蛇髪の少女と失われた光
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院に入学し、主に攻撃魔法を得意とする。
ティナ
種族:人間
アインベルグ魔法学院に入学してセレナと親友になる魔女見習いの少女。
――蛇髪の少女は、村の中でいつもひとりだった。
私はセレナ。メデューサの魔物娘よ。
物心ついた時から、私はとある村の老人に育てられていた。
「親はどこにいるの?」
幼い頃、何度か尋ねたことがある。
けれど、老人は決まってこう答えた。
「昔々の話じゃよ。気にするな」
それ以上は、何も教えてくれなかった。私は自分の出生を知らない。
両親がどんな人だったのかも、なぜ自分が老人の家にいるのかも、わからないままだった。
ただ――村では、私の存在は“腫れもの”のように扱われていた。
「見たら石になるって本当?」
「髪……動いてる……こわ……」
「下半身、蛇みたいだった……」
そんな声が、村のあちこちから聞こえてくる。
私の髪は、生まれたときから蛇。
感情に合わせてうねり、驚けば逆立ち、嬉しければ首を傾げる。
そして、私の下半身も人間とは違い――長い蛇の身体へとつながっている。
地面を滑るように進むその姿は、私にとっては当たり前でも、
村の子供たちには“怪物そのもの”に見えたらしい。
私自身にとっては、生まれつきの身体にすぎない。
けれど、人々の目はいつも怯えと距離を孕んでいた。
やがて噂は勝手に形を変え、ひとり歩きしていった。
「目を合わせたら石にされる」
「触れたら呪われる」
本当の能力とは違う、誇張された怪談が勝手に広がっていった。
子供ながらに、噂が間違っていることくらいわかっていた。
私が誰かを石にしたことなんて、一度もないのだから。
でも、そんな説明を求める相手すらいなかった。
私は自然と、村の輪から外れていった。
いつのまにか「ひとりでいること」が当たり前になった。
「別に……ひとりのほうが楽よ」
そう口にするときは、決まって胸の奥が少し痛んだ。
その痛みをごまかすために、私は静かな家へ戻る。
老人の家は、壁一面が本棚で埋まっていた。
古い魔術書、神話や歴史の本、旅人の書き残した記録まで、雑多に積まれている。
老人が趣味で集めたというその膨大な本の山は、
村で浮いていた私にとって、唯一の逃げ場だった。
ページをめくると、現実では怖がられる私も、本の中では誰にも拒絶されない。
物語も魔術の理論も、古い言い伝えも――そのすべてが、私を歓迎してくれているように感じた。
蛇髪達は、本の端をつついて遊ぶのが好きで、老人はそんな様子を見ては「やれやれ」と笑っていた。
その笑顔は、村で暮らす私にとって唯一の安心だった。
時おり、私は勇気を振り絞って老人に尋ねた。
「私は…どこから来たの?」
「どうして、髪が蛇なの?」
老人は苦い顔をして、話題を変えた。
「セレナ、お前はお前じゃよ。他の誰でもない」
そう言って頭に手を置いてくれたが、その言葉の奥にある“真実”だけは、どうしても語ってくれなかった。
――知らないほうがいい。
そんな気配すら感じて、私はそれ以上踏み込めなかった。
そんなある日、老人は珍しく真剣な眼差しを向けてきた。
「セレナ、お前…学園へ行ってみる気はないか?」
「学園……って?」
老人が差し出したのは、一冊の冊子。
『アインベルグ魔法学院 生徒募集』と書かれたもの。
「ここなら、お前の好きな本も魔術も、もっと学べるじゃろうて」
老人の声は淡々としていた。
しかしその裏にある意図を、私は見抜けなかった。
善意なのか。
それとも、村で浮いてしまった私を少しでも自由にさせてやりたかったのか。
あるいは――ただの厄介払いなのか。
老人は嘘をつく人ではない。
でも何もかも正直に言う人でもなかった。
だからこそ、私はその表情の意味を読み取れなかった。
けれど、その冊子を手に取ったとき――胸の奥に、かすかな光が灯った。
もしかしたら、変われるかもしれない。
ここ以外のどこかで、私を見てくれる人がいるかもしれない。
そんな希望が、生まれて初めて心の中に芽吹いた。
そして私は、蛇髪がゆらりと揺れるのを感じながら、老人に向かって小さく頷いた。
「…行ってみたい」
こうして私は、村を離れ、アインベルグ魔法学院へ向かうことを決めた。
◇ ◇ ◇
村を出て、アインベルグ魔法学院にたどり着いたとき、私は思わず息を呑んだ。
――世界は、こんなにも広かったの?
