第69章 潜入作戦準備 ― 白い皿の裏作戦
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
〈カストリア別邸〉の地下にある小さな作戦室は、夜明け前の冷気を閉じ込めていた。
壁一面に貼られたバルメリアの地図、晩餐会会場の見取り図、赤と青の糸で結ばれた動線。机の上には、偽造印章、封蝋、招待状の束、そして湯気を立てる黒い珈琲がいくつも並ぶ。
ミナは中央に立ち、黒手袋をきゅっとはめ直した。
「――白い皿の裏作戦、最終確認に入るよ」
短く頷き合う視線が、一斉にミナへ集まる。背後では、漣司が腕を組んで無言のまま全員を見回していた。目だけが動き、各人の緊張と準備の度合いを量る。
「まず会場。市議会本部の大ホール。正面玄関、広間、舞踏室、貴賓控室、財務局の控え、そして酒蔵――ここが裏と繋がる要だね」
ミナが指先で地図を撫でると、赤い糸が淡く揺れる。
「私は納入業者に化けて裏口から入る。最初の身分確認は厨房、その先に酒蔵。そこから廊下づたいに財務局控室をめざす」
「偽造書類は整ってます」
リュシアが封筒を持ち上げる。
「入場用は『納入明細・王室御用達印』、搬入口は『火酒の検品票』で。照合先の印影は、昨夜そっくりに仕上げましたわ」
「照合係が独断で呼び出しをかけてきたら?」
ミナが質問する。
「十数分は私が会計の疑義で足止めできます。『伝票番号の二重計上』は、数字に弱い者ほど怖がる」
リュシアは眼鏡の位置を押し上げ、薄く笑った。
「退路は俺が押さえます」
ロイが市門周辺の地図を広げる。
「晩餐会の最中、露店街に夜市を開く。人が滞留すれば追手は速度を落とすし、緊急時にはこの細路地を抜ければ、橋のたもとまで一息だ」
「協力者は?」
「魚屋の親父、パン屋の姉ちゃん、子どもたちも紙風船の大道芸で手を貸してくれる。目線を上に逸らせると追手は走りにくい」
「巡回は俺が動かすゼ」
ガロウが分厚い指で、詰所の位置を叩く。
「晩餐開始の一刻前に非常時対処訓練をぶっこム。交換の鈴を二度鳴らして、巡回を東→南に流ス。廊下の死角がいくつかできるはずダ」
「誤差は?」
「三十呼吸ぐらいカ?もらえりゃ充分だロ」
「結界の揺らぎは拙者が抑える」
ルーチェは胸に手を当て、柔らかな声で続けた。
「光は目隠しにも灯りにもなる。『薄明』で結界の縁だけを薄め、巡回の目に違和なしと見せるのじゃ。非常時の合図は――この小さな光粒を天井に三つ」
「……よし」
ミナは一つ頷くと、在庫台帳の写しを鞄に滑り込ませた。
「当日の私の目的は二つ。ひとつ、財務局控室の鍵束の在り処を突き止める。もうひとつ、裏口座と顔の紐づけ。――決定打はそこ」
漣司が初めて口を開いた。
「目的は破壊ではない。掌握だ。騒ぎは最小限、声をあげるのはこちらからの一撃だけにする。……よし、各自準備に散れ」
短く、それでいて揺るぎない声だった。
部屋の空気がほどけ、全員がそれぞれの持ち場へ向かう。
◇
リュシアは別室の机に向かい、羽ペンを滑らせていた。
紙の地肌が震えるほどなめらかな筆致。印章の縁につく細いひび割れまで再現され、蝋の色合いは本物と見分けがつかない。
「……社長のサインの再現が一番難しいのよね。意図的に崩した癖があるもの」
小さくつぶやき、最後の一画を払う。
「完了。――十度の照合にも耐えます」
◇
ロイは露店街を歩き、馴染みの顔に声をかけて回った。
「今夜、少しだけ賑やかにしてほしい。安全は俺が見る」
「兄ちゃんの頼みだ、任せな!」
果物屋の少年が目を輝かせ、紙風船を取り出す。
「高く高く、空に浮かべるんだ。――空を見ると、みんな足が止まる」
ロイは笑って頭を撫でた。
「ありがとな。終わったら、うちの倉庫の甘いパンを分けよう」
そんなやり取りが、街中にいくつも、いくつも広がっていく。
気づけば、彼の周囲には手を貸したい人の輪ができていた。
◇
詰所では、ガロウの怒鳴り声が響いていた。
