第77章 動き出す街 ― 二つの都市を繋ぐ道
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
二階堂商会達は市議会本部に忍び込みバルメリアの不正を暴くべく、「白い皿の裏」作戦を決行した。
――新しい朝が、静かに、しかし確かな輪郭をもって広がっていた。
バルメリアの街路を渡る風は澄み切り、
石畳に残る夜露が朝日に照らされて、きらめく線を描く。
窓という窓がゆっくりと開き、店主たちが看板を掲げ、
工房からは金槌の音が規則正しく響き始める。
それは喧騒ではない。秩序ある、目覚めの音だった。
あの公開討論から、すでに数週間。
改革の衝撃と混乱は、嵐のように街を駆け抜け――
今は、確かな再生の静けさだけが残っている。
人々の歩調は軽く、顔には余計な怯えがない。
この街は、もう息を殺して生きる場所ではなくなっていた。
漣司の掲げた理念 ――「統治すれど、支配せず」
街角の掲示板には、透明な数字で書かれた予算配分が貼り出されている。
役所の窓口では、職員が胸を張って説明を行い、
商人は正規の取引証を誇らしげに差し出す。
不正は抑え込まれたのではない。意味を失ったのだ。
弱者から搾取することを、何よりも忌む。
だが、力ある者には、それ相応の責任を課す。
守られる者は、守られる理由を持ち。与えられる者は、与えられる価値を示す。
ただ同じ高さに並べるだけの平等ではない。
努力した者が、確かに報われる――
それを誰の目にも見える形で示す、公平の秩序。
その思想は、すでに街の血肉となり始めていた。
二階堂商会の兵は、誇りを胸に巡回し。
商人は数字を誤魔化さず、職人は技を磨くことに迷いを持たない。
誰もが知っているのだ。
この街では、怠惰よりも誠実が、言い訳よりも結果が、
必ず評価されるということを。
朝日が白亜の議会塔を照らし、街全体を金色に染め上げる。
その光は、かつての虚飾ではない。
理念という名の芯を持った、実体のある輝きだった。
新生バルメリアは、もう戻らない。
理念によって生まれ変わったこの街は、静かに、しかし確実に――
未来へと歩み出していた。
◇
街の南門――朝靄の中で、鍛え抜かれた声が響く。
「隊列整エェ! 槍は水平、足並みを揃えロ!」
その中心に立つのは、筋骨たくましい男――ガロウである。
今や彼は、二階堂商会の武装兵とバルメリア兵の混成部隊を束ねる
教官となっていた。
彼の動きに合わせて、二階堂商会兵とバルメリア兵の混成部隊が一斉に動く。
整然とした足音が、街道にリズムを刻む。
「いい顔するようになったナ。お前ラ、もう守る兵のツラしてるゼ」
「おう、ガロウ教官!」
豪快な声に、兵士たちの顔が自然と引き締まる。
威圧でも恐怖でもない。その笑い声には信頼が宿っていた。
彼が教えるのは力の誇示ではなく、守る力の誇りだった。
◇
訓練を終えたガロウは、休む間もなく現場へと向かう。
剣を振るうためではない。
――守るため、通すため、流れを作るためだ。
街道の整備。残党じみた盗賊の一掃。
そして、商隊の護衛。
かつては崩れ、ぬかるみ、待ち伏せの影が張り付いていた山道は、
いまや見違えるほどに整えられていた。
轍は均され、石は並べ直され、
橋は補強され、風除けの杭まで打たれている。
剣と盾だけでなく、斧と縄、汗と時間で作り上げた通商路だった。
「おお、荷車――前よりずっと通りやすいぞ!」
「橋が直ってる……これなら冬でも止まらねぇな」
「ハハッ、やるじゃねぇか、二階堂商会!」
声と声が重なり、
木箱を積んだ荷馬車が列を成して進んでいく。
軋む車輪の音は、もはや不安の響きではない。
それは――金と物資と未来が流れ始めた証だった。
街道の両脇には、いつの間にか露店が並び始めている。
乾物、工具、簡素な食事。
小さな市場が、道そのものを中心に芽吹いていた。
その脇を、鎧姿のガロウが歩く。
大柄な体躯。傷だらけの武具。
だが、その背中に向けられる視線は、恐怖ではなかった。
「見て! 二階堂商会の兵だー!」
「強い人たちだ!」
「また来てくれる?」
子どもたちが手を振り、駆け寄ってくる。
