第84章 湖上会議 ― 静けさの中の報告
都市バルメリアを再生させた二階堂商会は、次なる都市の可能性として、湖と水の魔力に抱かれたラクリアへと目を向ける。
水と聖性に閉ざされた湖上都市ラクリア。
静謐と停滞が同居するその街に、新たな流れは祝福となるのか、それとも破壊となるのか。
ラクリアに辿り着いてから、しばらくの時が流れていた。
湖畔を渡る風は穏やかで、朝の光が水面を反射しながら
白壁の建物をやさしく照らしている。
静寂に包まれた街は、目覚めたばかりのようにゆっくりと呼吸をしていた。
二階堂商会の仮本部――
宿の一室を改装した会議室もまた、簡素ながら落ち着いた空気に満ちている。
厚手のカーテン越しに差し込む光が床に淡い影を落とし、
湖から届く微かな水音が、沈黙を心地よく満たしていた。
木製の長机を囲む五人の顔には、それぞれ充実の色が混じっている。
街を歩き、人と話し、調べ、考え――
この静かな都市と向き合ってきた日々の重みだ。
漣司は椅子に深く腰掛けたまま、ゆっくりと全員を見渡した。
視線が一巡し、会議室の空気が自然と引き締まる。
「よし、報告を始めよう」
その一言で、私的な雑談の気配は完全に消える。
ここからは、商会としての時間だ。
「まずは――リュシアからだ」
名を呼ばれ、リュシアが小さく息を整えた。
背筋をすっと伸ばし、手元の資料を揃えるその所作には、
几帳面さと責任感がにじんでいる。
◇
「はい。市の財務記録を一通り確認しました」
リュシアは落ち着いた声音でそう切り出し、手元の資料を丁寧に揃えた。
紙の端がきっちりと揃うその仕草だけで、
彼女がどれほど丹念に目を通してきたかが伝わる。
「帳簿はやや不揃いな箇所がございますが、
これは単なる記帳の誤りかと思われます。
使途不明金や架空支出など、
バルメリアで見られたような不正の形跡はありません」
机の上に数枚の書類が並べられる。
数字は整然とし、無理に取り繕った形跡もない。
「市の予算も健全です。資金繰りに余裕こそありませんが、支出はすべて公正。
――少なくとも数字の上では問題は見当たりません」
その一言に、含みがあるのを察したのか。
ミナが頬杖をつき、口元を緩めた。
「数字の上では、ね。ほんと、その言い回し、リュシアさんらしい」
「私は、街の周りの森と山道を調べたけど、
盗賊と魔物の被害が少し出てるくらい」
ミナは指先で机をとんと叩く。
「襲撃の頻度は高くないし、死人が出てるわけでもない。
でも、積み荷を荒らされた商人や、途中で引き返した行商は確実にいる」
「盗賊、か……」
漣司が低く呟き、指先を組んだ。
その視線は資料ではなく、机の向こう――ラクリアの外を見ている。
ミナは苦笑して肩をすくめた。
「ここの人たち、妙に気丈なのよ。
『あの森は昔からそういうもんだ』って、半ば諦めたみたいに言うの」
笑ってはいるが、どこか乾いた表情だった。
「慣れてるだけ。解決したわけじゃない。
放っておけば、危ない街って噂だけが広がって――商人は、確実に来なくなる」
静かな会議室に、わずかな緊張が落ちる。
数字は健全。街は美しい。人々も穏やか。
だが、街道に巣食う小さな歪みは、確実に流通の喉元に指をかけていた。
◇
続いてロイが、手元の報告書を静かにめくった。
紙の擦れる音が、会議室の静けさを際立たせる。
「住民の暮らしは質素ですが、概ね満足してます。
税も低く、職や産業は少ないものの安定はしています」
淡々とした報告の中に、ロイは一度だけ言葉を区切った。
「もちろん、愚痴はあります。若者が街を出ていくこと、
商いの話題が減っている事などありますが...危険な不満は見られません」
彼は一息つき、穏やかに微笑んだ。
「皆、家族や職を大事にしている。……良い街ですよ、ここは」
その言葉に、ガロウが腕を組みながらうなずいた。
「オレも、似た印象ダな。兵どもは素直で真面目。サボるヤツも少ねェ。
鍛えりゃ、まだまだ強くなる連中ばかりダ」
だが、次の言葉で、声の調子がわずかに重くなる。
「ただ……士気は少し低イ。森の盗賊のことが気になってるんダ。
いずれ商人や家族を守れなくなるんじゃねェかってナ」
ガロウは拳を握り、机に軽く置いた。
「誰も騒がねェ。だがその分、覚悟を決めちまってる顔をしてやがル。
――それが、オレは一番気に入らねェ」
「ふむ……」
漣司は静かにうなずき、手帳にペンを走らせた。
