第68章 集結編 ― 市議会潜入計画
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
〈カストリア別邸〉の会議室には、夜明け前の薄藍を閉じ込めたような静けさが漂っていた。
机の上には、市街地の地図・市議会の組織図・帳簿の写し、そして淹れたてのコーヒーの香りが、
重く張りつめた空気にほのかな温を差し込んでいる。
漣司は椅子に深く座り、指を組んだまま、部屋に集った仲間たちの顔をゆっくりと一巡させた。
その眼差しは穏やかだが、底には鋼の色が宿っている。
「――さて。報告を」
静かに告げられた声は、まるで戦端を開く合図だった。
次の瞬間、五つの影が同時に身を乗り出し、声を放つ。
「市議会です」
「市議会ね」
「市議会でした」
「市議会ダ」
「市議会でござる」
しん――と空気が止まった。
誰も予期していなかった完全な一致。
まるで、答えがこちらを嘲笑うように揺るぎなくそこにある。
最初に口を開いたのはミナだった。
肩をすくめ、唇の端だけで小さな笑みを作る。
「ふふ……息ぴったりって、こういうときに使う言葉なのね」
小さな笑いが散り、すぐに空気は引き締まった。
それぞれが見つけた腐敗の線。
リュシアの帳簿が示した黒い支出。
ミナが潜り込んで聞き出した裏の金。
ガロウやロイ――そしてルーチェまでもが各地で拾った民の声。
全てが、ひとつの巨影へ吸い寄せられるように――。
◇
最初に静寂を破ったのはリュシアだった。
彼女は紙束を扇のように広げると、伏せた睫毛の奥で数字を確かめるように視線を走らせ、
柔らかくも冷ややかな声で告げた。
「特別会計の資金――流れは三つに分岐します。学院、商人ギルド、兵団。
それぞれ名目こそ違えど、末端から順に辿れば……
最終的に市議会の裏口座へ帰着しております。
これは推測ではなく、帳簿で裏付けました」
紙束が机に置かれるたび、乾いた音が真実の重さを示すようだった。
次にミナが椅子の背へ片腕を預け、靴先で地図の端を軽く叩く。
赤いマーカーで記された点が、灯火の下できらりと光った。
「富裕層の屋敷、関連団体、慈善事業の名を借りた倉庫――
ぜんぶ辿ったわ。でも結論は一つ。物証は中枢に集められてる。
つまり、本部そのものに踏み込む価値は十分にあるってこと」
言いながらも、彼女の瞳にはすでに潜入の導線が描かれていた。
ロイは腕を組んだまま、短く息を吐く。
「庶民は気づいてます。『祭りは豪華なのに、家の飯は薄い』って。
冗談めかして笑ってますが……その笑いは乾いてます。恐れと不満が半々。
火種はすでに落ちてる。あとは火をつける者を待ってる状態です」
その言葉に、会議室の空気が一段深まった。
ガロウが腕を組んで唸る。
「兵の補給が削られてんのは事実ダ。理由は再配分なんて立派な看板だガ、
実際は消える一方ダ。士気は下がる一方だガ、筋道を示しゃ付いてくル」
剛腕の男の静かな怒りが、言葉の裏で火を噛んでいた。
そして最後に、ルーチェが胸に手を置き、ひとつ息を整えた。
「学院も…同じく縛られておる。光を以て照らしたところ、巡る金は輪となりて本部へ戻る仕組み。
学びの灯は削られ、虚飾だけが焚かれておった。
これは教育でも支援でもない、ただの装飾にすぎぬ」
凛とした声が、静かな怒りを帯びて落ちる。
五人の報告――五つの線が、地図の一点へと収束した。
それは、誰かが机に置いたコップの輪染みのように、濃く、逃げ場なく、
ただひとつの黒点を示していた。
――市議会本部。
その黒点は、まるで街そのものの病巣を示す烙印のように浮かび上がっていた。
◇
漣司は椅子にもたれ、低く言う。
「結論は出た。議会は都市の中枢ではなく、吸血器官だ」
誰も反論しない。
「潰すのは簡単だ。だが、それでは街が死ぬ。
――我々は買う。金だけではない、信頼と仕組みごとだ」
視線が自然とミナへ集まる。