石畳の大通りは遠くまで続き、両脇には高い建物が並ぶ。
行き交う人の中には人間だけじゃなく、耳の尖ったエルフ、獣の耳を揺らす獣人、翼を持ち空を飛ぶ少女の姿まであった。
村では見たこともない光景だ。
蛇の下半身を引きずって歩く私にも、珍しそうな視線は向けられたけれど――
あの村のような“怯えや敵意”はほとんど感じられなかった。
私は自然と、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……大丈夫。きっと、ここなら」
そう小さく呟き、アインベルグ魔法学院の門をくぐった。
◇ ◇ ◇
「セレナさんですね?こちらで入学手続きをお願いします」
受付の女性は、私を見るなり落ち着いた笑みを浮かべた。
蛇髪を怖がる様子もなく、下半身の尾もさらりと受け入れている。
「え、えっと…はい」
緊張した私の蛇髪がびくつき、受付台をぺちぺちと叩く。
恥ずかしくて、思わず下を向いた。
「大丈夫よ。緊張してるだけよね、髪も」
受付嬢は慣れた様子で微笑む。
そんな反応をされたのは、人生で初めてだった。
――ここは、本当に“普通に扱われる”場所なんだ。
胸の奥がじんわりと熱くなり、私はそっと手続きを終えた。
◇ ◇ ◇
入学オリエンテーションは、大広間に新入生がぎゅうぎゅうに集まる形で行われた。
皆、それぞれ楽しそうに会話している。
村では考えられなかった賑やかさに、私は圧倒され、思わず壁際に移動した。
下半身の蛇はグルリと丸くなり、髪も不安に反応してそわそわ動く。
「だ、大丈夫…静かにして…」
蛇髪が余計にモゾモゾ暴れ、近くの生徒が少し驚いた顔をした。
その視線に、心臓がキュッと縮こまる。
――やっぱり、怖がられてる……?
胸が重く沈む。
村を出ても、私は結局“どこにも居場所がないんじゃないか”という不安が押し寄せてくる。
そんなときだった。
「ねぇ、それ…!」
パッと目の前に少女が飛び込んできた。
金色の髪が陽光のように輝き、青空みたいに明るい瞳がきらきら揺れている。
「すごい!ほんとに動いてるの?ちょっと触ってみていい?」
「ええっ!?む、無理よ!」
思わず尾がビクッと跳ね、蛇髪は全員逆毛になった。
少女はというと、目の前の蛇髪軍団に全く怯まず、むしろ手を伸ばしてくる。
「わっ、ふにふにしてる!?かわいい…!」
「か、かわっ……!?」
か、可愛い!?この髪を!?
可愛いって言った!?!?
生まれて初めて言われた言葉に、私は固まった。
少女は全く悪気なく、むしろワクワクした様子で話しかけてくる。
「ねぇ、あなた名前は?私はティナ!支援魔法が得意なの!」
「わ、わたしは…セレナ、だけど…」
「あ、やっぱりセレナって感じする!よかったら隣座っていい?」
私は、うまく返事ができなかった。
こんなふうにぐいぐい来られたことなんて、一度もない。
でも、ティナの声は不思議と心地よくて――
蛇髪達が、緊張しながらもそっとティナを見つめていた。
結局私は、小さく頷いていた。
◇ ◇ ◇
入学後、すぐに魔力測定と簡易魔法の練習が始まった。
私の魔法適性は“攻撃系”。
石化能力を中心に、強い魔力を持つと診断された。
でも、制御がまるでできない。
「えっと…この魔力を、球状にして…」
「ちょっと強すぎるかもよ、セレナ!」
ティナが慌てて横に回り込んだ瞬間!
ボンッ!
