第96章 clubカストリア ― 湖畔の祝宴
都市バルメリアを再生させた二階堂商会は、次なる都市の可能性として、湖と水の魔力に抱かれたラクリアへと目を向ける。
水と聖性に閉ざされた湖上都市ラクリア。
森の盗賊を打ち負かし、バルメリアと結ぶ交易路を整えた。
ラクリアの夜空に、灯がともる。
湖畔を照らす無数の光は、まるで星が地上に降りてきたようだった。この日のために、ラクリアの中心街にある由緒ある酒場を二階堂商会が改装――
その名も《clubカストリア》。
バルメリアで伝説となったあの接待作戦の第二章である。
ラクリア市民は最初こそ驚いていた。
豪快な音楽、商会兵たちの大声、そして煌びやかに並んだ料理。
色とりどりの魔導灯が天井を走る。
長年、静謐と節度を重んじてきたラクリアの夜にしては、あまりにも刺激的な光景だった。
最初、市民たちは戸惑いを隠せなかった。甲冑を外した商会兵たちの豪快な笑い声。所狭しと並べられた、見慣れぬ料理と山のような酒樽。音楽に合わせて床を鳴らす足音に、思わず耳を塞ぐ者すらいた。
「……これは、酒場というより戦場では?」
そんな囁きが聞こえたのも、最初の数杯までだ。杯が進み、喉が潤い、誰かが歌い出す。
ぎこちない拍手が、やがて手拍子に変わり、笑顔が一人、また一人と増えていく。気づけば、市民と商会兵の境目は消え、肩を組み、歌と酒に身を委ねていた。保守的で知られるラクリアの人々にとって、あまりにも濃すぎる夜。
だが――だからこそ、忘れられない。
「な、なんだ……この盛り上がりは……!」
財務官の一人が呆然と呟く。
「社長の平和的覇権って、こういう意味だったんですかね……?」
「……かもしれん」
――これが、武装法人二階堂商会の本領。
剣を抜くべき時には躊躇せず、だが杯を掲げる時には、街ごと巻き込んで笑わせる。戦場の勝利も、酒場の熱狂も、どちらも制してこそ、彼らは前へ進む。
ラクリアの夜は、少しだけ騒がしく、そして確かに――新しい時代の鼓動を刻み始めていた。
◇
喧騒から少し離れた隅のテーブルで、ザハードと元盗賊団の面々は肩を寄せ合うように座っていた。
高らかな笑い声と音楽が渦巻く中、そこだけが取り残されたように静かだ。
彼らは周囲の賑わいを遠巻きに眺め、所在なげに酒を口に運ぶ。
「……こういうのは、性に合わねぇな」
「俺たちが混ざったら、場が冷めちまう」
自嘲めいた声が落ち、誰も否定しなかった。
森では牙だった彼らも、ここでは居場所を測りかねている。
――その背後から、軽やかな足音。
「なに遠慮してんのよ、あんたたち!」
弾むような声とともに現れたのはミナだった。
頬はほんのり赤く、けれど瞳は酔い以上に明るい。
両手を広げ、まるで輪の中へ引き込むように立つ。
「今夜くらい肩の力抜きなさい。ラクリアも、もう敵地じゃないでしょ?」
ザハードが一瞬、言葉を失い、視線を逸らす。
「……敵地、か。そう簡単に切り替えられるほど、器用じゃねぇよ」
苦く笑った、その瞬間だった。
「だったらさ」
隣のテーブルから、ラクリア市民の男が身を乗り出し、ジョッキを差し出す。
「元盗賊だろ? だったら今は森の守り人じゃないか」
ザハードは驚いたように目を見開き、やがてゆっくりと肩の力を抜いた。ジョッキを受け取り、軽く掲げる。
「……やれやれ。とんだ役職をもらったもんだ」
その口元には、ほんのわずかだが、確かな笑みが浮かんでいた。ミナはそれを見て、満足そうに小さく頷く。誰かを責めるでも、押しつけるでもない。
ただ、「ここにいていい」と伝える――その優しさが、場の空気を確かに変えていた。
◇
一方その頃――別のテーブル。
「――ですからね、資金繰りとは流れの把握が何より大事なんです!」
リュシアの声は、音楽と笑い声の渦を切り裂くように、やけに通っていた。
背筋はぴんと伸び、グラスを指揮棒のように振りながら、財務担当官たちを相手に、十度目の熱弁を振るっていた。
「予算とは貯めるものではありません。動かし、回し、意味を持たせてこそ価値が生まれる――
理解できますね?」
「は、はい……」
「その点、この特別会計はですね――」
(……もう一時間経ってる……)
隣で聞いていた担当官の一人が、内心で遠い目になる。しかし誰も口を挟めない。
なぜなら、熱弁を振るうリュシアはあまりにもリュシアらしく、そして圧倒的だったからだ。
「……それで、例の特別会計とは……?」
「それはですね――」
コトリ、と嫌な音がして、テーブルの端に置かれていたワインが傾いた。
