10.社交界デビュー戦
社交界デビューの夜会は、皆が一列に並んで入る。
予想通り、女性の列でニョッキリ大きい私。前後のご令嬢、3人ずつくらい、まあ、と呟いたのが聞こえた。淑女なのでこの場ではそれ以上のことは言わないが、視線が痛い。背中を丸めそうになると背中と指摘してくれる隣の声。
いつもと変わらないことに安心する。きっと、おかしかったら指摘してくれるに違いない。本当に安心できる。
ホールに入れば数人ごとに別の列を作るよう誘導される。国王陛下へのお目通りをして、社交界デビューとされるが、やはり一度にはできない。数人区切りで並んでは挨拶をしてという形になっていた。
挨拶の順番待ちをしている間は、少し動いて歓談しても良いことになっている、らしい。
しかし、皆が緊張しているのでほとんどは動かず、ちょっと前後の人とお話するくらいだそうだ。
……そして、前のご令嬢にじーっと見上げられている。
「どうしました?」
「以前お会いしたことありませんか?」
「ない、と思いますわ」
納得がいかないという顔をされてしまったが、全く覚えてない。彼女のパートナーの男性にも注目されてしまった。
「僕も見た覚えが……」
どこで!?
冷や汗が出てきた。ろくでもないところで見られた可能性は大いにある。独り歩きしてるから、どこかで見られたのを覚えられて……。
「これほど美しい人なら、どこであったか覚えていても良いと思うのですが……」
「似た人もいるかも知れませんね」
そうは言ったけど、いないと思う。そんな話をしていたら、他のひとからも視線を集めてしまった。
ああ、小さくなりたい。見えないくらいには無理だけど……。
「君は、異国の彫像みたいなんだ」
「……はい?」
「衆目を集めるのは仕方ない。麗しいのだからね」
……。
やっぱり、ゼインさんって褒め方、変な気がする。でも、彫像、ね。美術品なら、見られるのもおかしくないのか。
なんだかおかしくなってきた。
動く彫像。注目されて当たり前だ。
「ありがとうございます」
「……別に」
ちょっと気楽になれた。
「我が家は画廊も所有していますので、もしかしたらそこで見た絵に似た人がいたかもしれませんね」
「そうかもしれません。
すみません。ご迷惑をかけて」
「いえ、どこの絵を扱っているんですか?」
わりとスムーズに最初に声をかけてきた二人と歓談に持ち込めた。
そして、ちゃっかり、今度お伺いしますね、と約束を取り付けた。もちろん、ゼインさんと、である。本人は物言いたげだったけど、ご令嬢、一人で遊び歩いてはいけない。建前は大事。
……でも、どこであったんだろうか。
話をしている間に着実に列は進み、ついに国王陛下の前に立つことになった。
手順通りに名乗り、一礼する。
そして、陛下から一言なにか言葉をかけてもらう。これで、社交界への出入りが認められる。ということになっている。貴族の子女ならデビューしなくてもなんとなく、混ざれるという話を聞いた。みんなしていると思っているから、入ってなかったとしても覚えてない、ということだったけど……。
「おや、グレースが言っていたのは君か。
北方の氷姫のようだと。確かに、冷たい美貌が……」
そこで言葉が途切れた。何事かと思えば、お隣の王妃殿下が陛下をとっても冷たい目で見ていた。
「いや、褒めているだけだぞ。ほら、姫がな、きゃーって言ってただろ」
「若い娘を褒めると献上しなければと思う愚か者が出ます。ほどほどにと例年申し上げているでしょう。
はっきり申し上げますけどね、陛下には私以外の女はいりません。足りています。よろしいですね」
「はい」
陛下が、縮こまって返事をしていた。威厳とかどこなのと思うけれど、必要な茶番なのかもしれない。
例年。
つまりは、前例があるということだ。周囲の牽制や余計な面倒事を避ける必要を感じるほどよくある、と。
表情が引きつりそうになりながらも微笑みを維持する。特訓は大事だった。
「……それにしてもあなた」
「はい」
「どこかで会ったことはなかったかしら?」
……どこかに、私のそっくりさんでもいるのだろうか。困惑した雰囲気を察したかのように王妃様は気のせいかしらねと続けた。
「今日の夜会を楽しんでほしいわ」
「うむ。ゼインも騎士として姫の護衛をきちんとこなすのだぞ」
「拝命いたしました」
後ろもあるということで私たちはそこで下がる。
