おまけ ある騎士の平穏、とその喪失
そんなの俺のせいじゃないのに。
好きでそうなったのではないのに。
というのは、納得いかない生まれに付随している。俺が私生児であることも。その後に庶子扱いされることになっても。半分だけ繋がった家族とそれなりに良好な関係をもっても、なんだかくすぶっている。
俺を引き取ることにした義理の母は貴族のお嬢様だった。ただ、少々変わり者の。
いきなり現れた夫の隠し子に、政略結婚なので愛情はないが、同じ家をもり立てるための戦友である夫の愛した人の子なら私が養育すると言ってのけた。至極当然のこととして。
皆が唖然としたが、その母、つまり俺にとって義理の祖母だけが、その心意気やヨシと俺を引き取ることを決めた。
生物学的父に否という権利は、なかった、らしい。
そして、愛情ない、ということに心底落ち込み、家族優先主義に鞍替えした、らしい。俺が知っているのは変わった後のことなのでよくわからない。
いびられるのかと思ったら、部屋を与えられ、足りぬ教育と栄養もと手厚く保護された。弟と妹へもきちんと兄であると紹介されて敬うようにと言われたときには正気かと思った。残念だけど、爵位は継ぐことはできないと告げられたときはほっとしたくらいだった。
そうして、数年、ゆりかごのように過ごしたあと行った寄宿舎学校というのは地獄のような場所だった。庶子というだけで、下に見ていいと思っているような人が半数。残りはほとんど関わりたくないという扱いだった。
ああ、あの家がおかしかったのだと苦く思えた。知らねば、気がつくこともない。
生まれだけが大事ということでもないが、しかし無視もできない。最初から、違っていたのならばどうすればいいのか。
わからないままに、人を見て対応してを繰り返すうちに少しの居場所を作ることができた。それは、遊ばれるに近いがどこにも混じれないよりはましに思えた。
一人でいるような強さをもつのは、例外だ。
その例外というのが。
「ゼイン、ちょっと用事たのんでいい?」
そう声をかけてくる。2つ上の先輩で、名家どころか歴史書に載るほどの家の者。雲上というより、歴史の人という隔絶感がある。
ただし、本人はあくまで軽い。
「あ、ごめんね。借りるよ」
他の誰かがいるというのを初めて気がついたと言いたげだが、わかっていて声をかけたのだろう。
「ああいうのは、ちゃんと断りなよ」
適度に離れたところで忠告される。生徒どころか教師すら一目置く家柄でそんなことを言われてもと思う。彼には簡単かもしれないが、俺にはとても難しい。
「難しいですね」
「歪んじゃうよ。君のご家族も心配する」
「心配だけではなにも変わらないではないですか」
「わかったよ。
ご実家に御子息が大変なんです、すぐに対処してくださいって連絡するよ」
にこりと心底人の良い笑顔でそういった。こっちがそれを嫌がるというのをよくわかっていて言っている。
「いりません。やめてください」
「それなら、もうちょっとちゃんと立ちなよ。
俺みたいな役立たずの足じゃないんだから」
「努力します」
それを言われてはこう答えるしかない。
彼は生まれたときから足が悪く、努力の末に普通に過ごせるようになったと聞いた。そもそも、知り合った経緯が足が痛そうだなと声をかけたことによる。
引きずるというわけでもないが、違和感のある歩き方だった。なんとなく、無理に動かしているような。
大丈夫か尋ねると彼は初めて気が付かれたと笑んだ。ぞわっと鳥肌がたったのは今でも覚えている。
なんだか、警戒心の高い獣を前にした時みたいに。
以降、時々、助けてくれるようになった。その代わりに歩き方が変ではないかと確認する作業につきあわされることになったが。
王都にいた頃は、困らなかったけど、ちょっとこのあたりはいないからね。というのは何がいないのか……。
彼は浮き世離れしているというより、人離れしているように見えた。
その不思議な先輩も一年くらいで卒業した。卒業前にお守りと渡されたのは小袋だった。皮の小袋には小銭が入っていた。古い金属だから使わないようにねと言い残されて、どうすればと思ったものだ。