制御に失敗した魔力が暴発し、蛇髪が泡立つように逆立った。
「う、うわぁあああ!!」
他の生徒から笑い声がもれる。
「なにあれ!」「魔力が暴れてる!」
胸がズキリと痛む――そのとき。
ティナが、迷わず私の手をそっと握った。
「大丈夫?次はもっとゆっくり、ね?」
その声は、とても自然で優しかった。
責めるでも、からかうでもなく、本当に“隣に立つ友達”の声だった。
私は初めて、この子だけは違うと心から思った。
◇ ◇ ◇
夕方。
授業が終わった後、ティナに誘われて校舎の中庭を歩いた。
「ねぇ、今日どうだった?魔力、すっごかったよね!びっくりした!」
「び、びっくりしたの!?やっぱり……」
「ううん、いい意味で!だって本当に綺麗だったよ。魔力の光」
そんなふうに言われたのは生まれて初めてで、思わず蛇髪がふにゃりとうなだれた。
ティナは笑って、私の隣を歩きながら言った。
「私ね、入学して最初に話したいと思ったの、セレナだったんだ」
「……どうして?」
「直感!…って言ったら変かな?でもね、あなたを見た時“あ、この子と仲良くなれる”って思ったんだ」
心臓がどくんと跳ねた。
私は、ほんの少しだけ笑った。
「……変じゃないわ」
ティナは嬉しそうに目を細めた。
「じゃあさ、これからも一緒にいよ?」
私は一瞬だけ迷ったけれど、蛇の下半身を巻きながら、そっと頷いた。
「……うん。悪くないわね」
そして私は、村では決して知らなかった“友情”という灯りに触れた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
学園の門前で、私は蛇の尾を整えていた。
すると、いつもの声が飛んで来る。
「セレナー!今日もおはよー!」
ティナが金髪を弾ませながら、勢いよく駆けてくる。
蛇髪達がわらわらとそちらを向き、揺れた。
「そんなに急いで走ると――」
言い終わる前に、嫌な予感が当たる。
「きゃっ!?うそ、段差!?」
石畳の段差につまずき、ティナが前のめりに転びかける。
私は反射的に尾を伸ばし、彼女を受け止めた。
「ほら言ったでしょう。走るなって」
「…助かったぁ~…セレナの尾ってほんと便利だね!」
「便利って言わないで。私は道具じゃないのよ」
そう言いながらも、口元が少しだけ緩んだ。
こんなふうに誰かを助けられるなんて――思ってもみなかったから。
ティナは尾の上に座ったまま、ふふんと胸を張る。
「ね、今日も一緒に行こう?セレナと並んで歩くの好きなんだ」
その言葉に、蛇髪達が一斉に嬉しそうに揺れた。
「……勝手に喜ばないの。もう」
そう呟くと、ティナは嬉しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
教室を出た瞬間、人でごった返す学園の食堂が見えた。
私は小さくため息をついた。
(…今日もあそこに行くの?ちょっと気が重いわ)
椅子に座りにくいし、周囲の視線も痛い。
できれば避けたい場所ね。
「セレナー!こっちこっち!」
食堂の入口で、トレーを手にしたティナが全力で手を振っていた。
その明るさに、蛇髪達がぴくっと動く。
「ねぇ、今日さ。食堂じゃなくて外にしない?」
「…外?」
「うん、中庭!ひなたぼっこしながら食べたい気分なの!」
ティナは迷いなく私の手を引き、中庭へ続く扉を押し開けた。
外は風が心地よかった。
陽の光が芝生に落ち、木陰にはベンチが並んでいる。
「ほら、ここなら広いでしょ?セレナも尾を好きに伸ばせるし!」
私は周囲を確認してから、そっと尾を丸く広げた。
視線も、ほとんどない。
(……思ったより悪くない場所ね)
ティナはパンをちぎり、一口かじると、なぜか私の蛇髪の一本をじっと見つめ始めた。
「ねぇセレナ。この子達…パン食べる?」
「は? 食べないわよ」
「でも、なんか…ほら、興味津々じゃない?」
言われてみれば、蛇髪がパンの匂いにふにふに揺れている。
「ダメよ。人の食べ物なんて――」
「はい、あーん!」
嘘でしょ。
私が言い終わる前に、ティナはパンを蛇髪の前に差し出した。
そして――
ぱくっ。ひと口。
蛇髪は嬉しそうにパンをくわえ、もぐもぐと噛み始めた。
「ちょ、ちょっと!?ほんとに食べた!?」
「かわいい~~~~!!」
蛇髪は完全にティナの虜になっている。
私は頭を抱えた。
「勝手に人の食べ物食べないで!太るでしょ!」
「えっ、蛇って太るの?」
「知らないけど!!」
ティナは笑い転げ、蛇髪達はパンを求めてティナに寄ってくる。
「ほら、あんた達。私の意思を優先しなさい!」
「無理無理。だって可愛いもん!」
「そういう問題じゃないわよ!」
私が怒りながらも頬が少し緩むのを、ティナは見逃さなかった。
「セレナ、今日は一緒に食べられて嬉しかったよ」
「…べ、別に。あんたが勝手に連れてきただけよ」
「はいはい、ツンデレ~♪」
「違う!!」
蛇髪達が「図星だよね?」と言わんばかりに揺れる。
ティナの笑顔につられて、結局私も――ほんの少しだけ笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
放課後の中庭は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
夕陽が傾き、石畳を茜色に染めている。
「セレナ、今日はこっち行こうよ」
ティナは慣れた様子で私の尾を避けながら、ベンチに腰を下ろした。
私も隣に座り、長い尾をくるりと丸める。
沈む夕陽をじっと見つめるティナの横顔は、普段の明るさとは少し違っていた。
「ねぇセレナ。私達さ、相性いいんだって!」
唐突な言葉に、思わず目を瞬く。
「魔法のこと?」
「そうそう!」