その声は、無邪気で、疑いがなく、まっすぐだった。
ガロウは思わず足を止め、
照れ隠しのように視線を逸らし、頭をがしがしとかく。
「チッ……照れるコト言うナ、オチビども……」
ぶっきらぼうな声。
だが、その口元はわずかに緩み、
頬には、隠しきれない誇らしさが浮かんでいた。
守ることで、道が生まれる。
道が生まれれば、人が集まる。
人が集まれば、街は育つ。
ガロウはまだ、その理屈を言葉にはしない。
ただ――背中で理解していた。
二階堂商会の力とは、奪うための剣ではなく、
流れを作るための力なのだと。
◇
カストリアとバルメリアを繋ぐ交易路が開通してからというもの、
両都市の往来は劇的に変わった。
荷馬車の列は途切れず、旅商人たちは笑いながら関所を抜けていく。
「カストリアの酒が入ったぞー!」
「バルメリアの織物、値崩れ前に買っとけ!」
そんな声が飛び交い、街は以前の灰色を取り戻すどころか、
まるで色彩を取り戻したかのようだった。
治安も安定し、夜の街を歩く家族の姿も増えた。
露店の灯りが列をなし、子供たちの笑い声が絶えない。
バルメリアの民が初めて安心して暮らすという日常を実感していた。
◇
〈カストリア別邸〉も、以前とは比べ物にならぬ賑わいを見せていた。
昼は商人の交渉の場、夜は小規模な宴会場として再活用され、
バルメリアの住民たちも気軽に立ち寄る。
「ここがあのカストリアの店か!」
「噂以上だな……酒もうまい!」
街に笑いが戻るたび、商会の看板が輝きを増す。
厨房では、ミナが出来立ての皿を手に、遠慮なくフォークを伸ばしていた。
「ねぇリュシアさん、これ利益出てる?」
「……ぎりぎり黒字ですわ。あなたの過剰な試食を原価に含めなければ」
「うっ……あたしそんなに食べてないってば!」
言い合いに、使用人たちが堪えきれず吹き出す。
その笑い声が重なった瞬間――。
「……まったく。宴とはいえ、節度というものがあるでござろう」
低く、よく通る声が場を切った。
視線の先には、腕を組んだルーチェの姿。
専属魔導士としての威厳を保ったまま、眉をひそめている。
「ここは武装法人二階堂商会の要でござるよ。
賑やかになるのは結構じゃが、魔導陣は繊細でな。
誰かが踏み抜いてからでは、後片付けが大変でござる」
「はいはい、ルーチェ先生は今日も真面目ね~」
「誰が先生でござるか。役員であることを忘れるでない!」
即座に返る鋭いツッコミに、再び笑いが起こる。
ルーチェは小さくため息をつきつつも、口元だけはわずかに緩んでいた。
規律と冗談が、自然に同じ空間に共存している。
誰かが声を張り上げ、誰かがそれを受け止める。
その喧騒こそが、もはや抑圧ではなく――確かな平和の証だった。
◇
夜。
漣司は執務室の窓辺で、灯りに染まる街を見下ろしていた。
街路を行き交う人々、荷馬車の列、そして遠くで響く笑い声。
整備された街が、まるで生き物のように動いている。
「……整ったな」
漣司は、低く息を吐く。
リュシアが財を制し、数字で都市の血流を管理した。
ガロウが治安を鍛え、力による秩序を骨格として打ち立てた。
ミナが物流を走らせ、物と情報を街の隅々へ行き渡らせた。
ロイが民と向き合い、信頼という名の心臓を守り抜いた。
ルーチェが光を掲げ、都市の意思と象徴を空に刻みつけた。
それぞれが役割を果たし、互いを侵さず、互いを補い合う。
その噛み合わせによって、バルメリアは初めて――
一つの組織として、意志を持って動き始めていた。
漣司は折り畳んだ地図を、静かに机の上へ置いた。
「次は――この秩序を、さらに先へ」
その眼差しは、まだ見ぬ地平を見つめていた。
静かな夜風がカーテンを揺らし、街の灯がきらめく。
この都市は、ようやく立ったに過ぎない。
だが、立った者は――歩き、やがて世界へ手を伸ばす。
遠くで鳴る鐘の音が、夜空に溶けていく。
それは祝福か、あるいは次なる戦場への合図か。
二階堂商会の夜は、安らぎと緊張を同時に孕みながら、
新たな覇道の序章として、静かに幕を開けていた。
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