袋は底だけ別のもので刺繍されていた。
また最悪な日常が続くのかと思えば、少しばかり遠巻きにされることが続いた。俺に関わるとちょっとした不運に見舞われるという噂が流れたのもその頃からだった。
不幸を呼ぶ男という不名誉な称号は卒業するまで続いた。
卒業後は、家に戻って家業の手伝いをと言われたのを振り切って騎士団に入団した。以前と変わってしまったことを知られたくもなかった。
父はともかく義母はなにかに勘づく。うちの大事な息子になにしやがりますの? と殴り込みしそうな人だ。父がそれを止められる気もしない。むしろ、同調しそうだ。
それなりに年をとった男でそれをやられると立場がない。
騎士団は平和だった。
とても、びっくりするくらい、平和だった。
誰がどこの生まれでや、家の名前が幅を利かせることもない。騎士団長が王弟殿下でその前で家がと誇れるわけもない。
そうして、一年した頃に寄宿舎学校での先輩が入ってきて、おや、また会ったねと嬉しそうに笑った。
その足は以前と比べ物にならないほどにきちんと動くようになっていた。
王都では困らなかった、というのはこれかと察したが余計なことは言わないほうがいい。こちらがなにかしない限り、なにかされることもない。
まるで良き隣人みたいに。
ただ、お守りはきちんと返しておいた。役に立つのになぁと呟いて、あっ、なにか思いついたように騎士団長に押し付けていた。
そのあとから、近衛兵団長がなにもないところで転んで捻挫したとかいう話を聞いて恐ろしさに青ざめた。
やべぇ種類のお守りだ。やっぱり、不幸というのはあのお守りが原因……いや、きっと、気の所為。
そこから数年。本当に平和だった。仕事はきついが、寮は快適で、誰も何も言わない。ちょっとしたアドバイスから始まった副業は騎士団公認で順調だ。安息の地というはのこういうことかと達観し始めた頃。
「あのさ、うちの妹の先生してくれない?」
騎士団も長い先輩が困り顔で相談してきた。
先輩は皆が大きい騎士団の中でもとりわけ恵まれた体格をしている。その、妹。
「今度社交界デビューさせるんだけど、あのままじゃ、ちょっとな」
「そんなに年下の妹さんいましたっけ?」
「ほんとは3年前だったんだが、流行り病で隔離中でな。今年させる」
「少し見るくらいならいいですけど、時間があまりないじゃないですか」
「仕事代わるし、報酬払う。どうにか頼む」
いつも世話になっているしな、と受けたのが間違いだった。
会った令嬢は、予想外だった。
長い銀髪は一括り。地味を極める茶色のドレスは装飾すらない。さらに背を丸めて、いかにも、自信がなさそうだった。
思わず、先輩と見比べた。自信ありげに振る舞う騎士団の頼れる先輩である。
こちらをじっと見る目は、銀色と思ったが青くも見える。先輩の男らしさを削ぎ落としたような甘い顔、ただし、男ならといったところだ。
淑女の一礼を見たが、形を真似ているだけでどうにもぎこちない。
これでいいのかなという自信のなさが透けて見える。
思わず空を仰ぎたくなるほどに似合ってない。
これをどうにかしろって? と先輩に視線で問えば、どうにか頼むと仕草で伝えられる。
普通に立つととても男らしい立ち方をしている。自覚がなさそうだった。ふと先輩を見れば似たような立ち方だ。
つまり、この兄に無意識に影響を受けている。普通は母親のほうが矯正しそうだが、仕事が忙しくて俺がよく相手してたとか言ってたと思い出した。
つまり、よく相手をしてくれた兄に似た。あまり年の離れていないもう一人の兄もいるというし、ほぼ、男の三兄弟だ。
異性の兄妹の仲が良すぎるのも良し悪しだ。
どうしたものかと思いながら、もう一度見る。
女性ということを外してみれば、悪くはない。磨けばいけるかもしれない。
そう思って磨きすぎるのは想定していなかった。
そうして、平穏から遠ざかるのである。
先輩の妹、リース嬢は闘志あふれるタイプだった。なんだか義母と意気投合しそうと思ったので絶対合わせないことに決めた。
うちの嫁と言い出しかねない。
