3、歩きのスペシャリスト
散々な目にあった。
「……ほんと、ごめんな」
「お兄ちゃんなんて知らない」
そんな子供っぽいことを言い出すくらいには酷かった。
まず、ふわっふわのドレスに慣れていなかった。ちょっと蹴るようにと言われたら、靴が飛んだ。
その時点で帰りたかった。
いつものストンとしたそっけないドレスが恋しかった。倍老けて見えるからやめなよと言われていてもあれが私の鎧だ。
あまりの落ち込みっぷりにちょっと焦ったように、じゃあ、背を伸ばして試してみようかと始めたはいいけど、歩き方がぎこちない。下向かないと言われても地面を見つめていないと裾を踏みそうだった。
案の定、踏んでつんのめった。かろうじてこけなかったのが救いだ。
このあたりで、兄の眉が下がっていた。もうなんか、帰りたかった。
一度、かかとの高い靴でもとチャレンジしたのが最悪だった。なぜか靴のサイズがあったというのが問題だ。
もう、履いただけでぷるぷるした。
「帰りますっ!」
涙目で訴えて帰った。
憧れのお店であんな目に合うなんて。それも、自業自得で。
「もう、やめようよ。無理だもの」
現実がひどすぎて、世を儚んで修道院に駆け込みたくもなってくる。
兄すらあーとかうーとか言葉に困っているのが辛い。フォローくらい入れろと罵る事もできない。
「あー、半月頑張って無理そうなら、やめよう」
「がんばりたくない」
仮病で欠席する。私は心に決めた。風邪をひくために頑張って薄着で生活してやる。
「……つってもなぁ。父さんが乗り気だし、母さんも隠し貯金全投入よ!なんていってたし、兄さんもいくらかかる? って財布ごとよこした」
「金で解決する気なの」
「ほら、金が愛情表現の人たちだから」
苦笑いする。両親も兄も暇が無いのだ。家業が繁盛するのは良いが、そのかわりに時間が削れる。時間はかけられぬが、代わりに欲しいものは買ってくれる。何も文句一つ言われずとはいかないが。
だから、見逃されていた趣味もある。
兄は料理が好きだった。なんか作ってると面白いと。しかし、調理人になることはできない。それどころか厨房に入るのもいい顔はされていなかった。
私は歴史が好きで歴史書が欲しかった。しかし、女の子にはいらないと言われ家政の本を贈られた。
お互いが欲しいものは逆であったなら良かった。というわけで、兄が興味のある店には私が行きたいといったからという建前、私がほしい本は兄が欲しがったという話でおねだりした。
兄は一足先に家を出たが、兄の要望の店に行くことは今でもある。代わりに好きな本を買ってくれる。
両親は気がついているのかは知らない。
上の兄は、飴が好きといえば子供と言えない年になっても送ってくるようなタイプだ。
仕事で遠くの街などに行くときにはリボンを買ってくる。ほんとうにちっちゃい頃に好きだったものをずーっと覚えていて、上書きされない。
使わないのでリボンコレクションが出来上がっている。暇にあかせてリボンに織り込まれている各地の図案分布図を作ったりもしたが、ちょっと役に立つ場面が思いつかない。
「兄さんのは断っておいてくださいな。新婚なのに妹にお金使ってる場合じゃないですわ」
「ところがレダさんも、最強にかっこいいリースちゃんがみたいって」
「……かっこいいって何ですの」
「知らん」
時折、そういう評価をもらって困ることはある。確かにでかい女なので、望まない相手に絡まれていて困っている女性の間に割って入ったことはある。お困りですかと。そんな時は、兄のような偉そうな自信たっぷりの顔をしておく。
だいたい相手がビビって逃げていく。
「まあ、逃亡は不可能だ」
「身内が一番の敵なんてひどいですわ」
「……がんばれ、いい夫が見つかるかもしれん」
「私より巨大であれば誰でも良いですよ」
兄は私をまじまじと見た。
「野盗か海賊かという風貌で良ければ紹介できる」
「極端過ぎません!?」
「ま、海も悪くないってアトスが言ってたからな」
「誰ですの?」
「元後輩。今、ロワイエ服飾品店の婿」
「大きいんですの?」
「俺と同じくらい」
で、野盗なんですの? とは聞けなかった。
確か繊細と言われていた。そんな質問をされたと知った時点で傷つきそうだ。しかし、男なら巨大でも妻が見つかる現実がひどい。
巨大な女は夫が見つかり難い。
「どうしてもって言うなら、エスコート役に頼んでやるよ。従兄弟が同じくらいの年頃と聞いたし」
「私のほうが小さくなりますの?」
「たぶんね」