「満ち足りているようで、少しずつ後ろへ下がっている。
守りを固めるだけで、前へ進めなくなっている街……か」
誰も反論しなかった。湖上都市ラクリアは、まだ美しく、まだ穏やかだ。
だがその静けさは、停滞と後退の境界線に、確かに足をかけていた。
◇
最後にルーチェが挙手した。
「魔導学院につきまして、ご報告申し上げます」
柔らかな声ながら、一語一語は明確だった。
「立派な校舎や潤沢な設備があるとは言えませぬ。
研究器具も年季の入ったものが多く、予算にも余裕は見られませぬが――」
資料を軽く整えながら、視線を上げる。
「魔導士、学者、学生のいずれも、誠実で教養が深く、
基礎理論を軽んじることなく、地道な研究を積み重ねております。
成果は派手ではございませぬが、確実に蓄積されている印象でござる」
その声には、感情を抑えた冷静な評価が貫かれていた。
「また、市民の魔導理解が高く、魔法を特権や支配の手段としてではなく、
生活を支える共助の力として受け入れております。
照明、治水、気候調整、簡易治療――
いずれも節度をもって運用されており、混乱は見られませぬ」
彼女は微笑みながら続けた。
「総じて、この街は――光の扱い方を心得ております。
力を誇示せず、恐れず、しかし軽んじることもない。
……魔導に携わる者として、誇るべき在り方でござる」
場が一瞬、柔らかな空気に包まれた。
漣司は全員の報告を聞き終えると、ゆっくり椅子に背を預けた。
◇
「皆、よくやった。報告を聞く限り――ラクリアは健全だな」
漣司はそう言って、ゆっくりと机の上に両手を置いた。
断定的でありながら、慎重さを失わない声だった。
ミナが椅子にもたれ、首をかしげる。
「拍子抜けするくらい、平和ね」
「そうだな」
漣司は微かに笑みを浮かべた。
「バルメリアがあまりにも荒れていたせいかもしれん。
議会との交渉も、肩透かしを食うほどに順調だった。
二階堂商会が商路を繋いでくれるなら、こちらも全面的に協力しよう――
それだけで話がまとまった」
ミナの眉がぴくりと動く。
「それ、罠じゃないでしょうね?」
「ミナ、お前は少し疑いすぎだ」
ロイが苦笑しそうになるのを、ミナは肩をすくめて返す。
「だって、順調すぎるのよ」
「順調な時こそ、焦らず進む」
漣司は即座に言った。
「それが、経営の鉄則だ」
漣司の言葉に、室内の空気が少し引き締まった。
皆、それぞれの視線で彼を見つめる。
バルメリアでの混乱と決断、血の気配すら残る日々を経た今――
漣司の言葉は、経験に裏打ちされた重みを帯びていた。
「この街の光を、我々が濁すわけにはいかない。
ラクリアは、力で縛る街ではない」
窓の外では、湖面に反射した夕光がゆらめいている。
「――統治すれど、支配せず」
漣司は言葉を噛みしめるように告げた。
「その理念を貫くためにも、まずは街に受け入れられることだ。
我々は主役ではない。この街が、自分の足で立てるようになるまで――
支える側に徹する」
◇
リュシアが背筋を正し、迷いのない声音でうなずいた。
「承知しました。日々の財務記録と流通帳簿は、引き続き監視しておきます。
異変があれば、即座に報告を」
ガロウは椅子を鳴らして立ち上がり、拳を胸に当てる。
「オレは兵の練度を上げル。守る覚悟はあるガ、力が伴わなきゃ意味がねェ。
――この街を任せられる連中に仕上げてみせル」
ミナは窓際に腰掛け、軽く肩を回しながら笑った。
「私は盗賊の動向を追っておくわ。森も山道も、一通り顔を出しておく」
ロイは手帳を閉じ、静かに頷く。
「私は民と話し、街の声を拾い続けます。
表に出ない不安や、小さな違和感――
数字や報告書に載らないものほど、大事ですから」
最後に、ルーチェがそっと手を胸に当て、一礼した。
「拙者は湖と街を巡る魔力流を観察いたします。
結界の揺らぎ、魔導の偏り……何かあればすぐにお知らせするでござる」
それぞれの言葉に、確かな役割と責任が宿っていた。
漣司は全員を見渡し、ゆっくりと目を細める。
「……よし。それぞれの仕事に戻れ」
その声は穏やかで、しかし揺るぎがなかった。
窓の外では、白亜の街並みの向こうに、夕陽が湖面を赤く染めている。
水面は鏡のように光を受け、静かに揺れていた。
穏やかな光――それは、まるで嵐の前の静けさのようにも見えた。
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