第58章 光、学院に差す ― ルーチェ編
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
バルメリアの中心部、白く輝く尖塔が天へ突き立つ。
魔法学院――都市の住民が知の聖域と讃える場所であり、同時に、権力者たちが最も誇りとする象徴でもあった。
朝の光を受けて塔壁はまるで磨き抜かれた宝石のように輝き、行き交う学生や研究者のローブが色とりどりの魔光をきらめかせる。
街のほかの区域とは明らかに違う、澄んだ空気と緊張感――ここだけが、別世界だった。
そんな聖域の正門を、一人の少女がゆっくりとくぐる。
白金糸のごとき髪を揺らしながら、どこか場違いなほど穏やかな足取りで。
二階堂商会の新任役員――ルーチェ=ヴァルノア。
彼女の任務は、都市の魔導の実態を探ること。
だが、古風で天然な彼女のこと、波乱は避けられそうになかった。
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拙者、ルーチェ=ヴァルノアと申す。
いざ、バルメリア魔法学院――この都市の象徴たる白亜の塔へと、足を踏み入れる時が来た。
天を貫く塔は、まるで天界すら見下ろすかのように傲然とそびえ立ち、門前の大理石は磨き抜かれて月光を映していた。
魔導灯が放つ青白い光は、まるで「この街は永遠に繁栄する」と言わんばかりに学院を照らしている。
だが、拙者は忘れぬ。漣司殿が託した言葉――「繁栄の裏を見よ」
見るべきは飾られた外面にあらず。魔法学院という巨大な権威の奥底で、何が蠢いているのか。それを暴くのが拙者の使命。真を見抜かねば。
◇
講義室に足を踏み入れた瞬間、拙者は違和感に眉をひそめた。
並んだ生徒たちはローブこそ新調され、色鮮やかな魔法陣が床に描かれている。
だが――声に張りがない。魔力の光は弱々しく、呪文の節回しはひどく不安定。
ぱっと見は華やか、されど、実力はどこかすり減っている。
そう、まるで乾いた薪に火を押しつけても、ぱちりとも音を立てぬような――そんな虚の気配。
「……どうにも妙じゃな。学院の誇り高き若人と聞いておったが、覇気が霧散しておる」
拙者は隣の学生に声をかけた。
「そなた、なにゆえそんなに力が弱いのじゃ?」
青年は苦笑いを浮かべた。
「実力不足? まあ否定はしないけど……原因はそこじゃないさ」
「ほう?」
「税が高すぎてね。薬草も触媒も満足に買えないんだ。学院は繁栄してるふりをしてるけど、学生は借金だらけさ」
……やはり、ここでも同じか。
表の光は虚飾、影には苦悩。どの街角でも耳にした重税と虚飾の繁栄。
庶民も職人も兵士も、皆が苦しんでいた。
そして今度は、未来を担うべき学徒たちまでもが、その歪みの犠牲になっているというのか。
拙者はそっと拳を握りしめた。
(この目で確かめよ、と漣司殿は申された。ならば……見抜いてみせる。学院に差す光が本物か、それとも闇を覆う幻かを)
白亜の塔の奥深く――繁栄の仮面の裏を暴く戦いが、静かに、しかし確かに始まっていた。
◇
実技場――学院の誇りとも呼ばれる訓練区画は、陽を受けて黄金色に輝いていた。
その中央で、壮年の教授が杖を振りかざし、模範演技として火球を放つ。
轟、と空気が震え、眩い火花が弾けるたび、周囲の学生たちは目を輝かせて歓声をあげていた。
だが、拙者の目に映るのは別のものだった。
火球が消える瞬間、教師の肩がわずかに落ちる。
顔色は紙のように青ざめ、杖を握る手は震え、呼吸は浅い。それは己の限界を無理やり引き延ばす者の姿であった。
(……見せねばならぬのじゃな。繁栄の幻を)
拙者は小さく息を呑んだ。
学生たちが憧れの眼差しを向けるほど、教師は己を削っている。
この学院が抱える「虚飾」は、魔導の現場にまで染み渡っておるのか。
そのとき、近くの学生たちの囁きが耳に届いた。
「先生、最近ずっと無理してるよな……」
「でも学院の成果報告が近いから、失敗できないんだと」
「俺たちも、触媒の節約で魔法陣の質が落ちてるし……」
胸が痛んだ。
民も兵も職人も、そして学徒すらも、皆が繁栄の影に押し潰されているではないか。
(ならば――わが務め、果たさねばなるまい)
気づけば足が前に出ていた。拙者は袖を翻し、実技場の中央へすたすたと歩み出る。
教授も学生たちもぽかんと口を開け、動きを止めた。
「そ――そこ、危ないぞ! 実技中だ!」
と教授が慌てて叫ぶ。だが拙者は胸を張り、声を張り上げた。
「拙者は流浪の魔導士、ルーチェ=ヴァルノアと申す!この学院に巣食う虚飾の魔を見抜き、後学の助けとならんため――今ここに、拙者の至芸を披露仕る!」
静寂。次の瞬間、学生たちがざわめき始めた。
「なにあの人……」
「完全に乱入者じゃないか!?」
「いや、なんか……妙に気迫あるぞ……?」
教師が狼狽しながら止めに来ようとするが、拙者は微笑んでそっと手を上げた。
「案ずるな、そなたの身は守る。なれば、拙者の魔導――その眼でしかと見届けよ」
拙者の足元に、淡く光る魔法陣が花開く。古式魔導。学院では失われた術式。
その光が、大地を伝って静かに広がった。
学生たちの瞳が、ゆっくりと息を呑むように見開かれていく。
(見せよう。繁栄の影に飲まれぬ、本当の光というものを――)
抑えきらず、授業に乱入してしまった。
◇
授業が終わるや否や、拙者のまわりに、数人の学生が拙者に近づいてきた。
その熱量たるや、先ほどまで覇気のなかった講義室とは別世界でござる。
「あなた、絶対ただの見学者じゃありませんよね!? あの光魔法……あんなに澄んだ軌跡、初めて見ました!」
「私、ずっと光系統が苦手で……ぜひ、ご指導を……!」
「むしろ弟子にしてください! 今日から師匠と呼ばせてください!!」
な、なにぃ!?し、師匠!?やめてくれ、拙者はそういうのが一番弱いのでござるッ!