「……びっくりした」
「俺の名前も知っているとは思わなかった」
端に行ってこそこそと感想を話し合う。
「騎士ならば把握されていてもおかしくないのではないかしら」
「顔と名前の一致は……ああ、名簿からだな。顔は知らなくても名乗った相手のパートナーくらい把握しているだろう」
「そうでしょうか」
「団長よりそこはきちんとしている。肉体労働が俺の仕事とか王族の発言じゃない」
ぼやくような口調にお飾りではない団長の実態を察する。別の意味で面倒そうだ。
「……そういえば、グレースさんってあのグレースさんですわよね?」
国王陛下の言うグレースとは、従兄弟である侯爵閣下の娘であり、次期侯爵のグレース嬢しかいない。そこそこいる名前だから、気が付かなかった。侯爵家と仕事上の付き合いがあるとは知っていたが、私が実際会うことはなかった。
「君が言うのがどのグレース嬢かは知らないが、陛下が言うなら次期侯爵閣下のグレース様だな。
知り合いだったのか?」
「ロワイエ洋品店でお会いしました。出版社の社長としか聞いてなかったんですが……」
「本人は公爵令嬢とか、次期侯爵というと身構えられるから出版社の社長で通していると聞いたよ。
さすがにそんなことしてないと思われるらしいから。歴代の趣味の本を出すための出版社で、採算とか考えずにしているという金持ちの遊び」
「……すっごいですわね」
「令嬢として会っていないということは、お気軽な付き合いがしたいんだと思うよ。気さくだけど使い倒されるから気をつけてほしいところだけどね」
「わかりましたわ……」
すでにその予兆があるということは黙っておいた。利害の一致があるのだから、それはそれでいいと思うし。
「……ところで」
「なんですの?」
「ものすっごい睨まれていることだけは伝えておく。見なくていい」
「誰にですの?」
「君の幼馴染ってやつ?」
「ああ……。付き合いを断ったんですのよ。でも、なんか妙に執着されて」
ゼインさんはため息をついた。
「空回りが哀れ」
「意味がわからないんですけど。私、怖いんですけど?」
「そうだな……。君が、普通の女性じゃなかったから、型にはめようとした、というあたりじゃないか?
俺は別に期待されている身の上でもないから、妻にする相手にそれほどの条件は必要としないし、変わり者でも別に。そもそも結婚するとも思ってないだろう。
でも、家の事業とか任されたりするなら、良妻賢母を求めることになる」
「はあ」
それは、規格外に流れていった私を元に戻そうとしていたように聞こえる。
……あれは嫌味でもなく、善意の忠告だった?
うーんと悩む私にゼインさんはちょっと失礼ともう少し近寄ってきた。エスコートより腰に手を回すのは親密そうには見えるけどぎりぎりで触ってない。意外と腕をずっと同じ位置に固定しているのはつらい。
「あの無理に触らないようにしなくてもいいですよ。ほら。これから踊りますから慣れたほうが」
「それでは遠慮なく」
そう言いながらもためらいつつだ。
ん? と首を傾げた私にゼインさんはなに? と尋ねてくる。言っていいのかわからないが。
「女性に慣れてるのかなって思ってたんですけど、実は違います?」
「…………君のような危険セイブツに触れるのは、さすがにちょっと勇気がいるな」
「ひどいですわ」
ずいっともっと寄ってやる。
舌打ちされたのは、そのせいなのか、いつのまにやら近づいてきていたディアスのせいなのか。ベアトリス嬢がおろおろと……してないな。この兄貴しかたねぇな、という冷ややかさと冷酷さがある。つまり、二重表現したくなるようなほどのなんかだった。
「リース、忠告を無視していいことなんてないよ?」
「エルス伯爵令嬢、では」
私が返事をする前にゼインさんが割り込む。名を呼び捨てにするのはかなり親しいと周囲には思われる。うっかりしていた。
「ディアスさん、幼馴染とはいえ公の場では弁えていただきたいですわ」
「……エルス伯爵令嬢、どうか、私の話を聞いてください。
その男は歓楽街に通っているのです。遊び歩いて、違う女をいつでも連れている不実な男です」
ゼインさんに視線を向ければ、視線が泳いでいた。あ、それは、本当なのね。
そこは後で確認するとしても、今この場で不実なという印象を付けられるのは困るだろう。しかし、本人が否定するほどに嘘くさい。
ゼインさんの経歴に傷をつけるわけには!