聞けば、私の攻撃魔法は一直線で鋭く、ティナの支援魔法はその“芯”に力が乗っているのだそうだ。
「相性がいいって言われたの。…なんか嬉しくてさ」
ティナの声は、穏やかで真っ直ぐだった。
夕陽に照らされたその横顔は、嘘がつけないほど澄んでいる。
「…そうね。あんたの支援は変に甘やかしたりしないから、やりやすいわ」
「えへへ、褒められた~!」
ティナが嬉しそうに笑うと、蛇髪達までゆらゆらと反応する。
(……本当に単純なんだから)
呆れながらも、私の口元は自然と緩んでいた。
しばらく二人で夕陽を眺めた後、ティナがぽつりと呟く。
「ねぇセレナ。私ね、いつか“誰かの力になれる魔法使い”になりたいんだ」
「誰かの……?」
「うん。困ってる人がいたら助けて、泣いてる人がいたら支えて…そういう存在って、素敵じゃない?」
あまりに純粋すぎて、胸が少し痛くなった。
「セレナは?どんな将来がいいと思う?」
突然ふられて、言葉が喉につかえる。
(将来なんて……考えたこと、なかった)
村で浮いていた私に、未来を夢見る余裕なんてなかった。
この学園に来てやっと、息ができるようになったばかりだ。
それでも――
「……そうね。強くなりたいわ。誰にも怯えず…自分の居場所を、自分で守れるくらいには」
ティナは大きく頷いた。
「うん、セレナなら絶対なれるよ。だって、こんなに努力してるもん」
「別に努力なんて…」
「はいはい、照れてる照れてる」
蛇髪がびくっと動いて、ティナはくすくす笑う。
夕陽が沈むと、空は薄紫に変わった。
その色は、どこか二人の未来の予感のようで――
何故だか胸にほんの少し温かさが灯った。
「明日も一緒に頑張ろうね、セレナ」
「…ええ。仕方ないから付き合ってあげるわ」
蛇髪達は、夕風に揺れながら小さく頷いた。
この穏やかな時間が“最後”になるなど、夕陽に照らされた私達は知る由もなかった。
◇ ◇ ◇
翌日の放課後。
図書棟で本を読んでいた私は、廊下の向こうから響く慌ただしい声に顔を上げた。
「誰か、保健室の先生を呼んで!!」
「しっかりして…!」
ただならぬ雰囲気に、私は本を閉じて扉を押し開けた。
廊下には小柄な下級生の女の子が横たわっていて、
その周囲を数人の生徒が囲んでいた。
女の子は意識が朦朧としているらしく、半分目を閉じている。
「何があったの?」
私が問いかけると、膝をついていた下級生が振り返った。
「セレナ先輩…さっきの実技演習が終わった後、教室に戻る途中で急にふらついて、そのまま倒れたんです」
私はしゃがみ込み、女の子の手に触れてみた。
ひどく冷えている。
魔力を循環できず、命の火が弱くなっていく時の症状だ。
「…魔力枯渇の兆候ね」
「でも、魔力枯渇って、普通は徐々に弱っていくものですよね?こんなに急に倒れることなんて…」
下級生の声は震えていた。
その時、女の子が微かに唇を動かした。
「…す…われ…」
「え?」
「…吸われた…みたい…で…」
聞き取れたのはそこまでだった。
次の瞬間、女の子の瞼が静かに閉じた。
「まずい!昏睡に入ったわ!」
私は咄嗟に声を上げた。
私が叫ぶと、周囲の生徒が慌てて道を空ける。
保健室の教師が駆けつけ、女の子は担架に乗せられて医務室へ運ばれていった。
私はしばらくその背中を見つめていた。
――魔力枯渇の昏睡。しかも突然。
背後に冷たい影がじわりと広がっていく。
「セレナ?」
振り返ると、ティナが心配そうに走ってきた。
私と生徒達を見比べ、眉を寄せる。
「誰か倒れたの?ねぇ、大丈夫……?」
その無垢な問いが、逆に胸を締めつける。
「……魔力の問題よ。詳しいことは、まだわからないわ」
「そっか…怖いね」
ティナは私の袖をそっとつまんだ。
その小さな仕草が胸に刺さる。
ティナが隣にいても、先程倒れた後輩の、閉じていく瞼の光景が何度も脳裏で反芻されたままだった。
◇ ◇ ◇
その日を境に、学園では妙な噂が広がり始めた。
「また倒れた生徒が出たらしい」
「でも、一晩で目を覚ましたって聞いたよ」
「原因不明の魔力低下…?」
噂は曖昧で、内容も食い違っている。
本当のことは教師達が知っているのだろうが、情報は外に出てこない。
(…でも、確かに“増えている”)
図書館でまた一人、座り込んでいる生徒を見た。
魔力測定器室では、半分ほどの生徒の魔力数値がいつもより下がっていた。
そして極めつけは――
魔術理論室の魔道具が、突然「ゼロ」を示したことだ。
「なんで?さっきまでちゃんと動いてたのに」
「壊れた?いや…この機器、壊れたことなんて…」
生徒達がざわつく中、私はひとつの言葉を思い出していた。
(……“吸われた”)
あの後輩の震える声が耳に蘇る。
理由が思いつかず、胸の奥がひやりとした。
そんな中、ティナはいつもと変わらないように振る舞っていた。
「セレナー!今日お昼、一緒に行こ!」
「……ええ」
その笑顔は変わらない。
でも――昼休みの中庭で食事をしている時、私はふと気づいた。
ティナの手が、わずかに震えている。
「ティナ」
「ん?なぁに?」
私は蛇髪を傾け、注意深く観察した。
「……体調、悪いんじゃない?」
「あはは、平気だよ~。ちょっと寝不足なだけ!」
軽く流すティナ。
でもその笑顔は少しだけ弱かった。
「本当に?」
「ホントホント。ほら、わたし支援魔法得意だし、魔力の扱いは慎重だから!」
その時だった。
ティナが紙コップを取ろうとして、ほんの一瞬、指先から光が漏れた。
「……え?」
ティナ自身が目を丸くする。
支援魔法を暴発するような彼女ではない。
その微光は、制御の乱れ――つまり 魔力の流れに歪みがある証拠だ。
「ティナ。今の……」
「たまたまだよ! ねっ?」
無理に笑おうとする声が、ほんの少し震えていた。
(……まさか、ティナにも何か?)