「中から扉を開ける必要がある。影の仕事だ。行けるか」
ミナは薄く笑って立ち上がる。
「言われる前から準備してたわ。数日後、市議会主催の晩餐会が開かれるの」
「顔役が一堂に会する――
つまり、警備も情報も一番甘くなる場所。そこが、突破口よ」
「潜入経路は?」
低く、無駄のない問い。リュシアが即座に応じた。
「正面は使いません。納入業者に偽装します」
「侵入口は厨房。そこから酒蔵、裏廊下へと動線が繋がっています。
警備交代の時間帯も含め、すべて洗い直します」
迷いのない口調。
すでに地図は頭の中にあり、再確認に過ぎない。
「許可証の整合性は、私が担当します」
「提出先の帳簿と照合用印影――その偽造も問題ありません」
一瞬の間。
「頼んだ、副社長」
蓮司の短い一言に、リュシアは静かに頷いた。
ミナは指を折って、役割を置いていく。
「ロイ、あなたは退路担当よ。市門ではなく市民区の裏抜けを押さえて。
「万一の時、民衆を巻き込まず抜ける道をつくる」
「了解いたしました」
ロイは即答する。
「人の流れは、私が調整します。露店の配置や出店時間についても、協力を仰いでおきます。
自然な混雑を作り、異変があっても目立たない形にいたします」
丁寧な言葉遣い。だが、その裏にある判断力と行動力は確かだ。
「ガロウは警備の動線。演習名目で詰所の交代間隔を変えられる?」
一瞬の沈黙のあと、ガロウは口の端を吊り上げた。
「できらァ」
迷いはない。
「『非常時対処訓練』て名目にしときゃ、文句は出ねェ。
巡回の死角を入れ替えてやるヨ。兵には実地の方が効くッテな」
豪放な言葉遣いとは裏腹に、
その頭の中では、すでに巡回路と死角の再構成が終わっている。
現場を知り尽くした者の、即断即決だった。
「ルーチェは結界。反応を低く保って、必要な時だけ光で合図を」
ルーチェは、静かに目を閉じ、胸の前で指を組んだ。
「心得た」
穏やかな声。だが、その言葉には、長年の研鑽に裏打ちされた自信がある。
「光は眩ますためにあらず、道標のために。拙者、陰の面で支えよう」
見えない場所で戦う覚悟。
その存在があるからこそ、作戦は成立する。
そして――最後に、ミナは自分の胸を、こつんと軽く叩いた。
「私は潜る」
声は低く、揺れない。
「鍵を盗る。財務局の控え室。裏口座に繋がる証拠を押さえる」
さらに、間を置いて。
「それから――顔だね。誰がこの輪を回してるのか」
単なる書類ではない。構造の頂点。
この腐敗を動かす、名も地位も持った存在。
それを掴みに行く覚悟が、その一言に込められていた。
役割は、すべて出揃った。誰一人、余分な言葉を挟まない。
それぞれが、自分の持ち場と責任を理解している。
静かな空気の中で、作戦はすでに――動き始めていた。
◇
漣司は一同の報告を黙って聞き切り、ゆっくりと頷いた。
その仕草ひとつで、部屋の温度が変わる。張り詰め、静かに燃え始める。
「――目的は破壊じゃない。掌握だ」
低く、しかし揺るぎなく。
「――市議会を買収する。証拠で相手の身動きを封じ、取引の席に引きずり出す。
拒めば法に――いや、この世界に法は緩い。ならば世論と兵站で締める」
論理の刃が、机の上をまっすぐ切り裂いた。
「受け入れるなら――その瞬間から、議会は我々の帳簿の一部だ」
リュシアが即座に指先を滑らせ、書類を揃える。
「証拠が揃い次第、商人ギルドと学院への支援枠を先行提示します。
代替の資金ラインを作れば、議会は孤立する。
議会と縁を切るための逃げ道を、先に敷いておくのです」
ロイは拳を握り、真っ直ぐ言う。
「庶民に逃げ場を示せば、声は味方につく」
ガロウが牙のような笑みを浮かべる。
「兵には筋を示しゃイイ。命令より義のほうが、ずっと重ェンダ」
ルーチェは胸に手を当て、ほのかに微笑んだ。
「学院に光が戻れば……人の心も戻りましょう。拙者、橋となってそれを繋ぎ申す」
その言葉に、どこか本物の灯火が宿っていた。
