第72章 暗躍の反撃と裏取り ― 揺らぐ議会の影
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
二階堂商会達は市議会本部に忍び込みバルメリアの不正を暴くべく、「白い皿の裏」作戦を決行した。
翌朝――
〈カストリア別邸〉の高窓に、淡い朝日が差し込みはじめたころ、街の空気はすでに落ち着きを失っていた。
夜明けと同時に立ち上るざわめきは、鳥のさえずりよりも早く、人々の囁きとなって石畳を満たしていく。
昨夜の光の帳簿。
名もなき誰かがそう呼び始めた証拠の存在は、瞬く間に街の隅々へと染み渡っていた。
「市議会が、金を隠していたらしい」
「裏帳簿が出たそうだ」
「いや、横流しの証拠だとか――」
噂は噂を呼び、真偽の境目を失いながら、井戸端から市場へ、酒場から学舎へと駆け抜けていく。
市民たちは興奮と不安を孕んだ視線を交わし、昨日までとは違う意味で、市議会の建物を見上げ始めていた。
だが――
その喧噪の熱が街を包む一方で、別の場所では、音を立てぬ動きが始まっていた。
厚い石壁に囲まれた会議室。
重々しい扉が閉ざされ、外界のざわめきが完全に遮断されたその中で、低く抑えた声が交錯する。
封蝋を割る音。
書類を裏返す乾いた紙擦れ。
苛立ちを隠しきれず、机を叩く指先の震え。
誰もが理解していた。これは単なる噂ではない、と。
証拠は確実に存在し、しかも――
誰かが意図的に、最も拡散しやすい形で流した。
それが意味するのは、内部事情を知り尽くした者の介在。
もしくは、市議会そのものを敵に回す覚悟を持つ存在の登場だった。
だが、その喧噪の裏では――静かに、冷たい反撃の手が動き始めていた。
街が噂に浮き足立つ中、市議会は静かに、しかし確実に牙を研ぎ始めていた。
光が暴いた真実に対し、今度は、影が――動き出す番だった。
◇
市議会本部――執務棟最上階。
街を見下ろすためだけに造られたその円形の会議室は、
朝の光を受けながらも、異様な重苦しさに沈んでいた。
長い円卓の中央。
老齢の議長、ヴァル・デ・ラグーンが静かに腰を下ろしている。
白髪は丁寧に撫でつけられ、金糸を織り込んだ法衣は一分の乱れもない。
だが、その奥にある眼だけは――
獲物を見定める蛇のように、細く、冷たく光っていた。
「……どういうことだ。光の投影とは」
低く、押し殺した声。
円卓を囲む参事官たちの肩が、わずかに震える。
「まるで――我らの帳簿を、覗き見たかのようではないか」
「ぎ、議長……!」
参事官の一人が慌てて立ち上がり、言葉を継ぐ。
「偽造の可能性もございます。魔導干渉による幻視……視覚情報のみを誇張した虚像かと――」
その瞬間。
「――黙れ」
一言。
それだけで、室内の空気が凍りついた。
言葉ではなく、意志そのものが叩きつけられたかのような圧。
誰一人、呼吸すら許されぬ沈黙が落ちる。
ヴァルはゆっくりと立ち上がり、背を向けて窓辺へ歩み寄った。
重厚なガラス越しに見えるのは、バルメリアの街。
市場には人だかりができ、議会の掲示板の前では声が渦を巻いている。
掲げられた紙片、荒々しい文字、怒りと疑念を孕んだ視線。
――「真実を示せ」
――「寄付金はどこへ行った」
――「議員は説明しろ」
昨日まで、与えられた繁栄を疑いもしなかった群衆の眼。
そのすべてが今、同じ方向を向いていた。見上げる先は、ここ――市議会。
「……見られたな」
ヴァルは呟く。
それは恐怖ではなく、事実確認の声音だった。
「誰かが我々の裏に触れた。だが――」
ゆっくりと振り返り、円卓を睥睨する。
「幻視は証拠にならん」
淡々とした言葉の裏に、冷酷な計算が滲む。
「記録を消せ。監査記録、出納控、保管台帳……すべてだ。
火災で失われたことにしろ」
「は、はっ……!」
参事官たちは青ざめながらも頷き、散っていった。
参事官たちは顔面を蒼白にしながらも、即座に頷いた。
誰一人、異を唱えない。
この場で躊躇することが、何を意味するのかを知っているからだ。
命令が発せられるや否や、彼らは散っていく。
まるで、沈みゆく船から真っ先に逃げ出す鼠のように。
室内に残ったのは、ヴァルただ一人――ではなかった。
「……来い」
議長は、背後の影に向かって声をかける。
すると、壁と壁の継ぎ目から滲み出るように、気配が応えた。
「影衛を動かせ」
