第78章 進路会議 ― 次なる湖の地へ
整備されたバルメリアの街並みが、夕暮れの光を受けて静かに輝いていた。
石畳は均され、街路樹は等間隔に植えられ、
交易路へと続く大通りには人と馬車の流れが絶えない。
かつて混沌と搾取に沈んでいた都市とは、もはや別物だ。
その光景を高窓越しに見下ろす執務室に、重厚な扉の開く音が低く響いた。
――一つ。
――また一つ。
漣司はペンを置き、束ねた書類を静かに机上へ重ねると、ゆっくりと顔を上げた。
入室してきたのは、二階堂商会の中枢を担う者たちだった。
冷ややかな知性を湛えたリュシア。
軽やかな空気を纏うミナ。
機構と数字を司るロイ。
巨体に歴戦の威圧を宿すガロウ。
そして、祈りと秩序を象徴するルーチェ。
誰一人、余計な言葉は発さない。
それぞれが席に着いた瞬間、この場が会議ではなく、
決断の場であることを理解していた。
沈黙を破ったのは、漣司だった。
「……皆、よくやったな」
淡々とした声だったが、その一言に、この街で流された汗と血、
交わされた契約と裏切り、そのすべてが込められていた。
「バルメリアは完全に安定した。
治安、税収、流通――どれを取っても、過去十年で最高水準だ」
視線が一人ずつをなぞる。
誰も驕らず、しかし確かな手応えを胸に刻んだ表情で、小さくうなずいた。
最初に口角を吊り上げたのは、ガロウだった。
腕を組み、胸を張り、腹の底から笑う。
「兵どもも気合入ってるゼ! 街道整備も終わったし、
盗賊も根こそぎ駆逐したッ!もう通行税を脅し取れる奴は一人もいねェ」
かつて剣しか信じなかった男の言葉が、今では秩序を誇っている。
それを聞き、リュシアが資料を一枚、静かに開いた。
「感情論を抜きにしても、成果は明白ですわ。
税収は安定曲線に入り、流通量は前年比二割増。
治安指数も周辺都市を上回っています」
一拍、間を置く。
「ただし――」
その一言で、空気が引き締まった。
「この街だけで満足していては、停滞しますわ」
ミナが頬杖をつき、楽しげに笑った。
「だよね。……ねえ社長、もう隠しても無駄じゃない?」
視線が漣司に集まる。
「そろそろ次、でしょ? 社長の顔がもう旅の顔になってるもの」
図星を突かれたように、漣司はわずかに息を吐いた。
そして、机の引き出しから一枚の地図を取り出し、卓上に広げる。
新たに引かれた赤い線が、バルメリアの外縁を越え、北東へと鋭く伸びていた。
その線の先――都市名に、全員の視線が吸い寄せられる。
「次の目的地は――ラクリアだ」
◇
言葉が途切れ、室内に深い静寂が降りた。
壁際の大窓から差し込む夕光が、地図の赤線を淡く照らしている。
最初に身を乗り出したのは、ルーチェだった。
地図の南東、湖を示す青の領域に視線を落とし、白金色の髪が静かに揺れる。
「湖上都市ラクリア……。
水の魔力が濃く、古より湖の聖地と呼ばれてきた土地でござるな」
穏やかな声音だが、そこには神殿側の記録を知る者特有の重みがあった。
「都市そのものが湖に浮かぶ構造で、
水流と魔力循環を利用した結界を持つと伝えられております。
加えて、周辺の水源は治癒・浄化の効能が高く、巡礼者も絶えぬとか」
そこで一度、言葉を切る。
「もっとも――
山のふもとに位置し、湖へ至るまでの道程には深き森が広がっている。
聖地であるがゆえ、外部の手が入りにくい土地でもありまする」
続いて、リュシアが資料を一枚、また一枚と繰る。
その指先は迷いなく、数字と現実だけを掬い上げる。
「商業的に見れば、距離そのものは理想的です。
バルメリアから最も近い未接続都市圏」
淡々と告げた後、視線を上げずに続ける。
「ですが道中の問題が大きい。山岳地帯と森林のため馬車輸送は不安定。
定期便が成立しておらず、交易網は事実上点でしか機能していません」
数字が語る可能性と詰まり。
それを聞いた瞬間、ガロウが不満げに鼻を鳴らした。
「要するに――道がクソなんだロ?」
