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ミノタウロス娘は掲げる~この拳は守る為に~

登場人物

トーラ

種族:ミノタウロス

ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。

アタイの名前はトーラ。

ミノタウロスの魔物娘…らしいけど、昔の姿を知ってるヤツらが言うには、

『本来は全身がもっと牛っぽかった』だの『角も牙ももっとゴツかった』だの、よくまあ好き勝手言ってくれる。


――ま、どうでもいいけどな。今のアタイは、アタイだ。

二本足で歩いて、拳で戦って、飯食って酒飲んで、明日を生きる。それで十分。


でも、アタイの“明日”は最初から平穏だったわけじゃない。


生まれたのは鉱山町ヴァルハール。

今でこそ賑やかな商業の町だけど、その頃はまだ鉱山って呼ばれた方がしっくりくる荒れた場所だった。


灰と土埃が昼でも空をくすませて、道具の音と怒鳴り声だけが響く。

人間も魔物娘も関係なく、“働き手”なんて優しい呼び名はなかった。

使えなくなれば捨てられる、ただの“道具”。


そんな町で、アタイは育った。

拳しか取り柄のねえ、どこにでもいるガキでさ。


だけど――あの頃のヴァルハールは、ただの灰色じゃなかった。

錆びついた鉄の中にも、確かに“熱”があったんだ。


◇ ◇ ◇


あの頃のアタイは、今みたいに“頼れる姉御”なんて呼ばれるような器じゃなかった。

ただのガキで、ただの荒くれで、ただの――力を持て余していたミノタウロスの小娘だ。


朝は朝で、鉱山の笛の音に叩き起こされて、寝ぼけた顔のまま外に出れば、

空気はいつも鉄と油の匂いでむせ返ってた。


「おい、ハンマー持てるか!」

「そっちの荷、運べるだろ!」


アタイが角を持ってるってだけで、周りの大人達は力仕事を当然みたいに押しつけてきた。


まぁ、持てるけどさ。

ただ、ガキの頃のアタイはその扱いが気に食わなかった。


なんでアタイばっかりなんだよ、って。

なんでこんな町で、こんなことばっかり、って。


でも、アタイには不満を言う代わりに“拳”があった。


荒れてる奴らを見れば殴るし、

誰かが無理やり働かされてたら腕を引っ張って逃がすし、

喧嘩を売られたら十倍返し。


馬鹿みたいな反抗の仕方だけど、あの頃はそれが精一杯の抵抗だったんだ。


特に“赤”を見ると、血が熱くなる体質。

これには本当に苦労した。


ちょっとした怪我でも、誰かの赤いスカーフでも、

目に入ると胸の奥が熱くなって、鼓動がドクンと跳ねて、身体が勝手に戦闘態勢に入っちまう。


暴走したことがないわけじゃない。

むしろ、何度もある。


仲間の魔物娘に怖がられたこともあるし、大人達に止められて殴られたこともある。

自分でも制御できない力ってのは、そりゃあ、怖ぇもんだよ。


…だけど、それでもさ。


理不尽が目の前にあるのに黙ってられるほど、アタイは器用な性格じゃなかった。

だから今日も拳を握って、誰かが泣いてる方向へ走っていった。


それがあたしの“若い頃の日常”だった。


灰色の町で、錆びた鉄の音が響く中で、アタイはただ拳ひとつで、生きてた。


◇ ◇ ◇


ある日を境に、鉱山の空気はさらに悪くなった。


理由は単純だ。逃げる奴が増えたからだ。


毎日のように誰かが倒れ、誰かが消え、誰かが鉄くずの下敷きになって運ばれていった。


そりゃあ逃げるやつも出るよ。

アタイだって殴れるもんなら殴って逃げるさ。


――でも、管理者たちは違った。

逃げたやつを追いかけるんじゃなく、“残ったやつを締めあげる”方向に動いた。


そして発表された新しい制度が、最低で最悪のルールだった。


『暴力沙汰を起こした場合、本人ではなく“同じ班の全員の労働時間を倍にする”』


……は?