胸がきゅっと締め付けられる。
この学園で起きている異常が、ゆっくり、確実に私達に近づいている気がしてならなかった。
その時、廊下のほうがざわついた。
「え、何?先生達だらけじゃない?」
「魔術理論室……閉鎖?」
私とティナが振り返ると、複数の教師が険しい表情で学園内を歩き回り、各教室や廊下で生徒に声をかけていた。
「魔力測定器の使用は、本日は中止とします。理由は後日説明します」
「魔術理論室には近づかないように。いいですね?」
「何があったんですか?」
「……心配する必要はありません。今は指示に従ってください」
そう言う教師たちの顔は、“何かを知っているのに隠している” という色をしていた。
学園全体が、静かにざわめいている。
ティナと別れてから、私は中庭へ一人で足を向けた。
今日の夕陽は、どこか薄暗く見える。
(……どうして、こんなに嫌な予感がするの?)
不安は、風に溶けて消えるどころか、
逆に夕闇の中で濃さを増していくばかりだった。
◇ ◇ ◇
実技演習の開始を告げる鐘が鳴ると、演習場に張りつめた空気が満ちていった。
ここ数日、学園で続く異常のせいか、誰もがどこか落ち着きなく周囲を見渡している。
私とティナは、いつものようにペアを組んだ。
連携魔法――攻撃と支援の同時発動。相性の良さが最も出る演習だ。
「セレナ、今日もよろしくね!」
ティナはいつもの明るい笑顔を向けてきた。
ただ、その頬の下に隠れる“わずかな疲れ”を私は見逃さなかった。
(……なんで、そんなに無理して笑うのよ)
嫌な予感は、昨日から晴れないままだ。
「じゃあ…始めようか」
私が炎属性の詠唱をし、ティナは胸前に両手を掲げ、支援魔法の構えを取った。
支援魔法の発動は、魔力を外に向けて開く技。
その魔力の“流れ”に、ティナの力が重なれば、私の魔法は鋭さを増す。
二人の魔力の気流が絡まり、共鳴しはじめた。
するとティナの肩が、びくりと揺れた。
「……あれ?」
小さすぎる異変だった。
けれどその震えが、全ての前触れに見えた。
「ティナ?」
「う、うん…大丈夫。少し、胸が…熱い…?」
熱い。
昨日倒れた子は「胸が冷たい」と言っていた。
正反対のようで、内側の異常を示す“同じ症状”だ。
ティナの指先から支援魔法の光が生まれた。
しかし、その光はいつもより揺れていた。
(やめたほうがいい……)
そう警告しようとした瞬間だった。
――空気が揺らいだ。
演習場の空間全体が、一瞬だけノイズみたいに歪んだ。
風が止み、音が吸い込まれ、世界の一部が無音になる。
「……っ!?」
ティナの胸元が突然、淡い光を帯びた。
魔力が外へ溢れようとする支援魔法の“流路”が全開になっている。
そしてその光が、ふっと吸い上げられるように揺らいだ。
「セレナ…? なん、か…変…」
ティナが胸を押さえ、膝を折りかける。
「魔力を止めなさい!!流路を閉じるのよ!!」
「と、止まらない…ねぇ…魔力が…逆に…抜けて…」
光が吸い込まれる音がした。
実際に音はしていないはずなのに、鼓膜の奥が軋むような“気配”があった。
支援魔法の光が細い糸となり、ティナの胸元から外へ吸われていく。
「ティナッ!!」
私は彼女の身体を支えるように駆け寄った。
だが、ティナの体温はみるみる奪われていく。
「…セレナ…こわ…い…よ…」
その声は震えて、涙のように滲んでいた。
次第にティナの瞳から焦点が消えていく。
私はその身体を抱きとめながら叫ぶ。
「ティナ!!しっかりしなさい!!」
しかしティナはもう、言葉を返さない。
胸元から最後の光が吸われ、彼女の身体は力なく崩れ落ちた。
支援魔法は完全に途切れ、魔力の気配が――消えた。
「…嘘でしょ…ティナ…?」
耳元で呼びかけても、返ってくるのは静かな息だけ。
彼女の目は閉じ、意識は深い闇に沈んでいった。
誰かが駆け寄ってくる声が遠くで響く。
教師達の焦った声。周囲の生徒の悲鳴。
でも私の目には腕の中で眠り込むティナだけしか映っていなかった。
魔力の“枯渇”――そんな言葉が脳裏をよぎる。
けれど、そんなはずはない。演習は通常通りの内容だった。
無茶な魔法を使ったわけでもない。なのに、どうして――。
ティナの手は冷たく、魔力の気配はいつもよりずっと、ずっと弱かった。
