第57章 牙の旗は折れぬ ― ガロウ編
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
漣司から託された使命――
それは、この都市の軍が内に抱える歪みを見極め、根から断ち切ること。
バルメリアを覆う虚飾の繁栄。
整えられた街並み、復興を謳う声、その裏側で――
何が腐り、何が力を失っているのか。
その答えを探るため、ガロウは兵舎へと足を踏み入れた。
石造りの門をくぐった先。
整列した兵士たちの鎧はよく磨かれ、剣も槍も規定通りに揃っている。
訓練場は清掃が行き届き、規律そのものは形だけ見れば申し分ない。
――だが。
そこに立つ兵士たちの顔には、決定的に欠けているものがあった。
視線は泳ぎ、背筋は伸びていても芯がない。
命を預ける覚悟も、街を守る誇りも、そこには感じられなかった。
ガロウは門をくぐった瞬間、その空気を嗅ぎ取る。
「……火がついてねェナ」
低く、獣が唸るような声。
口元に浮かんだのは、牙を剥くような凶暴な笑みだった。
次の瞬間、彼はためらいなく訓練場の中央へと歩み出る。
重い足音が石畳に響くたび、兵士たちの視線が無意識に集まっていく。
「よォ、バルメリアの兵どモ」
その声は、挑発であり、宣戦布告だった。空気を殴りつけるような、腹の底からの一喝。
「生きてんなら――返事くらいしてみロ」
挑発のように、獣の咆哮のように、声を叩きつける。
ガロウは、その反応を楽しむように、ゆっくりと周囲を見渡した。
弱さも、怯えも、諦めも――全部、見えている。
――さて。
どこから火を起こしてやるか。
ゆらりと笑みを深め、ガロウはこの兵舎に、獣の牙を突き立てる覚悟を決めていた。
________________________________________
オレの名はガロウ=ベルガース。
牙の旗の戦士であり、武装法人二階堂商会の看板、社長の剣だ。
だからこそ、この兵舎の腐った空気は見逃せねェ。胸の奥底の、獣じみた部分が牙を鳴らす。
こんな鈍った軍隊を放置しておくなら、敵より先にオレが叩き直してやろうと。
「おイ! ここにいるのは本当に戦士かァ? 顔が死んでるゾ!」
兵士たちがざわつく。数人が睨みつけ、ひとりが鼻を鳴らした。
「なんだよそ者の傭兵が。偉そうに吠えるなよ」
その言葉に、血が沸いた。だが――オレは笑った。
怒りじゃねぇ。そんな上等な感情じゃない。
胸の奥でうずいたのは、もっと原始的なもの。
――面白ぇ。
ただそれだけの衝動だった。 オレは一歩前へ出て、ゆっくりと拳を突き出す。
握り締めた指の関節が、低く軋む音を立てた。
挑戦状なんざ、言葉で飾るもんじゃねぇ。拳で叩きつける方が、よっぽど早い。
「なら――勝負ダ」
声を落とし、しかしはっきりと告げる。
「腕相撲でも、剣でも、素手でもいい。好きに選ベ」
兵士たちの喉が鳴るのが、はっきり聞こえた。
「オレに勝てたら――その死んだ目の理由、じっくり聞いてやるヨ」
そして、口角がさらに吊り上がる。
「勝てなかったら……オレがてめぇらに火をつけル」
低く、獣の唸りを混ぜて宣言する。
兵舎全体が、ざわりと波打った。鎧が擦れ、足が動き、空気が一段階熱を帯びる。
歯を食いしばった若い兵士が、思い切ったように前へ踏み出した。
その背後で、別の兵士が反射的に盾を構える。
さらにもうひとりが、剣の柄に手をかけ――指先が震えた。
いい。これだ。ようやく、火種が見えた。
オレは口の端を吊り上げる。胸の奥で、狼の血が――
ゆっくり、確かに、熱を帯びていくのを感じながら。
◇
まずは腕相撲だ。がっしりした体格の兵士が腕を組み、歯を食いしばる。