最初聞いたときは耳を疑った。

殴った本人より、周りのほうが罰を受けるなんて、どこの狂った頭から出てくるんだ。


だけど、それが本当に適用された。


ちょっとした喧嘩が起きただけで、同じ持ち場の連中は二倍のノルマ。

一人が指を切れば、十人が徹夜。

アタイが誰かの肩を掴むだけで、周りが怯えて後ずさった。


「トーラ…頼む、今日はやめてくれよ」

「殴りたいのはわかる。でもあたしらがもう耐えられないんだ」


そんなふうに言われるのが、アタイは一番きつかった。


正直、拳を振るうのは怖くなかった。

暴走するのも慣れてた。

殴られるのだって、まあ我慢できる。


でも――アタイが殴れば、他の誰かが泣く。

それだけは、どうしても耐えられなかった。


あの頃、アタイには守りたい奴なんていなかったはずなのに、

気がつけば“班”っていう小さなグループが家族みたいになっててさ。

老いた魔物娘のネイラばあさんとか、力の弱いインプの子とか、人間の若造のカイとか。


あいつらが汗だくで、自分のせいで苦しむ姿を見るぐらいなら――

拳なんて、折れてくれて構わないと思った。


だからその日から、アタイは殴れなくなった。

力があっても、“振るう理由”が消えたら意味がない。

悔しいとか情けないとか、そんな言葉じゃ足りなかった。


ただ、胸の奥にドロっとした何かが沈んでいく感覚だけが、いつまでも消えなかった。


◇ ◇ ◇


拳を封じられてからの日々は、正直、あたしにとって地獄だった。


暴力沙汰が起きても、目の前で弱い奴が押しつけられても、胸がカッと熱くなっても――殴れない。


殴ったら、班のみんなの時間が倍になる。

アタイのせいで、誰かが倒れる。

そんなの、やりたくてもできるかよ。


だからある日、アタイはただ立って見ていた。

無理矢理働かされてるインプの子が、大人の人間に無茶な荷物を押しつけられているのを。


殴りたい。助けたい。でも、殴れない。


拳を握ったまま動けずにいたら――そのすぐ横で、別の男が動いた。


「おい、やめてやれよ。荷物の重さと体の大きさが釣り合ってねぇだろ」


声は落ち着いているのに、妙に強かった。

振り返ると、痩せて、ひょろっとした人間の男だった。

華奢で、鉱山労働者って感じじゃない。

なのに、目だけが澄んでいて強ぇ。


人間なのに、あたしよりずっと気骨があった。


「うるせぇ、仕事だろ!」

「仕事でも限度がある。無茶させて潰したら、誰が得する?」


淡々としたその声に、一瞬だけ空気が緊張した。

周りの魔物娘達がひそひそ言いはじめる。


「あの人、また言ってる…」

「やめろよ…管理者に目つけられるぞ…」


“また”?


――つまり、こいつは何度も言ってるってことか。

興味が湧いたアタイは、つい声をかけちまった。


「アンタ、バカなのか?そんなの言っても状況変わんねぇよ」


「バカかどうかはさておき、黙って見てるのは性に合わないんだ」


その男は、へらっと笑った。

アタイの拳より軽い笑顔なのに、妙に誇らしげだった。


「俺はレオンだ。この鉱山、変えられると思ってる人間だ」


「……は?」


何言ってんだこいつ。

アタイの反応なんて気にも留めず、レオンは続けた。


「逃げるのもいい。でも、逃げた先に何がある?ここを“生きていける場所”に変えりゃあ、話は早い」


人間のくせに、夢みてんじゃねぇよ――そう吐き捨てるつもりだった。

だけど、アタイの口は動かなかった。


なぜかって?

こいつの瞳が、昔のアタイみたいに真っ直ぐだったからだ。

荒んだ町を前に、折れず、曲がらず、それでも“前を向こうとしてる”目。


なんだよ。

そんな目で言われたら、胸がチクリと痛ぇだろ。


レオンはインプの子を立たせて、埃を払ってやりながら言った。


「一人じゃ無理でも、何人かいれば変えられる。あんたも、そう思ったこと、あるだろ?」


……あるよ。あるに決まってる。


アタイは、ずっとそれを拳でやろうとしてた。

でも、その拳を封じられた今。

どうしていいかわかんなくなってた。


だから何も言わなかった。


だけど胸の奥で、何かが小さく揺れた。


“拳じゃなくても、やり方はあるんじゃねぇか?”


