第61章 接待作戦・後半 ― 修羅場の夜会
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
夜のバルメリアは、昼の喧騒とは違う顔を見せていた。
細工された街灯が黄金色の光を撒き散らし、華やかに飾られた洋館の壁面に反射しては、揺れ、溶け、そして影を濃くする。
その光と闇が交差する大通りに、ひと際静かに、だが威厳を持って佇む建物があった。
二階堂商会が買い取り、全面改装した〈カストリア別邸〉
もと老舗の酒場――今は、夜会亭として蘇った秘密の戦略拠点である。
今宵、そこへ足を運ぶのは名のある商人や、議会の補佐官、兵団長クラスの者たち。
誰もが一様に眉をひそめながら、入り口で足を止めた。
「カストリア別邸? あの田舎都市の?」
「二階堂商会が経営?ただの酒場とは違うのか」
「まあ、一度は覗いてみるか。商会の手腕とやらを」
半信半疑。それは、扉が開く前までの話である。
扉が静かに横へ滑った瞬間、来客の視線が奪われた。
磨き抜かれた木造の床は燦めき、壁に灯されたランプは柔らかい金色の揺らぎを醸す。
温かく香るスパイスと、上品に盛られた料理の匂いが鼻先をくすぐり、喉奥で息を呑む気配が連鎖する。
給仕に並ぶスタッフたちは均一に凛とし、姿勢が整い、落ち着いた笑みを浮かべて客を迎えた。
その全てが、客たちの「酒場」という先入観を瞬時に吹き飛ばす。
さらに奥のステージ――
そこに立つのは、淡い光の球を三つ宙に泳がせているルーチェだった。
白磁のような肌が光を受け、儚げに輝く。
宙で漂う光球は天井に淡い光の模様を描き、まるで水面が揺れるような幻想的な影をつくり出す。
その優しい光は、来客の心に張り詰めていた警戒の糸をすっと緩めた。
「ほう……これは……思っていたよりずっと品があるな」
「ただの場末の酒場が、ここまで変貌するものか」
「さすが、一都市を掌握した商会というだけのことはある」
噂でも、帳簿でもなく、実際の場の空気そのものが彼らの警戒心を溶かしていく。
奥の席でグラスを傾ける漣司は、その反応をひとり観察していた。
黒い革椅子に身を沈めながら、静かに、だが鋭い光を浮かべて――。
(まずは成功だ。人は光と香りと雰囲気に弱い。その隙に本音は顔を出す)
彼の指がグラスの縁をなぞると、わずかに氷が澄んだ音を立てた。
その音に呼応するかのように、ホールでは笑い声が生まれはじめる。
接待の夜――バルメリアに潜む「虚飾の心臓」を暴く戦いが、静かに幕を開けた。
◇
ステージ脇の控え室――だが、そこはもはや戦場の前線であった。
直前にもリュシアが新人たちを指導していた。
黒いドレスの裾を整え、同時に新人スタッフたちの姿勢を次々と直していく。
背筋、指先、歩幅、笑みの角度。わずかな乱れも容赦なく矯正した。
「笑顔は自然に、言葉は簡潔に。決してお客様の話を遮らないこと。――よろしいですね?」
凛と響く声に、新人たちは息を呑んだまま頷くしかない。
その横で、ミナだけが「ひええ……」と小声で震えている。
「……ふぅ。これで何とか体裁は整いましたね」
リュシアが安堵の息を吐いたそのとき、まるで天から舞い降りたように――
いや、実際はただ歩いてきただけだが――ルーチェが首をかしげながら近づいてきた。
「リュシア殿、最後に確認しておきたいのだが……最も肝要なのは、殿方を心から楽しませればよいのであろう?」
純粋無垢な瞳。だが、だからこそ危険。
リュシアは一瞬で眉間に皺を寄せた。
「……まぁ、概ねそうですが――節度を守って――」
「心得た!」
ルーチェは勢いよく胸を張り、返事だけは戦場の将軍のように力強かった。
――いやな予感しかしない。
そして、予感は数秒で現実となる。
ルーチェは胸を張り、ステージ中央へと進み出た。
その歩みは堂々、まるで「今からこの都市を救う」と宣言する英雄のようだった。
杖を掲げる――瞬間、光が奔った。
「さぁ皆の衆! 拙者の光の芸をご覧あれぇっ!」
天井が星空へと変わる。
観客たちの口から漏れたのは、紛れもない感嘆の声。
「おお……!」
だが次の瞬間、星々の光が増幅し、照明の一部が一斉に落ち、壁際の燭台へ――
ボッ、と火花が舞った。
「ぬぬぬ!? 拙者、やりすぎたか!?」
「やりすぎてるーっ!!」
リュシアが即座にハイヒールを鳴らし、氷の魔法で火を鎮める。
「お客様、余興でございますっ!!」
「余興で火をつけないでください!」
だが会場の空気は恐慌どころか、むしろ爆笑に包まれていた。
「はっはっは! 豪快な娘じゃないか!」
「星が降ってきたのかと思ったぞ!」
笑い。拍手。和やかな酒の匂い。
漣司は奥の席でグラスを傾け、静かにその光景を見届けた。
「……ふむ。想定外だが――笑いは、交渉の潤滑油だ」
