9.いくつかの嘘といくつかの真実
手紙を出して数日もたたないうちに出版社の社長であるグレースさんから返事が来た。こちらの予定に合わせてくれるとということと当日は馬車を出すので乗ってほしいということだった。
父はまだ帰ってこず、兄は兄で新居と職場との往復らしくこっちには来ない。そのため、母の了承だけでお出かけできそうだ。
母に出版社の名前とグレースさんの名前を出すと少しだけ迷ったように頼みがあるとお願いしてきた。
一冊の本を取り出すと。
「ディアナ先生に会えたらサインをもらってきて」
母が熱烈に支持している作家がいたところらしい。私の専門は歴史書とかのほうなので把握していなかったけどかなり売れているそうだ。
権利の濫用なのはわかっているので断られたらそれでおしまいでいいという話なので一応預かっておいた。
楽しんできてねと少々羨ましそうに言われたのは意外だった。
当日、馬車が家の前に止められた。母の見送りで、私と侍女の一人が馬車に乗り込む。
そこには先客がいた。
「……お迎えに来ちゃった」
グレースさんがそこに座っていたのである。私はともかく、侍女が固まってしまった。
「どうぞ、座って?」
そう言われれば侍女も座るしかないけど、私にピッタリと張り付いているのはなぜなのか。そりゃあ、グレースさんは迫力美人だけど。こう、私にはない膨らみが……。
一通りの挨拶などを終える頃には馬車は走り出した。
「母がディアナさんからサインをいただきたいと本を預かったんですが、無理ですよね?」
「あら……。後で送ってよければ書いてもらうわ。名前も入れたほうが良いかしら」
「ぜひ。本当にありがとうございます」
「いいのよ。ご子息にはとてもお世話になっているし」
「兄が、ですか」
「そう。彼には才能があるわっ! なのに、騎士団を辞めて出版社に入ってくれないの! 説得してくれないかしら? お母様もきっと力になってくれるわよね?」
……。
兄を釣り上げるために、私と母が接待された。つまりそういうことでよろしい? という理解を得た。あはははと曖昧に笑っておいた。
現場仕事で怪我をしたこともあるので、怪我や命の危機のない仕事になってくれたほうがいいから、話はしておこう。
料理の本でも出すだろうか。
道中は何事もなく、出版社に到着する。下町の一角に三階建で、自社物件らしい。古いのよねと嘆きながらも中は綺麗に掃除されていた。なんとなく荒れているのではないかと想像したのだけど。
「ディアナの本を出した時に、社員に読まされたら、ほんとに? と掃除を始めてしまって、以前とは比べ物にならないほどきれいな職場になったわ」
……恐ろしい本だ。
書庫はこっちよ1階の一室に案内された。元々は3階にあったらしいが、蔵書が増えると床がきしみ、最終的に1階になったらしい。
「本を広げるのは2階になるわ。1階は風通しが良くないの。無理しないで、ちょっとずつね」
書庫には、みっちり本が詰まっていた。本棚というのは隙間まで本を詰めるものではない。本の上に本を乗せ、その前にも積む。
「ごめんね。30年ものなの。お祖父様が集めるだけ集めて、お父様は本に興味なくて。私もこれを知ったのは二年前くらいね……。手を付けようという気にもならなかったわ」
貴重な資料も埋まってそうではある。
ほんと、できる範囲でとグレースさんは念押しをして、部屋を出ていった。2階で仕事をしているとのことだった。
「ではやりますか」
「お掃除道具借りてきます」
まずは埃との戦いになりそうだった。
数時間後、ほんの一部を虫干しできた。ほんの一部……。
本を広げて少し置いて、本のタイトルをあたらしいノートに書き留めて、ホコリを払ってとやっている間に時間が溶けた。
「敗北感があります」
侍女がうなだれていた。私も無限に続く作業にかわいた笑いが出てきた。でも、ワクワクもしていた。こんなにも本がある。それも、専門書から娯楽、よくわからないものまで乱雑にあるとは宝箱のようだった。