そんな、生意気な希望みてぇなものが。


◇ ◇ ◇


「……集会?」


アタイが眉をひそめると、レオンは肩をすくめて笑った。


「でっかい革命じゃない。ただの寄り合いみたいなものだよ。みんなの困ってることを話し合うだけ」


“寄り合い”って軽く言うが、この鉱山でそんなのが見つかったら、管理者達は“反乱の芽”として即潰しに来る。


「バレたら全員しょっ引かれるぞ」


「ああ。だから、慎重にやる」


なんで笑ってられるんだ、こいつは。

レオンの誘いなんて断るつもりだった。

アタイには拳ひとつで十分だったし、誰かに依存したいとも思わなかった。


――だけど、今のアタイは拳を振るえない。

そのせいで、守りたいものひとつ守れねぇで立ち尽くした自分が嫌だった。


「……別に行くとは言ってねぇ」


「見学でいいよ。あんた、気になってるだろ?」


図星だった。

結局その日の夜、アタイはレオンについていっちまった。


鉱山の入り口から少し離れた、崩れた坑道跡。

昼間は誰も使わない廃坑の奥だ。


小さなランタンの灯りに照らされて、数人の魔物娘と人間が輪になって座っていた。


ハーピー、ドワーフ、スライム、そして人間の若い男と女。


誰も強くねぇ。誰も偉くねぇ。

なのに、みんなの目が真剣だった。


レオンが軽く手を上げる。


「今日も、ひとつずつ話していこう。どうすれば“明日が少しだけ楽になるか”」


「……明日?」


思わず声に出しちまった。

レオンはひょいとあたしを見る。


「そう。 世界は一晩で変わらない。だから俺達は、明日を少し変えるんだよ」


その言葉が、なぜか胸に突き刺さった。

アタイは拳で“全部ひっくり返す”方法しか知らなかった。

だけどレオン達は、小さく、静かに、それでも確実に“改善しよう”としてる。


・荷物の運び方を交代制にする案

・休憩を5分でもずらして人だまりの衝突を減らす案

・管理者の目をごまかすための簡単な合図

・弱ってるやつをさりげなく助ける仕組み


どれも地味で、くだらなく見える。


だけど誰も傷つけない。誰も罰せられない。

それでいて、確かに“良くなる”。


ハーピーの少女が言った。


「今日ね、水の配給、少しだけならしてきたの。多く取ろうとする人間の人には、レオンが話してくれて…すっごく助かった」


「いい仕事だったな。おつかれ」


レオンはすごく自然に褒めた。


……なんだこれ。


なんで、アタイの知らねぇ“強さ”がここにあるんだよ。


その場の空気に飲まれて、アタイはつい口を開いてしまっていた。


「…寝床の布、足りねぇやつ多いだろ。アタイ、縫い直すぐらいならできる。余ってる布集めてくれりゃ、直してやるよ」


一瞬、みんなの視線がアタイに集まった。


「いいじゃないか、トーラ。それが“明日を楽にする”ってやつだ」


なんだよその顔。

褒められ慣れてないからむず痒い。


でもその夜、布を縫いながら思った。

拳が使えなくても、やれることはある。


変えられるかもしれない。

この腐った鉱山を。この町を。

そう思えちまった自分が、なんか悔しくて、でも少しだけ誇らしかった。


◇ ◇ ◇


夜明け前、鉱山の入口で怒鳴り声が響いた。


「“赤の監督官”が来たぞ!」


嫌な予感なんてレベルじゃなかった。

あの連中が動く時は決まってる。

“規律を破ったやつを見せしめにする時”だ。


胸の奥がざわついて、アタイは廃坑へ駆けた。

レオン達が荷物をまとめてバタバタしている。


「おい、レオン!なにがあったんだよ!」

「……密告された。俺達の“自主修繕”が反乱だと見なされたらしい」