かくして、〈夜会亭カストリア別邸〉の夜は、爆笑と光の中で本格的に幕を開けるのだった。
◇
ミナは、まるで舞台袖から音もなく滑り出るダンサーのように、適切な瞬間に客のテーブルへ入り込み、笑顔と身振りで会話の主導権を掌握していた。
「いや〜、ここの税金、本当に高いんですよねぇ! うちなんて前期、帳簿見た瞬間に泣きましたから!」
「わかる! 市の徴税官がうるさいんだよ!」
「やっぱり〜!? ほらほら、どんな風にうるさいのか詳しく~!」
軽口を叩きながら、ミナは袖口に隠した小さなメモ板に手を滑らせる。笑顔のまま、視線だけが鋭い。
言葉の端を拾い、話の流れを変えず、しかし確実に情報の芯へと相手を誘導していく。
商会の営業としては一級品――
いや、むしろ狩人だ。獲物が気づかぬうちに首筋へと刃を寄せていく感覚。
その一方、奥のテーブルでは――ガロウが勝手に宴会を始めていた。
「オイ! もっと酒持ってこイ!」
「おいおい! 普通の酒場と違って楽しいな!」
「当たり前だろうガ! 二階堂商会は何もかもデカイんだヨ!」
既にバルメリアの兵士たちを呼び寄せ、どんちゃん騒ぎの真っ最中。
ガロウは上機嫌で叫びながら、既にテーブルを二つ占領している。
どうやって呼んできたのかは誰も分からない。
気づけば鎧姿の連中が混ざり、宴会が自然発生していた。
ロイは眉をひそめ、思わずミナの背後から囁く。
「……あの、ミナさん。あれ、騒がしすぎでは?」
「……うん。だよね。だって私も、こうなる未来は見えてたけど……」
ミナは頭を抱えた。しかし、驚くほど周囲の客はドン引きしていない。
むしろ――
「ガロウ殿、飲みっぷりが良い!」
「どの軍団の酒場より景気がいいな!」
彼の豪快さに、軍関係者の心は完全に掴まれていた。
カストリア別邸に集まった面々の警戒心が、ガロウの騒ぎによって逆にほぐれていく。
(……まぁ、結果的には悪くない、のかもしれないけど……!)
ミナは胸中で呻きながらも、次のテーブルへと微笑みを浮かべて歩いていった。
宴は、光と喧騒の熱を帯びて、ますます加速していく――。
◇
そして――
静かにワインを手にしていたリュシアにも、ゆっくりと「ほころび」が訪れはじめていた。
これまでの彼女は、会場の片隅で背筋を伸ばし、きりりとした横顔のまま杯を傾けていた。
言葉数は少ないが、その一語一語が刃のように整っている。
誰が見ても二階堂商会の頭脳と分かる落ち着きと威圧感――
本来なら、酔いなど寄せつけるはずがない。
……はずだったのだが。
「リュシアさんも一杯どうです?」
「……ええ。喉を潤す程度で十分ですから」
涼しい顔のまま、ひと口。
その瞬間、表情がわずかに揺れた。
微細な変化――しかし漣司だけは、その破片のような違和感を見逃さない。
二杯目。
三杯目。
知らず知らずのうちに、彼女の肩がふわりと解けていく。
「…………経営とは……」
ぽそりと呟いた声は、いつもの鋭さを欠いて柔らかい。
「まるで……ワインのようですね……」
「どういう意味だ?」
と隣の商人が苦笑交じりに問うと、
「熟すほどに……渋みが……ふえ……ふえましゅ……」
語尾がやけに丸い。本人は真面目なつもりなのだろう。
だが、言えば言うほど滑稽なほど論理が崩壊していく。
「リュシアさ――」
言葉が終わる前に、彼女はストン、と音を立てるようにテーブルへ突っ伏した。
「リュシアさん!?」
「た、倒れたぞ!? 氷の副社長が!?」
一瞬の静寂のあと、会場は大爆笑に包まれた。
「いい飲みっぷりだ!」
「普段のあの切れ者が……こんな可愛い酔い方するのかよ!」
給仕たちが慌てて駆け寄り、漣司は額を押さえながらも苦笑した。
リュシアはテーブルに突っ伏したまま、小さく、
「……経営……渋……むにゃ……」
意味不明の寝言を落としている。
会場に満ちた笑い声と、ガロウの騒ぎ、ルーチェの光。
――笑いと酒、光と騒音。
商会の権威ではなく、力でも脅しでもなく、ただ「楽しい夜」という、一瞬の共有で。
――その中で、確かに人々の心は溶けていた。
◇
夜も更け、音楽が鳴り止んだころ。
ミナが静かに報告書を差し出す。
「社長、例の議員が資金流用のことをぽろっと言ってたよ。記録しておいた」
漣司は頷いた。
「そうか……この喧騒にも価値があるということだな」
ルーチェはというと、椅子の上で眠っていた。
「拙者……殿方を……笑わせた……でござる……」
「笑わせすぎだよ……」
とミナが呟く。
リュシアは片手にグラスを持ったまま、上品に寝息を立てている。
ガロウは兵士たちと抱き合って床で爆睡中だ。
漣司は溜息をつきながら、グラスを掲げた。
「本音を集め、真実を突き止める……皆、よくやった」
彼の苦笑を背に、夜はゆっくりと更けていった。
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