4、身長追加5センチ
ゼインさんは、鬼教官だった。
最初の物腰柔らかなところが、すぐに消えた。おかしい。兄に聞いたときには、礼節を弁えた紳士と聞いたのに……。
「あまりにもできないから背中に木刀入れようか」
そういう笑顔が恐ろしい。これと持ち出されたのは鉄の芯が入っているという長い棒だった。
ぶんぶんと横に頭を振る私に、じゃあ、まじめにやってと返す。私も断じて遊んでいるわけでも不真面目なわけでもない。
慣れ親しんだ歩き方というものを意識的に変えるのはとてもしんどい。腹筋が頑張ってる。用意された靴もいつもより踵が高い5センチだ。本番はもっとというから恐ろしい。
そもそも180を超える大女をどうするっていうんだ。
「ふくらはぎが攣ります!」
「怠けてるからだ。
お嬢さんは歩いたりはしないだろ」
不機嫌そうな言い方に少しカチンとくる。そりゃあ、兄が無理やり押し込んだ話かもしれませんけども。
「山歩き三時間」
「ん?」
「私、古城を探索する趣味があります。男性と同じくらいの足サイズなので、軍靴を履いて、男装して歩き回ってます」
歩いてはいる。大股で、山を。
山ならば、人がおらず、誰とも比較されることもない。悲しいくらいに見破られない男装なので、ほかに誰かがいても全く、少しも! 気に留められることはない。
むしろ、兄ちゃん、イケメンだな、といわれる。
悲しい。
とても、哀しい。
「じゃあ、靴を変更だ。ブーツ。足のサイズは?」
私の話の内容に引かれることもなく、ザインさんは駆け出していった。
毒気が抜かれたとでもいうのか。
男装も、山城も、なにも気に留めない。
そういえば、女なのに、とか言わない。ぎょっとしたように見られることもなかった。
「変な人」
くすぐったいような気分は、長く続かなかった。
やっぱり、鬼であったからだ。
ブーツに履き替えて、歩いて見せたら、男と一蹴される。それも、惚れ惚れするようなかっこよさと。これは骨が折れると呟かれていたたまれない。
「選択肢は二つある。
猫背を矯正して女性らしい歩き方を最低限身に着ける。
男らしい歩き方にちょっとだけ女性らしさを追加する」
「猫背を直す方向でがんばります」
そこでなんで面白くなさそうに顔をしかめられたのだろうか。
「胸を張って歩く練習からだ。木刀でも背中に入れてる気持ちですること。
あとで先輩に歩き方のメモを渡すから、それも参考に」
へとへとになったころに時間だと言われた。たったの三時間が長かった。
「ありがとうございました」
「次は一週間後。日数はないから、次は社交界デビューするときに使うような形状のドレス着てきて」
「次がありますの?」
「依頼は完璧に、ってのが信条。
報酬先払いしてもらったから半端でお出しするわけにはいかない」
「その話聞いてないですわ」
後輩にちょっとお願いして、ではなく、正式に依頼してのことだったらしい。それならばこの厳しさはわかる。それならば最初から心構えが違う。
「謎にかっこつけたがる兄がいると大変だな」
ほんとに。
お兄ちゃんはすげーんだぞ、といっていた子供のころと変わってない。
「自慢の兄です」
微妙な表情をされたのは納得がいかなかった。
「おじゃましま……す?」
それから一週間後、訪れた騎士団寮は玄関ホールにテーブルと椅子があった。きちんとテーブルクロスのかかるきちんとしたものだが、違和感がすごい。
「ここより先は出入り禁止ということで、ここならいいじゃないかとうちの同僚が気を回した結果」
苦々しい顔で出てきたゼインさんが説明してくれた。お皿を三枚ほど持ちながら。
「腹が膨れるとやりにくいってのに、疲れたときには甘い物なんていいやがって」
そういいつつ流れるような動作でテーブルに皿を置いた。ティーセットは置いてあったので、そのままお茶を用意された。すでに抽出済みのお茶を温めていたようで渋いということもない。
ここは、騎士団寮。
騎士しか生活しない空間だ。つまり、これらを用意したのは騎士団の男性ということだ。
この可愛らしい焼き菓子も。手の込んだようなオープンサンドも、である。たぶん、料理のほうは兄作な気がするけど。つまみやすいように小さく切ってある。
心遣いに感謝して、お茶をもらった。
「おいしい」
が、敗北感を覚えるお茶の味。ゼインさんにお茶の種類とお湯の温度と抽出時間を尋ねると煩わしそうに後で聞いておくと言われた。
嫌そうな顔をするわりに、ちゃんと対応してくれる。礼を言えば、少しばかりむっとした顔で、大したことじゃないという。
……これは、照れ屋さんなのでは。ぶっきらぼうに対応するけど、照れ屋なのでは!
