第93章 森の終端 ― 和解と新たな道
都市バルメリアを再生させた二階堂商会は、次なる都市の可能性として、湖と水の魔力に抱かれたラクリアへと目を向ける。
水と聖性に閉ざされた湖上都市ラクリア。
静謐と停滞が同居するその街に、新たな流れは祝福となるのか、それとも破壊となるのか。
森の中心。
かつて濃密に渦巻いていた魔力の霧は嘘のように晴れ、円形に拓けた空間に、戦いの余韻だけが静かに漂っていた。
倒れ伏した巨木が幾重にも横たわり、裂けた幹からはまだ微かに魔力の残光が滲み出している。
燃え尽ききらなかった魔導の光が、薄紫の残滓となって宙を漂い、ゆっくりと夜気に溶けていく。
その中心に立つのは、長弓を携えた男――ザハード。
外套は裂け、肩口には戦いの痕が刻まれているが、その背筋はなお真っ直ぐだった。
その傍らには、数えるほどしか残っていない副官たち。
誰もが疲弊し、息を荒くしながらも、武器を捨ててはいない。
彼らを取り囲むように、二階堂商会の役員たちと兵士たちが円陣を組む。
盾は下ろされ、剣先は向けられたまま――だが、もはや無秩序な殺気はない。
そこにあるのは、勝敗が定まった後の、張り詰めた静けさだった。
盗賊団は、事実上の壊滅。
森を支配してきた幻影も、罠も、すでにその力を失っている。
――それでも。
ザハードは膝を折らない。
地に伏すことも、頭を垂れることもなく、森の主として最後まで立ち続けていた。
霧の晴れた森が、彼を見守るように沈黙する。ここは終点であり、同時に分岐点。
剣ではなく言葉が、次の道を決める場所だった。
◇
「……よくぞ、ここまで踏み込んできたな。
幻霧を越えられるとは――正直、予想外だ」
ザハードは長弓を地に突き、杖代わりに体を支えながら、かすれた笑みを浮かべた。
頬には裂傷、額には汗。呼吸は荒い。
それでも、その瞳の奥に宿る炎だけは、消える気配を見せない。
「降伏しろ、ザハード」
漣司の声は低く、抑制されていた。
だが、その一言には、刃を向けずとも相手を縛るだけの重みがあった。
森の空気が、わずかに張り詰める。
ザハードは鼻で笑う。
「俺は……負けたことはねぇ。
ただ、戦場が終わらず、場所が変わり続けてきただけだ」
「なら――ここで終わらせる」
その瞬間。
――パァン、と空気が弾ける音が連なった。
二人の背後で、幾何学模様の光が一斉に展開する。
ルーチェの魔法陣だ。白銀の紋様が地面に刻まれ、残存する幻影を強引に押し返していく。
「幻影、制圧に入りまする!」
同時に、リュシアの鋭い声が戦場を貫いた。
「左右包囲! 密度を保って前進!各班、押し込みなさい!」
指示が飛ぶたび、二階堂商会の兵たちが迷いなく動く。
混乱はなく、恐怖もない。ただ、組織として磨き上げられた動線だけが、森を切り裂いていった。
「オオオオォォォ!!」
ガロウが雄叫びと共に突進する。
巨斧が振り下ろされるたび、大地が震え、森の奥へと道が穿たれていく。
「森の奥まで、まとめてぶっ飛ばすゾォォ!!」
その横を、ロイが低い姿勢で駆け抜けた。
副官の突き出した槍を、剣で受け止める。
「……悪いが。こっちにも退く理由はないんだ!」
刃と刃が噛み合い、乾いた金属音が響く。
副官の動きは鋭く、踏み込みも的確。
だが――その死角を、影がすり抜けた。
「後ろ――がら空きよ」
ミナだった。
跳躍。回転。
閃光のような蹴りが連続して叩き込まれ、副官たちは悲鳴を上げる間もなく地に崩れ落ちる。
「雑魚は片づけたわ、社長!」
その声に、漣司は一瞬だけ口角を上げた。
「上出来だ」
短く、だが確かな信頼を込めた一言。
次の瞬間、彼は地を蹴る。
剣先が、ザハードへと真っ直ぐ向けられた。
森の中心で、最後の対話と決着が――今、真正面から交わろうとしていた。
◇
――ギィン、と空気が軋む音がした。
ザハードの弓が唸りを上げ、間髪入れぬ連射が放たれる。
放たれた矢は風を裂き、軌道すら見せぬまま迫った。
一本が、漣司の頬をかすめる。
皮膚が切れ、熱を帯びた血が一筋、宙に散った。
「ちっ……避けたか」
ザハードが歯を噛みしめる。だが、その視線はまだ鋭い。
「狙いは悪くない」
漣司は低く言い、足を止めない。
「だが――その弓、少し疲れてるな」
一歩。さらに一歩。
距離が、確実に詰まる。
次の瞬間――刃が閃いた。
漣司が踏み込み、剣が光を引く。
ザハードは即座に判断し、弓を放り捨てた。
代わりに抜いた短剣が、逆手に構えられる。
――カンッ!
