第76章 整備と覚醒 ― 二階堂式再建主義
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
二階堂商会達は市議会本部に忍び込みバルメリアの不正を暴くべく、「白い皿の裏」作戦を決行した。
夜明け前のバルメリアは、静まり返っていた。
戦乱と混乱の後に訪れたこの静寂――それは、支配ではなく再生のための一呼吸だった。
二階堂漣司は、窓の外に広がる街を見下ろしながら呟いた。
「……統治すれど、支配せず」
その言葉には、確固たる信念があった。
彼は弱者を蔑むことを嫌う。
生まれや立場に左右されず、努力する者を正当に評価する社会。
それこそが、漣司がこの異世界で掲げた理想――
搾取なき統治だった。
彼にとって、この街は金を吸い上げるための器ではない。
人が生き、働き、誇りを持って暮らすための舞台であるべきなのだ。
――そして今、その理念を現実に変えるための改革が、静かに始まろうとしていた。
◇
カストリア別邸の執務室。
漣司は、書類の山を前に椅子を回した。
机の向こうでは、リュシア、ミナ、ロイ、ガロウ、ルーチェの五人が並んでいる。
昨夜の祝宴の余韻が、まだわずかに残っている――その空気を、彼は意図的に断ち切る。
「――さて、ここからが本番だ」
指を鳴らす乾いた音が、室内に響いた。全員の視線が、否応なく彼に集まる。
漣司は一拍、言葉を選ぶように沈黙し――そして、はっきりと言い切った。
「俺は――『平等』という言葉が嫌いだ」
その一言で、空気が変わる。
「能力を持つ者、努力を続ける者、それを同列に扱うのは偽善だと思っている」
淡々とした声。だが、言葉の一つ一つが重い。
「優れた者は、正当に評価され、正当に報われるべきだ。逆に、怠け続け、責任から逃げた者が淘汰されるのも――当然の結果だ」
視線が、全員を順に射抜く。
「それが、公正というものだ」
静寂が落ちた。
ミナが片眉を上げる。
「……ずいぶん冷たい理屈ね。社長らしいけど」
「冷たくてもいい。だが――結果として、街と人が前を向けるなら、それで十分だ」
漣司は、はっきりと続ける。
「俺たちは支配者じゃない。労働者を使い潰す搾取者でもない。働く者を、誇りある担い手に変える経営者だ」
その言葉に、ロイが深く息を吸い、静かに頷いた。
「……誇り、ですか。ええ。社長らしい。だから、皆ついてくるんでしょうね」
◇
翌日から――都市は、目に見えて動き始めた。
朝靄の残る刻限。
バルメリア役所の重厚な扉が開くより早く、リュシアはすでに執務室にいた。
高く積まれた帳簿、広げられた統計表、魔導計算盤に浮かぶ数式の光。
その中央で、彼女は一切の迷いなく筆を走らせる。
「全職種の賃金体系を改定。固定給は最低保障のみ――以降は、すべて業績連動制に移行します」
淡々とした声。
だが、その一言一言が、街の構造そのものを書き換えていく。
「感情、年功、顔色。そうした曖昧な判断基準は廃止です。公平とは、数字で証明されるべき概念ですわ」
役人たちは一瞬、息を呑んだ。
冷たい――そう感じた者もいた。
不満の囁きも、確かにあった。
だが。
数週間後。
成果を上げた職人の賃金が目に見えて上がり、改善提案を出した下級役人が正式に評価され、
怠惰だけを理由に席を温めていた者が、静かに配置転換されていく。
数字は嘘をつかなかった。
結果を出した者が、正当に報われる。
その事実が、何より雄弁に制度の正しさを証明していた。
気づけば役所の廊下には、こんな冗談が流れるようになる。
「今日は給金日か?」
「違うな。副社長の判子が押された日だ」
笑い声とともに、働く者の背筋は自然と伸びていく。
評価されるという実感が、都市に新しい活力を与えていた。
バルメリアは、変わり始めていた。
理想論ではなく、数字と結果によって――。
◇
一方で――練兵場。
朝靄がまだ地を這う刻限、鉄靴の音が一斉に鳴り響いた。
整列する兵たちの前に立つガロウの影は、霧の向こうでひときわ大きい。
「てめぇらァッ!この街の平和ヲ、誰が守ると思ってんダ!」
怒号が腹の底から叩きつけられる。