だが――オレは雄叫びを上げ、一気に叩き伏せた。
「ぬおおおおおッ! どうしたァ! 腕が泣いてんぞ!」
次に──剣の模擬戦だ。訓練用とはいえ、鉄の重みは嘘をつかない。
向かい合った若い兵士は、顎に汗をにじませながらも必死に刃を構えていた。
「……来いヨ。火が消えてるなラ、オレが点けてやル」
挑発した瞬間、兵士は怒りを爆発させたように踏み込み、真っ直ぐ斬りかかってくる。刃が空気を裂く音が、兵舎の中央に鋭く響いた。
だが――遅い。
オレは一歩だけ横に滑り、重心を崩さず大剣を傾ける。
カァン! と火花を散らし、相手の斬撃をそらすように受けた。
力の向きを外された兵士の身体が、わずかに泳ぐ。
その一瞬を逃すかよ。
「……甘ェッ!」
大剣の柄頭を、兵士の胸元に軽く押し込む。
軽くのはずだが、体勢を崩していた兵士は床まで滑り落ち、背中を強かに打った。
兵舎全体がどよめきに包まれる。
倒れた兵士は、痛みをこらえながら見上げてきた。その瞳には先ほどまでなかった色が宿っていた。
──怯えでも諦めでもない、悔しさと火。オレは顎をしゃくり上げ、大声で吠える。
「武装法人二階堂商会ダ!退職金まで出て腐る戦士なんざ聞いたことねェ! オレらは違う!牙の旗は、社長の剣となル!!」
その咆哮は梁を震わせ、兵舎の奥でくすぶっていた火種に風を送り込む。
兵士たちの目に、初めて戦士の光が戻り始めた──熱は、確かに伝わったのだ。
◇
勝負の余韻の中で、誰かが呟いた。
「……俺たち、給金が遅れてるんだ。三月も……」
「上は贅沢してるが、俺たちは干からびるばかりだ」
オレは拳を握り、声を張り上げた。
「ならオレが聞いてやル! この都市の真実を社長に叩きつけてやル! 社長は必ず動く! だからオメェらも、誇りを捨てるナ!」
その言葉に、兵士たちの目が見開かれた。一瞬の沈黙のあと、拳を掲げる声があがった。
「……あんた、信用できるかもしれねえ!」
「ガロウ! あんたに賭けてみる!」
兵舎に熱気が戻っていた。オレは胸を張り、牙の旗の誇りを胸に刻んだ。
◇
その夜。
ガロウは兵士たちと共に酒場でどんちゃん騒ぎをしていた。
卓上には酒瓶が並び、笑い声が響く。ガロウは大笑いしながら酒樽を抱え、勢いよく杯へと注ぎ込む。テーブルは酒瓶で埋まり、兵士たちは肩を組み、互いの傷や失敗を肴にして豪快に笑っていた。
「おいガロウ! さっきの剣の構え、どうやって受け流したんだ!」
「簡単だァ! お前らの腰が死んでたからヨ! 酒と飯で鍛え直せェッ!」
豪快な言葉に、兵士たちは腹を抱えて笑う。
昼間まで灰色だった連中の顔に、今は血が通い、まるで何年も燻っていた火種が一気に爆ぜたかのようだった。
その光景の端を、ふわりと影が横切る。通りすがりのミナだ。彼女は窓の外から騒ぎを見やり、呆れたようにため息をついた。
「……何やってんだか、ほんと」
しかし、否定するように零した言葉とは裏腹に——
その口元には、柔らかい笑みが咲いていた。
あの沈んだ兵舎に、たった一日で熱を通した男。
拳と笑いだけで、くすぶった魂に火を入れた野蛮で真っ直ぐな戦士。
ミナはそっと視線を逸らし、夜の路地へ歩き出す。
背後ではまだ、ガロウの豪快な笑い声が夜空を震わせていた。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
少しでも面白いと思ったら☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂ければと思います。一つひとつの応援が、次の物語を生み出す力になるんです。これからも、どうぞ気軽に見守っていただけたら嬉しいです。