それは命令であり、同時に宣告だった。
「あの光を操った魔導士、そして侵入者を探れ。――名は、割れているのか?」
わずかな間の後、影が囁く。
「……武装法人二階堂商会、です」
その名が発せられた瞬間。
ヴァル・デ・ラグーンの口元が、わずかに歪んだ。
「……また商人か」
吐き捨てるような声。軽蔑と苛立ち、そして――明確な敵意。
「欲深き者どもが、政治に首を突っ込む。身の程を知らぬ輩ほど、始末は容易いが……」
その眼に宿ったのは、もはや隠しきれぬ殺意だった。
光が真実を暴いたのなら――影は、黙ってそれを葬る。
市議会の反撃は、すでに始まっている。
◇
一方、〈カストリア別邸〉の作戦室。
漣司たちは、奪取した資料を基に次の動きを議論していた。
「予想どおり、議会は記録を消しにかかっているわね」
リュシアが新しい帳簿を広げながら言う。
「昨夜の投影だけでは証拠能力が弱い。実物、もしくは第三者の証言で裏付けを取る必要があります」
「なら、俺の出番ですね」
ロイが腕をまくる。
「庶民の声は、もう火がついています。
昨日の炊き出しの時、老人が言っていました。
息子が議会の倉庫で帳簿を運んでた、と」
「証人……!」
ミナの目が光る。
「場所は?」
「南区の職人街だ。昼過ぎには話を聞ける。
記録を取るならリュシアさん、同行をお願いします」
「もちろんですわ」
漣司が静かに頷く。
「リュシア、ロイ。庶民の側から事実の声を拾え。
ミナとルーチェは、昨夜の帳簿の複写を分散保存しておけ。
俺たちが倒れても、証拠が生き残るように」
「了解。暗号化して三箇所に保存します」
リュシアが即答する。
◇
昼。
ロイとリュシアは、労働者の集まる酒場を訪れていた。
ロイが顔を出すと、場の空気が和らぐ。
「よう!ロイ、昨日の光の話、あれ本当なのか?」
「本当だ。けど、あれだけじゃ足りない。お前らが見た現実を聞かせてくれ」
年配の職人が一人、ためらいながら立ち上がった。
「……あんたら、二階堂商会の連中だな。俺の息子が、議会の倉庫に出入りしてた。市の資料を整理するだけって言われてな。
けど、毎晩、真夜中に荷車で帳簿を運んでたんだ。火薬庫の奥にある、古い地下室にな」
リュシアが即座にメモを取る。
「火薬庫……つまり、燃やすつもりなのね」
「その可能性が高いです。議会は証拠焼却を始めるでしょう」
ロイが拳を握る。
「燃やさせるもんか」
◇
同じころ、議会の監査局では――。
副議長席に座る壮年の男、オルダンが帳簿の束を前に震えていた。
その指先が、微かに震える。
帳簿の隅に書かれた文字――「監査済」
だが、それは彼自身の筆跡ではなかった。
「……誰かが、我々の記録に印影を重ねた。」
「副議長、焼却の準備を進めております」
「……やめろ。今燃やせば、本当にやましいと見なされる。
――このままでは、我らが先に崩れるぞ」
その言葉に、側近が顔を上げる。
しかし、議長ヴァルの冷たい声が廊下の奥から響いた。
「オルダン。貴様は余計なことを考えるな」
扉の影に立つヴァルの眼は、まるで夜の蛇のようだった。
「証拠など、この世から消せば存在しない。――それが政治というものだ」
オルダンは唇を噛み、視線を落とした。
だが、その目の奥には微かな恐怖と、後悔の色が見えていた。
◇
夜。
〈カストリア別邸〉の屋上で、漣司は風に吹かれながら街を見下ろしていた。
ルーチェの光粒が周囲をふわりと照らし、彼の横顔を淡く染める。
「……向こうも動き出したな」
「申し上げます。光の魔法陣が数か所で乱されておる様子。
どうやら、何者かが後を追ってきておるようにございます」
漣司は眉を寄せ、腕を組んだ。
「反撃が来る前に、こちらが真の一撃を放つ。……裏口座の存在を、確定させる」
ルーチェが静かに頷く。
「拙者の光が、必ず真を照らすでございます」
漣司は遠くの議会塔を見上げた。塔の最上階――白亜の壁の奥に、闇が蠢いている。
そしてその中で、一人の老人が静かに呟いていた。
「――あの商人ども。光を使う者には、必ず影がつきまとうものだ」
夜風が吹く。二つの勢力が、ついに互いの存在を完全に認識した瞬間だった。
真実を握る者と、それを闇に葬ろうとする者。
バルメリアの街は、静かに戦場へと変わりつつあった。
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