第66章 義を叫ぶ獣の誇り ― ガロウ編Ⅱ
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
バルメリアの陽が傾き、練兵場は赤銅色に染まっていた。
木剣の衝突音が乾いた空に響き、汗が砂に落ちるたび、熱気がむっと立ち上る。
その中心で、獣人の大男――ガロウが腕を組み、牙を覗かせて豪快に笑った。
「ヨォシ! 今日の訓練はここまでダ! お前ら、まだ腹から声が出てねェゾ!」
「ハッ! 教官ッ!」
初日の訓練で圧倒的な力を見せて以来、兵士たちは迷いなくこの男を教官と呼ぶようになった。
荒っぽくも核心を射抜く教え方――それが兵たちの心を掴んで離さない。
兵たちは一斉に声を張り上げた。
カストリア出身の獣人教官――
ガロウは、今やこのバルメリアの練兵場で顔として知られていた。
その指導は荒っぽくも的確で、兵士たちの信頼を一身に集めている。
「おい教官! 今日も飲みに行くんだろ? カストリア別邸の酒は格別だって噂だぜ!」
「そうだ! たまにはそこで飲もうじゃねぇか!」
いつもの空気。
いつもの軽口。
兵たちの声に、ガロウは一瞬だけ笑い――そして、低く唸るように言った。
「……今日はマジメな話もしテェ」
兵士たちの動きが一瞬止まり、ざわりと空気が揺れる。
◇
ふだんなら豪快に笑って「飲め飲め!」と騒ぐガロウが、珍しく真顔だ。
その表情に、兵たちは顔を見合わせ、徐々に静まっていく。
「教官、どうしたんです? いつもと違いますよ」
「……なァ。お前ラ、最近、感じてねェカ?」
ガロウは腰を下ろし、土の上にどかっと座り込んだ。その背に、夕陽の赤が差す。
「補給の量が減ってル。矢じりは鈍ェシ、鎧の補修も遅ェ。食糧庫だっテ、前よりスッカスカダ」
言われて、兵士たちが顔を見合わせる。そして、一人が重い口を開いた。
「……気づいてましたか。実は、俺たちの分の装備費、上が再配分してるらしいです」
「再配分?」
「ええ、名目上は都市防衛のための優先支出とか言って……でも実際は議会の連中の懐に入ってるとか」
その瞬間、周囲に抑えきれないざわめきが走る。
誰もが気づきながら、口にすることを避けてきた事実。それを、ついに言葉として投げられた。
ガロウの拳が、ゴッと土を叩いた。
「チッ……やっぱりナ。上は俺たちの血と汗を利益で換算してやがル!」
「……教官、あんまり大きな声を――」
「ウルセェッ!!」
ガロウの咆哮が夕空を裂いた。
「言わなきゃ、誰にも届かねェだろうがァ!!」
その怒声には、怒りよりも義憤があった。理不尽を嗅ぎ分け、弱き者の痛みに吠える――
それがガロウという獣の本能。
兵士たちは顔を見合わせ――次第に、ひとり、またひとりと座り込んでいく。
まるで焚火の周りに集まるように、静かに、しかし確かな意志をもって。
「なァ、お前ラ。俺たちは剣を取ル。命を張ル。だがそれは命令のためじゃねェ」
ガロウは拳を握り、胸に当てた。
「守るべきもんのためだ。飯食って、笑って、家族を抱いて生きル――そんな当たり前のもんを守るために、剣を取ってんだロ?」
その声に、誰もが拳を握った。
やがて一人の若い兵が、ぽつりと呟く。
「……教官。俺……もう一度、戦う理由を思い出しました」
ガロウは笑った。
いつものように、獣の牙を覗かせて。
「ハッ、それでイイ!上が腐ってンならヨ――下から腐らせねェように踏ん張るだけダ!」
そして、拳を突き出す。
「義ってのァ、時に命より重ェんだゾ!」
夕陽が落ちきるころ。練兵場には、静かな炎のような決意が灯っていた。
獣の教官は吠えた。それは、バルメリアの腐敗を揺さぶる衝撃となる。
◇
夜。
結局、兵たちはカストリア別邸に集まり、酒を酌み交わしていた。