ハーピーの娘は震えていて、ドワーフの女も青ざめてる。


アタイは拳を握った。


「逃げるのか?」

「ああ。捕まれば拷問だ。それに――“武力禁止”の規律、知ってるだろ?」


勿論知ってる。労働者が監督官に手を上げたら終わり。

特にミノタウロスのアタイなんて、“例外なく処罰対象”。


強すぎるから、だとよ。

笑えねぇ理由で縛られてる。


「お前が手を出したってバレたら、連中はお前を“見せしめ”に使う。確実にだ」


アタイは歯を食いしばった。

逃げる……か。頭じゃわかる。

命を守るためには正しい選択だ。


でも、胸の奥の火が許さなかった。


「……じゃあよ。あんたらが逃げた後、ここに残る連中は誰が守るんだ?」


レオンは黙った。

その沈黙が逆に答えみたいで腹が立つ。


「逃げるのが悪いとは言わねぇよ。けどな…アタイは、また“目の前で泣いてる奴”を見捨てられねぇんだ」


幼い頃、守れなかったやつら。

その叫びと涙が、ずっと胸に刺さってる。

二度と味わいたくなかった。


レオンはゆっくりとアタイの肩を掴んだ。


「…トーラ。行くなら…帰ってきてくれ。お前の拳は、壊すためじゃなく“守るため”にあるんだろ?」


その言葉が胸の奥で熱く響いた。

迷いなんてなかった。


廃坑を飛び出した瞬間、鉱山の外で“赤の監督官”どもが棍棒を振りかざし、

怯える労働者達に襲いかかっているのが見えた。


悲鳴が響く。誰も抵抗しない。

“武力禁止”の規律が全員を縛っている。


でもアタイは――違う。

守るために拳を握る。それがアタイだ。


未来がどうなるかなんて知ったこっちゃない。

でも“今、この瞬間”を見捨てるくらいなら――そんな未来なんてクソくらえだ。


アタイは地を蹴り、叫んだ。


「来いよ…!ここは、あたしらの“生きていい場所”だっつってんだ!!」


拳に力が宿る。

アタイの全てを賭けた一撃が、この夜明けをぶち破る。


◇ ◇ ◇


アタイが駆け出すと同時に、“赤の監督官”の一人がこちらを振り向いた。


真っ赤な外套に、棍棒みたいな武器。

腕は太く、目は血走っていて、まるで“殴るために作られた生き物”みたいな奴だった。


「……てめぇ、ミノタウロスの女か」

アタイを見るなり、口の端が吊り上がる。嫌な笑みだった。


「労働者が武器を向ける気か?規律違反だぞ?」


“武力禁止”。あのクソみたいなルール。


でも――もう迷わない。


「……黙れよ」

足を止めずににらみ返す。


「規律だなんだって、暴れる口実にしてんのはどっちだよ?」

赤の監督官は一瞬キョトンとしたが、すぐに怒りで顔を真っ赤にした。


「いい度胸だ……!まずはてめぇから見せしめだ!」


棍棒が振り上げられた瞬間、アタイの身体が勝手に動いた。

踏み込み、拳を固め、思い切り顎めがけて打ち上げる。


「ッ……!!」


硬い感触。拳が軋む。手首が痛い。

でも――倒れたのは、あいつの方だった。


監督官の身体が仰け反って地面に倒れ込み、周囲がギョッと息をのむ。


誰も…誰も、見たことがないんだ。


“労働者が監督官を倒すところ”なんて。


アタイの拳が震えたのは、恐怖じゃない。

ようやく、ようやく振るえた安堵だった。


「まだだ……!」


他の監督官が吠えて、一斉にアタイへ向かってくる。


多勢に無勢だ。武器も持ってない。

まともに受ければ命はない。


でも後ろを振り返ると、怯えた仲間達が壁際で震えていた。


あの日と同じだ。

助けを求める声が、確かに聞こえる。


守りてぇ――アタイは、誰かを守りたいんだ!


