第95章 交易路開通 ― 新時代の息吹
都市バルメリアを再生させた二階堂商会は、次なる都市の可能性として、湖と水の魔力に抱かれたラクリアへと目を向ける。
水と聖性に閉ざされた湖上都市ラクリア。
森の盗賊を打ち負かし、バルメリアと結ぶ交易路を整えた。
森を渡る風が、ようやく柔らかくなった。
かつては霧と魔力に満ち、踏み込む者を拒み続けたこの森は、
いま静かな息遣いを取り戻しつつある。
長い戦いの日々と、果ての見えない開墾の積み重ねを越え、
二階堂商会の隊列は、一定の間隔を保ちながらゆっくりと前進していた。
頭上では木々の葉が陽光を受け、淡い緑の影を地面に落としている。
かつて視界を閉ざしていた霧は嘘のように薄れ、切り拓かれた新しい道の上には、
荷車の車輪が――ごとり、ごとりと、確かな音を刻んでいた。
――交易路。
それは、森と街、恐れと希望を隔てていた“境界線”を、
初めて一本の線として結び直す道だった。
誰かが踏み固め、誰かが通り、やがて多くの命と物資が行き交う――
未来そのものの形。
リュシアは記録簿を胸に抱え、足元を確かめるように歩いている。
土の状態、木の密度、道幅。
一つひとつを書き留めるその姿は、まるで街の未来を測量しているかのようだった。
「ここまで来るのに、どれほどの労力を費やしたか……」
小さく息を吐き、彼女は前方を見据える。
「まさに、街を結ぶ命綱ですわ。一本の道が、これほど重い意味を持つとは」
その隣で、ミナが両腕を大きく伸ばした。
関節が鳴り、どこか晴れやかな笑みが浮かぶ。
「まぁねぇ。まさか盗賊団と一緒に、道を作ることになるなんて思わなかったけど」
ガロウが腹の底から笑う。
「ハッ! 人生、何が起きるかわからねェな。
でもよォ、連中――悪くねェ」
顎で前方を示す。
「ちゃんと汗かいて、真面目に働いてんじゃネェか」
その視線の先では、かつて森を支配していた盗賊団の男たちが、
黙々と斧を振るい、倒木を片付けていた。
怒号も脅しもない。ただ、道を拓くための労働がそこにある。
そして、その先頭に立つのは――包帯の残るザハードだった。
彼は一瞬、斧を下ろし、木屑にまみれた自分の掌を見つめる。
荒れた手。だが、そこに宿るのは、かつての刃の冷たさではない。
「……不思議なもんだな」
ぽつりと、独り言のように漏らす。
「昔はこの森で、人を追い返す側だった。
通るな、踏み込むなって――矢を向けてたのに」
苦笑が混じる。
「今じゃ、道を作って……通す側か」
ロイがその隣に並び、同じ道の先を見た。
かつて敵として刃を交えた男と、同じ景色を見るという事実が、
この道の意味を何より雄弁に語っていた。
「そう悪いもんでもないだろ」
ロイは穏やかに言う。
「街を守るってのは、剣を振るうことだけじゃない。
こうして――人が行き来できる場所を作るのも、立派な守りだ」
「……あんたら、ほんと変わってるよ」
ザハードは小さく笑い、だがその声には、もはや棘はなかった。
ロイは軽く、彼の肩を叩く。
「俺たちは武装してる。でもな――戦うのは敵だけだ」
道の先へ視線を向け、言葉を続ける。
「この剣は、奪うためじゃない。人を繋ぐための剣なんだ」
陽光の中、切り拓かれた道は、さらに奥へと延びていく。
踏み固められた土の上には、まだ新しい轍が残り、
その一本一本が、確かな希望の証となっていた。
かつて霧に閉ざされていた森は、いま――
未来へと続く道そのものに変わり始めていた。
◇
昼を少し過ぎたころ――ついに、森の外れが視界に開けた。
鬱蒼と重なっていた木々が途切れ、枝葉の隙間からまっすぐな陽光が差し込む。
澄んだ空気が一気に流れ込み、胸の奥まで洗い流されるようだった。
その先には、平地へと続く開けた道。
そして――待ち構えていた商団の隊列。
バルメリアから派遣された二階堂商会の社員たち、護衛の兵士たちが、
森の出口に姿を現した一行を見つけるや否や、歓声を上げた。
「おおおっ!!」
「本当に……抜けてきたぞ!」
手が振られ、声が飛び交い、安堵と興奮が一斉に弾ける。
ミナは両手を腰に当て、思わず目を丸くした。
「すごい……!