「そろそろ、終わりにしましょう。出した本は一時、上にあげておくことにしたわ。戻す場所もないし……」
「そ、そうですね……。また、来ても良いですか?」
侍女が正気か!?と言いたげな顔で私を見たが、本の山を見れば誘惑される。
「ぜひお願いしたいわ。うちの人たちったら、仕事にならないの。本を読みだして……」
「それはわかります」
「それなら読みたい本があったら貸し出ししてもいいのだけど」
「では、すこしだけ」
その少しが、分厚い歴史書二冊だった。装丁ががっつりしているので重すぎるが、幸せな重みだ。
そして、家に帰ったらすぐに母に呼ばれた。
手紙が三通届いているという。
疲れ切ったように椅子に座っていた母はまず開封済みの手紙を渡してきた。
「悪いとは思ったけど、中身は確認したわ」
母からそう告げられたのはディアスからの手紙だ。君は騙されている、なんて文面と君に釣り合うのは自分しかいない、という内容にちょっとばかり怖さを感じた。一読しただけで充分と母に返す。
もう一通はベアトリス嬢。それは母の目の前で開けることにした。
「夜会が終わった後に訪問してもいいかという手紙ですが、いいでしょうか」
「構わないわ。ベアトリス嬢は、まともそうなのだけどね……。
いつまでたっても、リースを嫁にもらってやる、という態度なのがよくわからないのよ。ほかによい相手もいるでしょうに」
母は呆れたように言う。断るにも難儀したようだった。
「断れたの?」
「断ったわ。絶縁ももう一度しておいたけど、困るのは私たちのほうといっていたわね。
手紙にもあったけど相手に騙されているとか」
「ゼインさんですか?」
「ええ。騎士団に所属している以上、ある程度の保証がされていると知らないのかしら。
調査されて、品位を損ねないと最低限判断されないと王弟殿下の下で働けないわよ」
「生まれのことでしょうかね? そればかりはどうしようもないでしょうに」
「伯爵夫人には、うちの娘がお世話になりますと手紙を送っておいたのだけど、丁寧な返信をいただいたし、表面上は穏やかな関係そうよ。良かったわね」
「……なぜ、手紙を」
「うちが無礼といわれるからよ。当たり前じゃない」
貴族の常識的には、そうなんだけど! 保護者が常に許可を出すとか必要なんだけど!
とても恥ずかしい。
それに虫よけで兄に頼まれてという事情は一切伏せられているようだし……。
母は最期の一通を差し出した。
「お待ちの手紙は部屋で楽しみなさいな」
「そうしますっ!」
ひったくるように持っていったのは恥ずかしさの限界を超えたからだ。いやだ。もうっ!
部屋に戻って開封したゼインさんからの手紙はとてもそっけなかった。
贈り物には感謝していること。忙しくて手紙の返信をしなかったことのお詫び。当日を楽しみにしている。署名。
四行で終わった。
どこまでいっても、同僚の妹の世話してます、という印象がぬぐい切れない。別に嫌われていないだろうし、好意は感じるけど、恋愛的ではない。
顔を覆ってしまった。
「……甘いこと言われたほうが、なんか違いますわね」
自分に言い聞かせるように呟いたもののちょっとくらいはと期待した。でも、なにを言うかというと想像もつかない。
…………、だめだ、一行も出てこない。褒められたの骨格だし。騎士みたいとか惚れ惚れするほど男とかほんと、ろくなこと言われてない。
そのわりにちゃんと女性扱いはしてくれる。
踊っても歩いてもとても楽だ。でも、それは合わせてくれているから。私の方の技量が少しも追いついていない。
みっともないと言われないくらいに練習するくらいしか、できることはない。
ひとまずは、おさらいをすることにした。
それから美容とか、髪の艶とか、コンディションを整えることはできる。
