第65章 街の声を掬う庶民代表 ― ロイ編Ⅱ
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
昼のバルメリアはいつも通り喧噪に満ちていた。
威勢のいい呼び声が飛び交い、鉄工所からは火花の匂いのする槌音が響き、荷馬車が石畳を軋ませながら行き交う。
――だが。
その喧騒の底に、ロイは微かな沈黙を聞いていた。
「……やっぱり、表の笑顔の裏には疲れがあるな」
市場の片隅、ロイは露店の影に立ち、人々の歩みをじっと見つめていた。
商人は笑顔で客を迎えつつ、その目の奥に焦りを隠し、荷物運びの労働者たちは肩を回しながら、ため息を洩らしている。
彼は二階堂商会の一員となってこの都市に来て数週間。
与えられた任務は――市井の声を拾い、庶民層の信頼を得ること。
派手な戦闘もなければ、煌びやかな商談もない。
目立たず、地道で、汗のにおいがする仕事だ。
だが、漣司は言った。
「街を動かす根幹は、いつだって庶民だ」
ロイはその言葉に深く頷いた。
むしろ、この中で一番その重みを理解していたのは、自分だとすら思っている。
彼自身、もとは山あいの村で育った農家の息子だった。
不作が続き、家族はバラバラに働きに出なければならず、少年だったロイは――
誰よりも働く者の苦しさを知っている。
だからこそ。
この市場のざわめきの中に潜む、ひび割れたため息を聴き逃すつもりはなかった。
ロイはゆっくり歩き出す。働く者たちの視線の高さで、同じ石畳を踏みしめながら。
今日もまた――この街の「声」を掬い上げるために。
◇
昼休みの鐘が鳴り、鉄工房の裏手には熱気の余韻がまだ残っていた。
ロイはその中に自然と混ざり、職人たちと同じように腰を下ろす。
広げられた弁当は質素そのもの。だが、それを囲む空気はどこか心地よかった。
「へぇ、あんたらの商会って、武装しながら商売もしてるって本当かい?」
「本当だよ。武器で守って、契約で繋ぐ。うちはその両方をやる」
「へぇ……そんな商会、初めて聞いたぜ」
「変わってるけどさ、悪くないだろ?」
ロイは、迷いのない声で続けた。
「飯が食えて皆が笑える社会を作るのが目的だ」
その言葉に、周囲の表情がふっと和らぐ。
飾り気も理屈もない。ただ胸の奥から出た本音――それが、彼の声にはいつも宿っている。
不思議と、ロイの言葉には飾り気のなさがあった。
力も、名誉も、肩書きも――この男の前では意味を失う。
ただ、人の目を見て話す。それだけで信じたくなる不思議な温かさがあった。
だからこそ、彼の言葉は響く。庶民に、労働者に、疲れた街の人々に。
バルメリアで最も信頼を得やすいのは、英雄でも商人でも魔導師でもない。
こうして汗を流す者たちと同じ場所に立ち、同じものを食べ、同じ空気を吸う男――ロイだった。
◇
夕刻、酒場。
仕事終わりの労働者たちが、木のジョッキを打ち鳴らす。その輪の中に、ロイの姿もあった。
「聞いたか? 最近、税の集金がまた増えたってよ」
「そりゃ、市議会の連中が上で金ばらまいてるからだろ」
「でも、あいつらが市を動かしてるんだ。逆らったら……」
ロイは静かにグラスを置いた。
「……おかしいと思わないか?」
一瞬、空気が止まる。労働者の一人が、眉をひそめた。
「おかしいって、何がだ」
「街は繁栄してるように見える。でも、工場は人手不足で賃金未払いが続いてる。それでも祭りは豪華になってる。不自然じゃないか?」
「……確かに」
「お前、何者だ?」
「俺か? ただの一労働者だよ。……でも、正しいことは、言わなきゃな」
笑って答えるロイに、酒場の客たちがどよめく。
その夜、彼の周りに自然と人の輪ができた。
純粋で誠実な青年に、不思議な魅力を感じるのだ。
◇
数日後。
市場裏の広場に、昼の残り香がゆっくりと沈みはじめる頃。
ロイは労働者たちと並び、煮込み鍋の前で湯気に包まれていた。
鍋から立ち上る香辛料の匂いは、空腹と疲労を抱えた者たちの足を自然と引き寄せる。
「ほら、熱いから気をつけてな。次――はい、そっちの兄ちゃんも」
素朴な笑顔と共に木椀を渡しながら、ロイは決して急かさない。
彼の周囲だけ、不思議と時間の流れがゆるやかに見える。
そんな中、日雇いの老人がスープを受け取り、ぽつりと呟いた。
「……最近よ、監査がまったく来ねぇんだ」
「監査?」
ロイがさりげなく問い返す。
「ああ。来たと思えば寄付のお願いばかりよ。金出しゃ見逃すって話だ。俺ら下層には言われねぇけどな……金がねぇから」
別の労働者が苦笑しながら言葉を継ぐ。
「市場の商人も工房の親方も、みんな渋い顔してる。『市議会が吸い上げてる』って噂は、もう街の常識だぜ」
その言葉を聞いた瞬間、ロイの手が止まる。胸の奥で、重い確信が音を立てた。
市議会――それが、この街の腐敗の根源だ。
だが怒りをぶつけるのではなく、ロイは静かに息を整え、再び鍋をかき混ぜる。
「話してくれてありがとう。俺たちで、どうにかするよ」
そう言う声には、不思議と人を安心させる温度があった。
それは力ではなく誠実さが持つ、沈黙の強さだった。
◇
夜。
カストリア別邸へ戻ると、ロイは作業服のまま机に報告書を置いた。乾いた紙の音が部屋に落ちる。
「庶民は気づいてる。『市議会が金を吸い上げてる』と。でも、怖くて声を上げられていない」
彼は拳ではなく、胸に手を当てて言葉を続ける。
「俺は剣より、こうやって話を聞く方が性に合ってる。それで誰かが救われるなら、それで十分だ」
――バルメリアの片隅で、ひとりの青年が民の心を掴んでいた。
控えめな灯りの下で、ロイの報告書は静かな力を放っている。どれも小さな声だ。だが――積み重なれば、壁を揺るがす波となる。
リュシアの暴いた帳簿。
ミナの掴んだ地下情報。
そしてロイが集めた庶民の証言。
すべての線が、同じ一点――バルメリア市議会の心臓部へと収束していた。
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