胸の奥に広がった不安は、私の予感がただの思い過ごしではなかったことを、静かに告げていた。
「お願いよ、ティナ…起きてよ…」
その声は、白い息のようにすぐに消えてしまうほど、弱々しく震えていた。
◇ ◇ ◇
ティナはすぐに保健室へ運ばれた。
担架に乗せられた彼女の横で、私はただ、冷たくなりかけた手を握ることしかできなかった。
さっきまで一緒に笑っていたはずなのに、その身体は妙に軽くて、
掴んだ指先からは、ほとんど魔力の気配が感じられない。
(……嫌だ)
胸の奥がぎゅっと縮む。
保健室の扉が開くと、薬草と消毒薬の匂いが鼻を刺した。
中は薄暗く、魔力灯がぼんやりと白い光を落としている。
「ベッドを空けなさい!」
担当教員の声で、他の生徒が慌てて身を引いた。
ティナは一番奥のベッドに運び込まれ、白いシーツの上にそっと横たえられる。
「脈はどうだ?」
「…安定しています。ただ、魔力の流れが…異常なほど薄いですね」
保健医の先生が眉をひそめる。
額に手を当て、短く診察の呪文を唱えた。
淡い光がティナの身体をなぞる。
しかし、その光はすぐに弱くなり、霧のように消えた。
「やはり、魔力枯渇に近い状態です。ですが、通常の暴走や使いすぎとは違う……」
「原因は?」
担当教員の問いに、保健医は首を横に振る。
「今のところは、断定できません。ただ――」
そこで、一瞬だけ視線がこちらをかすめた。
「今は安静にするしかないでしょう。しばらく意識は戻らないと思います」
その言葉が、胸に重く沈む。
教師達の会話が遠くなる中、私は椅子を引き寄せて、ティナの枕元に座った。
白いカーテンに区切られた狭い空間で、聞こえるのは彼女の静かな寝息と、魔力灯の微かな唸りだけだ。
「…ティナ」
名前を呼んでも、返事はない。
握った手は冷たくて、少女らしい柔らかさだけが、かろうじて残っている。
「どうしてよ…」
喉の奥が焼けるように熱くなった。
「どうして私なんかと組んだのよ。相性がいいって言われたからって、調子に乗って…一緒に連携なんてしなければ…」
本当はわかっている。
ティナは、そんなことで私を責めたりしない。
それでも、責めずにはいられなかった。責める相手が、自分しかいなかった。
蛇髪達も、力なく垂れ下がっている。
いつもならティナを見るとそわそわと揺れるのに、この時ばかりは動こうとしなかった。
どれくらいの時間が経ったのか、わからない。
何人かの教師が様子を見に来ては、小声で何かを話し合い、難しい顔をして去っていく。
そのたびに、胸の奥の不安は少しずつ形を持ち始めた。
(このまま目を覚まさなかったら――)
その最悪の想像だけは、必死に追い払った。
けれど、現実は容赦なく、その一線を越えてくる。
◇ ◇ ◇
何日かが過ぎた。
ティナは眠ったままだった。
朝に来て手を握り、授業の後に様子を見に来て、夜の見回りの時間ぎりぎりまで傍にいる。
それが、私の日課になった。
「ねぇ、ティナ。今日の実技でね、先生に褒められたのよ」
眠る彼女に、わざと明るく話しかける。
「“お前の魔法は無駄がない”ですって。…ふふ、あんたの支援があれば、もっと凄かったのにね」
返事は、当然返ってこない。
けれど話していないと、自分が壊れてしまいそうだった。
魔力測定器の部屋は、相変わらず閉鎖されたままだ。
不調を訴える生徒も、いつの間にかいなくなった。
異変は、ぴたりと止んだ。
その事実が、何より怖かった。
――ある日の夕方。
保健室に入ると、いつもの魔力灯の光の中に、見慣れない一つの器具が置かれていた。
澄んだ水晶を埋め込んだ小さな台座。魔力の残量を示すための簡易測定具だ。
ティナの胸元のあたりに、その水晶から伸びた細い糸のような光がかすかに触れている。
「状態の確認用です」
傍にいた保健医が、静かに説明した。
「彼女の魔力が戻りはじめれば、石が光ります。逆に、完全に尽きた場合は――」
そこで言葉を切り、視線を逸らす。
言葉の続きを聞くのが怖くて、私はただ無言で頷いた。
それから、どれくらいの時間が経っただろう。
椅子に座ったまま、握った手の冷たさを確かめるように、何度も指先に力を込める。
ティナの胸は、かすかに上下している。でも、そのリズムはどこか遠い。