そう言いながら兄は渋い顔のままだった。
「お願いしたいですわ」
「……検討しとく」
自分で言っておきながら完全に気乗りしない対応だ。意味がわからない。
「まあ、ひとまずゼインのやつに連絡しておく」
「その方は大きいんですの?」
じーっと私をみて兄は言った。
「いや、おまえよりちっちゃい」
どう言えば良いのか、全くわからなかった。
散々な訪問から数日後、私は呼び出された。騎士団寮に。兄は仕事があるからと休憩時間だけ顔を出すという。
騎士団寮は王城の中にあった。騎士団というのは、今は王族専任の何でも屋らしい。護衛から雑用まで用途は多岐にわたる。近衛と同じように見えても違うところがあると兄は言っていた。
騎士団に入れるのは正式に調査をされ、問題ないとされた貴族と決まっている。近衛のほうは実力主義に近く、誰でも能力があれば入れる。
まあ、信用や信頼に重きを置くのが騎士団だ、ということ。
それは王の兄弟が必ず団長になるということからも察して余りある。
最後の最後にものをいうのは信頼だ。そういうのは、歴史から知れることだ。
「女性厳禁って聞きましたけど」
「だから、ここより中には入れないだろ。
裏手の訓練場は寮じゃない、という言質を団長からもらったから使わせてもらえ」
二十年くらい前に騎士団の者が女性使用人に悪さをして、女性厳禁どころか使用人を入れないという処分を下された。なにをそんなやらかしたのかというところだが、古すぎて伝承されていないと嘘をつかれている。近年過ぎるわといっても知らんよと兄ははぐらかす。いつか聞いてやると思っていたが、実際の中に入れるとは。
さぞかし荒れているだろうと思っていたが、通された玄関は綺麗だった。入口にある飾り棚には埃もなく、花瓶に花が飾られている。床もよく掃き掃除しているようで汚れもなかった。
兄の言う居心地が良いはほどほどに荒れていて、だと思っていたが、本当に居心地が良かったのかもしれない。
ただ、今の私としては騎士団寮に住んでいる非番の騎士がなにごとかと様子を見に来ていて少し落ち着かなかった。
おお、クリス先輩の妹さんとこそこそ言っているのが聞こえた。それから、背が高いというのも。恥ずかしくなって背を丸めそうになったところを頑張って胸を張った。
ここは背の高い男性ばかりだから大きいからといってなにか言われることもない。
暫し待つと奥から男性が一人出てきた。背が私と同じくらいか小さいなんて全くわからないほどに堂々としている。
「ゼイン、こっちが妹のリースだ。
よろしく頼む」
「よろしく頼まれました」
にこりと笑う男性は騎士らしくガッシリとはしていたようだった。ただ、兄と比べると細身だった。上の兄より細いなと思いながらも私は淑女の礼をとった。この数日、これだけを母に練習させられた。なんでそんな無様なのと天井を見上げられたが……。
「……あ、だめかも知れません」
即言われた。
「先輩が悪いんですよ。
あと、たぶん、上のお兄さんも」
「俺の何が悪いっていうんだ」
「立ち方そっくりです」
私と兄は顔を見合わせた。そっくり、って?
兄は気の抜いたときですら背が伸びており、私とは違う。これは騎士団に入ってからそうなったと聞いているが、それでも背を丸めるようなことはなかった。
「女らしいとか男らしいとかじゃないんですよね。
自意識っていうんですか。
リース嬢、性別気にして生きてないでしょう?」
「そ、そうでもないですよ……。女なのに大きいとか」
「男なら良かったのにな、って感じが、立ち方に出てます。
ご兄弟の仲がよろしいのも問題ですね」
「普通だ」
「そうです」
ゼインははぁとため息を付いた。やれやれという態度が鼻につく。
「やるだけは、やります。
教えたとおりにできないなら、自主練してください。できるまで」
「あの」
帰ると言いかけて、私は黙った。兄の好意だから、一度くらいは根性と気合を入れてやってみるべきではないだろうか。
「よろしくお願いします」
きっちりと頭を下げれば、どこの騎士だよというつぶやきが返ってきた。
「こうだよ、こうっ!」
ゼインさんはドレスさえ着ていないのに淑女よりも淑女らしい一礼をしてきた。
ドレスの裾をつまんでもいないのに、優雅に揺れた布があるようだった。
唖然とした私に彼はにやりと笑う。
「ここまで仕込んでやるから、安心しろよ」
……どう考えても、無謀だ。
遠い目をした私は悪くない。兄はと言えば、がんばれよとすでに玄関のドアを開けていた。
どうして!