棍棒が振り下ろされる。

アタイは横に飛び、地面を蹴って反撃に移る。


「おらぁあっ!!」


腹へ拳を叩き込み、別の奴の足を払って転ばせ、さらに振ってきた棍棒を腕で受け流し、そのまま体当たりする。


痛ぇし、腕が痺れるし、呼吸が乱れる。

けど倒れねぇ!


だって今、アタイの背中には“守りたい場所”がある。


監督官達は怒号を上げながら潰しにかかるが、動きが荒い。

無駄に力んでいて、隙だらけだ。


鉱山で毎日身体を動かしてきたアタイのほうがよほどしなやかだ。

連中の攻撃をかわすたびに、胸の奥が熱くなる。


「……来いよ。今のアタイは止まらねぇぞ!」


最後の一人が棍棒を振り上げ、正面から突っ込んできた。

アタイは足を固定し、息を吐き――拳を真っ直ぐ突き出した。


「うおおおッ!!」


鈍い音とともに相手が後ろへ吹っ飛び、地面に転がって動かなくなった。

風の音すら止まったように感じた。


アタイは拳を見下ろした。


血がにじんでる。震えてる。

でも、後悔なんて一つもねぇ。


「……これが、アタイの答えだよ」


今日、あたしは“規律”を破った。

でもそれ以上に――自分で、自分の生き方を選んだ。

そんな確かな実感が、胸に灯っていた。


◇ ◇ ◇


アタイが最後の監督官を倒したあと、広場に静寂が落ちた。


誰も声を出さない。誰も動かない。


息が荒くて、拳は震えてて、身体中が痛いのに、あの沈黙が、やたらと重くて堪えた。


(……やっちまった、か?)


一瞬、そんな思いが頭をよぎった。


“武力禁止”。

アタイはそれを破った。


普通なら、このあと連中の親玉が来て、もっと酷い仕返しをされる。


だから皆も怯えてるのかもしれない。

そう思っていた、そのとき――小さな足音が、アタイの方へ駆け寄ってきた。


「トーラっ!」


鉱山で働いてる少年だった。

身なりは汚れてて、腕も細くて、あたしの胴の半分くらいしかないちっこい体。

それでも、まっすぐあたしの前まで走ってきて、ぎゅっと服の裾を掴んだ。


「…ありがとう。あんたが来てくれなかったら、俺…死んでたよ」


胸にズンッと響いた。

ああ…“守れた”んだ。

初めてその実感があたしの中に落ちた瞬間だった。


その声をきっかけに、周りの人達が少しずつ口を開き始めた。


「トーラ、よく…やってくれた…」

「監督官を倒したなんて…信じられねぇ…」

「規律破りでもなんでもねぇ!助けられたんだ、俺達は!」


皆の言葉が次々と飛んできて、胸の奥が熱くなる。


(アタイ…必要とされてんのか?)


そんなこと、今まで一度だって思ったことがなかった。


“ただ力があるだけのミノタウロス”

“暴れないように縛っておくべき危険な獣”


そんな扱いをずっとされてきた。


でも今、皆の目は違ってた。

……恐怖じゃなくて、ちゃんと“感謝”の目で、アタイを見てた。


そこへ、倒れた監督官達のうち数人がのろのろ起き上がり、

仲間の腕を引きずりながら退いていく。


「いずれ…報いを受けるぞ…」

「…本部に報告だ…」


吐き捨てるように言って、赤の外套が朝の光の中に消えていった。

アタイは追いかけようとは思わなかった。


こっちはもう、失うもんなんて何もねぇ。

それにこの町には、まだ守るもんがある。


レオンが後ろからゆっくり歩いてきた。


顔に埃と汗がついてたけど、目だけがやけに静かで、澄んでいた。


「…やりやがったな、トーラ」


「悪かったな。勝手に暴れてよ」


「暴れてねぇよ」


レオンはふっと笑う。


「守ったんだ。あの規律のせいで、誰もできなかったことを。お前は…最初にやったんだよ」


その言葉に、アタイは思わず顔をそむけた。


照れくさかった。

でも――悪くなかった。


その日のうちに、管理者の間で混乱が起きた。


“武力禁止規律”が破られ、“監督官が労働者に負けた”という事実は、隠しようがなかったらしい。

町の端から端まで噂が飛び交い、あの硬直した鉱山が、少しずつ揺れ始めているのがわかった。


長い間、誰も逆らえなかった秩序に、小さなヒビが入ったんだ。


(……アタイが、やったのか?)