「ディアスさん。
あのですね、ゼインさんは騎士団の方なのです。王家の直属で極秘任務も請け負うのですよ? どこで見てもあれこれ言うものではありません。
ご本人が話をしたら業務上の罪に問われるかもしれません」
「そこまでではありませんが、任務の都合上言えません」
ゼインさんのほっとしたような声に安心する。
「それで納得されるんですか?」
「ええ、兄が騎士団にいますもの。女癖が悪かったら叩き出されますのよ? 女性厳禁の騎士団寮を知りませんの?」
「……生まれも育ちも悪いのなら、隠すのもうまいかもしれない」
「ねぇ、ディア、どうして、そんなに言うの? ゼインさんは、立派な紳士で騎士で……」
恋人、というのはさすがにやりすぎだろう。
「尊敬すべき人ですわ」
これほどふさわしい言葉はない、と思っていたのに。
ディアスは毒気を抜かれたような顔をしているし、ゼインさんはムッとしたように眉を寄せているし、その後ろにいたベアトリス嬢は肩を震わせている。
「ちょ、兄は引き取ります。ええ、もう、わかったでしょう。
お姉さんに歯が立たないって。今度お茶しましょうね!」
「よ、よろしく?」
二人が去っていく。むしろ引きずられて行っている。行く先の人がさぁっと道を開けていった。
「風の海割り」
昔々、海に大事なものを落とした女の子が風にお願いしたら、海が真っ二つに割れたという逸話より、人の波を割ることを言う。
幼心にそこ、海が気を利かせるところではと思った。
「……くっ」
「ど、どうしたんですの?」
「君が、ふざけたことばっかり言うからだ。こんなところで、大笑いしてみろ。後々まで語り草だ」
「それはすみません?」
うつむいて肩を震わせ、海がと呟いているので笑いのツボにはいったらしい。そういえば、笑い壺という昔話が。
……現実逃避ではある。
「……これで不名誉な噂は広がったりはしないといいのですけど」
「別の誰かが不名誉な憶測されることはあるかもな」
「そ、それは、なにか騎士団でとりなしを……」
「君が、騎士団に来て、団長と副団長に釈明してくれ」
「もう一度行っていいんですの?」
「用事があるならね」
「いきますわ!」
「あんなところ、望んでいくところでもないと思うよ」
それには私は答えない。
わかってないが、わかってないということを指摘しても、通じもしない。
「……挨拶が終わったようだな」
最後は、背の高い男性と小柄な女性だった。兄くらい大きい気がする。
「あのくらいがちょうどいいと思うんですけどね」
「巨人が必要だな」
「承知してますよ。北方か港町に移住しようかな」
自分より大きい人に囲まれたい。こうして普通に扱ってくれることが増えるのではないだろうか。
なんか、大きいとみられることもなく。
「君が、大きくても女性として損なわれているところはない。
ちゃんと自信をもって、歩いてほしい」
「そうできるといいのですけど」
「教えたことが無駄になるので、きちんとしてほしい」
「承知しましたわ!」
そう言うとため息をつかれた。なぜ。
「そろそろ、踊る時間だ。この夜会は一曲だけ踊り、そのあとは自由解散になる。
すぐに帰るか?」
「ええ」
そのつもりだったのである。
三曲踊った。
一曲でいいという話だったのに、トーナメント方式だった。つまり、うまい人が残され続ける。私の実力ではなくゼインさんのリードが良すぎて、最後二人だけで踊らされたのだ。
さらに国王陛下からおほめの言葉をいただき、花冠を頭に乗せられた。
「聞いてません」
「薄っすら思い出した……」
ひっそり訴える私にゼインさんが気まずそうに言っていた。当時、そんなに踊るのは上手ではなく、パートナーもほどほどだったので一曲で終わった、らしい。
私の頭に乗せられた花冠も最後まで残ったものにしか与えられないもの。
名誉はあれど、目立ちたくないという希望とははるか遠い。
「誘いが増える前に帰ろう」
「そうですわね」
ひっそりというのは無理なので、もう、心の美女においでいただくほかない。
「なんだ、できるじゃないか」
そういうお褒めの言葉もあまりうれしくなかったりするけど。
こうして、私の社交界デビューが終わったのである。
大変残念なことに、ゼインさんはとっても理性的な紳士なので! 全く! なにごともなく! 帰宅することになった。
後日譚もう一話あります。
予定より長くなりました。