目立たずではなく、ちゃんと、隣に立っても恥にならないようになりたい。
以前もらった冊子を手に侍女や母と相談するとなんだか大層な盛り上がりをされてしまった。
そうして、あっという間に当日に。
指定時間に連行され、自動的に作られ、出荷された。人形のような扱いに苦情を言えないほどの鬼気迫る店員さんたち。気合十分に出て行くご令嬢。
最高に、戦場だった。
戸惑ったような顔をしているのはきっと私だけ……。
「出荷されました」
ゼインさんの前でそんなことを言ってしまった。
まじまじと見られたあと、ため息をつかれた。
「……ほどほどって言ったのに。
こんなきれいにしなくてよかった」
逆説的に褒められたでいいのだろうか。
「きれいではない?」
「やりすぎ。警護が大変だな」
「どこまでも、離れませんのでよろしくお願いしますわ」
そう言えば、少しだけ嫌そうに顔をしかめられた。
「王族の誘いは断れないから、諦めろ」
「そこまでですの!?」
贔屓目がひどいのではないだろうか。
「さっさと行くよ」
さりげなくを通り越して自然にエスコートしていくところが、そつがなさ過ぎる。馬車に乗り込み、渋滞する道をのんびりと進む。
今日ばかりは社交界デビューの馬車で一杯になる。王都中の馬車が集うんじゃないかってくらいに混んで、城を目指す。
「その耳飾り、夜会には安っぽいんじゃないか?」
馬車内で暇で私がつけていた耳飾りに気がついたようだった。
「父の故郷のものなので、父が喜びました。ありがとうございます」
「別に」
そう言って外を向いてしまった。やっぱり、照れ屋だ。
「夜会のパートナーを務めたからといって、その後の付き合いがなくても構わないからね」
「……その猫背には呆れたわ、付き合いきれん、ですか?」
「もう教えることはない、我が道をいけ、だ」
「なんか、いい感じの言葉でまとめようとしてません?」
「そんなことはないよ。
騎士以外の仕事もあるし、独立する予定だったからね。予想外のところから支援してもいいという話ももらったし、正直、暇がない」
仕事いそがいいなら仕方がない。つけ入る隙はどこかにないものかと考えているうちに馬車はお城についてしまった。渋滞するけど、距離は短い。もっと、混雑していれば何か糸口が見つかったかもしれない。
でも、しつこいのも嫌がられそうだし……。
「さて、到着だ」
迷っているうちに馬車を降りる順番となり、外に出ることになった。ほんと、色々と歩きやすい……。
すぐに待合室になっている場所にはいかず、ゼインさんは庭の方に出た。
「あの、こっちに来ていいんですの?」
「先輩がこの辺り担当なんだ。披露してもいいだろう?」
「そうですね」
両親や一番上の兄は家に帰ったときに見るかもしれないが、下の兄には見せる機会もない。労力を費やしたのは間違いなく兄だ。
ほどなくして兄が見つかる。なにせでかい。目立つ。
「見違えるくらい綺麗になったな。やっぱり、俺が行けばよかった」
感動したように言われると照れるが、今となっては兄とはいきたくない。たぶん、歩きにくい。
「踊れないでしょう。兄さん」
「無念だ」
「では、お披露目したので戻ります」
「おう。リースもほどほどにな」
なにをほどほどなのかは不明だ。
ただ、ちょっとゼインさんを呼んでこそこそと話していたのはなんだったのか。妹の注意事項とか取り扱いとかそういう話だろうか……。
戻ってきたゼインさんはちらっと私を見上げて、その、な、ともごもご言っていた。
「なんですの?」
「……褒めてやれとか言われたから」
「無理しなくてもいいですよ? 正直、ゼインさんからの誉め言葉、想像できませんし」
優しさのつもりが、なんだかショックを受けたように固まってしまった。
「あら、時間の鐘が」
「……覚えてろよ」
プライドを傷つけてしまったらしい。そんなつもりはないというと追い打ちをかけそうなので、微笑んでおくことにした。