拳を握り、机に軽く当てる。
「だったら話は簡単ダ。バルメリア兵とウチの護衛団で街道を叩き直す。
森だろうが山だろうが、通れる道にすりゃイイ」
力任せに聞こえるが、それは彼が治安と工兵の現実を、
誰より知っている証でもあった。
その勢いに、ミナが肩をすくめる。
「ほんと、思考が単純よね。でも……
ラクリアって閉じすぎてる街だから、外から実力で道を示すのは悪くないかも」
「オイオイ、褒め言葉か?」
とガロウが眉を上げる。
「半分ね」とミナは即答した。
小さな笑いが起きるが、漣司は一度も顔を上げない。
地図に落とした視線は、森の奥、湖へと伸びる線を静かに追っている。
「森の中には、いくつか小集落が点在している」
低く、確信に満ちた声。
「まずはそこを保護対象にする。治安と補給を保証し、物流の橋に変える」
赤線の途中を、指でなぞる。
「ラクリアと繋がれば、バルメリアからの物資が流れ込む。
逆に、湖の資源と信仰経済がこちらへ入ってくる」
リュシアが頷く。
「まるで動脈経済ですわね。
ひとつの心臓が他の臓器へ血を巡らせるように、都市同士が生きる……。」
漣司は静かに続けた。
「統治すれど、支配せず――我々は国を作るのではない。連結を作る。
都市を点ではなく、線で結び、血を通わせる」
ルーチェが手を合わせ、目を輝かせた。
「拙者、賛成にござる! 光で導く旅、今度こそ湖の輝きを取り戻すでござる!」
ミナも笑う。
「ふふん、私もノる。森抜けルート、調べておくわ」
ロイが真面目な顔で言葉を添えた。
「ラクリアの民は真面目だが、閉鎖的と聞きます。
俺は現地の民と話をして、信頼の糸口を掴んでくる」
ガロウは拳を打ち鳴らす。
「オレは兵を連れて先行整備ダ! 盗賊が出たら即退治スル!」
リュシアが静かに微笑む。
「まるで社長の棋盤ですね。誰も捨て駒にならない……
すべての駒が活きる布陣です」
漣司が目を細める。
「当然だ。法人は組織、独りで戦うものではない」
◇
重厚な扉が静かに閉じ、足音が廊下の奥へと溶けていく。
会議室に残ったのは、紙の擦れる微かな音と、夜へ向かう街の気配だけだった。
窓の外には、整然と区画されたバルメリアの街並みが広がっている。
街路灯が一つ、また一つと灯り、
昼の喧騒を忘れた建物群が、穏やかな呼吸を始めていた。
その向こう、薄く霞む山の稜線が、
次なる世界との境界線のように横たわっている。
漣司は、机上の地図をゆっくりと畳んだ。
折り目を揃える指先は、迷いなく、静かだった。
「……都市は、血脈のようなものだ」
誰に向けるでもなく、低く言葉を落とす。
「詰まれば腐り、流れれば生きる。我々が繋ぐのは、国ではない――命の流れだ」
窓辺から差し込む夕陽が傾き、室内の光が赤く染まっていく。
その色は、まるで脈打つ血のように、机上の地図へと滲んだ。
折り畳まれる直前、地図の中心に記された一つの印。
湖を象った小さな紋章が、夕光を受けて淡く輝く。
――ラクリア。
まだ知られざる都市。閉ざされた水の聖地。
そして、次に血を通すべき新天地。
漣司は視線を上げ、闇へと変わりゆく街を見渡した。
この都市が生きている限り、流れは止めない。
止めさせない。
新たな道が拓かれる気配が、夜風に混じって確かに漂っていた。
二階堂商会の歩みは、すでに次の地平へと踏み出している――
そんな予感だけを残して、夜は静かに深まっていった。
その中心には、まだ名も知らぬ湖の都市――ラクリアの印が、淡く光っていた。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
少しでも面白いと思ったら☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂ければと思います。一つひとつの応援が、次の物語を生み出す力になるんです。これからも、どうぞ気軽に見守っていただけたら嬉しいです。