「あ――」
短い声と同時に、リュシアの頬がみるみる赤く染まっていく。
先ほどまで氷のように冷静だった副社長の顔が、信じられないほど分かりやすく変化した。
「……っ、少し……休憩を……」
語尾が急激に弱まり、次の瞬間――
ストン。
まるで糸が切れた操り人形のように、椅子へ沈み込み、そのまま机に突っ伏した。
「――副社長?」
呼びかけに反応はない。規則正しい寝息だけが、小さく聞こえてくる。
ほんの数秒前まで、財務理論で場を制圧していた人物とは思えなかった。
「……撃沈、ですね」
「電池切れだ……」
「さっきまであんなに怖かったのに……」
ざわつく財務官たちの中、ミナがくすっと笑いながら立ち上がる。
「副社長、撃沈です!」
楽しそうに、しかしどこか慣れた口調でそう報告すると、リュシアの肩にそっと上着をかけてやった。
「もう。強いお酒はダメって、何度言ったら分かるのよ」
眠ったままのリュシアは、答える代わりに小さく寝返りを打つ。
その拍子に、さっきまでの氷の副社長の面影は完全に消え、無防備で、どこか幼い寝顔だけが残った。
――氷の副社長、リュシアの唯一の弱点。
酒が入ると熱くなり、限界を超えると、唐突に電池が切れる。
だが、その隙だらけの瞬間こそが、二階堂商会の仲間たちにとっては、愛すべき一面だった。
◇
その近くでは、ロイが子供たちに囲まれていた。
「ロイ兄ちゃーん! もう一回剣の構え見せて!」
「だめだ、もう寝る時間だろう?」
「え~!」
「明日、ちゃんと起きられたらな」
子供たちは不満を口にしながらも、素直に頷いていく。その様子を見ていた母親たちが、そっと笑った。
「ほんとに聖騎士みたいな人ね」
ロイは頬を掻きながら苦笑した。
「聖騎士なんて柄じゃないさ。ただの労働者上がりだよ」
◇
ダンスホールでは――。
「ほらほラ! このステップはこうダ!」
ガロウが大声で笑いながら、ラクリア兵たちと踊っていた。
「これも訓練のうちですか~!?」
「そうダ!」
兵士たちが歓声を上げ、ドン、と足を鳴らす。床が軋み、音楽が跳ねる。完全に宴会場というより戦場のノリである。その光景を見て、ロイが苦笑しながら呟く。
「……まぁ、平和な戦場ってやつだな」
◇
湖畔では、ルーチェが魔導士たちに囲まれていた。
白衣代わりの外套を翻し、周囲を取り囲む魔導士たちへ向けて、即席の講義が始まっていた。
「この湖の魔力は、山脈から流れ込む古代結界――その残響が幾重にも反射して溜まったものにございます」
夜の湖面を指し示しながら、語り口は妙に格調高い。
魔導士たちは思わず頷き、顎に手を当てる。
「なるほど……理論的には説明がつきますな」
「流動層と共鳴場の重なり……興味深い」
真面目な議論の最中――。
「では――実際に観測してみまする!」
そう宣言するや否や、ルーチェは勢いよく湖面へと歩み寄った。
一歩。
二歩。
――つるっ。
「ぬぁっ!?」
間の抜けた悲鳴と同時に、視界から姿が消える。
バシャーン!
盛大な水音が夜気を切り裂き、月明かりの湖面に大きな波紋が広がった。
「お師匠様ぁぁ!」
「だ、大丈夫ですか!」
教授や魔導士たちが慌てて駆け寄る中、湖からずぶ濡れの影が、もそもそと立ち上がる。
髪から水を滴らせ、外套は重く張り付いている。顔は真っ赤。耳まで赤い。
「……ぶ、ぶじ……でござる……」
湖面からずぶ濡れで上がってきたルーチェは、顔を赤らめながら叫ぶ。
「拙者ァ! 弟子はまだ取れる器ではござらぬぅぅ!!」
その声が夜空にこだまし、周囲が大爆笑に包まれた。
◇
その頃、奥のテーブル。
漣司は議長や高官たちと杯を交わしていた。外の喧騒が届かない静かな一角。
「急な革新は、時に歪みを生むこともある。だが、森の番人がそれを防ぐだろう」
漣司の言葉に、議長は静かに頷いた。
「ええ。あなたの導いた者たちなら、きっとこの街を守ってくれます」
窓の外、湖面に無数の灯が映る。その光はまるで、人と人の絆のように揺らめいていた。漣司は杯を置き、微かに笑う。
「――まぁ、今夜ぐらいは静かに見守るとしよう」
外からはミナとガロウの笑い声、リュシアの寝息、そして湖に落ちたルーチェを引き上げる騒ぎ。二階堂商会の夜は、今日も例に漏れず賑やかだった。
だがその喧騒の奥――確かに芽吹いていた。
ラクリアという新たな都市が、平和と希望を宿した道として、歩み始めたことを。
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