「…ティナ。起きてよ。あんた、まだ何も見てないじゃない」
いつか一緒に行こうと言っていた場所。
学園の外の世界。
支援魔法をもっと極めて、困っている人を助けるんだと、夢みたいに笑っていた横顔。
全部、まだ途中のはずだった。
私が俯いていた、その時だ。かすかに、光が揺れた。
顔を上げると、水晶が、一瞬だけ淡く灯っていた。
「……!」
思わず立ち上がる。
光は心臓部の鼓動のように弱く瞬き――
次の瞬間、その灯りは、跡形もなく消えた。
部屋の空気が、ぐらりと揺れた気がした。
私は息を吸うのも忘れ、ティナを見つめる。
「ティナ…?」
呼びかけた声は、自分でも驚くほど小さかった。
彼女の胸は、もう上下していなかった。
静寂が落ちる。
蛇髪達が、いっせいに固まる。
「……先生」
掠れた声で保健医を呼ぶと、先生はすぐに状態を確認し、深く、深く息を吐いた。
「……ごめんなさい」
その言葉だけで、全てを理解した。
膝から力が抜け、床に崩れ落ちる。
涙は出なかった。ただ、世界から色が抜け落ちていく感覚だけがあった。
(どうして……)
どうして、よりにもよってあんたなの。
どうして、あんたが代わりに連れて行かれるの。
心の中で何度問いかけても、答えはどこにもなかった。
◇ ◇ ◇
ティナが命を落とした日を境に、学院内での異常は嘘のように消えた。
倒れる生徒はもう出ず、魔道具も正常な数値を示すようになった。
閉鎖されていた魔術理論室も、ほどなくして解放される。
学院は『原因不明ではあるが、事態は収束した』と発表した。
多くの生徒は胸を撫で下ろし、日常へと戻っていく。
廊下には再び笑い声が戻り、授業も平穏を取り戻した。
――ただ一人、私は、何ひとつ戻る気がしなかった。
ティナの席は、空いたままだ。
教室の片隅に残された彼女の名札は、誰も触れようとしない。
◇ ◇ ◇
「…これを、君に渡したい」
ある日の放課後。
呼び出された教員室で、担当教員は小さな箱を差し出してきた。
蓋を開けると、そこには細い銀色の輪と、淡い水色の小さな石がはめ込まれたチョーカーが収まっていた。
「ティナさんのご家族からだ。彼女が、いつも大事にしていたものだそうだ」
指先でそっと触れると、ひやりとした感触が伝わってくる。
首元に巻くには、少しだけ心許ないくらい華奢なつくりだ。
「……どうして、私に」
「彼女が生前、”もし自分に何かあったら、これをセレナに渡してほしい”と手記に遺していてね」
胸の奥が締め付けられる。
いつの間に、そんなことを考えていたの。
喉の奥から言葉がこみ上げてくるけれど、うまく形にならない。
ただ、震える声でやっと絞り出す。
「返しますと言っておいてくれませんか。…こんなもの、いらないって」
自分でも、何を言っているのかわからなかった。
本当は手放したくないくせに。
先生は少しだけ目を細めてから、首を横に振った。
「それでも、彼女は君に託したんだよ」
箱の中のチョーカーが、魔力灯の光を受けてかすかに輝く。
私は唇を噛みしめ、そっと蓋を閉じた。
◇ ◇ ◇
それから、いくつかの季節が過ぎた。
旅立ちの日。
私は学院を発つ前に、理事長室へ呼び出された。
荷物はすでにまとめ終えている。
最低限の衣類と、いくつかの本。それだけで十分だった。
首元には、あの日受け取ったチョーカー。
金属の輪が、わずかに肌に触れる感触が、やけに鮮明だった。
理事長室の前で、私は一度だけ足を止める。
深く息を吸い、胸の内を整えてから、扉を叩いた。
「……失礼します」
「ええ、どうぞ」
返ってきた声は、相変わらず穏やかだった。
扉を開けると、理事長は机の向こうで椅子に腰掛け、こちらを見て柔らかく微笑んだ。
人間のおばあちゃんのような見た目。
白髪をきちんとまとめ、小柄な身体ながら、背筋は不思議なほど伸びている。
威圧感はない。
それでいて、この学院を長く支えてきた人の重みだけが、静かにそこにあった。
「セレナ。まずは――卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
形式的なやり取りのはずなのに、その声には、確かな温度があった。