ゼイン、結婚しないの? してもいいのよ? お嫁さん探して良い? という圧を最近感じているのだから。後継者じゃない庶子に嫁ぐもの好きいませんと断っているが、そんなことないという義母の熱意はなんなんだろうか。
孫が欲しい、そういうのだろうか。
そもそも先輩の妹である。
何かあったらあの人を義兄と呼ぶのだ。ちょっと嫌だ。
社交界デビューまでに時間が取れるのは3回だけ。それまでに叩き込むだけ叩き込んで、あとは自主練というのはなかなかに無謀だった。
その無謀にひどいですわっ! と言いながらついてくる体力おばけ。本当にご令嬢か疑うくらいの体力だった。山歩きしているだけある。
小さい頃から兄の後をついて歩いてと聞けば、ああ、あのガタイの良い先輩のと呆れた。小さい妹に何してんだろあの人と。
さらに護身術として北方の武術叩き込んで、その父も正気かと。
それが異常とも思えない環境は、淑女の教育に向いていない。
俺はさじを投げた。だめだ、あの子は、普通の淑女の歩き方させてはいけない。女王か女帝みたいなのが似合う。
この場合、本人の性格は置いておく。
むりですわっ! というところをなんとか形にさせた頃に、遭遇したのが彼女の幼馴染だった。
リース嬢は明らかに嫌だという顔をしている。めんどくさいやつに会ったという顔は妹もするのでわかる。その妹にはにこやかに対応している落差がある。
その妹に社交界デビューをしていない、ということを誤魔化そうとしたのに、わざというという意地の悪さが寄宿舎を思い出させた。
咄嗟に一緒に出るということを口にしたのは、あの頃の苦さのせいだろう。
それに驚いた彼が睨んできたことには気がついた。リース嬢は全く見ていなかったが。
それで嫌な言い方をして構う方の好きだなと察しがついた。
それも相手が否定できないような言い方をして責める。
続いた言葉はその予想を違えない。彼の言う女性らしくという主張は、ある意味正しい。淑女でなければ認めないというものはそれなりにいる。変わり者と言われる義母でも淑女らしく振る舞うことは苦なくできる。
リース嬢にはそれは難しい。
それで、また、俯いて下を見るようになっては、今までやったことが無駄になる。せっかく、ここまでしたのにその労力を無駄に? ありえない。
それ以上に、あんな男にと腹がたった。
リース嬢は全く意に介していないというより、またかよ、という態度であったことも良くない。
絆されることもないように話をしても、ないですってという態度でいたのは、全く何も察していないところだけわかった。
ざまぁみろとほぼ初対面の相手に思うくらいには自分も性格が悪くなったものだ。
大きいからと悄然とするリース嬢に、自身を持つように伝えるが本当? と疑いの眼差しを向けてくる。思わず、今まで思っていたことを伝えてしまった。
彼女がゼインさんがそう言うなら、やってみますけどぉと気乗りしないままに、背を伸ばした。
表情がどこか自信なさげなところから、強い意思をその目に宿す。
その顔が一番美しい。
誰にも見せたくないほどに。
そう思って、動揺した。まるで、独占欲のようではないかと。
たった、数度しか会っていないというのに。
「どうしました?」
変でした?と不安そうに眉を下げる彼女に違うと伝えると微笑んだ。自然な笑みは可愛らしく、気を許したように見えて。
好きだなと……。
……。
気の迷いだなと首を振った。
「え、だめです!?」
「違う。ほら、ちゃんと前を見て」
「はい」
腑に落ちないという顔で彼女は前を見た。
自分の立場では望むこと自体がおかしい。
気の迷い、気の迷いと自分に言い聞かせるしかない。
彼女にはもっといい相手いるはずだ。ちゃんとした家柄のちゃんとした相手が。
そう思っていたのに、余計なことを言ってしまった。売れ残ったらなんて、あり得ない。でも、そういう最後なら、いいのではないかという未練がましさが自分でも疎ましい。
よくわかっていない顔でわかりましたわと言われたのが救いではあった。
その数年後に、売れ残りましたわと嬉々として結婚を申し込まれるとは思っていなかったのである。