前はこの森を抜けるだけで三日以上かかったのに……
今じゃ、一日もかからないなんて!」
感嘆の声に、ザハードが鼻で笑う。
「もともと、平地からラクリアまでの直線距離はそれほど離れてねぇんだ。
森が厄介だっただけさ。……ようやく本来の道が戻っただけだ」
リュシアはすぐさま地図を広げ、指先で線をなぞった。
「この交易路が機能すれば、流通量は倍以上になりますわ。
物資の循環が整えば、バルメリアとラクリア、双方の税収も安定します」
視線を上げ、淡く微笑む。
「都市の呼吸が、ようやく正常に戻るということです」
「ふふっ、さすがリュシアさん。もう次の算盤を弾いてるんだね」
ミナが楽しげに笑う。
その一方で、ルーチェは湖の方角を見上げ、静かに呟いた。
「陽光が、森の奥まで届いております。
魔力の流れも澱みなく……これこそが、本来あるべき自然の姿にござるな」
漣司は馬上から、仲間たち、そして道を作った者たち全員を見渡した。
かつて敵だった者も、今は同じ道に立っている。
「よくやった」
低く、しかし確かな声が響く。
「森を越えるだけじゃない。 敵だった者たちも、いまはこの道を支える担い手だ」
一拍置き、言葉を結ぶ。
「――人が歩む限り、道は広がる」
その言葉に、誰もが静かに頷いた。
歓声の余韻の中、胸に去来するのは、確かな実感。
長い戦いの果てに得たものは、単なる勝利ではない。
互いを否定し合う世界を越え、同じ未来へ歩き出す――
共存という、何よりも強い答えだった。
◇
数日後。
交易路の開通式典のため、二階堂商会一行はラクリアの中心へと招かれた。
湖畔の建物群が黄金色に輝き、街全体が祝祭の空気に包まれている。
市庁舎の大広間に入ると、議長が満面の笑みで迎えた。
「社長、二階堂商会の皆さま――本当に見事な働きでした。
この街は、あなた方の努力で再び大陸の一部と繋がったのです」
議会庁舎に静かな拍手が広がる中、リュシアが一歩前へ出て、深く一礼した。
「我々は、あくまで架け橋の一端を担ったに過ぎません。
街を動かし、未来を選ぶのは――ここに生きる皆さまです」
「いやいや、その謙虚さこそ尊敬に値しますぞ!」
議長は声を弾ませ、議場を見渡す。
議員たちの表情には、警戒ではなく、期待の色が宿っていた。
「この交易路は、単なる経済の線ではありません。
人と人、街と街の心を結ぶ道だ。――そうでしょう、社長?」
漣司は穏やかに頷き、静かに言葉を返した。
「戦うことよりも、繋ぐことにこそ価値がある。
我々は、商人でありながら武を持つ」
静かに言い切る。
「それは守るためだ。――奪うためではない」
その一言に、議場の空気が一瞬、張り詰めた。
そして、議長は深く頷く。
「まさにその通りです、社長。ところで――実は、二階堂商会の活躍については、バルメリアの古い友人からも聞いておりましてな」
含みを持たせた笑みで、言葉を続ける。
「その、聞いた話によると……」
リュシアが、はっと顔を上げた。
「まさか……」
ミナは肩を揺らし、にやりと笑う。
「やっぱりねぇ。あの時のあれ、どう考えても噂にならないわけないもん」
漣司はこめかみを押さえ、深いため息をつく。
「……あくまで交渉手段の一つに過ぎないんだがな……」
そのやり取りに、議場から小さな笑いがこぼれる。
張り詰めていた緊張は、いつの間にか融け、穏やかな熱気へと変わっていた。
湖畔から風が吹き抜け、白亜の建物の回廊を通り抜ける。
高窓の向こう、夕陽が屋根の稜線に沈み、ラクリアの街並みを橙色に染め上げていく。
こうして、交易路の完成とともに、街と商会の新たな関係が結ばれ、
そして――
二階堂商会恒例、情報と酒と腹芸が飛び交う大接待会の幕が、静かに上がろうとしていた。
――ラクリアに、新時代の夜が訪れる。
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