「オイ! 盾を立てると足が止まる! 斜めに構えて、抜ける風を残せッ! いいカ!」
「ハッ!」
「それから今夜は誕生日訓練ダ! 意味はねェ! だが忘れるナァ! 二度鳴ったら東から南へ、巡回を入れ替えダ!」
「教官! 誕生日じゃないですよね!」
「黙れェ! 今夜だけ誕生日ダ!」
笑いが起こり、緊張が和らぐ。だが、兵の足運びは確かに軽く、速くなっていた。
◇
ルーチェは礼拝堂の片隅で、光の粒を掌に浮かべていた。
「薄明。光よ、眩ますな。消すな。ただ揺らぎを整えよ」
淡い粒が指の周りを静かに巡る。
次の瞬間、天井がふわりと明るくなり――
「おっと」
入口でそれを見たミナが額を押さえた。
「派手はだめ。ほんの、すこーしだけ。空気が流れているように見える程度で」
「心得た。拙者、どうにも光が張り切りすぎるのじゃ」
頬をかきながら、ルーチェは粒の数を半分に減らした。柔らかい、ちょうど良い朝ぼらけだけが場に残る。
◇
ミナは最後に自分の装束を見直した。
黒の薄手、身体の線に沿うが動きを妨げない。内側の縫い目に細い針、薄刃、糸。
鏡に映る自分の目としばらく見合って、ふっと笑う。
「……懐かしい。けど、今は仕事」
踵を返し、作戦室へ戻った。
◇
再び地下室に集まった時、外の空はまだ夜の名残を抱きつつ、群青がほんのりと薄まり始めていた。
重い石壁に灯るランプの揺らぎが、六人の影を長く伸ばす。
漣司が一歩前へ出る。
その声音は低く、だが刃のように冴えていた。
「――目的の最終確認だ。掌握する。破壊でも、殲滅でもない。静かに、確実に。だが恐れるな」
応じる声が、ひとつずつ、迷いなく重なる。
「数字で支えるわ」
書類束を胸に抱えたリュシアが、静謐な眼差しで。
紙をめくるだけで相手の言い逃れを潰す女だ。
「民の声で覆う」
ロイの言葉は短いが、街路の匂いがする。彼はすでに庶民の心の流れを掴んでいた。
「剣で守るゼ」
ガロウが拳を鳴らし、獣のごとき頼もしさを放つ。
語尾の軽さに似合わず、背中は誰より重い。
「光で導く」
ルーチェは胸に手を当て、ふわりと微笑む。
その微笑みは柔らかいのに、背後に確かな理と魔力の気配を秘めていた。
「影で動く、私が」
ミナの声はいつもより低い。
黒髪が揺れるたび、刃のような気配がひそんで見えた。
五つの応答を聞き終えると、漣司はほんの一拍だけ目を閉じ、口角を上げる。
「――行こう。次の帳簿には市議会の名を刻む。これは歴史の更新だ」
ミナがぱちんと指を鳴らした。
その音は、闇に火を点ける合図のように鋭く響く。
「白い皿の裏。――白を並べて微笑んで、裏で黒をひっくり返す――最高に皮肉でしょ?」
リュシアが淡く笑い、ロイが肩を回し、ガロウは犬歯を覗かせる。ルーチェは「皿は裏返すものなのかの……?」と小声で呟き、ミナに肘でつつかれた。
小さな笑いが輪を作り、すぐに静けさへ戻る。
頭上の排気口から、夜の終わりを告げる冷たい風が吹き込んだ。
群青はさらに薄まり、朝が、すぐそこまで迫っている。
動き出すのは、この瞬間だ。
◇
散開の時。
ロイは外套の襟を立て、露店街へ消える。
ガロウは詰所へ向かい、途中で兵の肩をばんばんと叩いて回る。
リュシアは封筒の束を大事に抱え、別邸の裏口から暗がりへ。
ルーチェは灯りを一つ吹き消し、袖の中に柔らかな薄明を忍ばせた。
最後に残ったミナに、漣司が声をかける。
「ミナ」
「なに?」
「撤退は恥ではない。仲間は捨てない。――いつも通りだ」
「了解、社長」
ミナは作戦図を最後にもう一度だけ見て、黒いフードを被った。
「鍵は必ず持ち帰る。――白い皿の裏、覗いてくる」
扉が静かに閉まる。
階上では朝の鐘が一度、遠くで二度鳴った。
夜明け前の薄光が、街路の石畳を淡く洗う。
白い皿の裏作戦、始動。
光と影が入れ替わるその刹那、都市の心臓部へ向けて、二階堂商会の針はそっと刺し込まれた。
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