金属音が炸裂し、火花が弾ける。
二人の影が交錯し、森の中心で円を描くように入れ替わった。
剣が唸り、短剣が喉元を狙う。一歩踏み違えれば終わり。
呼吸すら、互いに読まれている。
周囲の音が、遠ざかった。
時間が引き伸ばされたかのように、ただ二人の刃だけが存在する。
「社長、助太刀致す!」
ルーチェの声が響き、光が集まりかける。
だが――
「いい」
漣司は視線も向けず、短く制した。
「これは……俺の仕事だ」
その一瞬の間。
ザハードが踏み込む。獣のような低い動き。
短剣が、一直線に心臓を狙った。
――速い。
だが、漣司は逃げなかった。
身をひねり、刃を受け流しながら――懐へ。
距離ゼロ。剣が振り上がる余地はない。
「ッ――!」
漣司は、剣を振らなかった。代わりに。
剣の背で、全身の力を叩き込む。
――ドンッ!!
鈍く、重い衝撃音。
衝撃が胸骨を貫き、ザハードの体が浮いた。
空気が吐き出され、視線が揺れ――
そのまま、地面に叩きつけられる。
短剣が転がり、弓が、遅れて音を立てた。
森が、息を吐いた。
霧が静まり、風が止み、ただ、倒れ伏すザハードと、剣を下ろした漣司だけが残る。
戦いの中心に――ついに、静寂が戻った。
◇
「……やっぱり、おいしいところは社長が持っていくよね~」
ミナは肩をすくめ、戦いの余韻を振り払うように軽く笑った。
その声音には、悔しさよりもどこか誇らしさが滲んでいる。
「仕方ない。俺たちの代表ですから」
ロイは剣先を下げ、苦笑とともに息を吐いた。張り詰めていた緊張が、ようやくほどけていく。
ルーチェは何も言わず、静かに頷く。
その微笑みは、勝利の確信と、仲間への信頼を同時に宿していた。
「流石にござる……見事な采配であった」
感嘆を込めた声に、戦場の空気が少しだけ和らぐ。
ガロウは腕を組み、鼻を鳴らした。
「まあ、最後のトドメぐらいは社長に譲っといてやるヨ」
軽口とは裏腹に、その眼差しは戦士としての敬意を隠していない。
漣司はそれらを背中で受け止めるように、静かに剣を下ろした。
刃に付着した血が、地面へと落ちる。
――その時。
「……殺すのか?」
かすれた声が、戦場に落ちた沈黙を裂いた。
倒れ伏すザハード。その眼には、恐怖と諦念、そして微かな覚悟が入り混じっている。
漣司は一歩、踏み出した。
「いや」
短く、しかし迷いのない声。
「お前には、まだやるべきことがある」
「……やる、こと?」
疑念に揺れる問い。
「この森を奪うのではない。守るんだ。
これから生まれる交易路――その守人となれ」
風が吹き抜け、木々がざわめく。
沈黙。
ザハードの拳が、震えながら地面を叩いた。悔しさか、怒りか、それとも――救いか。
「……守る、ね。……ハッ、皮肉だな」
吐き捨てるような笑い。それでも、漣司はわずかに微笑んだ。
「奪うより、護る方が――ずっと難しい。だからこそ、価値がある」
その言葉は、刃よりも深く、ザハードの胸に突き刺さる。
やがて彼は目を閉じ、長い沈黙の末に、静かに頷いた。
戦いは終わった。だが――ここから、新しい役割が始まる。
◇
霧が、嘘のようにほどけていった。
重く澱んでいた戦場の空気が、風に押し流されるように薄れていく。
木々は静かに枝を揺らし、失われていた森の呼吸が、ゆっくりと戻ってきた。
遠くで、鳥の声がひとつ――やがていくつも重なり、世界が再び音を取り戻す。
ミナはその光景を見渡し、小さく息を吐いて笑った。
「ふぅ……終わった、のかな」
「いや」
即答だった。
漣司は剣を収めたまま、森のさらに奥――霧の向こうにあった未来を見据えている。
「まだ続いている。
ここを戦場から通る道に変える――それが本当の戦いだ」
雲間から差し込む光が、地面を照らした。
濡れた葉がきらめき、森の緑は新しい色を帯びて輝く。
奪い合いの場所だったこの地は、いま、つながるための場所へと姿を変えようとしている。
剣ではなく、意志によって。支配ではなく、選択によって。
二階堂商会とザハード。
敵対の歴史を越え、互いを背負う関係が――この瞬間、静かに産声を上げた。
戦いは終わらない。だが、進むべき道は、確かにここに生まれていた。
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