弟子など取れる器ではござらぬ!
「ま、待たれよ! 拙者はまだまだ未熟の身! 光を操るは得意なれど、教えるなど恐れ多い!そなたらが思うほど立派な者では――ござらんっ!!」」
声が裏返るほど取り乱し、拙者はずりずりと後退る。
だが、学生たちは獲物を逃すまいと迫ってくる。
「師匠! 一度だけでもいいんです、どうか!」
う、うぬぬ……!褒め言葉が次々と飛んできて、胸の奥がこそばゆくなり、心臓が跳ね、顔はりんごの如く真っ赤に――。
「や、やめてくだされぇぇッ!」
情けない悲鳴が出てしまった。ああ、これではまるで小動物。いや、事実そうであろう。
そなたらの尊敬の視線が痛いほどまぶしい。
「それに……拙者には社の務めがあるゆえ! 弟子など、と、とても取れぬ! すまぬが、お断りいたすッ!」
叫ぶと同時に、拙者はぺこりと深く頭を下げた。
学生たちは残念そうに肩を落としたものの……その瞳には、まだ暖かい光が宿っていた。
「……ありがとうございました、ルーチェ様。今日の魔法、忘れません」
「また学院に来てくださいね!」
そう言い残して去ってゆく学生たちの姿を見送りながら――
拙者は胸のあたりを押さえ、そっと小さく息を吐いた。
……まったく、拙者は褒められたりあがめられたりするのが、どうにも弱いのでござる。
嬉しくて、くすぐったくて、落ち着かなくなるのだ。
◇
夕刻。学院の白壁が茜に染まりはじめたころ、ルーチェは静かに門をくぐった。
一日中歩き回ったせいで、肩は重く、足は棒のようだ。
だが――その瞳だけは、朝よりもはるかに澄み渡り、鋭く光っていた。
講義室で見た疲弊した学生たち。実技場で、自らを削りながら虚勢を張る教師。
どの光景も、胸を刺すには十分すぎた。
「……光を志す者が、影に押しつぶされてどうするのじゃ」
ぽつりとこぼれた声は、夕暮れの静けさにすっと溶けてゆく。
その刹那、背中に回した手が、そっと震えた。
――弟子にしてください、と頭を下げてきた若者たちの顔が脳裏をよぎったのだ。
まさか、あのように囲まれるとは。褒められ、あがめられ、持ち上げられる――
それこそ拙者最大の弱点にござる!思い出しただけで頬が熱くなる。耳まで真っ赤じゃ。
おぬしら、拙者を殺す気か……!
だが。
光を求める眼差しが、あれほど眩しいものだとは思わなんだ。
あれこそ、この都市が本来持つべき熱。
奪われ、搾られ、押しつぶされて消えかけている火種。
「――この都市を覆う虚栄の闇。見逃すわけにはいかぬ」
歯を噛みしめる音が微かに鳴る。
決意が胸の奥で静かに膨れ上がり、やがてひとつの誓いへと姿を変えた。
「必ず、正す。二階堂商会の名にかけて、魔導の光を取り戻してみせる」
ルーチェは白亜の塔を振り返り、まっすぐに見据えた。
夕日に照らされ、塔が淡い金色に輝く。
だがその輝きの奥に潜む影は、もう誤魔化せぬ。
――虚栄の繁栄。許すまじ。道を追求するに無駄な負担はいらず。
必ず我が二階堂商会の力を持って変えると心中に刻んだ。
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