私は一礼し、勧められるまま向かいの椅子に腰を下ろす。
木製の椅子が、かすかに軋んだ。
理事長はしばらく私を見つめ、それから、ゆっくりと口を開いた。
「…旅立つと聞きました」
その一言で、胸の奥がわずかに締まる。
「はい…」
短く答えながら、私は視線を落とした。
「ここで学ぶことは、もうありませんから」
そう言い切った言葉は、半分だけ本心だった。
残りの半分は、ここに留まり続けることへの恐れ――
そして、向き合いきれていない自分から目を逸らすための、言い訳だった。
理事長は、私の言葉を否定しなかった。
ただ、小さく頷く。
「そう思うのも無理はありません。貴女は、十分すぎるほどの成果を残しましたから」
首席卒業。
その評価が、今の私には、やけに遠いもののように感じられた。
喜びよりも先に思い浮かぶのは、白いシーツの上で眠るように横たわっていた、友の姿だった。
理事長は、湯気の立つ茶にそっと手を添え、一口含んでから、こちらをまっすぐ見つめる。
「セレナ」
名を呼ばれただけで、背筋が自然と伸びた。
「私は、貴女ほどの才を――ここで終わらせたくはありません」
その声音は穏やかだったが、言葉には確かな芯があった。
「院生として、もう一段階、魔法の研究をしてみませんか?」
「……研究、ですか」
思わず、そう呟いていた。
「ええ。学院に残り、理論と実践の両面から魔法を掘り下げるのです」
理事長の言葉は、淡々としている。
だが、それは説得でも、引き留めでもない。
“選択肢”を差し出しているだけだった。
「でも……」
続く言葉を探しかけた私を、理事長は急かさなかった。
代わりに、静かに告げる。
「それは――ティナさんを失った原因の解明にも、繋がるかもしれません」
その瞬間、思考が止まった。
(……原因)
胸の奥で、凍りついていた記憶が、ゆっくりと動き出す。
あの日の演習場。乱れた魔力の流れ。
そして、力なく崩れ落ちた、ティナの身体。
なぜ、あの場で。
なぜ、あの魔法で。
なぜ、彼女だったのか。
私は、一度も答えを得られていない。
旅に出れば、時間と距離が、それを曖昧にしてくれるかもしれない。
けれど、それは“忘れる”だけだ。“理解する”こととは、違う。
無意識に、胸元のチョーカーに指が触れた。
冷たい金属の感触が、現実を引き戻す。
(私は…このまま背を向けていいの?理由も分からないまま、「仕方なかった」で終わらせて)
胸の内で問いかけた瞬間、答えは、驚くほど静かに定まっていた。
「…わかりました」
自分でも不思議なほど、声は落ち着いていた。
「もう少しだけ、ここに残ります」
理事長は、ほっとしたように目を細め、微笑む。
「ありがとう。できる限り支援はしますから――貴女は、自分が思うように学びなさい」
その言葉は、重くも軽くもなかった。
ただ、進むための場所を示されたような感覚だった。
◇ ◇ ◇
理事長室を出ると、廊下の空気が少しだけ軽く感じられた。
扉が静かに閉まる音を背に、私は歩き出す。
学院の中庭は、いつもと変わらない静けさに包まれていた。
石畳の上を渡る風が、木々の葉を揺らし、陽光がその隙間から落ちてくる。
私は足を止め、ゆっくりと空を見上げた。
雲は高く、流れるように形を変えていく。
どこまでも広がるその青は、あの日、ティナと並んで見上げた夕空とは、少し違って見えた。
首元のチョーカーに、そっと指を添える。
水色の石は、何も語らないまま、静かに光を宿している。
「……ねぇ、ティナ」
声に出した名前は、風に溶けていった。
「私は、逃げないわ」
答えは返ってこない。
それでも、言葉を続ける。
「必ず、原因を突き止めてみせる。どうして、あんたが――あの日、失われなければならなかったのか」
胸の奥で、痛みが小さく軋んだ。
けれどそれは、立ち止まらせるためのものではない。
「それが終わるまでは…前には進まない」
そう呟くと、不思議と心は静かだった。
決意は、熱を帯びていない。
ただ、揺るぎなく、そこに在る。
風が吹き、蛇髪達が小さく揺れる。
まるで頷くように。
私はもう一度だけ空を見上げ、深く息を吸った。
こうして私は、学院に留まる決意を固めた。
失った友の名を、胸に刻んだまま。
答えを見つけ出す、その日まで。