漣司は立ち上がり、地図の上へ一本の線を引いた。
晩餐会会場から、酒蔵、廊下、財務局控室、非常口へ――
まるで夜の迷宮に抜け道を刻むように。
「当日まで二日。各自、準備に入れ。……最後に」
「撤退は、恥ではない。仲間は捨てない」
蓮司の声は低く、静かだった。
「二階堂商会に、捨て駒はない」
「――これは、いつも通りだ」
その一言で、空気が締まる。誰も反論しない。
それが、この商会の絶対的な方針だった。
ミナはその言葉を受け止めるように、目を細める。
そして、口角を上げた。
「了解、社長。それじゃあ任務名は――」
言葉が途切れた、まさにその瞬間。
「晩餐会プロジェクト:白い皿の裏で」
リュシアが、即答した。
間。
わずか一秒にも満たない沈黙。
だが、その場にいた全員の思考が、同時に止まった。
真顔。迷いなし。氷の副社長は、あくまで淡々としている。
「……」
ミナの口元が、ぴくりと引きつった。
「……ネーミングセンス……」
誰も、即座に肯定も否定もできない。
それが、リュシアのネーミングセンスだった。
「カタい名は覚えやすいダロ」
ガロウは胸を張り、もっともらしく頷く。
「作戦名は、実用性が第一ダ。現場で迷わねェ」
どこまで本気か分からない擁護だったが、本人は至って真剣だった。
その隣で、ルーチェが本気で首を傾げる。
「白い……皿……?……その、裏……でござるか?」
ゆっくりと顎に手を当て、思案に入る。完全に思考モードだ。
「むむ……拙者、裏方より入るのであれば――」
ぱちり、と目を輝かせる。
「皿洗いから潜入すればよいのかの? 泡立ての術式は得意でござるぞ」
「違う違う違う!!」
ミナが、反射的に声を張り上げた。
「ルーチェ、それは裏方の最終ライン!」
額に手を当て、深くため息。だが、その口元は、完全に笑いを堪えていた。
笑いが丸く弾み、しかしすぐに静まった。
窓の外、夜の藍がゆっくり薄くなる。もうすぐ夜明けだ。
――動くなら、いま。
作戦前夜の、最後の一息。
そして――二階堂商会は、静かに動き出す。
◇
「行こう」
漣司の声は短く、静かだった。
だが、その一言だけで、場の空気が切り替わる。
「契約で街を救う。――二階堂商会のやり方で」
それは理念であり、宣言だった。
「了解しました」
リュシアが即答する。
無駄のない、氷の副社長らしい声。
「りょーかい!」
ミナは軽く手を挙げ、いつもの調子で応じる。
だが、その瞳の奥に宿る光は、すでに仕事の色だ。
「行ってきます」
ロイは丁寧に一礼し、退路と人の流れを思い描いている。
「オウ!」
ガロウは短く頷き、現場の空気を掴みに行く覚悟を滲ませる。
「心得たでござる」
ルーチェは静かに目を閉じ、見えぬ場所で支える役目を胸に刻む。
椅子が引かれ、足音が、それぞれの役割へと分かれていく。
扉が閉まる、その直前。ミナだけが、ふと足を止め、振り返った。
「社長」
声は低く、しかし確かだった。
「鍵は、必ず持ち帰る――中から、扉を開けてみせるわ」
漣司は、迷いなく頷く。
「任せた、影の切り札」
その言葉に、ミナは小さく笑い、扉の向こうへ消えた。
藍色の朝が、ゆっくりとほどけていく。
夜と昼の境界線。光と影が、静かに交わる刻。
理と策、力と信頼。
二階堂商会は、都市という巨大な器の――
その心臓へ、音もなく針を通そうとしていた。
次に鳴るのは、祝杯の触れ合う音か。
それとも、闇に隠された錠が外れる音か。
選ぶのは――この街自身だ。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
少しでも面白いと思ったら☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂ければと思います。一つひとつの応援が、次の物語を生み出す力になるんです。これからも、どうぞ気軽に見守っていただけたら嬉しいです。




