気配がなかった。
それどころか、数がさきほどより増えてすらいるようだった。
「ノルド、あんたはここで待機な」
「え……」
アキサリスの後方に控えるノルドに向かって、アキサリスは冷たくいい放った。
「少しは役に立つかと期待したけど、見込み違いだったみたいだ。せめて邪魔しねーようにおとなしくしてろってこと」
アキサリスは影達の動向を注視する。影達はどこからか集まり、石を取り囲むように漂っているようだった。
古典的な方法だが、アキサリスは近くに落ちていた小石に魔力を込め、発色させ、その小石を、自分達がいる通路とは反対側の通路に向かって投げた。
からんっとやけに大きな音をたてて、小石が地面に転がった。
その瞬間、ざわりと影達がうごめいた。小さな光を放つ小石に影達が群がっていく。
黒い鉱石の周りに影がいなくなったのを見計らい、アキサリスは鉱石に向かって一直線に走った。
このまま、鉱石を手に入れればすべてはおしまいのはずだった。
「げ!……」
しかし、アキサリスは鉱石に手をかけてから一向に動こうとはしなかった。
いや、正確には動くことができなかったのだ。
アキサリスが手間取っている間に、数体の影がアキサリスの存在に気付き、威嚇するように彼を取り囲む。
敗色が濃厚に思えたそのとき、アキサリスを取り囲んでいた内の一体が吹き飛んだ。
その影がいたはずところには、棍棒をもち、肩で息をするノルドの姿があった。
「おまえ、石を持って早く逃げろ!」
ついで、右となりの影に殴りかかるノルドに向かって、アキサリスは正直に白状することにした。
「非常に残念なお知らせなんだが、重すぎて持ちあがらん」
しばしの沈黙。
沈黙。
「はぁぁ!!?おま、ばかなの?!ばかでしょ!」
「うるせー。想定外だ!この鉱石の重さは想定外なんだよ!!」
黒の鉱石は、アキサリスのこぶし分くらいの大きさに見えた。
しかし、その質量はアキサリスの考えのはるか上をいく重さだったのだ。
ノルドはついで、左となりの影をふっとばし、アキサリスの元に駆けつけると黒い鉱石に手にかけた。
そして彼は、そのまま鉱石を持ち上げると地面を蹴った。
「逃げるぞ!」
「前言撤回だ。ばか力もたまには役に立つな」
「ばかは余計だろ!」
少年達は坑道を走る。
後ろを振り返ると、そう遠くないところで影達がうごめき、自分達のあとを追ってきていることが分かる。
あの獣と対峙した分かれ道のところでアキサリスは立ち止まり、ノルドの抱える鉱石を指差した。
「なぁ、あんた、その石砕けるか?」
「さぁ。どうだろ」
ノルドは鉱石の端っこを親指と人差し指で挟んで、ぐっと力を込めた。
すると、鈍い音がして鉱石の四分の一ほどのかけらが彼の手のうちに転がった。
「その粒、更に砕いたのくれ」
アキサリスに言われるがままに鉱石を砕いて、いくつかの粒をノルドは彼に手渡した。
だいぶ細かく砕かれてはいたが、アキサリスは重たそうに一粒つまんで、迫り来る影達に向かって投げつけた。
すると、影達はアキサリスたちから興味をなくしたように、黒い鉱石のかけらに群がり始める。
「なるほど」
そして、アキサリスの指がふっと宙を切る。
その数瞬後、影達の姿がすうっと融けるように消えていくのを、たしかにノルドは見た。
なにが起こったのか、分からなかった。
「い、いったいなにしたんだよ。銀の剣以外で影を消す方法なんて……なんつーでたらめなんだ!」
アキサリスが答える前に、新たに影が数体現れた。
影はアキサリスたちに向かって、まっすぐに迫ってくる。
「……ここで多くの石を使うのは本末転倒だ。逃げるぞ」
「どうやってさ!」
棍棒を構えて、叫ぶノルドの襟首を引き寄せると、アキサリスは自身の額と彼の額を合わせた。
「こうやって、だ!」
移動魔術。
幼馴染の少女以外と飛ぶのは初めてのことだ。
はたしてうまくいくだろうか。いや、弱気になってはいけない。アキサリスは考えた。
必ず成功すると、自分自身に信じ込ませること。失敗はしないと、自分に嘘をつくこと。それこそが魔術を成功させるための鍵なのだ。
そして少年達は、光に包まれ姿を消した。