第67章 光と理を繋ぐ魔導士 ― ルーチェ編Ⅱ
白亜の塔が朝陽を浴び、刃のような鋭い光を返していた。
雲ひとつない空に、塔だけが抜きん出て聳え立つさまは、まるで知の象徴と同時に虚飾の尖塔でもあるかのように見える。
――バルメリア魔導学院。
かつて拙者が、あの胸を刺すような虚飾の光を初めて嗅ぎ取った場所。今日は、その光が真なる理に立つものか否かを確かめに来たのじゃ。光とは、磨けば正義にもなるし、濁れば欲望の面を持つ。
それを見抜くのが、拙者の役目でござる。
門をくぐるや否や、若き声が飛ぶ。
「ルーチェ様だ! ほんものだ!」
「この前の光、本当にすごかったです!」
「お、おお、落ち着くのじゃ。拙者は見学者、ええと……視察に来ただけでござる」
声が重なり、光の粒が飛び散るように学生たちが集まってくる。
呆れるほどの熱気。少し胸がむず痒いのは……まあ、否定はせん。
とはいえ、ここで浮き足立つわけにもいかぬ。
漣司殿の言葉が脳裏を掠める。
――繁栄は眩しい。だからこそ、その裏に潜む影を見ろ。
光を疑えという意味ではない。光の真価は、それが照らす影の形によって決まる。
拙者は今日、この学院の光が誰のために放たれ、何を隠し、何を導こうとしているのか、理の目をもって見通すつもりなのじゃ。
◇
学院長室。
金糸を織り込んだ絨毯、磨かれた黒檀の机、壁には学院の栄光を誇る金箔の額がずらり。
豪奢さが鼻を刺すほど満ちておるのに――その中心に座る学院長の笑みだけが、不自然に艶めいておった。
「本学院は市議会の厚いご支援で運営が潤沢でしてな」
あまりに滑らかすぎる口調。
だが拙者の視線は、机の片隅に置かれた捺印具へ吸い寄せられた。
金の縁取り、異様なまでの装飾、そして……刻まれた紋章。
「ほう……特別会計の印でござるな」
学院長の目が、ほんの一瞬だが細く揺れた。
「む? ご存じで」
「名は聞く。……されど、金の流れほど雄弁なものはないでござろう」
学院長室を後にし、廊下へ出た瞬間――豪奢さの裏に隠された実態が、耳へと流れ込んできた。
「実験触媒、また未納か……」
「授業料免除の書類が返ってきた。議会の許可待ちらしい」
誰も大声では言わぬ。皆、周囲を気にして小声で、しかし確かに不満と疲労を滲ませていた。
歩きながら、拙者はそっと視線を巡らせる。魔導式の照明は明るいのに、学生の瞳はどこか陰りがある。
煌びやかに取り繕った学院の影が、静かに蠢いておる。
胸の奥で、怒りとも悲しみともつかぬ熱がふつふつと立ち上がった。
拙者は袖の内で拳を握る。
(――これが、市議会の理か。ならば拙者は、光で暴いてみせるのじゃ)
そう誓った瞬間、塔の外で風が鳴った。白亜の塔が、ほんのわずかに軋むように見える。
それは、この学院の歪みそのもののようであった。
◇
夜。資料庫。
拙者は灯を落とし、指先に微細な光をともす。
「光よ、照らすなかれ。ただ映せ。――写光」
空気に散る塵が星座のように並び、封印文様の線をなぞる。
棚奥の革表紙が薄く光り、隠し綴じの糸が浮かび上がった。
糸を断たずに、頁の縁へ光を差し込む――文字が反転し、天井へと投影される。
連なる数列、矢印、付箋の符。拙者は息を呑んだ。
「市議会特別会計より入金――学院運営費名義――翌期、匿名口座へ返還金……」
光の帯がループを描く。
入る、巡る、戻る。見かけの賑わいの裏で、金だけが綺麗に周回しておる。
「光の塔は、金の輪で回っておる……。学生の灯は削られ、虚栄の火だけが焚き付けられるのじゃな」
頁を送る指先に、微かな震え。怒りか、哀れみか。
その時、足音。扉の金具が鳴る。
「誰だ。巡回だ、灯りが漏れたぞ」
拙者は光を指に吸い戻し、影へ沈む。床板の節目に影の屈折を作る。
「――屈光」
光を曲げるはすなわち影を綴じること。衛兵の視線は拙者を迂回し、やがて遠ざかった。
ふぅ。光も、使いようで影に化ける。拙者はそっと頁を閉じ、封印の縫い目を元に戻した。
◇
翌朝の講義室。
教師が黒板に術式の素描をしているが、粉は薄く、線は頼りない。
拙者は手を挙げ、前に進む。
「失礼仕る。――術式は正しい。だが流しが粗いのじゃ。光は点でなく、面で受け、線で返す。ここ、肩の力を抜くべし」
指先に粒子を立て、板上の図式を空へ写す。
天井一面に柔らかな格子が広がり、学生たちの掌が呼応して点々と灯る。
弱い灯でも、面に載せれば力になる。
「見よ。ひとつの灯は儚い。されど――寄り合わば、術はゆたかに息をする」
ほぅ、と息がこぼれ、歓声が波紋のように広がった。
教師が深々と頭を下げる。拙者は慌てて手を振る。
「い、いや、拙者は旅の身! 教鞭を執る器では……」
それでも結びの一言は胸に留めておく。
「理なき光は眩しさでしかない。だが、光なき理もまた冷たすぎる。術は心と頭の両輪で回すのじゃ」
学生たちの目に、ほんの少し血が戻るのが見えた。
◇
中庭。鐘が鳴るや、どやどやと群れが押し寄せた。
「ルーチェ様! 昨日、資料庫で――」
「あの空に浮かんだ数字の帯、見たんです!」
「え、ええと、それは……夜の灯火が反射してじゃな……」
「どうか弟子にしてください!」
「お師匠様、次の流しを教えて!」
「お、お師匠……!? ま、待たれい、拙者まだまだ未熟、身の丈がっ……!」
袖を引かれ、裾をつままれ、囲まれて、拙者はついに観念――せず、全力で退いた。
マントを翻し、回廊を疾走、角で滑って危うく植木鉢。
「拙者、社の務めが、あ、ある故――講義は、ええと、またいつか――!」
笑いと歓声と、幾つかの「お師匠様!」が背中に降り注ぐ。
門を駆け抜け、石段でようやく足を止めた。胸がどくどく鳴る。
空には薄い雲、塔の先は白く透け、拙者の足元には、さきほどの粒光がぱらぱらと残っていた。
「……まったく。光は余計なところまで照らすのう」
だが、頬は勝手に緩む。虚栄の火はまだ消えぬ。されど、学ぶ灯は確かに生きておる。
理で形を与え、光で進む道を示す。拙者の務めは、そこにある。
――お師匠様、と呼ばれる器ではない。
それでも。いつか本当にそう呼ばれて恥じぬよう、拙者は、もっと学ぼう。
マントの裾を払い、塔に一礼し、背を向ける。
足取りは軽い。光の粒が、その後ろ姿を小さく追いかけた。
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