そう思うと微笑ましく感じた。
ただ、やはり教官しているときはほんの少しも優しくない。
あとからもらったメモの通りに毎日練習をしたが、良くなった気はしなかった。母や昔からいるメイドには良くなったと励まされたが、理想を先に見せられているとなんだか落ち込む。
「少しはましになった」
「よかったですわ」
褒められて少しいい気になった。
「でも、歩き方が男」
すぐに落とされた。
安定感のある歩き方がいけないのだろうか。
「なんででしょうね?」
「威嚇しまくってる」
「そうなんですの?」
「エスコート付きでするか」
「え」
思わずとっても嫌そうな声をあげてしまった。それを聞いたゼインさんは肩眉をあげてああん? みたいな表情で。兄がよくするから知ってる。なんか文句あんのか? だ。
妹ならば文句ありますけどぉとやり返すが、今は滅相もないと首を横に振った。
「あの」
予想通りに、私はゼインさんよりちょびっと背が高い。踵に厚みがある靴だから、いつもよりもずっと背が高い。
やや上目遣いでみられるのも地味にショックだ。
普通に指導してくるときは背なんて気にならないのに。
「歩幅が、広すぎる。半分より少し多い程度だ」
「はい」
歩調を合わせていくと少しゆっくり歩ける気がした。というより歩きやすい。エスコート慣れしている。
「こういう仕事よくするんですか?」
「男性向けにしている。女性で指導したのは、二人目。あっちも難題だった」
……なんだろう。ちょっと、むっとした。
難題と言われたからだろうか。首を傾げている間に別の指摘が入る。これまで指先からつま先まで言われてないところはないくらいにビシバシだ。
礼法の先生より厳しい。
「まあ、なんとか様になってきたような気がしないでもない」
という評価をもらったのはマシなのだろうか。礼を言えば、つっけんどんに別にと言われた。
いらっとしたが、相手は照れ屋さんと心のなかで呟いて落ち着く。
「次は3日後。それで仕上がらなかったら、おしまい」
みっかご?
おしまい?
急な宣告に心臓がキュッとした。
「わかりました。諦めます」
「諦めが早すぎる……。そうだな、明日、暇ある?」
「いつでも忙しく暇ですわ」
母の代わりに家の采配をしていることが多い。日により揺れ幅が大きいのだ。
「謎掛けかよ。朝から少し散歩してみよう。外でも大丈夫になってきたか確認しないと」
「あ、それなら行きたいところが」
「服とか宝石とかは嫌だ」
「書店に」
怪訝そうな表情で見られた。
「兄がご褒美に本買ってくれるっていうので、前から目をつけていたセズ侵略戦の資料を」
「それって確か、100年くらい前のやつ?」
「そうですわっ! うちが貴族になったきっかけであり、当代の王が無」
そのあたりで大きな手が口を塞いだ。
な、なに!? と固まっているうちに彼は怖い顔で、こういった。
「ここは、城だ。言っていいことと悪いことがある。
場合により、勾留所に、叩き込む。理解したか?」
こくこくと頷く私を疑いの目で見つつ、その手を離してくれた。
「その蛮勇、やっぱ、先輩の妹だ。本当に気をつけてくれよ」
兄、なにしてんのと思わなくもない。
「……手、おっきいですね」
「普通」
「私、手は普通サイズで」
いっそ手も大きければ大きい本も読みやすいのに。
ゼインさんは何事もなかったように、スルーした。
「明日、迎えに行く。
ちゃんと先輩の許可はとっておく。先輩が出かける予定だったが、急務が入り、俺が代わりに付き合えと言われた、という話にしておくから」
「回りくどい……。待ち合わせで良いのでは?」
「ご令嬢のふりをするんだから、付き添いは必要だろ。
……これまでも一人で出歩いたりしてない?」
私は笑って返答を避けた。もちろん、一人で出歩く。そうでなければ、山城になんて行けない。山城は故郷のほうだが、そうでなくても遺跡はあったりする。もう、何もない平原だったり、市街地に立札程度だったりするけど。
何かを察したようなゼインさんは物言いたげに口を開いて閉じた。
「危ないことはしない」
「だいじょうぶです。これでも、父仕込みの護身術は」
「それだ!」
急に言われてびっくりした。ご令嬢の歩き方にしてはおかしいと思ったんだよと言われる。
おかしかったのか。
そこから構えなどを一通りこなすことに。
「すっきりした」
「それは、よろ、しゅう、ございましたね……」
私ははぁはぁと息が上がっている。ドレスでする動きではない。軽量ストンとしたいつものドレスが恋しい。
さすがに罪悪感を覚えたのか過去一、優しく介抱されたけれど、全く少しも嬉しくなかった。