だが広間には、じんわりと熱を帯びた空気が満ちていた。
兵たちは酒を片手に集まっていたが、いつものように騒ぎ立てる者はひとりもいない。
むしろ、焚き火のように静かだが、芯の部分だけが赤々と燃えている――そんな空気だった。
「教官、さっきの話……議会の件、本当に二階堂商会の社長に伝えるんですか?」
怯えたように、しかし目だけは逃げない若い兵が尋ねる。
ガロウは杯を机に置き、ゆっくりと兵を見た。その眼差しに、迷いも恐れもなかった。
「ああ、当然ダ。俺たちは兵ダ。戦場で嘘はつけねェ」
「でも、議会を敵に回すなんて……そんなことしたら――」
「構わねェ。信じる上がいる。俺たちは社長っていう背中があんだロ」
その言葉が響いた瞬間、広間の空気が一段深く震えた。
兵たちの顔に、迷いが消え、何かが宿る。
ガロウは立ち上がる。影が大きく揺れ、炎の光がその背中を赤く染めた。
「俺たち武装法人ハ、ただ剣を振るうだけの集まりじゃネェ!社長が前を歩キ、俺達が道を切り開ク!」
兵たちの胸が震えた。誰かが息を飲む音さえ聞こえるほど、場は静まり返る。
ガロウは再び杯を手に取り、高く掲げた。
「義を持ッテ、契約を守ッテ、人を裏切らネェ!それガ――俺達の誇りだロォ!」
その言葉に、場の空気が変わった。兵たちはうなずき、次々とジョッキを掲げる。
刹那、兵たちの胸から、爆ぜるような声が溢れた。
「武装法人に義あり!」
「社長に栄光を!」
「そして俺たちに――誇りを!!」
ジョッキが激しくぶつかり合い、酒が飛び散る。それでも誰も拭かない。
熱を、気概を、覚悟を、互いに浴びせ合うように笑い、叫び、泣く。
その夜、彼らの胸に刻まれたものは――酔いではなかった。
疑いようのない、ただ一つの誓いだった。
◇
深夜。
宴の熱がようやく静まり、別邸の灯がひとつ、またひとつと落ちていく頃。
ガロウだけは、まだ眠りにつかなかった。
庭先に立つと、夜風が皮鎧を撫でていった。
月は砥石のように鋭い光を落とし、石畳を淡く照らし出している。
その冷たさが、酔いの残滓をゆっくりと奪っていった。
ガロウはゆっくりと拳を握る。
分厚い手のひらに刻まれた傷のひとつひとつが、過去の戦場を鮮やかに呼び起こした。
守れなかった者。救えた者。そして、今もなお迷いなく自分を「教官」と呼び、ついてくる兵たち。
胸に、熱いものが宿る。
「……守るべきは命令じゃねェ、誇りダ」
その言葉は、誰に聞かれることもなく、夜空へ溶けた。
だが、確かにそこに宿る意志は、揺るがなかった。
月が雲に隠れ、庭がふたたび闇に沈む。ガロウはゆっくりと踵を返した。
仲間たちの眠る屋敷へ戻るその背に、戦士としての重さではなく――
導く者の覚悟が宿っていた。
翌朝。
いつもよりずっと早い時間に、練兵場に人影が揃っていた。
武具庫の扉が開く音、鋼のきしみ、掛け声。まだ夜明け前の薄闇の中、
兵たちの動きには眠気の色など微塵もない。
まるで、昨夜交わした誓いがそのまま血となり、骨となり――彼らを突き動かしているかのように。
その中央で、ガロウが静かに立っていた。濃紺の空を背に、燃えるような目をして。
新しい一日が始まる。だがそれはただの朝ではない。
誇りを掲げた者たちが、この街の腐敗を揺るがすために踏み出す――最初の一歩だった。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
少しでも面白いと思ったら☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂ければと思います。一つひとつの応援が、次の物語を生み出す力になるんです。これからも、どうぞ気軽に見守っていただけたら嬉しいです。