そう思うと、胸の奥がじんわり熱くなる。

間違いなく、この日が“転換点”になった。


アタイにとっても、この鉱山にとっても。


◇ ◇ ◇


次の日、鉱山はいつもより静かだった。


いや、静かすぎた。

まるで、昨日の戦いごと“息を潜めてる”みたいに。


労働者達は持ち場に向かわず、広場に集まっていた。

誰も動こうとしない。誰も、あの坑道に入ろうとしない。


(……そりゃそうだよな)


あの赤の監督官どもがやられたって話は、一晩で鉱山中に広がった。


いつもなら管理者がすぐ怒鳴り込みに来る。

でもこの日は違った。


広場にいた全員がざわつき始めた頃、坑道の上層にある管理者小屋から、一人の老人がゆっくり降りてきた。


この町で一番偉くて、一番嫌われてる鉱山責任者だ。


アタイは思わず拳を握りしめた。

レオンが『落ち着け』って目で合図してくる。


老人は咳を一つし、皆の前に立って言った。


「……本日をもって、鉱山は“停止”とする」


ざわっ、と空気が揺れた。


「設備が老朽化し、安全を確保できん。それに…昨日の件もある」


“昨日の件”。言い方がやけにぼかしてある。


(殴られたのがよっぽど恥だったんだろうな、あいつら)


責任者は続ける。


「監督官の数も減り、これ以上運営は困難だ。よって鉱山は閉鎖する。住民は各々、今後の生活について話し合うように」


呆然とする人達の顔が見えた。

だけど誰も嘆いてなかった。

むしろ、長い長い鎖が外れたみたいに、表情がほぐれていくのが見えた。


そんな中で、レオンがアタイに近づいてきて、小声で言った。


「…やったな、トーラ」


「別に鉱山潰すつもりで殴ったんじゃねぇけどな」


「あはは、そうだろうけど。でもお前の一撃が決定打になったのは事実だ」


レオンは空を見上げながら続けた。


「さて…問題はここからだ」


「どうすんだよ、これから」


「ああ。鉱山が閉まっちまった以上、俺達は“新しい町”を作らなきゃならない」


そう言ってレオンは集まった人々を見渡した。

どこか不安そうで、でも少し期待している顔。

それを見た瞬間、アタイの胸がドクッと鳴った。


(――この場所、変わるんだ)


鉱山じゃなくて、誰も殴られない“町”になる。

レオンが広場の中央に立ち、声を張った。


「聞いてくれ!鉱山は閉鎖された。だが……ここで終わりじゃない。ここから俺達で、“町”を作り直す!」


ざわついていた人々が、ピタッと静かになる。


「この場所を、家族が安心して暮らせる場所に。殴られず、怯えず、“生きていい”場所に変えるんだ!」


その言葉に、アタイの胸が熱くなった。


(あたしが…守りたいって思った場所じゃねぇか)


何人かが「やろう」と声を上げ、別の奴らも「賛成だ」「俺も手伝う」と続く。

やがて、広場の空気は不思議な熱気に包まれて、昨日までの陰鬱な鉱山とは別物みたいになっていった。


レオンがアタイの方を見て、にやっと笑う。


「もちろん――トーラ、お前も手伝ってくれるよな?」


「へっ…当たり前だろ」


答えるのに迷いなんてなかった。


「この場所は…アタイの拳で守った“生きていい場所”なんだ。なら、責任取らねぇとな」


レオンは嬉しそうに頷いた。


こうして、鉱山町ヴァルハールは、長い“採掘の時代”を終えて“再生の時代”へ踏み出した。


◇ ◇ ◇


鉱山が閉鎖されて数日。町づくりは、まだまだ混乱だらけだった。


瓦礫の片づけ、崩れた建物の補修、使える資材を集めて“町”としての形を作る作業。

毎日が忙しくて、気がつくと日が暮れていた。


でも、殴られないで働けるってだけで、皆の顔がだいぶ違って見える。


こんなにも空気が軽くなるなんて、アタイは知らなかった。


(……悪くねぇな、こういうのも)