かつては気の抜けた返事しか返らなかった兵たちが、今は違った。
「「――俺たちです!」」
次の瞬間。
「剣を抜けぇぇぇっ!!」
号令とともに、木剣が一斉に鞘を離れる。
泥を蹴り、踏み込み、刃を振るう。足運びは荒くとも、眼だけは真剣だった。
ガロウは一人ひとりの動きを見逃さない。
構えが甘ければ怒鳴り、踏み込みが良ければ拳で肩を叩く。
「腰が浮いてんぞ! 地面を信じろ!」
「今のはいイ! その一歩が街を守る一歩ダ!」
訓練が終わる頃には、練兵場は蒸気のような熱気に包まれていた。
兵士たちは膝に手をつき、肩で息をしながらも――誰一人、顔を伏せていない。
そこにあったのは疲労ではなく、確かな充実。
柵の外。
いつの間にか集まっていた子どもたちが、目を輝かせて兵士を見つめていた。
「すげぇ……」
「ねぇねぇ、あの人たち、街を守ってるんでしょ?」
「将来、ああなりたい!」
その視線に気づき、若い兵の一人が思わず背筋を伸ばす。
「……俺たちは、バルメリアの盾だ!」
照れ隠しのような叫び。だが、その言葉は仲間たちの胸にも火を灯した。
「おおおっ!」
「そうだ、俺たちが盾だ!」
笑い声と歓声が巻き起こる。
ガロウは腕を組み、その光景を見下ろしていた。
かつて、士気も誇りも失っていた兵たち。今は、市民に頼られ、子どもに憧れられる存在だ。
「……それでいイ」
低く、噛みしめるように呟く。
「誇りを背負った奴ハ、負けねェ。守る理由を知った盾ハ――簡単には割れねぇんダ」
朝日が霧を払い、練兵場を黄金色に染め上げる。
その中に立つ兵たちは、確かに街の盾としての姿をしていた。
◇
ロイは市場にいた。
屋台の親父と肩を並べ、鍋をかき混ぜながら話す。
「商会が税率を下げたって本当か?」
「ほんとだ。ただし働く者に限るって条件付きだ。」
「……なら、うちは明日も休めねぇな」
「それでいい。稼げるうちは動け。このスープは、街の味だからな。」
ロイが笑うと、周囲の職人たちも笑い返す。
気づけばロイの屋台通りができ、昼は労働者の憩いの場、夜は家族連れの笑顔で賑わった。
彼は庶民の中で、信頼の象徴になりつつあった。
◇
ミナは商人街の奥で腕を組んでいた。
旧市議会が独占していた流通ルートを完全に洗い直し、交易税を撤廃。
商人たちが殺到する。
「マジかよ、通行税がゼロだって!?」
「その代わり、ルールを守らなければ出禁です!」
ミナのきっぱりした声に、一同が苦笑する。
「うわ、笑顔で怖いこと言うなぁ……」
「うちは笑顔の独裁制なの。嫌なら出てっていいわよ?」
彼女の辣腕により、停滞していた物流が一気に活性化した。
商会の倉庫からは、毎日新しい商品が出荷され、街に金が回る。
◇
そして――魔法学院。
ルーチェは教師のローブを翻しながら、講壇に立っていた。
「拙者、ルーチェ=ヴァルノア! 本日の講義、光の反射制御でござる!」
学生たちの目が輝く。
「学院が、また生き返ったみたいだ……」
授業の終わり、ルーチェは学生たちに言った。
「力を誇るな。力で照らせ。光は他人を焼くためでなく、道を示すためにある――」
その言葉は、のちに光の誓いとして学院の理念になる。
◇
日が沈み、再びカストリア別邸の会議室。
役員たちの報告を聞き終え、漣司は満足げに椅子にもたれた。
「……よくやった。誰も怠けていない。誰も嘘をついていない。」
窓の外には、灯のともった街が広がっている。
それは、かつての混乱の都市とはまるで違う光景だった。
漣司は静かに立ち上がり、外を見下ろす。
「戦って勝つのは簡単だ。だが、治めて笑わせるのは――もっと難しい。」
その言葉に、皆が頷いた。
静寂の中で、ルーチェがぽつりと呟く。
「拙者、社長殿の言葉に感服いたしたでござる……」
ミナが笑いをこらえながら小声で言った。
「……でも、やっぱり悪役みたいなんだよね、社長って」
笑いが起こる。
その笑いの中、バルメリアの夜空に、新しい鐘の音が響いた。
――努力が報われる都市。バルメリア。
二階堂商会の治世は、ここから真に始まったのだった。
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