汗を拭って空を見上げてると、背中から声を掛けられた。


「トーラ、ちょっといいか?」


振り返るとレオンだった。

手には何やら巻物みたいなのを持っている


そんなとき、レオンが呼びに来た。


「トーラ、少し話せるか?」


「また瓦礫か?重いのは任せろよ」


「いや、今日はそっちじゃない」


そう言って、あたしの前に巻物を広げてみせた。

そこには、町の簡易地図と、見慣れない文字が並んでいる。


「自警団の設立案だ」


「じけい……団?」


聞き慣れない言葉に、思わず首をかしげる。


「外から来る盗賊や、害獣の対処。災害が起きたときの避難誘導。住民同士の揉め事も、誰かが間に入らなきゃいけない」


なるほど。

鉱山だった頃には、そんな発想すらなかった。


「……俺がまとめ役になる。トーラ、お前には“力を貸してほしい”。頼りになる仲間として」


レオンは慌てることなく、まっすぐ言葉を続ける。


「お前は縛られるのが嫌いだろ?わかってるさ。だから、無理に役職を押しつけたりしない。ただ“守りたい時に守ってくれる奴”が必要なんだ」


アタイは思わず息を呑んだ。


(アタイが…町を守る?そんなこと、本当にできんのか?)


ずっと力を怖がられて、抑え込まれて、“危険だから縛るべき存在”だと扱われてきたのに。


でも、あの日アタイが殴ったのは、ただムカついたからじゃない。

目の前で怯えてる奴らを、見捨てられなかったからだ。


自分の拳が、今までの“怒りの象徴”じゃなくて“誰かの安心”に変わる。

そんな未来が、本当にあるなんて。


「……いいぜ。アタイにできることがあるなら、やるよ」


「ああ。それでいい。それがトーラらしい」


こうして、アタイは“自警団の一員”になった。

アタイはここで初めて、“自分の力を誰かのために使う”生き方 を選んだ。


◇ ◇ ◇


自警団の仕事が始まって、季節が一つ、ゆっくりと巡った。

かつて泣き声と怒号が響いていた鉱山町は、いまでは朝になると子どもの笑い声が聞こえる。


誰も怒鳴られず、誰も縛られず、働く顔つきも、夜の空気も、全部柔らかくなった。

瓦礫だらけだった坂道には、新しい家の骨組みが立ち並び、壊れた街灯には灯りが戻り始めている。


(……変わったな、この町も)


アタイは見回りの途中で足を止め、ゆっくりと息を吸った。


昔は、ここはただの“鉄の檻”だった。


アタイの力は怖がられて、怒鳴られれば俯くしかなくて、

逃げるでもなく、変えるでもなく――ただ、拳を閉じて立ってるだけの場所だった。


でも今は違う。

あの時、“守りたい”と願って殴った拳が、この町の最初の一歩になった。


「…アタイも変わったもんだよな」


ぼそっと笑うと、胸の奥がじんわり温かくなる。


町が変わると、人の顔も変わる。

人の顔が変わると、アタイの胸の中も変わる。


不思議なもんだ。

アタイここで得たのは“力の使い方”じゃない。

誰かが笑う場所を、自分の手で作っていけるんだって実感だ。


空を見上げると、夕陽が赤く傾いて町を照らしていた。


かつて血と埃の色に見えていたこの赤が、今日は妙にあったかくて――まるで、この町の未来が灯り始めてるみたいだった。


「この拳も…悪くねぇ使い道があるじゃねぇか」


アタイは拳を軽く握り、夕陽に向けてぐっと突き出した。


この町は、もう檻じゃない。

アタイの“生きていい場所”になった。


だからこそ、いつか旅の風に誘われて、新しい景色を見に行くことだって、きっとある。

その時は、胸を張って出ていける。


だってここには、帰れる場所ができたんだから。

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